宗教の役割の一つに、ある人に起こった不幸に対して、それを肯定的に捉えることが出来るように意味付けする、というものがあると思う。例えば、長い入院生活を強いられれば、自分と同じように病気で入退院を繰り返す人や、投獄によって自由のない人達の心情がより理解出来るようになる、といったことである。重い病気や障害、また、辛い仕事などは決して意味のないことではなく、それは人生の何たるかを知るための補助器具である。
神は、ある人を自分の所に招く際、苦しみを用いる、ということは、色んな文献から考えてみて、妥当なことだと考えられる。(一部の牧師様達は、反対するかもしれないが)人間にとって最も大切だと考えられる性質である同情と慈悲は、いわば第六感であり、自分自身が大きな悩みに苦しまなければ身に付かないものである。
今の時代、仕事が大きな重荷になっている場合も多い。しかし、その仕事について精通していくことで、仕事の中から楽しみを得られるようになれば、それは、その人にとって大きな収穫である。とは言っても、仕事は仕事である。賃金を貰う以上は辛いことにも耐えなければならない。仕事が辛い、ということも、決して悪いことではなく、その人を飛躍的に成長させる一要因にもなるものだ。
現在進行形の悩みを持つことは常に有益であり、自分も悩む者であるために、この世で重荷を背負っている人の良き理解者になれるのである。その場合、その苦しみについて、何か教え諭すということよりも、その人が何に苦しみ、何を訴えたいのかを聞く耳を持つことの方が遥かに重要である、という場合が数限りなく多い。
そもそも、苦しみがある、ということは、神が、その人に関心を持っている、ということであり、必要以上に嘆くことではないのである。例えば、ある教師が、生徒が勉強を怠けて、遊んでいれば注意するように、神は懲らしめを行うのである。もし、無関心であれば、教師は生徒を遊ぶがままに任し、なんの注意もしないであろう。
この事例のように、自分の不幸に肯定的な意味付けを行うことが出来るのは、本当に少ない。不幸というものは、その人に対する罰というよりも訓練という意味合いの方が強く、(本当に罰なら、そのような苦しみは与えられず、怠惰な安逸が与えられるだろう。そして、老後に、それを後悔するということになるのだ)その根拠になってくれるのは宗教なのである。
神に対する最も適切な態度は、恐らく感謝であると思う。悩みや苦しみを与えられても、なお、神に対する感謝をすることが出来るということは、人間にとって大きな試金石であろう。この世の一切は、全て神に対する感謝で始まり、感謝で終わる。この感謝の気持ちがぶれることなく成長するならば、その人は正しい道にいるのだ。この感謝の気持ちは伝染し、自分に関わる全ての人に対しても感謝が出来るようになる。
苦難の中においても、燃えるような神に対する感謝で満ち満ちている、という状態すら、あり得るのである。そもそも、神に対して感謝することなど、数え切れない程あるのだ。太陽が昇ること、恵みの雨が降ること、日々の糧が与えられることなど、本当なら、常に感謝していないといけないことである。
また、この神に対する感謝に芽生えた人は、同時に精神的な向上の道をも開かれる。その人は、普通なら、ある一定の程度で止まってしまう倫理観が絶えず成長し続け、道徳的天才とも言うべき人へと教え導かれるである。神は、まず、個人から、このような英雄的な人物を絶えず作り出し、卑俗性に流れがちな世間に対して抵抗するのである。
このような人は、絶望的な不幸の中にいる人のことを慰めることの出来る、慰めの子という、この世の本当の冠を頂くことになる。神に対して感謝の気持ちが高まる時には、正しい道にいるのであり、それが無くなるのは誤った道にいるのだ。この世の一切は空である、という、世の中の人の営みの虚しさから逃れるためには、このような神に対する感謝の気持ちでもって対抗するほか道はないのである。この神に対する感謝の心がある時には、例え何も与えられていない時でも、なお、常に人生に満足した境地に至れるのである。
最後に、いつもいいねをくれる人に感謝したいと思います。ありがとうございます。今回のテーマは宗教の役割ということでしたが、やはり、僕の訴えたいことは論文の後半の、神に対する感謝についての考察でした。苦難の時でも感謝が出来るということは、その苦難から助け出してもらえるという固い信仰心と不可分に結び付けられいると考えられます。
愛する、愛する、愛する皆様へ、だから、このような神に対する感謝にまで成長する信仰は、散々、辛い試練で懲らされない限り生まれないものと考えられるでしょう。信仰は感謝にまで成長しないと力にならないのです。「人生の目的は、神に対する感謝である」という言葉は、本文の中で語られているような意味で受け取るのが適切だと考えます。それでは皆さん、またお会いしましょう。お元気で。