不妊治療をしていることは、夫の他に双方の両親にしか口外していません。
それは夫婦で相談して決めたことでした。生まれてきた子供に自分が体外受精によって誕生したという事実を知らせるかどうかは、慎重になるべき繊細な問題だと考えたからです。ですので、口外したことによって自分の子供に予期せぬ形で伝わらないようにと、そう決めたのでした。
しかしながら、もしもこの前提がなかった場合、私は他人にこのことを伝えたのだろうかと、何気なく思い至りました。
不妊治療を始めた当初、タイミング法や人工授精を受けていた時、私はきっとそのうち妊娠できるだろうと信じていました。
というのも、本格的に治療を始める前、一度自然妊娠をしていたからです。結果、流産に終わったのですが、その時は、妊娠するのはおそらく時間の問題だと思い、身近な人に自分が妊娠を考えていることを話したこともありました。
しかし、流産後、2年以上経ちましたが、それから一度も妊娠に至っていません。それでもなお、私たち夫婦は、妊娠率の高い体外受精を始めた頃、この1回の採卵でようやく妊娠に至るのではないかと大きな期待を寄せました。
しかしながら、移植できる胚が全てなくなった時、初めて私の中に、もう一生子供が望めないかもしれないという感情が湧き出したのです。その後、気持ちが回復するのを待ち、2回目の採卵に臨んだのですが、子供のいない人生になるかもしれないという気持ちは全く払拭できた訳ではありませんでした。
私はふと、自分は体外受精をやり尽くし子供を諦めた時の保険をかけているのかもしれないと思いました。
あの人は不妊治療や体外受精をしていたが、結局子供を望めなかったと、どこかで誰かに憐れまれることを恐れているのかもしれません。あるいは、体外受精を通して期待と落ち込みに揺れる自分の剥き出しの感情を表に出すことに躊躇しているのかもしれません。
私も若い頃は自分の心情の変化をダイレクトに友達に話していました。しかしながら今は、自分の感情を吐露することで得られる心の平穏よりも、それを受けた様々な周りの反応を通じて自分が動揺することを恐れているのかもしれません。
このようにして悩みや落ち込みを表面化せずに、自分の中に留めるようになったのですが、結局、それは消化し切れる訳もなく、モヤモヤと自分の中に溜まるようになりました。
こうした状態に陥って初めて、自分以外の人たちも表面には出さなくても、人知れず大きな問題を抱えながら生きているのかもしれないと思うようになりました。だとすると、不用意に人を傷つけてしまうことのないようにしたいと思いました。
人は大きな失敗や挫折を通して初めて他人に優しくなれるとはよく言ったことです。私にはこれまでそのような経験がなかった訳ではありません。しかし一方で、自分の中に抱え込むという経験をしたことがありませんでした。
自分が経験したことのない事柄に対して、人はなかなか想像できず、配慮ができないものだと思います。
しかし、自分が人知れず大きな問題を抱えたことで、他人が自分の知り得ない何かを抱えている可能性を考え、言葉や態度を示す前に少し思い留まり、自らの振る舞いに気をつけることはできるかもしれないと思いました。
そうして、他人の心の機微を感じ取りながら付き合いのできるような人になりたいと思いました。