まさかの急展開…人生初ソロ・リサイタルの裏話と顛末(その2) | 台東区入谷・浅草のピアノ教室《高島ピアノ塾》とピアニスト高島登美枝のブログ

台東区入谷・浅草のピアノ教室《高島ピアノ塾》とピアニスト高島登美枝のブログ

歴史と文化の地・台東区(浅草 入谷 上野)の《高島ピアノ塾》。
主宰者は早稲田大学出身の異色のピアニスト。
伴奏業の傍ら、東京藝大大学院で博士学位を取得。
20代から「音楽による経済的自立と社会貢献」を実践し
逆境から夢を叶えた音楽起業家人生のストーリー。

昨日のその1に引き続き、今日も

人生初、ソロでのピアノリサイタルの

裏話と顛末についての

短期集中連載です。

 

今日はリサイタルに向けて、
準備を進めていた半年間での
気付きを書いてみます。
 
 

人生激変で現実逃避

リサイタル話が浮上したのと

話は前後しますが、

私、昨年(2023)春に

東京藝大大学院の

後期博士課程修了しました。

 

ドクトル高島爆誕ドンッです(笑)。

 

でも、アカデミズムの世界で

タコツボ化する気は

全くありませんでした。

 

むしろ博論執筆に追われている頃から、

博士号を取ったら、

オンラインで

女性の生き方や仕事に関する講座を

開いてみたい…と考えていました。

 

で、博論提出が済んだ後、

速攻で起業塾に入って

学位取得と同時期に

ピアノ教室運営講座をリリースしました。

 

これが想定を上回って好評でして…合格

 

おかげで周囲からはいきなり

「起業家」

として扱われるようになったアップのですが、

メンタルが全然ついていけなくてねダウン

 

昨年夏ごろから、

現実に直面するのがいやになって

いろいろなことから目をそらして

逃げまくっておりましたネガティブ

 

リサイタル話が降って湧いたのは

そんなさなかでした。

 

 

伴奏とソロの違い

今から振り返ると

リサイタルをやると決めてからの行動は

めっちゃ速かったですねランニングダッシュ

 

その日のうちに選曲して

本番まで8カ月の練習計画を立て

練習を開始してました。

 

あいかわらず

仕事や暮らしの

日々の現実に向き合うことからは

逃げてましたが、

リサイタル準備だけは

着々と進めていました。

 

芥川龍之介の小説じゃありませんが、

ある意味、

リサイタルが予定されていることが

現実と自分をつなぐ

「蜘蛛の糸」になっておりました。

 

そんな中、

浮上してきた問題点。

 

それは

自分―音楽―観客

の関係性の見直しを迫られた

ということでした。

 

平たく言うと

これまで私のライフワークだった

伴奏ジャンルとソロ演奏では

演奏中の脳の使い方というか

意識の置き所が全く異なるということ。

 

声楽と舞踊の伴奏、

つまり楽器ではなくおのれの肉体を使って

表現するジャンルでは

この違いを明確に切り分けないと

良い伴奏にはなりません。

 

私はなぜか駆け出し時代から

これに気付いていました。

(たぶん下宿にピアノがなかった時代に

声楽家を目指した時期があったからでしょう)

 

この仮説の裏を取るために

当時の私は

伴奏メインで売れている

先生・先輩格の方々何人もに

尋ねてみましたが、

やはり売れている方は異口同音に

「ソロと伴奏では異なる」

とおっしゃっていましたね。

 

なので、私自身も

そういう姿勢で伴奏仕事をやってきて

結果的にン十年、

自分から売り込んだことは一度もなく

お仕事を受注できていますから、

おそらくはこれが正解なのでしょう。

 

で、具体的に

何が違うのかというとですね…

 

伴奏者にとって

もっともフォーカスすべき対象は

伴奏する相手とその音楽なのです。

 

自分の音楽でもなければ

観客でもない。

 

ここがソロとの最大の違いです。

 

…と書くと、

誤解されるかもしれないので補足すると

自分の音楽はがっつり作った上で、

相手に応じて調整をかける、

という意味です。

 

盲目的に

伴奏相手の奴隷になるわけでありません。

相手の良いところを活かすのは当然ですが、

至らぬところは

こちらで黙ってカヴァーしてあげるのも

お仕事のうちですから。

 

どんな相手が来ても

合わせられるためには、

その曲が要求しているものを

正確に読み取って、

自在に匙加減を加えられるよう

自分のものにしてしまわなければなりません。

 

その上で、

相手のやりたいことと相手の力量を見切って、

曲が要求しているものとの間に

「橋を架ける」のが

伴奏者のお役目。

 

だから、伴奏においては

観客との関係性は

どこまでも伴奏する相手を通して

創り上げていくものなんです。

 

前奏・後奏・間奏などで

伴奏のソロになる部分では

一見、伴奏者が自己主張をしているのですが、

それはあくまでも

伴奏相手の世界観を壊さぬ範囲でのこと。

 

だから同じアンサンブルでも、

コンチェルトのソリストや

ピアノの入る室内楽とは

全く異なる姿勢が必要なんです。

 

 

「自分」をどう出せばよい?

で、こういうスタンスで

何十年もお仕事してきちゃった私なので、

ソロでもって

お客様と直接対峙する必要に迫られた時、

どうしてよいのか困惑してしまったのです。

 

実際、大師匠からも

「弾けてるけど、つまらない」

とさんざんにこき下ろされる

レッスンが続きましたガーン

 

要するに、

デコレーションケーキの

スポンジはちゃんとしているけど、

トッピングがない状態ということ。

 

 

そりゃ、つまらんわ爆笑

 

でも、伴奏屋にとっては

トッピングは伴奏相手の管轄ですから。

 

自分で決めないのが

良い伴奏者のあり方だったんですよね。

 

伴奏の場合、

スポンジ部分(曲の要求)の特徴を

しっかり理解できていれば、

想定されるトッピングの傾向は

何パターンか想定できます。

 

でも、実際に

初回伴奏合わせでは

どんなトッピングになるか

わかりません。

 

まずはプレーンに弾いてみながら、

相手のやりたいことを読み取って

それがもっと活きるよう、

スポンジの味付けや

クリームの層を変えてみたりするのが

伴奏者のお仕事。

 

だから、無自覚なうちに

ソロ曲と対峙するときも

トッピングを考えないアプローチが

習い性になっていたんですね。

 

でも、大師匠の指摘をきっかけに

思い出したんです。

 

そう言えば私、

音楽学校時代のソロ試験の後

試験官の先生がたから

同じ講評をいただいてきたな~と叫び

 

もしかして

このトッピングができないのって

音楽家としての才能の

致命的な欠陥…ドクロかも。

 

 

「伴奏で売れていて

いい気になってたけど、

私って裸の王様だったはてなマーク

…という疑惑に

苛まれることになりました。

 

(その3に続く)