7月15日(月、祝)、新宿花園神社の境内に建てられた特設ステージで開催された舞台、「かなかぬち〜ちちのみの父はいまさず〜」(脚本:中上健次、構成・演出:青木豪)を観ました。

椿組は、学生時代からの劇研(演劇研究部)仲間に誘われて数年前に観劇以来、大好きな劇団です。観劇のあと、新宿ゴールデン街にある椿組プロデューサー外波山文明さんのお店「クラクラ」に、劇研仲間たちと一緒に飲みに行ったことも思い出の一つです。店内に元バイトの歌人俵万智さんの色紙が飾られていたことも印象的でした。外波山さんとはfacebook等SNSでも繋がらせていただいています。コロナ禍とか私の事情とかでご無沙汰していましたが、今回は仲間たちが日程に融通を利かせてくれ、上京可能な日の観劇となりました。

待ち遠しさのあまり早めに来て、境内にある芸能浅間神社を参拝するのはいつものパターン。劇団員が発声練習やセリフ合わせをしている声が境内にこだまする中、芸能の神様に手を合わせました。

いよいよ開場。中に入るとそこは椿組特有の空間。今回で花園神社境内での公演が最後になるという寂しさを反転するように、劇団員全員でいい舞台を観客に届けようという熱気に包まれています。もはやここは、祝祭の場です。

開演しました。大好きな友川かずきさんや山崎ハコさんのエモーショナルな歌声がのっけから感情を揺さぶります。紀州の峠を根城とする異様な風体の役者たちが舞台を所狭しと疾走し、叫びまくります。荒くれ者たちは、か弱き姉弟に襲いかかり、「河原乞食」と呼ばれる流浪の芸能集団が差別的な世の中でしたたかに生き抜き、戦に敗れた落武者は混乱の世の現実を映し出します。

南北朝という、この国が大きく揺れ動いた時代を舞台に、欲望、暴力、性のエネルギー、すなわち「欲動」に歯止めの効かない世界が描かれます。

戦後生まれ初の芥川賞作家である中上健次さんは和歌山県内の被差別部落出身。生まれた部落を「路地」と呼び、その共同体を舞台に「紀州熊野サーガ」を書き続けていました。

共同体というと、閉鎖的な空間を想像しがちですが、部落=路地は、内も外も関係ない無秩序な開放区、理性より野生、秩序より欲望優先の社会です。中上さんの親友・盟友である柄谷行人さん(文芸評論家〜思想家)はかつて、「道とは、一人でまっすぐ目的に向かって進むところではなく、人々が行き交うところだ。交わり合うことで何かが生まれる場所だ」というようなことを言っていましたが、それは、中上さんの「路地」を念頭に置いての言葉だったのかもしれません。

中上さんも、柄谷さんを通して、欲望に蓋をしないニーチェの思想を知り、自分の出自と重ね合わせ、作品に投影しようとしてきたのかもしれません。理性をもって弁証法的に問題解決を目指すより、人の欲望に足かせをはめないほうがより良い社会になるという思想は、資本主義・自由主義礼賛と受け止められがちですが、柄谷さんはテキストを徹底的に読み解いて、その「可能性の中心」を明らかにする人ですから、柄谷さんを通じてニーチェと接した中上さんは、教科書が解説するニーチェとは異なる受け止めをしたと思います。

なお、中上さんは柄谷さんから長きにわたって影響を受けてきました。彼に作家のフォークナーを教えたのも柄谷さんで、「路地」「紀州熊野サーガ」は、そこに着想を得ているといいます。また、この戯曲の「昼が夜に変わり、夜が昼に変わる」というリフレインは、柄谷さんの「マクベス論(「意味という病」所収)」ではないかと思いました。

中上さんが脂の乗り切った若い頃、同年齢のエネルギーがほとばしる演劇人だった外波山さんと出会い、初めての戯曲を書きます。それがこの「かなかぬち」です。欲望を「裁判」し、肯定とか否定という形で「判決を下す」のではなく、観念的・図式的ではなく、「おもしろく」するため泥のような心のままを「解放」して描く、中上さんが創ったのは、そんな戯曲なのかもしれません。絵画に例えれば「フォービズム(野獣派)」のような。

その戯曲を、椿組は「生きもの」にします。野外の本物の土の上に立ち、駆け回り、舞い踊り、謡い、殴り、犯し、斬り、叫び、盗み、主張する。もはや椿組のディーバとも言える客演の松本紀保さんの迫力は圧巻。炎は燃え、人が浮かび上がり、屋台崩しで芝居という虚構が現実の新宿と交わります。

臆病な私には目を覆い耳を塞ぎ、逃げたくなるシーンもありましたが、すべてがたくましく、すべてが必死に命を輝かせていました。

「楽しかった」「明日への活力になった」「いい思い出になった」だけではない何かが、胸の中に埋め込まれたような、そんな舞台でした。

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