信仰による一番の利益は、神に対する信頼による、心の平安である。お金や、自分の力に対する信頼は、災害や病気に対して、あえなく潰えてしまうし、もし幸運にも恵まれ、楽しみながら暮らすことが可能であったとしても、未来に対する恐怖からは逃れることは出来ないし、そもそも、生活が安楽である、ということは、性格が軽佻浮薄になりがちであり、天国に相応しい魂にはなれないものだ。

 神はマッチポンプ(自分で点けて自分で消火する)を用いて、人を自分の元へ導きたまう。神が望むのは、自分の無力に打ちひしがれた砕かれた心だからである。どんな状況においても、神を信じ、神のことを一番優先して、全くの従順によって神に従う、ということは、試練を経験しない魂には無理なことなのである。

 試練は、この世の君(サタン)によるものだと考える風潮があるが、(神は、その試練が起こることを許す、という価値観である)私自身の考えで言えば、この試練による苦しみも、それを支配しているのは神である。そもそも、貧困も飢餓もないユートピアが実現してしまったら、人間は恐ろしく浅ましい生き物になってしまうだろう。しかし、現代では文明の発達により、生きることが容易になりすぎる余りに、思想の深さを失ってしまっている自体に陥っている。現代の作家で古典に匹敵するものを書ける人は、ほとんどいないと言ってしまっても過言ではないと思われる。

 ここで一つ、人生における最も厭わしいものを一つ挙げよ、と言われたら、それは恐らく退屈であろう。普通の人生なら、仕事が忙しく、むしろ時間が欲しいくらいであるが、(この仕事による多忙というものが一番、好ましいのであるが)病気や障害によって、一時的に仕事が困難になる時期もあるものだ。しかも、試練によって鍛えられた魂は、純粋に物を楽しむような娯楽にも、ほとんど関心がなくなってしまって、そのような時間潰しになるようなものも持っていないことが多い。しかも、慢心の元になる学問やスポーツの練習も、神から妨害を受けて、その人の自慢になるようなものを持たされないことも多い。

 一番、害のないものは執筆のような精神的な享楽であろうが、これも一時的なものであり、その楽しみも永続するものではない。私の場合を言うならば、読書による精神的な訓練は許されていたが、語学のような勉強は、のめり込む度に妨害を受けたものである。この退屈に対する、有効な対処法は何らかの仕事であるが、私の青春時代は、アルバイトにおける教育係や学校での勉強を友達に教えるということが、仕事なのだが半ば趣味のようになっていた。

 しかし、この退屈で苦しむ、ということも試練の一つだと考えられる。ヒルティも、このことを認めている。中世の神秘家も、過度の禁欲のために、人生の無味乾燥というものを問題視していた。しかし、精神的な享楽で退屈を凌ごうとする考え方は、ショーペンハウアーの唱える幸福論に賛同することになる。とは言っても、彼のような価値観は、あくまで少数の人しか満足させないし、それが出来たとしても、死んでるよりは生きているほうがまし、というような消極的な幸福観になってしまう。個人の幸福に一番貢献するものは知性ではなくて、喜んで与え、喜んで受けるような人間関係の中にあるのである。

 そもそも、人生に対して享楽をもって接することが間違いであり、可能な限り、仕事や勉強をしていた方が良いのである。しかし、仕事よりも勉強よりも素晴らしい時間の過ごし方がある。それは神のマッチポンプによる試練によって、自分の道徳的成長を楽しむ、というものである。そもそも、思想の深さというものは、試練によって耕された魂に自然と溢れ出るものであり、高尚な文学や哲学を理解する読解力をも与えてくれるものなのである。

 また、この道の利点として、人は時として人を見捨てるが、神は決して見捨てることはない、という確信にもある。様々な試練に遭いながらも、それに対して意に介さなかった大使徒パウロの持っていた勇気と神に対する信頼は、真に見事の一言である。これは強調して言わなければならないことなのかもしれないが、神は決して見捨てることはないのである。その結果として、死が与えられることがあったとしても、それは悲しいことではなく、より良い未来を約束する招待でもあるのである。

 

 最後にいつも、いいねをくれる皆様に感謝したいと思います。ありがとうございます。僕が論文を書き始めたのは、自分の書いたものを大学の教授に見せて、面白いから、どんどん書きなさいと言われたことがきっかけでした。その時は考える事自体が趣味のようになっていたのですが、最近では自分で書いたものにも価値を見出せず、すぐに自分の記事にも退屈してしまいます。

 愛する、愛する、愛する皆様へ、幸福になるためには、何か高尚な思索などが必要などではなく、もっと身近で、簡単なものの中にあるのではないかと考えています。僕のブログの読者に、この結びの言葉が好きだと言ってくれる人が多いので、本文が、いささか難しいと思われる人でも、この結びの言葉だけでも読んでくれると有り難いです。それでは、また、お会いしましょう。お元気で。