先日、結婚しまして。



でも私、
昔から結婚願望は

あまり強くない女の子でした。



小さいころから
お嫁さんになりたいとか

言ったことなかったしね。



結婚することで

幸せになれると思ったことも、

 


子どもを産むことで

幸せになれると思ったこともなかった。




だから結婚願望や出産願望が

あまりなくてさ。






会社員だったころね。
主に男性なんだけど、



結婚してない私を負け組扱いする同僚や、
結婚することがさも正しいように話してくる同僚がいてね。



彼らは

人を不幸に仕立て上げて

自分を正当化したかったり、

 


自分の知っていることが

唯一の正解だと思っているようだった。



私は彼らを論破しようとは思わなかった。



考え方も、生きてきた背景も違うからね。



でもさ、私は彼らのこと、
幸せそうには見えなかったんだ。



だって本当に幸せだったら、
人に対して

マウンティングする必要ないでしょう?








なぜ結婚することが勝ちなの?
なぜ結婚しないことが負けなの?
なぜ結婚することが正しいの?





彼らを見ていたら、
なんとなくわかったんだよ。



きっと、
世の中がそれを普通としているからだなって。



彼らにとっては、
普通=みんながしてる=正しい 

なんだ。




そうか、
私はやっぱり
普通じゃないんだなって思ったんだよね。







そうして私はやっぱり、
普通じゃない人と結婚したのです。




普通じゃないくらいに、
愛を注いでくれる人。


普通じゃないくらいに、
生きるチカラのある人。


普通じゃないくらいに、
優しい人。


普通じゃないくらいに、
才能あふれる人。


普通じゃないくらいに、
器の大きな人。





そんな人と、結婚しました。



私、普通じゃなくてよかったよ。

あの人たちから、
負け組扱いされるような考え方でよかったよ。









世の中で正しいとされることも
統計学も
これはどうやらそうらしいと言われていることも



私には時々、

逆さまの世界に見える。



だってさ、私の周りには、
そういう刷り込みみたいな世間の思い込みを

破る人たちがちゃんといるんだよ。





自分が幸せな結婚ができるなんて想像すらできなくても、
幸せな結婚をした人だって知っているし、



仲の悪い両親のもとで育ったけれど、
自分は仲良し夫婦になった人を知っているし、



虐待をされて育ったけれど、
自分は一度も子どもに手をあげなかった人を知っているし、



いじめられてきたけど、
自分は人をいじめなかった人を知っているし、



貧乏で苦労していても、
人に与えることに喜びを感じる人を知っているし、



持病で生活に支障が出たり周りから白い目で見られても、
自分を強く持って社会で活躍し、愛に溢れている人も知ってる。









異端な人たちの生き様を見せてもらったらさ、
 

 

世の中の常識や正しさなんて、
平気でひっくり返ったりするんだもん。







人には人の正しさがあって、
人には人の思いがあって、
人には人の考えがあって、
人には人の生き方があって、





私はそれを、まざまざと見せてくれる
小さな革命家たちと一緒に生きてきたんだから、



どんなに負け組扱いされた人生だったとしても、

私の人生は恵まれた人生だと思えるよ。





私の旦那さんもまた、
革命家の一人なのです。



革命家の人生には
少しばかり困難が伴ったりするのだけど、



彼らは打ちひしがれてはいないのです。



革命の大きい小さいを
言い争ったりもしないのです。



みんながやっていることが
必ずしも正しいことだとは
言わないのです。



器がとんでもなく、大きいです。




そう。
ときどき自分がおちょこに思えるくらいにね。







世の中の正しさと同調できたら
幸せになれるわけではなくて、



他人と比較して優劣つけたら
幸せを計れるわけでもなくて、



自分の幸せは、
自分しかわからない。





自分が何にどれほどの幸せを感じるかなんて、
他の人に計れっこないよ。




だからね、


結婚したから勝ちとか
結婚したから幸せとか、


私は結婚した今も、
そんな風には全然思わない。



この人といると幸せだと
思えたから結婚したんだもん。







実際に
一人でいるのが超絶幸せな人もいるし、
結婚しなくても幸せな人もいるんだから、



結婚=正解ではないし、
結婚=目的でもないよ。




自分が幸せかどうかより、、
世間の正解や、結婚という行為自体が
目的になってしまったら、
苦しいし、悲しいよ。




幸せが目的だったのに、
いつの間にか結婚が目的になってしまう
みたいなすり替え。



そういうすり替えが、
ありとあらゆる「常識」という概念の中で
起こったりしてさ。



それって本当なの?って、
思っちゃうよね。



本当の目的はなんだっけ?
みたいなね。





自分の幸せってなんなんだろうって、
今まで考えてこなかった人には、
怖かったりするんだよね。



自分の幸せ=世間の正しさ
ではないことがあるからさ。



でも本当はさ、
自分の幸せを世間にゆだねる方が
よっぽど怖いよね。



自分が自分を、
幸せにしてあげるしかないもんね。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

この前さ、

自分のパンドラの箱を開けてしまったよ。




小さなころの悲しい記憶。



とっても長~い真剣なブログを書いたのだけど、
なんかずっとアップする気にならなくて。



でも今ふと、
もうちょっと軽~く書きたくなったから
あらためて書いてみる。





私さ、子どものころ、
日常的に支配と暴力を受けていたことがあったのね。
(親からじゃないよ。)




忘れていたわけじゃないんだけど、
なぜかその頃のことにあまり関心が向かなくて。



あまり重要視してなかったって感じかな。




でもさ、本当はたぶん、

すごく重要だった。




それがひどい体験だったからじゃなくて、



その頃の自分の思いをずっと見ないふりしてたから!



===============



私は昔から非日常を求めてた節があってさ。


宇宙とか、ディズニーとか、海とか、



この現実が完全に見えなくなるどこかを、いつも探してた。




でも当たり前だけど、
完全に現実から切り離された世界なんて
この世界に生きている限りなくて。



それでいつもどこかに
消失願望を持ってた気がする。



なんでそんなにこの現実から離れたいと思ってきたのかって、
始まりを考えたこともなかったんだけど、




たぶん、子どもの頃に受けた支配と暴力が

根っこにあったんじゃないかなって気がついた。




たしかに肉体的にも精神的にも傷は負ったし、
その頃が人生で一番辛かったなぁって思うんだけど、




なんで今までそこに関心が向かなかった?



なんでその頃を思い出そうとしなかった?




うーん・・・
たぶん、辛かったからなんだよね。



私、イヤな記憶ほど覚えているタチだと思ってたけど(笑)、



そうでもなかったみたい。




辛かったからあえてそこに触れないように、
パンドラの箱にしまいこんだみたい。



それがふとした瞬間に、
最近その頃の感情が呼び起こされてさ。





あの頃、自分はどう思ってたんだっけって思いを馳せた瞬間に、



パンドラの箱が開いてしまったんだよね。




仕事してたときは
そんなことを思い出す暇もないくらい、



目の前の小さなことに
いちいち心を奪われていたからさ。



心と時間に余裕ができた今、
ようやくその頃の自分にアクセスできた。





でもさ、意外なことに、

 


あの頃のことに対して、
怒りとか恨みとかないの。








思い出した今は、


あの頃みんなが辛くて、
みんながどうしようもなくて、
私はみんなのやりきれない気持ちの
受け皿になっていたんだなぁって、



事実に対して、
俯瞰した目で見てる。





わざと大人びているわけでもないんだけど、
不思議と怒りとか恨みとかはない。





ただね、純粋に悲しかった。




だからここ数日泣いていたの。





そして、


「助けてほしい」ってずっと思ってたのに、



その自分の声まで封印してたことに気がついた。






本当は、助けてほしかった。


あの頃、「助けて」って誰にも言えなかった。

大きくなってからも、「あのとき助けてほしかった」って、誰にも言えなかった。





だからあのときの「助けて」が
ぶわーって出てきて。



記憶を思い出してから何日も泣きながら、
「助けてほしかった」って、



何度も何度も一人で言い続けた。









で。その結果、
今すっきりしているわけなのです。




すっきりって言うのは、
完全に癒やされたってわけじゃないんだけど、



自分を思い切り泣かせてあげられたことと、
自分の思いを言えたことで、



心がとても軽くなった。






あとね、

あのときの自分の行動に対しては、
後悔とかないよ。



誰かに打ち明けて保護してもらうとか、
命がけでやり返すとか、
方法はあったのかもしれないけど、




家庭事情も色々あったから
両親にも他の人にも相談することができなかったし、



それより何より、誰かにチクったら
どんな暴力にあうのだろうと
怖くて怖くてたまらくてさ。




恐怖で動けなかったのね。





そんな自分のことを、
1ミリも責めてない。



よく耐えたなぁと思うし、




それがあのとき自分にできる
最善の選択だったと思うよ。





==========




それでさ、
大切なことに気がついたの。



悲しみって「愛」なのかもなぁって。




ここ何日か、
ずっと悲しかったのね。





あの頃、


誰にも助けを求められなかったこと
誰にも助けてもらえなかったこと
自分のことを助けてあげられなかったこと




それが悲しくて。




でもこの悲しみって。
ものすごい自分への愛があるなって思ったの。





自分のこと大切に思ってなかったら、

「助けてあげたい」なんて思わないじゃん。



自分を大切に思ってるから、
自分のことを「助けてほしい」って思うんじゃん。






この悲しみの裏側は、自分への愛だ。






自分を愛するってどういうことだろうって
考えてたときもあったけど、


考えるよりもずっと前から、
ちゃんと自分のこと愛してたわ。





それとかさ。
誰かが亡くなって悲しいって思うのも、
その誰かへの愛があるからじゃない?




悲しさを怒りで隠して
誰かを攻撃したり
恨んだりすると
見えなくなってしまうけど、




悲しみそのものには
本当は愛があるじゃないかな




と思ったのです。






だからかわからないけどね、



私は時々、愛に溢れている人と接すると、
わけもなく泣きそうになることがある。



それってもしかしたらその人が、
深い悲しみを経験したからなのかなって。




そんなことを思ったここ最近でした。






ずっと前に友人と話していたことを

思い出したの。



私は実家を出てから

何度か引越しを経験しているのだけど、

その際に引越し業者を利用していてね。



ベッドとかも解体して運んでくれるから、
本当に早いしありがたい!



自分でやったら3日間かかっても

終わらないであろう引越し作業を

数時間で終わらせてくれる引越し業者さん。



一度利用したらやみつきですわ。笑




それでね。



同じ頃に引越しを経験している友人と前に話していて、【どういう基準で業者を選ぶか】って話題になって。




私はね、




「多少料金が他より高くても、この人にお願いしたい(お金を払いたい)と思える人に決める」



そう言ったら、ひどく驚かれたので、
なんだかこのときの会話は、
私の中では印象的だった。




おそらく、私のような庶民であれば、
品質にあまりの落ち度がない限り、
料金が安いところを選ぶのが一般的だと思う。




というか、

私はそのころも手取りの少ないOLだったし、
他より何万も高い引越し業者に

わざわざ依頼する感覚が、
他人には理解しがたかったのもよくわかる。笑




実際、私も最初に引越をしたときは、
何社も呼んであいみつを取って、




品質にそこまで違いはないであろうと思われる

業者さんの中から、

一番安いところにお願いしようと思ってた。





でも、私は一番安い業者にお願いしなかった。
(むしろ、一番高かったかも。笑)





何で決めたかというと、

「人」で決めた。



具体的には、

そのとき家に来てくれた営業の人で決めた。



「この営業さんにお願いしたい」と思ったの。





もちろん、その人が当日の引越し作業をしてくれる訳ではないので、



いくら営業の人が良い人でも、当日の作業員が良いかどうかは別の話。



それでも私は、



「この人にお願いしたい」
「この人にお金を払いたい」
「この人、なんか好きだな」





そう思った営業さんのところに、引越しを依頼してきた。




それこそ、

他の業者の倍くらいの料金を提示されても
選んだこともあった。





私が選んだ営業さんたちは、
なんだかとても良い空気感を
持った人たちだったのね。





そういう人と接すると、
料金が多少高くても
お金を払うことにあまり抵抗がわかないっていうか。



反対に、どれだけ安い料金を提示されても、
なんかこの人にはお願いしたくないなっていう営業さんもいる。




私はお金持ちでもなければ、

見栄をはりたいタイプでもない。

 



ブランド物には昔から興味がないし、

誰かれかまわずおごるタイプでもない。




クーポンとかも多用するし、
どちらかというとケチの部類だと思う。笑




でも私は、

 

 



コレだと思った「人」には
たとえ割高だろうが

お金や時間を惜しみなく差し出すことが多い。



周りからびっくりされたり、

心配されたり、

時にはひかれたりもするけど、

 

 



私は結構、自分のこの感覚が好きだし、
根拠のない自信さえあったりする。笑





「私は人を見る目がある」という、

根拠のない自信がなぜか昔からあるのです。笑

 

 



それはたぶん、人から発されているものを
感じやすい体質だからじゃないかなと、

最近思った。



だけどそれは私だけじゃなくて、




この世界には目には見えない何かが確かにあって、
強弱はあれど、人はそれを感じ取る生き物なんだ。





HSPの人はそれを強く感じ取る体質で、
言い換えれば、

人を見る目があるんじゃないかなぁ♪



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私は昔から、ちっさなことには運が悪めで、
なんで私だけ!とか、
なんで私のときに限って!とか、



まあまあ運悪めのことが多かったんだけど、



「人」に関する運だけはめちゃんこ良いと思ってる。



人運とか言ったりするのかしら?



私のまわり、まじでいつも良い人ばかりだった。
私、いっつも良い人と関わって生きてこられた。



人として尊敬できる人ばかりだった。
人として好きな人ばかりだった。




もちろん、イヤだなって思う人たちもいたけど、
比じゃないくらい、良い人ばかりだった。



もちろん今も。
 

 

 

 

それは、

 

心地よいと思える空気感を持つ人を、
無意識のうちにも選んでこれたからなんだと思う。

 

 

人から発されるものに敏感な体質の、

良い面かもしれない。




=====================



なんか最近ね。



仕事を辞めて、
目覚ましをかけずに自分のリズムで起きて、
お腹がすいたら食べて、
眠くなったら寝て。




そんな毎日の中で
不安がないかと言ったら嘘になるけど、



でも。


時間に余裕ができて、
心に余裕ができて、
自分のリズムで生きてたら、


今まで目を向けられなかったことに、
目が向くようになった。





あたたかい部屋にも、
あたたかい布団にも、
おいしい食べ物にも、
おいしい飲み物にも、
良い人に囲まれている環境にも、



なんだかキレイ事みたいなんだけど、
こんなにも感謝を感じたことはなかったの。




私は自分がとても幸せ者だということを、
思い知ることばかりだ。





速報。

 

辞めました。

転職したての会社を。

 



 

1週間と3日で辞めてきましたよ。ええ。

 

 

正直、やっぱりなって感じです。

  

 



自分が会社員を辞めることになるんじゃないかって、

薄々思ってた節はあったのです。

 

 

なぜそう感じてたか。

   



 

 

☑会社員として私が学ぶべき最大の学び(自己肯定感)を得たと感じたから。

 


☑転職する根底に、恐れと不安がベースにあったから。

 

 

 

 

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ひとつ前の記事で書いたけど、↴

 

 

私は前の会社を辞めるときに、

自己肯定感という最高の学びを受け取った。

 



 

あと、辞めるという選択を許さなかった

今までの自分の枠をぶち破ったことで、

 


 

会社を辞めるということが、

恐れていた程はおおごとではないことを知った。

 

 


というか、辞めるってことは意外となんでもないことだった。

自分の気持ちも、周りの反応も。

 

 

 

なんかね・・・

 

 

転職前の会社を辞める直前くらいに、

会社員でいる間に私が学ぶべきもの・得るべきものが、

自分の中で出揃った感があったの。

 




 

このために私は会社員を経験したんだなぁって思えたから、

正直、もう会社員でいる意味はないかもって

転職前に感じてた。

 

 

 


だって私の人生は30年間、

ずっと自己否定との戦いだったからね。

  



 

私の人生の前半は、

「自己否定」が大きなテーマだった。

 

 

 

30年かけて

やっとひとつ大きな壁を

乗り越えたって自分の中で感じたの。

 

 


 

その時点で、会社員はもう辞めることになるんじゃないかって、

ちょっぴり思ってたんだ。

 

 



だけど私、収入がなくなることがなんせ怖くてね。

そのままじゃ到底、

会社員を辞めるなんて無理だった。

 

  


 

ここで宇宙の粋なはからい。

(だと勝手に思ってる笑)

 

 

 

わたしが会社員を辞めるための完璧な流れとして、

好条件の転職先が目の前に現れたのです。

 




 

そして前に記事で書いたけど、

奇跡のような流れで

トントン拍子に転職が決まったわけです。

 

 



そして今回、その転職先を1週間と3日で退職。(はや笑)

 

 


なんで辞めたかっていうとね。

 

 

 

私、転職先の会社で、

パワハラぎみ?な社長の下で働くことになったの。

 

 



苦痛すぎてさ。

特に社長の乱暴な言葉づかいが

とてもとても嫌だった。

 

 

 

やりたかった仕事をできると思っていたけど

それ以外にやることも多くて、

時間も労力も削がれた。

社員はみんな、遅くまで残業してた。

 

 



同僚はみんなとても良い人ばかりで、

フォローしてくれたり、

気遣ってくれたり、

本当に本当に感謝しかなかった。

 



 

だけど私は、

1週間と3日でその会社を辞めた。

 



 

どうしても、

社長のモノ言いと、

奥底からわき上がってくる不快感に

我慢できなかった。

 

 


 

転職してもしなくても

同じじゃないかと思うくらい

短い期間だけどね

 

 

 

この転職を経験することは

私には必要なことだったの。

 

 


 

だってね、

 

転職先が決まってたから、

その前の会社を辞められたの。

 


 

転職先の上司とソリが合わなかったから、

転職先も辞められたの。

 


 

転職が決まっていなかったら、

私はいつまでも

最初の会社を辞められなかった。

 

 


いつまでもやりたくないことを続けて、

我慢している会社員のままだった。

 

 

 


私が会社員を辞めるためには、

転職が必要だったし、

ソリの合わない上司の登場が必要だった。

 

 

 

完璧な流れだと思ってるよ。

 

 

 

 

====================

 

 

 

 

 

流れに身を任せるって、

自分の感覚に従うことだと思ってる。

 


 

 

私、新しい会社がすごく苦痛でしんどくて、

心がギュー!って

締め付けられる思いだった。

 

 


だからその会社の

社員でいることを手放した。

 

 



今までの私だったら、

2000%辞めないよ。

怖くてやめられなかったよ。

 

 

 


何かを辞めることがタブーだったし、

 

収入がなくなることが

怖くてたまらなかったし、

 

我慢することが

当たり前だと思ってたからね。

 

 

 

 

でも今回は、

今までと真逆のことを選択した。

 


 

 

1週間と3日という超短期間で辞めて、

収入も手放して、

我慢も続けなかった。

 

 

 

これまでの人生で

一番早くて大きな決断だった。

 

 



今までの私からは想像できないくらい、

いとも簡単に、

それまで重要視していたものを手放した。

 

 

 

今まではね、

 

 



自分に我慢をさせることで、

自分の願望と向き合うことから逃げてきた。

 

 

自分を抑圧することで、

自分を表現することから逃げてきた。

 

 

自分の感覚を無視することで、

社会の正解を選んで自分の正解を選択することから逃げてきた。

 

 



 

美徳としてとおしえられてきたことも、

常識としておしえられてきたことも、

正解としておしえられてきたことも、

 


 

自分がそれをどう思うかどう感じるかの

フィルターをちゃんとかけてから

選択する必要があったのに、

 

 


私は自分のフィルターを通さずに、

他人が良しとするものを全て

インストールしようとしてきた。

 

 



全部インストールしようとすると、

自分がわからなくなる。

恐怖と不安に支配される。

 

 

 



親や社会の良しとすることを全部インストールして、

私の中にはいつの間にか恐怖と不安が住み着いてた。

 

 


 

私は会社を辞めることが

ずっとずっと怖かった。

 

 



収入がなくなることが怖い。

生活ができなくなることが怖い。

収入に関して人から何か言われそうで怖い。

収入がある人に会うと不安に襲われそうで怖い。

 

    




だけど、

 

恐れや不安がベースになってやっていることは、

続かないか、続くとしてもいつも苦痛が伴った。

 

 


 

私が会社員として働いていたのは、

安定した収入を得るためだった。

その基盤になっていたのは、恐怖と不安。

 



 

会社員でいる間、

ずっと恐怖と不安に支配されてきた。

ずっと苦痛を伴いながら働いてきた。

 

 

 

でももう、

 



恐れから突き動かされて、

自分が本当に幸福を感じるものから

目を背けるのは辞めたかった。

 

 

不安から突き動かされて、

自分を苦痛にさらし続けるのは辞めたかった。

   

 




 

そのためには、

 


私にとって一番怖いことをする覚悟が必要だった。

 

 



私にとって一番怖いことは、

 



会社員という安定を手放すこと。

つまり「安定した収入を手放す」ということだった。

 

 

 

収入を手放すことは、とても怖かった。

だけど私は自分の感覚を大切にしたかった。

だって今までずっと大切にできなかったから。

 


 

 

そんなわけで、

せっかく手に入れた好条件の会社勤めを、

私は1週間と3日で辞めた。

 

 


 

私がその会社で社員として働き続けることは、

恐れと不安をベースに生きていくことだったから。

 



 

 

収入がなくなるという恐れ。

今後の生活ができるのかという不安。

 



 

 

今もクリアできてないよ。

現実的な問題はね。

 

でも、これ以上はムリだった。

 

 

自分にもう、我慢させたくない。

自分をもう、抑圧したくない。

 

 

 

 

 

=============================

 

 

 

 

 

恐怖と不安の上に成り立った「安定」を手放す覚悟は、

今までの私にはなかった。

自信も勇気もなかった。

 

 


 

恐怖と不安に支配されている方が、

楽だったんだと思う。

自分の願望を叶えてあげられない自分に、

落胆しなくて済むから。

 

 


我慢している方が、

楽だったんだと思う。

自分の人生が上手くいかないのを誰かのせいにして、

自分が責任を負わなくて済むから。

 

 



 

きっとこれからだってあるんだよ。

恐怖や不安に突き動かされて動いてしまうことが。

 

 


 

でもさ、恐怖や不安をベースにしているときの違和感って

自分が一番感じてるんだ。

 

 


不快というと感情や、我慢という苦痛が、

いつもちゃんと違和感にくっついてくるんだもん。

 


 

だから自分が一番わかってるはずなんだ。

自分の幸福論からズレてることに

 

 

 

だけどズレたらさ、

そのとき違和感とちゃんと

向き合えばいいと思うんだ。

 

 




 

会社員を辞めた今回の自分の決断を、

私はとても誇りに思う。

 


 

自分の感覚を大切に思って

行動できたことが嬉しい。

 

 




会社員を辞めてね、

今とてもゆっくりと時間を過ごしてる。

 

 

 

今までは、

 



私には何が必要か

この社会で生きていくためにどうするべきか

 



 

そんなことばかり考えていたけど、

今は全然違う問いかけがわいてくるよ。

 



 

私は何に幸福を感じてるんだろう

本当は何を欲しがっているんだろう


 

って。





私さ、ほんっとーーーに
自己否定のプロだったのね。
いつも自分を責めて、
いつも自分が悪いと思ってきた人間。



そんな私の自己肯定感が
ここ最近ぶち上がったのです。



たぶん、もともと自己否定感とかあんまりない人には理解できない内容だと思う。笑




んとね、
私もうすぐ今の会社辞めて転職するんだけど



転職決めてから、
つい数日前までめちゃめちゃキツかったことがあって。



それは、



みんなに責められてる気がして
しょうがなかったこと。



こんな急にやめるなよ
後任が入ってから辞めろよ
みんなに迷惑かけるなよ
辞めるならもっと前に言っとけよ
繁忙期の前に辞めるなよ



誰からもそんなこと言われてないんだよ!笑



なのに常に周りからそう責められてる気がして、会社にいるのが辛くて苦しくて。



これ、本当は全部自分が自分に思ってたことね。



それも理解してたんだけど、
どうしても自分を責める声が自分の中で
とまらなくてさ。



だから周りからも責められてる気がして、
なんかもう精神が崩壊しそうなくらい、
会社にいるのが苦しくてね。  

(自己否定がすぎる!笑)



自分が自分を責めて、
自己否定がとまらなくて。


呼吸も浅い・・・
苦しい・・・



こ・・・これは・・・

 

リアルに精神が崩壊するかも・・・!!
自分、このままだと壊れる・・・!!



どうにかせねば自分がもたない!!



だからもう、
ワラにもすがる勢いで考えまくったよね。



どうしたら楽になる?
どうしたら精神が保てる?
どうしたら自分を責めずにいられる?



昔から周りに責められてる気がしてしょうがなくて、
他人の目が気になって、
他人の顔色ばかりうかがって、



世の中は敵だらけだとしか
どうしても思えなかった。



自分が自分を責めてると、
世界が敵だらけに見えるもんね。



だから自分責めをやめたかった。



でも、どうしても自分を責めちゃう。 
わかってても責めちゃう。



その生き苦しさをどうにかしたくて
いろんな知識や考えを知ることで
少しずつ苦しさを解消しながら
なんとかかんとか今まで生きてきたんだけど




今回はもうなんか、
デカイ壁来ましたわって感じ。
これはもう逃げらんなって感じ。




来る日も来る日も、
同僚の言動にいちいち傷ついたり、イライラしたり、ビクビクしたり・・・。



どうしたら自分を責めずにいられるのか、
考えまわしてこねくりまわして。



だけど今回は、
どんなメソッドや考え方を取り入れても、
自分を責める声がやまない。



おびえながら、
息も殺したまま、
小さくなってく自分が苦しい。


 
どうしたら周りの目が気にならない?
どうしたら自分を責めずにいられる?




頭では理解してるのに・・・
自分責めがやめられない・・・
人からも責められてる気がする・・・
もう一生こんななのかな・・・
こんなに自分を責めながら生きてたら、
いつか死ぬな・・・

 

・・・



あぁーーー!!もうーー!!!ムリーーーー!!!!



って、限界に達しそうになったところで、




・・・プツン。





切れたよね。なにかが切れた。


ふっきれた。



急にね。
腑に落ちたんよ。


当たり前のことが腑に落ちたんよ。



ありゃ?


私、別になんも悪いことしてないわ。

私、できる限りのことはやってるわ。

私、他人が何に怒るかなんてわからんわ。


って。


100%同じ感覚の人なんていないんだから、



他人にとっての正解なんて理解できなくて当然。

他人が怒るポイントとかわからなくて当然。

他人の顔色うかがうとか意味ない。

他人の目を気にするとか意味ない。




誰かにとっての正解を気にしても意味ない。
だってその誰かは、70億人のうちのたった1人だ。


70億分の1の正解とか・・・気にする意味がなさすぎる(´;ω;`)
 


この世界は全員が違う正解を持ってる。

じゃあ私はどう生きたらいいか?



自分の感覚に従うしかないよね。

自分の感覚で生きるしかないよね。

自分の感覚が100%正解なんだわ。




だって他人の価値観なんてわかるはずないもん( ´ Д ` )

私、他人じゃないもん( ´ Д ` )

全世界全員、感覚違うもん( ´ Д ` )

私と同じ感覚の人、1人もいないもん( ´ Д ` )





私は私で生きるしかない!!


・・・・・・



当たり前ー!!
((((;゚Д゚)))))))笑




当たり前なんだけど、
強烈に腑に落ちた。



窮地に立たされて、
ようやく腑に落ちたのよ。




そう。


自分以外の誰かの正解をさぐる必要性は
スーパーミラクル全然ないのや。



だって、



他人の怒るポイントとか知らんやん。
まじで知らんやん。
わかるわけないやん。




もちろん他人を怒らせようとなんか1ミリもしてないのよ。そのとき最善だと思うことをいつも選んでる。



私たちは誰しもがいつも100%最善を選んで生きてる。



だって自分を不幸にしたくて生きてたことなんて一度だってないからね。
一瞬たりともないからね。



それってつまり常に100%全力ってことだからね。



いつだってそのとき良いと思う方を選んでる。それが後になってどんなに浅はかな選択だと思えても、



私たちはその時その瞬間、
常に自分の100%で生きてる。




上司に怒られて、
言いたいことの1%も言えなかったとしても、
泣きべそかいたとしても、


そのとき、それが自分にできる
最大限のことなんだ。




言いたいことの1%も言えずに
その場に立ちつくすことが、
そのとき自分にできる最大限のことだった。


泣きべそかいて
それでも必死に涙をこらえようとすることが、
そのとき自分にできる最大限のことだった。



後から、
あのときああ言えばよかったとか、
あのときああすればよかったとか思うけど、


そんなことは後になったから思うだけで、


そのときその瞬間、
私たちはちゃんと最大限にやれることをやってる。




過去の自分がどんなに惨めで、どんなに浅はかに思えても、


100%、ちゃんと全力で生きてたよ。




仕事サボったとしても、それがそのときの自分の100%のチョイスなんだ。



動き出さなきゃと思ってるのに
一歩も動き出せずにいたとしても、
それがそのとき自分にできる最大限のことなんだ。



過去のどんな出来事も、
あのとき、あれ以上の選択肢はなかったの。
あのとき、私は最大限で生きてたの。
あのとき、私は最善をつくしたの。



なんの進歩もなかったあの日だって、
なにもできなかったあの日だって
なにも言えなかったあの日だって、
サボっちゃったあの日だって、
うまくふるまえなかったあの日だって、
逃げてしまったあの日だって、



それ以上はできなかったの。
いつも最大限で生きてるの。
だってそれ以上のことができたらやってるもん。


そのときそれ以上のことができなかったんだよ。


それがそのときの自分にとっての全力だったんだよ。


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「私は常に最善をつくして生きてる」ってことが腑に落ちたらさ、


自分を責めなくなったんだよね。


どんなに浅はかな自分も、
どんなにひどい自分も、
どんなにズルイ自分も、



そのときの自分、そのときの環境、そのときの相手だったら、


そうするしかなかったもんねー!
自分よくやったわー!
最善をつくしたわー!
あれ以上はなかったわー!
最大限やったねー!



って、思える。


どんなにヘマした自分のことも、
許容できる。




結果怒られても、


しゃーないよ。
だってそのとき
それ以上はできなかったんよ。



ちゃんと謝るよ。至らなかった点は謝る。
ごめんちょりんて謝る。
(うそ。ちゃんと謝る。)


でも、自分は責めない。



だってそれ以上はできなかったんだから
しゃーないよ。



常にどんな自分も最善で生きてるんだから、
これで褒められようが怒られようが、
しゃーない。




あとさ、常に最大限で生きてるってことが腑に落ちたら、


他人も常に最大限で生きてるんだって思えたの。


そしたらさ、人にイライラすることが減ったんよね。なくなりはしないけど、減った。



人の言動に対して反応することが明らかに減った。



これがこの人に今できる最善なんだなぁって思えるようになった。





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自分の全てを肯定できるって、
ちょっとパラレルワールド感あるくらい、
世界が変わって見える。


世界と調和するって表現が
わたし的にはしっくりくるかな。


だから自分と調和することは、
他人や世界と調和することにも
なるんだと思ったよ。



 

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今まで私ね、
どんなに頭に知識を詰め込んだって、
ポジティブになるとか自己肯定するって
ずっとずっと難しくてできなかったの。


でもさ、どんな自分も常に最大限で生きてるってことが腑に落ちたら、


ポジティブも自己肯定も
自然に自分の中からわいてきた。



頭に詰め込んだだけじゃ、
たぶん一時的なんだ。
腑に落ちると、自分の中からわいてくる。



だからね、


ここ1ヶ月くらい
精神的にはスーパーきつかったけど、


この1ヶ月で得たものは
一生ものだ。




自分が自分を責めてるときってさ、


世界が全員、敵に見えるのね。
他人の何気ない言動も攻撃に思えてしまうの。
攻撃から身を守ろうとして、自分も攻撃的になったり殻に閉じこもったりするの。
他人と関わるのがこわいの。
ポジティブになんてなれないの。
責められてる気がするの。







☑️自分はいつどんなときも最善を尽くしてる

☑️他人の怒るポイントとか知らん 




これが強烈に腑に落ちたとき、
私は自己肯定感がぶち上がった。


どんな学びも気づきも、
腑に落ちる瞬間は人によって違うんだと思う。



私は窮地に追いやられてもうだめだ!ってところでようやく腑に落ちたわ。



ただ、自己肯定感がぶち上がったからといって、上がったままじゃないよね。



落ちるときは落ちる。
人間だし。



落ちないことが強さじゃない。落ちてもまたはい上がってくるチカラが強さだね。




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とっっっっっても!!!ステキな言葉でこの記事をリブログしてくださいましたえーんハートハートハートありがとうございますお願いキラキラ








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