人間的な慰めを全て捨てて、神にのみ助けを求めることが絶対に必要です。人間は我々を完全に助けることは出来ないし、それを求めるべきでもありません。そうした苦しみの中にあっても、神を頼る心さえあれば、日々是好日という心境が生まれてきます。全く希望を失い、絶望の中にあっても神への信頼が、その人を間違いなく支えます。そもそも道徳的に成長するなどということは、苦しみや悩みがなくては絶対に出来ないことです。日々反省するということも、まったくの苦しみなしに行うならば全く益の無い行動でしょう。
苦しみや絶望の中で、日々進歩することを学ぶならば、その人は幸福になり始めたのです。キリスト教には「苦難の崇拝」(1)ともいうべきものが含まれており、「旧約聖書の祝福は繁栄であり、新約聖書のそれは苦難」であるとヒルティは言います。トマス・ア・ケンピスは言います。「では、他人よりもしあわせなのは誰なのか。それはたしかに神のために何かを耐え忍べる人にちがいない。」(3)しかし、この十字架もそれを担っている内に、耐え易いものへと変わっていきます。キリストは言いました。「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」(4)。
しかし、この十字架を背負うためには神に対する絶対の信頼がなくてはなりません。状況は全く良くならず、自分にとって不都合なことばかりが続く中でも、それが自分にとって益になるという確信と未来の幸福に対する希望が生まれるのです。これまでにも幾たびも十字架を忍んできたという経験が、これらの不幸に対して武装するのです。
こうした心境から、不幸の真っ只中においても日々是好日という心境になるのです。不幸の中に幸福を見出すということが人生の極意であり、真の幸福への架け橋なのです。神への信頼が高まり、自分は最も幸福な人間であると人に誇れる希望が生まれるのです。
最後に、いいねをくれる人に感謝したいと思います。ありがとうございます。皆さんも様々な悩みの中にいると思います。それでも、いつも定期的に僕を励ましてくれます。僕のエッセイは万人受けするものではないと思っています。それでも、共感してくださり励ましてくれるということが、どれだけ助けになっているかわかりません。でも、僕は思います。人生における負の一面は、未来の幸福を約束してくれるものであると。悩み苦しんだことは決して無駄ではないと人に言えるようになりたいです。それでは、またお会いしましょう。皆さんに神の祝福があらんことを願って。たまにはどうでもいいことも書きたいと思っています。よろしければ、その時もお付き合いくださることを願います。
(1)ヒルティ 草間平作・大和邦太郎訳 幸福論 第二部
(2)ヒルティ 草間平作・大和邦太郎訳 幸福論 第二部
(3)トマス・ア・ケンピス イミタチオ・クリスティ キリストにならいて
(4)聖書 新改訳