強い視線の猫二匹。

怒っているわけではなかろうが、笑ってはいないようだ。

「なにとってるの?またしゃしんなの?」とちょっと責めているのかも。

(「あなたたちが素敵だからよ」と言っても意味不明だろうな。)

 

 

正面を向いていなくても、横向きもまた良い。どこか遠くを見ている。開いている窓の外だろう。二匹の耳もピンとして、あたりを探っている。凛々しい猫の表情は、ただ愛らしい甘い顔よりよほど興味深い。野性味が走る。

 

 

向き合ったにっきとはっかは、激突寸前。さっきまで互いを優しく舐めあっていたのに、接近しすぎた反動で、バーンと両者飛び去ることに。両手と鼻先に走る緊張。

 

 

かと思うと、長椅子の上のにっきは下にいるはっかを挑発するようにひっくり返ってみたり、のぞき込んでみたり。猫同士にも駆け引きがある。

 

 

 

ネーブルオレンジの向こうで眠そうなにっき。(これは色のコントラストが面白くてつい撮った一枚。)まるでモデル猫だ。

 

 

はっかの寝顔は天下一品(だと人間シニアは常々思っている)。それはそれは、気持ちよさそうに眠るのである。熟睡状態のときは、傍へ寄っても微動だにしない。こちらも思う存分観察させてもらう。

 

 

アップでもう一枚。よだれでもたらしそうな塩梅。こんなに自由気ままにいつでもどこでも眠れたら、天下泰平。悩みなんかないのだろうな。(いや、猫には猫の思いがあるのかもしれないが。)

 

 

にっきが台所の隅にある腰掛の下に入り込んだ。人間が料理するのを飽きずに眺め、まな板の上から何かちょっとでも落とすと、すわっと駆け寄る。人間が素早く察知して口に入れそうになっているものを取り上げると、不満そうな残念そうな顔になる。「どうして?わるいことしてないよ。おちてたんだもん」と言いたげに。

 

 

テーブルの下から上を見上げているはっか。たいへん賢そうな顔をしている。これまたテーブルから何かが落ちてくるのではないかと、待機している。人間は間違っても食べこぼしなど、許されなくなった。食事本番の時には猫たちをケージに入れるのだが、「ちょっとお茶」くらいの時には、猫は自由にしている。目を光らせながら。

 

 

「ふふふ~ん。みてるもんね。なんかたべてたでしょ。しってるよ」と言いたげなにっき。猫と共存することは、入り乱れて暮らすことでもあるけれど、猫は猫、人は人の一線は互いに譲れない。そのボーダーラインでの攻防がまた面白い。

 

 

台所パトロール隊。人間は何も落としていないことを確認しているつもりだが、時たま、見落としもある。二匹が立ち止まってクンクンしたら、即座に駆け付ける。

 

 

「きょうもにんげんはなんにもおやつくれなかったわね。」

「つまんないわよね。おやつかくしてるのよ。しってるんだから。」

にっきとはっかの表情は、いかようにも解釈できる。たまにわけもなく抱き上げるのを許してくれる、たいへん殊勝な猫たちである。嫌な時には、あっさりと腕の中から飛び出していく素直な猫たちでもある。猫との暮らしはあたたかい。

 

 

人間はたまに広い景色が見たくなる。これは隅田川を勝鬨橋の上から見た風景。左をガラス窓で覆われた観光船が行く。快晴とは言い難かったが、夏が近いのを感じさせる水面だった。

 

 

右端の桟橋は嘗て築地市場に直結していた。市場は既に豊洲へ移転してしまい、建物にもどんどん解体作業が進む。それでも勝鬨橋から眺める隅田川の風景はずっと残るだろう。残さなくては。

 

 

そして、武蔵野の雑木林には今、エゴの花が満開だ。美しい5月。猫たちもこのさわやかな季節を十分味わっているに違いない。