退院後+α | 「素顔のままで」ニコのひとりごと

「素顔のままで」ニコのひとりごと

パパは慢性肝炎、ニコは双極性障害の治療中。息子(30)と子宮頸がんワクチン副反応と闘う娘(28)は治療を続けながらも無事結婚したよ❤️そして愛犬のそら(4歳♀)当たり前じゃない今の生活、1日1日を楽しく笑顔で過ごしています❣️思考が10代で止まっているニコのひとりごと

休職中のパパは洗濯物はあまり干してくれなかったけれど
食事の準備や後かたづけ、掃除などをしてくれるようになった。
朝、子供を送り出してすぐ私が出勤。
前のパート先は仕事はハードだったけど
社長や部長に状況を説明すると5時まで延長して仕事をさせてくれた。
お陰でその月は10万ちかく稼ぐことができたので
とても助かった。
退院後3週間ぐらいで職場復帰したパパ。
まだ安静にしていた方がいいのだけれど
数値はそんなに簡単には下がってくれなかった。
だからしびれを切らして仕事に行くことにしたのだ。
(とりあえずはデスクワーク中心ということで・・・)
11月からは生活ができるかな。って少しほっとした。

そうそう先回書き忘れたことがありました。
退院直前に私がパパの実家に泣きながら電話をして
初めて現在の家計の状況を話したのです。
「生活が成り立たないので少しでいいですから援助してもらえませんか。
 前回、前々回とも私の両親に援助してらっているのです。
 もう私の両親も援助できないと言っていますから今回はお願いします。」
って頼んだのだ。
「いくらぐらいいるのか?」って聞かれたので
「入院費と生活費あわせて30万ぐらいお願いします。」って
勇気をだして伝えた。金額を言うことは自分のやりくり下手が原因(?)
のようにも思え、なんだか申し訳けなくていたたまれなかった。
でも私の実家から断られていたので、すがるしかなかった。

男の人にとって自分の親に頼ることがそれほど辛いことなのだろうか?
私は子供たちやこの生活を守るために頭を下げることは全然辛くない。
だから何度も自分の親に頭を下げてきた。
それなのに、この時ばかりはパパを理解できなかった。

私は今回、彼にはっきり「これ以上もう私の両親に頼むことはできない。
(前の2度の入院時頼んでいるから)お願いだから今回は自分の親に
 頼んで。」
そう言ったのに、彼は両親に現状を伝えてはくれなかった。
それが本当に悲しかった。
だから彼の両親がお金をもってきて
「これでニコさんと旅行でも行きなさい。って言ってたよ」
そう言いながら嬉しそうにお金を私に渡すパパ。
私は金額が30万ピッタリだったので内心
(これで旅行が行けるわけないのに・・・何もわかってない)って
思った。その時口に出して言っていればよかったのかもね。
(闘病中の彼とケンカする勇気がない・・・私の悪い癖だ。)
すごくやましい考え方なのは重々承知です。
援助してもらえただけでも感謝しなきゃいけないのに。
でも当時の私にはそんな余裕は全くなかった。
案の定、入院費で半分以上消え8月、9月の住宅ローンの穴埋めで残りは
全部消えてしまった。

こんな状況の私たちに彼の両親は「一緒に旅行に行きたいね」と
よく誘ってくる。
口だけなのはわかっているけど「行きたいね、どこにする?」
そう言うとそのあとは会話が続かない。
お互いお金が出せる状況ではないのに・・・いつものことと諦める
毎年恒例のスキー旅行にも同行したいと言ってくるが
お金は折半。
一度連れて行って私が疲れ切ってしまったので
二度とゴメンだ~!って感じ。
旅行の手配から準備など全部私がやっているのに~。
せめておごってくれよぉ~な~んてね、したたかな嫁です。

話は戻るけど、退院の時
パパとのお金に対する気持ちの違いに
私は不満と怒りをおぼえた。
だから死にたいって思っちゃった。

でもね、今は当時と少し違うよ。

現在、生活は自分たちの収入でなんとかできているから
いいけれど、また今回のようなことがあったら離婚するつもりでいる。
彼一人なら両親と何とか生活できると思うから。
本当は子供たちを私が育てられるかどうか不安なんだけど
薬を飲んで安定している今なら育てられるって思う。
共倒れしてしまうよりはいいかなってね。

そうなる前に多分もう一度じっくり話し合ってみるだろうけど。
夫婦はいつ何時終わりがくるかわかりません。
今は相手を思いやっていられるけれど
自分に余裕がなくなったらそれもできませんから。

これからは私が限界に達する前に話をしようと思う。
私は思ったことを言葉にして気持ちを伝える訓練も
しないとけないのかも。彼の病気を理由にして
今まで逃げていたようにも思えます。

あ~あ、私がこんなにいろいろ考えている横で
相変わらずマイペースな彼はカマロを買ってくれ~!!と
叫んでいる(困)
どこにそんなカネがあるんじゃい!!