今日は日曜日なので、ヒカルの碁で佐為が消えた理由を考えてみます。
佐為は「神の一手」を極めるべく生まれた碁の名手でした。しかし、とある対局中にその対戦相手からイカサマをされた上にそれをごまかされてしまいメンタルを崩します。そして、その碁の勝負に負けたという過去があります。
都を追われた佐為は碁のない人生に絶望し、入水自殺するんですが……。(結構、豆腐メンタルだよね)
その後、佐為は霊として虎次郎の元にあらわれます。この虎次郎が後に名を遺す碁の世界の偉人「本因坊」となるわけですが、実は佐為に言われるがままに碁をさしたその結果ということなんですね。
虎次郎がなぜ佐為に言われるがままに碁を打たせてあげたのかは謎です。佐為曰く「虎次郎は優しい人だった」ということですので、佐為の意志(碁が打ちたい)というものを尊重してあげたのでしょう。しかし、それでも佐為は成仏することはできませんでした。
そして現代。佐為はヒカルの元に現れることになります。ヒカルは最初こそ碁に対して後ろ向きでしたが、結果的にメキメキと実力をつけて佐為とその周囲を驚かせていきます。そして、虎次郎とヒカルの最も違う点というのがヒカルは「自分で碁を打ちたい」という気持ちを佐為に惜しげもなく伝えることです。つまり、言われるがまま傀儡のように打つのではなく、佐為との相互関係により自ら考え成長するタイプの男の子だったのです。
そんなヒカルは佐為の指導の甲斐もあり、プロの中でも一目置かれるような存在になります。そんなヒカルを見て佐為は喜びと同時に「進藤ヒカル」に目を向ける人たちの出現に自分の存在意義が消えて行っていることを自覚します。
と、いうのも佐為は最初こそヒカルに指示を出して圧倒的な勝利を納めたり、インターネットでsaiを名乗り伝説的な試合をするなど周囲が佐為自身の存在を知らなくても「何かすげぇのがいるらしいぞ」「進藤とかいうやつが強かったり弱かったりするらしいぞ」という周囲の反応そのものでその存在意義を満たしていたのです。
しかし、前述したように後半ではヒカルの力が佐為に近づき最終的には佐為VS塔矢(父)の頂上決戦においては佐為すらも思いつかなかった一手を言い表すことで一時的ではありますが佐為を越えるのです。そこで、佐為は自分の役割を「私はこの一局をヒカルに見せるために現世によみがえったのだ」と自覚します。つまり、佐為は自分が「神の一手」を極めるための時間を神から貰っていたのではなく「神の一手」を実現させる碁の打ち手の育成を託されていたということになるのです。
虎次郎(自分で打たない)とヒカル(自分で打つ)の違いからも、それは明らかだと思います。
ただ、佐為はそこで消えないんです。サッカーでいうロスタイム、今風にいうとアディショナルタイムみたいなのがあるんですよね。なんでそんなものがあるのかなってことなんですけど、そんな佐為の実質最後の大きな手合いがVS緒方さんなんですよね。
しかも、クソ酔っ払っている状態の。
これが佐為の最期の大きな碁になりました。(本当の最期はヒカルの部屋で打ってはいるのですが対局として最後までやりきれずに消えたので)
結局、佐為がすぐ消えずにヒカルとの時間を少しの間共有した期間の意味はよくわかりませんが多分神が与えたご褒美なのでしょう。そして、佐為が消えて初めて『ヒカルの碁』がスタートしたのです。