凹んだ時の肝炎(ハギ)サイト | 「素顔のままで」ニコのひとりごと

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パパは慢性肝炎、ニコは双極性障害の治療中(減薬し始めました❣️)息子(30)と子宮頸がんワクチン副反応と闘う娘(28)は治療を続けながらも無事結婚したよ❤️そして愛犬のそら(4歳♀)当たり前じゃない今の生活、1日1日を楽しく笑顔で過ごしています❣️

私は本当に浮き沈みの激しい日々を送っていた。
その頃はまだ自分の病気に気がついていなかったので
内科でデパス(安定剤)を出してもらって
就寝前に飲みながら暮らしていた。

そして肝炎サイトで知り合ったハギさんに悩みを聞いてもらっていた事も
私にとって励みになっていました。
そんな時、偶然三重県津市での講演会があるとの連絡がはいった。
私はパパに何も相談せず、「絶対見に行きます!」って
返事をしていた。
だってハギさんがこんな近くに来る事なんてそんなにないものね。
私はインターネットで講演会の場所を調べ、それからパパに
それを見せながら
「ここにね、ハギさんが来るんだって!!絶対行こうよ。
 楽屋に来てくださいってハギさんが言ってくれてたよ。」
「へぇ~、そうなんだ。いいよ、行っても。」
そう言ってくれたので私はとっても嬉しくなった。
でも名古屋市から津市まではどのくらいあるのだろう?
そんなことを考えながら次に私がした行動は・・
それはお土産の用意。
次の講演会が佐賀って聞いていたので
饅頭とか日持ちしないものを持っていくのもどうかと思い
名古屋名物で我が家おすすめのインスタントラーメン他麺類を
持っていくことにした。(お土産の発想がちょっと違うかしら?)

結婚して十数年パパからうつったウケねらいの性格がここで発揮。
芸人を笑わせてやろう!といろいろネタを考えだした。
目録を作るだけで何日費やしただろうか。
でもそれを準備している時がめちゃくちゃ楽しくって。
一人でニタニタしながら考えていた。
ウケなかったらま~いっか。って最終的には思っていたんだけど
とにかく当日ギリギリまでメッセージを作っていた。
「よし!できた!」気に入った用紙を買ってきてPCで印刷してみる。
いまいちバランスが気に入らない。
また印刷。繰り返すうちに残り2枚になってしまった。
結局「よぉし!これでいってみよう!」って決めてお土産の目録完成。
ようやく準備もととのって当日をむかえた。

当日(確か10/18だったかな)朝10:00頃出発、高速を飛ばして
1時間半ぐらいで現地に到着した。
その間私はやっぱり熟睡。
気がつくと三重県津市についていた。
着くなり息子が「母ちゃんやっぱり寝てる」と一言。
息子は幼い頃から道路の観察が大好きで記憶力もなかなかである。
だから私より頼れるナビなのだ。
最近は彼がパパのとなりによく座っている。
で、いつも私と娘は後部席で熟睡。
「あ~よく寝たぁ~!運転ご苦労様」って言って車を降りた。
会場に入っていくと受けつけがあって
そこでハギさんに言われたとおり言って中にいれてもらった。
ロビーには心臓移植や肝臓移植体験者の写真などが展示されていた。
そしてなんと言っても目を引いたのはTV。
私も偶然見たことがある「アンビリーバボー」の録画が流されていた。
そこに移っていたのは紛れもないハギさんご本人。
私は「これがハギさんだよ!」って子供たちに紹介していた。
しばらくそこでTVを観賞。
そしてハギさんの講演まではまだ時間があったけど
どんなことを話しているのか気になって
講堂の中へ。

テーマが心臓移植だったためかかなり難しい話をしていた。
表彰式も行われていて、移植推進に貢献した医師や病院が壇上で表彰されていた。
「へぇ~こんな表彰式があるんだね~。」と夫婦で驚いていた。
その後心臓移植の専門医の講演があり、移植後の生存率などを話されたり
日本での臓器移植提供者が少ない事などご自分の体験談を交えて話されていました。
私たちはこんなに真面目に移植について考えたことはなかったので
真剣に聞き入っていました。
ただ一つ残念なのは私もパパも移植提供者にはなれないってこと。
以前からずっとドナーカードを持ち歩いていた私は
その少し前に、B型肝炎に感染しているから移植提供は無理だと知って
カードを捨てたばかりだったから。
献血もしてしまうと検査にはひっかからないから(抗原が微量すぎて)
感染を広げてしまうおそれがあるので要注意なのだ。
できるかぎり感染させる側にはならないように気をつけていかなきゃね。

そんなことを考えながら講演を聴いていた。

その間、子供たちも特に退屈そうにしているわけもなく
おとなしく座っていてくれたのでよかったです。
ただ「ねぇねぇ、ハギさんのコントいつやるの?」って
凄く期待に胸を膨らませていましたよ。