27について話そう。

 

 それは私の玉熊ジムの藤沢氏とのスパーリングの成果のことだ。その日、会長が藤沢氏とスパーリングをやらせてくれたのは、元プロボクサーの大林さんが丁度その時ジムにいて、私のスパーリングで奮闘する姿を見てもらうためだったと思う。

 

 ガチのいいスパーリングだった。互角以上に打ち合った。藤沢氏はもう私とやりたくないと思ったはずだ。お互い手加減せずに殴り合えたのは、藤沢氏の試合を見に行った時のことがあるからだった。

 

 その藤沢氏の試合は藤沢氏のバッティングによる負傷判定で4Rで引き分けを拾った。その時のリングドクターは前川だった。前川は私の中学高校の同級生で、高校ラグビー部でチームメイトだったこともある。私と、前川と、白石でよくつるんで遊んでいた。白石がアメリカ留学から一時帰国する時や社会人になってからも、3人でつるむことがよくあった。白石を中心に薄汚れた腐った遊び方をした、腐った縁で私達は繋がっていた。その腐った関係をひっくり返したのが私のフロリダ留学である。前川と白石は藤沢氏のその試合の時も繋がっていたのだろう。私の留学で白石が前川に借りでも返したのだろうか?前川は私に借りを返すように、負傷判定の引き分けで決着を付けた。

 

 藤沢氏といいスパーリングができたのは、そんな背景があるからだ。私は、このスパーリングの思い出を大切にした。藤沢氏がジムで番長のように振舞っていたからでもある。しかし、何より藤沢氏の顔が白石にそっくりなのだ。それから藤沢氏の試合はほぼ全部見た。引退後のスパーリング大会まで見に行った。藤沢氏が、そのスパーリングから何年か経ち力尽きて太ってしまっている私に飯を奢らせた金で女遊びをするという屈辱を与えたにも関わらず、私は藤沢氏とはこの一回きりのスパーリングの思い出を大切にした。

 

 このスパーリングで、私が男であると大林さんが認めてくれたからだろう、ことあるごとに大林さんはそんな私に27という数字で助け舟を出してくれた。

 

 27はフロリダ留学とスパーリングの合わせ技で一本を取った私の生きた証である。