高畠華宵の絵に戦前の東京を想う | 台東区入谷・浅草のピアノ教室《高島ピアノ塾》とピアニスト高島登美枝のブログ

台東区入谷・浅草のピアノ教室《高島ピアノ塾》とピアニスト高島登美枝のブログ

歴史と文化の地・台東区(浅草 入谷 上野)の《高島ピアノ塾》。
主宰者は早稲田大学出身の異色のピアニスト。
伴奏業の傍ら、東京藝大大学院で博士学位を取得。
20代から「音楽による経済的自立と社会貢献」を実践し
逆境から夢を叶えた音楽起業家人生のストーリー。

散歩のついでに

池之端から本郷の山まで足を延ばして

根津の弥生美術館に

行ってまいりました。

 

開館40周年記念で開催されていた

高畠華宵展を見たかったのですドキドキ

 

 

ご存じない方も

いらっしゃるかもしれませんが

高畠華宵は大正~昭和初期に

少年少女、婦人雑誌の

挿絵を中心に活躍した画家です。

 

↓華宵の写真とツーショット

 

 

日本歌曲の詩の世界にもっと迫りたい

私が華宵を好きなのは

画風が好みだということもありますが、

それ以上に大正から昭和の

東京のアッパーミドル層の

美意識やトレンドが描かれているからです。

 

それは北原白秋や三木露風、

室生犀星や萩原朔太郎、三好達治ら

日本歌曲に取り上げられる詩人たちの

活躍した時代でもあります。

 

私は小学生時代から

日本の詩歌が好きでしたし、

ピアニストとして駆け出し時代に数年間、

奏楽堂日本歌曲コンクールで

優勝なさった声楽家のところで

レッスン伴奏のお仕事をしていたので、

日本歌曲に強い関心を抱くようになりました。

 

歌曲の伴奏を弾くためには

ピアニストも音楽はもちろんのこと、

歌詞の世界に没入する必要があります。

 

詩の世界をより強く感じ取るためには

その詩の生まれた時代の

精神や空気感もキャッチしたいわけで...

 

そのためには――理想を言えば

今の自分が

東京の2024年を感じているように

その詩の時代と場所の風物を

感じられるようになりたいと思うのです。

 

特に日本歌曲の巨人・山田耕筰の

創作パートナーだった

白秋や露風の世界を知るには、

雑誌という

時代の空気に敏感な媒体で活躍した

華宵の絵が格好の情報源なのです。

 

たとえば冒頭のポスターにも

取り入れられているこちら。

 

《出番を待つ》

(制作年不詳・大正末~昭和初期)

舞台袖幕の脇の

二人の令嬢の姿を描いた作品。

 

何の舞台なのかはわかりませんが、

役の衣装ではなく

私服の洋装と和装なので、

おそらくは音楽会ではないでしょうか。

楽器を持っていないから、

声楽とピアノ伴奏かな?

 

和装の女性は

流行のウェーブヘアですが

宝巾着結びの帯に赤の絞りの帯揚げ、

中振袖に筥迫(はこせこ)

という正式な装い。

ただ、着物はバラ柄、

帯と帯締めも幾何学的なデザインで

モダンさとクラシックさが絶妙のバランス。

 

一方、洋装の女性は

耳隠しのウェーブヘアと

ローウエストのワンピースが、

映画『華麗なるギャッツビー』の

ミア・ファローか

原作者 S. フィッジェラルドの

妻ゼルダを連想させます。

 

20世紀初頭は交通網によって

世界が結ばれることで

欧米の文化や流行が

世界各地にも伝わった

グローバル化の時代。

 

大正~昭和にかけての東京が

意識も物流も世界に開かれていて、

禁酒法時代(1920年代)アメリカ、

いわゆる

「ゴールデン・ジャズ・エイジ」の

ファッション・トレンドに

遅れを取っていなかったことが

この絵からも実感できます。

 

まぁね、当時は

日清・日露・第一次大戦に勝って、

日本がブイブイいわせてた頃で、

東アジア圏における

欧米文化の流入窓口のような

立ち位置でしたからね。

 

 

 

ヌーボーとデコの折衷

華宵の作品の中で、
特に私がお気に入りなのがこちら。
タイトルは「願ひ」。1925年の作品。
 
これとちょっと比べていただきたいのですが...
 
下の絵は、ジョージ・ウォルフ・プランクによる
1918年4月号のVOGUE誌の表紙。
 
この絵、私が小学生の頃
大判の絵ハガキを梅田の地下街で見つけて
一目惚れして恋の矢即ゲットして
部屋に飾っていた思い出の作品です。
ませガキ笑
 
どちらの女性も
ターバンと触覚のような(笑)頭飾り、
耳隠しのヘアスタイル、
テロンとしたいかにも軽い素材でできた
コルセットを使わないドレスが
共通しています。
 
この2枚、デザインは
アール・デコが基調なんですが、
両者の頭飾りや
華宵の女性のネックレス
Vogueの女性の菊の柄のドレスには
アール・ヌーボーの名残もうかがえます。
 
著作権の関係で挙げられませんが、
華宵の絵はVogue表紙だけでなく、
ビアズリーやエルテの絵とも
似ているところがあります。
 
実際の女性ファッションだけでなく
この時代の絵画のスタイルも
欧米のトレンドと並んでいたことが
華宵のこの絵から読み取れます。
 
 

平和でなければ文化は享受できない

 
華宵の絵を見ながら
大正から昭和初期の日本に思いを馳せると
あの時代もまたバブル期と同様
日本にとっていい時代だったんだな...と
あらためて感じます。
 
ただ、歴史を学ぶとわかるとおり、
その「良き時代」から暗い時代まで
ほんのわずかの期間のうちに
世相が一変してしまうのです。
 
華宵が描いた
美しく華やかな東京の女性たちが
「パーマネントはやめましょう」
と言われ、
同調圧力から地味なモンペを
身に付けざるを得なかった時代まで
10年かかっていないんですよね...汗
※パーマネント禁止令」は
1937年の国民精神総動員中央連盟の
委員会で可決された
 
バブルの後の「失われた30年」で
日本経済は真綿で首を絞められるように
低下し続けていますが、
今日までかろうじて
平和は保たれてきています。
 
経済力も回復してほしいですが、
それよりなにより
今のこの危ういバランスの上の平和が
なんとか保たれて
もっと安定したものになってほしいと
ひたすら祈るばかりですお願い
 
平和であればこそ
私たちは
文化を豊かに
享受することができるのですから...