僕の友人に、こんな質問をされた。それは「神には、誰にも持ち上げられない岩を作ることは出来るか?」というものだった。つまり、誰にも持ち上げられないのなら、神にも、それは持ち上げられないし、その岩を持ち上げることが出来ないなら、神は全知全能ではないことになる。そして、誰にも持ち上げられない岩を作れないなら、また、神は全知全能ではなくなる、というものだった。

 この質問は、結構、有名なもので、僕もどこかで聞いたことがあった。これに僕なりに考えたことで答えた。それは、その岩の問題は三次元に生きる人間が考えたことだから、矛盾があるように思える。しかし、神は四次元、五次元、六次元の存在だ。だから、神の生きる世界では、誰にも持ち上げられない岩があることと、神が全知全能であることが両立するような次元が存在するに違いない。と、そう答えた。

 友人はそれで納得したわけではなかったが、一応の説明は出来たと思っている。そもそも、神とはヒルティの言うとおりで「定義できないもの」であり、神の思考は、本来なら人間には理解出来ないものなのだ。僕は、このような神学(これを神学で言っていいかどうかは分からないが)を考えることは時間の無駄だと思っている。

 そもそも、人間の歴史の中で、神の証明を試みたものは何人もいたが、科学上における自然法則のように、神を証明出来たものは、一人としていないのだ。だから、神学上の難問みたいなもの(ダーウィンの進化論と創世記のどちらが正しいのか、など)は、それを専門にしているものに任せれば良いのであって、本当に重要なことは神が存在することによって得られる心の平安なのである。(そうでなければ、人間は恐怖の虜であろう)

 神は証明出来るものではないが経験出来るものである。それはヒルティも言っている。本当の信仰者なら、自分の人生の中にインビジブルハンド(神の見えざる手)の介入があった出来事を数多く述べることが出来るだろう。神は確かに、不幸からは救ってくれないかもしれない。(なぜなら、不幸は、神の大事な教育手段だからだ)しかし、この世の圧倒的な虚しさからは解放してくれる。それは、神を否定した現代が直面している超ストレス社会が、文明によって、遥かに便利になったにも関わらず、生きることを困難にしていることが、その事を証明しているのではないだろうか。

 幸福ではあるが、何をして良いのかが分からない、これが現代人の合言葉になってしまっているのではないか、と僕にも思える。

 

 最後に、いつもいいねをくれる人に感謝したいと思います。ありがとうございます。この友人からの問いに対して、僕の答えは十分なものであったかどうかは僕自身もわかりません。しかし、人間には分からないことがあると、謙虚に認めることは大事であるように思えます。また、この言葉は、僕の恩師の牧師様の口癖でもありました。

 愛する、愛する、愛する皆様へ、今回はメモ書きということで簡単に終わりたいと思います。では、またお会いしましょう。お元気で。