最近あった出来事から、大きな気づきがありました。
それは、
自分の心は「自愛」で満たすものであって、
誰かからの特別扱いや特別感で満たすものではない。
そして、
他人からもらう特別扱いによって心を満たそうとしてはいけない、
ということです。
私は子どもの頃から、
人から特別扱いされることに
どこか苦手意識がありました。
もちろん、
特別扱いされればうれしい気持ちはあります。
でも、その喜びを素直に受け取れず、
言葉では説明できないような「怖さ」を感じていました。
「自己肯定感が低いからじゃない?」と言われれば、
そういう面もあったのかもしれません。
それでも、
その怖さの正体だけは自分でも説明できませんでした。
ところが今回の出来事を通して、
その理由が少しわかった気がします。
私は、
他人からの特別扱いで心が満たされる感覚は、
お酒を飲んで気分が良くなる感覚に似ている
と思いました。
お酒を飲めば、一時的には気分が良くなります。
しかし、酔いが覚めれば、その心地よさは消えてしまいます。
すると、また飲みたくなる。
以前より強い刺激が欲しくなり、お酒の量や濃さが増えていく。
最初は自分のために飲んでいたはずなのに、
いつしかお酒の残量を気にし、お酒に振り回されるようになります。
私は、
この状態が他人からの特別扱いに心の満足を依存している状態に
よく似ていると感じました。
アルコール依存症では、
人生の主導権がお酒に奪われてしまいます。
同じように、
心の安定や満足を
「誰かから特別扱いされること」に求めると、
人生の主導権は、その人の手に渡ってしまいます。
だから私は、特別扱いされて喜んでいる自分に、
どこか怖さを感じていたのでしょう。
それは、
自分の人生の主導権を失いたくない
という感覚から生まれた怖さだったのだと思います。
このことに気づいてから、
「自分を満たす方法」は他人ではなく、
自分自身の中にあるのだと感じるようになりました。
できる限り部屋を掃除して環境を整える。
衣類を見直す。
毎日使う道具を手入れする。
丁寧に食事をする。
十分に休む。
そんな小さな自分への思いやりを積み重ねることが、
自愛につながり、心を穏やかに満たしてくれます。
他人から与えられる特別感は、一時的な喜びをくれるかもしれません。
でも、自愛は誰にも奪われません。
これからは、自分の心は自分で育て、自分で満たしていきたい。
そう思えるようになった出来事でした。
