「もう駄目だ、神ですら、この苦難からは救えないだろう」と、呟いてしまうような試練に襲われることがある。しかし、そのような苦難でさえも、神は不思議な仕方で救い出してしまうのである。しかも、それは、たった一度や二度ではなく、何度でも、である。このような経験をすることによって、如何なる試練からも、神は救ってくれる、という確信が生まれる。この確信を持つ時、ヒルティが言うような、「全く恐れない者」になることが出来るのである。私はそれを「信仰の勇者」と名付けたい。

 このような勇気を持つ人間は、大なる徳を持つ者、偉大な功績を遺した者ではなく、カール・バルトの言うような、全くもって困窮し、どうしたらいいのか分からないほど行き詰った人、なのである。そのような経験があるからこそ、このような勇気ある人間は、同時に謙虚でもあるのである。人間としての最大の困窮を知り、苦しんだ者だからこそ、このような勇気を持つことが出来、同じように悩む人に励ましと慰めを与えることが出来るのである。

 また、このような人は空っぽの器であり、その人の行動は神から注がれる恵みによって為される。だから、自分の善行を誇る、ということもなく、そのような善行を為したとしても、自分の当然の義務を果たしただけと心得、あまつさえ、自分を役に立たない者であるとすら呼称するであろう。

 また、このような人は、自分が幸福である、というよりか、その人に関わる周りの人を幸福にする人である。その人自身は何かの苦しみで常に悩んでいるだろう。(そうでなければ、生き生きとした信仰を常に持つことは出来ない)ヒルティの言う通り、苦しみは選ばれたことの証左であり、苦しみがある限り、その人は正しい人生行路の中にいるのである。

 しかし内的進歩が、ある程度進むと苦しみに対して慰めが伴うものになる。また、その苦しみから解放されることも確信しているため、その苦しみすら恐れなくなる。しかも、基本的に進歩の途上で不幸の中にいた時の状態は苦痛であるが、この苦痛が喜びに変わる。なので、基本的な状態が喜びになる。聖パウロの言った「常に喜びなさい」という御言葉も不可能ではなくなり、この御言葉に従うことが出来るようになる。

 さらに、内的進歩が進むと、試練による苦痛や苦悩に対して報いが与えられる。十字架の聖ヨハネは、その試練によって到達出来る境地を知れば、それに至るまでの試練による苦痛や苦悩すら喜び、それに対して慰めを与えられることすら拒む、と言っている。こうして、試練の経験が豊富になると、キリストの十字架の軛も、また軽いものになってくる。十字架の聖ヨハネの『暗夜』やジョン・バニヤンの『天路歴程』の基督者に負わされる重荷も、主に信仰に入って間もないことを指している。これはキルケゴールの言葉だったと思うが、キリスト教は初めは困難なものに思えるが、最後には容易なものになる、と言及していたはずである。

 内村鑑三の晩年の日記を読むと、キリスト教を信仰する上で試練はあったが、最終的には幸福な人生だったと言及されている。神を信じ、幾多の試練を経ることで、人は神を所有し、神と共に歩むことが可能になるのである。こうした道は、誰にでも開かれているものであり、神を信じる者には、このような進歩と幸福な生涯を約束されている。

 十字架の聖ヨハネは、極度の苦しみは選ばれた者にしか訪れないと主張しているが、ヒルティは、神と共にある幸せは、特別な才能や努力も必要なく、誰にでも開かれてると主張している。恐らく、苦しみは一生涯続くであろうが、神と共に生きることは自分にとっても、その人の隣人にとっても望ましいことだと思われる。

 いつ何時も神を信頼出来る人は幸いである。なぜなら、神は信頼出来る「岩」だからである。しかし、この道は容易なものであるとは言わない。様々な迷いと試練とによって悩まされるだろう。ここで進歩の目印になるものは、より謙遜になれば正しい道にいるのであり、高慢になるなら誤った道の中にいるのである。

 

 最後に、いつもいいねをくれる人に感謝したいと思います。ありがとうございます。この論文を書くに辺り、実際の聖者の著書を参考にしました。(カール・ヒルティ、十字架の聖ヨハネ、アビラの聖女テレジア)実際の十字架の道を歩んだ人の軌跡と、自分の人生行路を照らし合わせながら書きましたが、それでも、少し背伸びした所があったように思えます。

 愛する、愛する、愛する皆様へ、僕自身、神の道を歩む上で、色んなものを失いました。苦痛と嘆きだったと思います。それでも、この道を歩むことこそが個人の幸不幸を越えた正しい道であることを生涯をかけて証明したい、そう願っております。それでは皆さん、またお会いしましょう。お元気で。

 

参考文献

 

カール・ヒルティ 草間平作・大和邦太郎訳 『幸福論 第二部』

カール・バルト 天野有訳 『聖書と説教』

十字架の聖ヨハネ 『愛の生ける炎』

キェルケゴール 斎藤信治訳 『死に至る病』

内村鑑三 『内村鑑三全集』

アビラの聖テレサ 高橋テレサ訳 『神の憐れみの人生』