理由のない苦難
備忘録として。
ヨブ記2:1〜13より
今日のヨブ記2章の題は「理由のない苦難」となっています。筆者はこのことについて、「多くのひとが『悪いことが起きるのは何か悪いことをしたからである』と思っています。」。「その理論からするなら、清廉潔白なヨブは『ゆえなく』苦しみを受けたことになります。」と語っておられます。
ですから、このヨブ記の主題は、いつの時代にも通じる問題〜苦難の意義です。とりわけ、敬虔な人たちにとっての苦難の意義です。そして、この書の主旨は、おおまかには、人間の不完全な知識によってもたらされる間違った考えを正し、「人間に対する神の方法を正当化すること」と言ってさしつかえないのです。
そのために、ここが特に目指す目的は、私たちがすべてを理解するなら、敬虔な人の苦難には、愛に満ちた神の目的があること、また、人生におけるもっともつらく不可解な事柄も、この愛に満ちた神の目的にかなうものであることを示すことです。もしヨブが、現在の私たちのように、前書(1:1〜2:13)にある試練前の天での会談を見ることができたならば、また、私たちも知る試練の結果(42:7〜17)をヨブが知り得たならば、ヨブの態度はどんなにか違っていたことでしょう。
ところが、ヨブの試練に先立って行われた会談についても、後の報いについても全く知らなかったのです。彼らは、神のなさっていることを全く知らされていなかったので、哲学者ぶって対話していたに過ぎないのです。神には、現在私にみこころを明かせないことがあるのです。それを明かすことが私たちの益にならないからです。そのことを知っておかなければならないのです。聖書は啓示の書としてだけでなく、保留の書としての意味もあります。信仰を理解可能なものとするには十分な啓示があると同時に、信仰が成長するために留保もあるのです。
このヨブ記主題は、最初に言いましたように苦難の意義です。とりわけ、敬虔な人たちにとっての苦難の意義です。そのこたえは前書の説明と後書の始末にあります。それも、苦難の究極的な答えではありません。あくまでも仮の答えであって、やがて訪れる日に完全かつ究極的な答えを得られるまで、敬虔な人の心が安らぎを得るためにあるに過ぎないのです。このヨブ記では究極的な答えはまだ明らかにされておらず、ただ、仮の答えだけが示されていて、苦難は、敬虔な人のうちに神のみこころが成就し、みわざが行われることを示す為にあるのです。敬虔な人の苦難の背後には、高遠な神のみこころがあるのです。それが成就した後には、輝かしい富が待ち受けています。
ヨブ記から学ぶこのような苦難は審判ではなく救済であり、処罰ではなく矯正であり、報復ではなく訓練であり、刑罰ではなくみわざです。これは仮の答えでしかない。究極的な答えは、ガラス越しにぼんやりとではなく顔と、顔を合わせて知られているように知る日に与えられるのです。
ヨブに必要だったのは、共に神を見上げる友人でした。妻はすでに絶望的不信仰におちいり、この苦境における真の伴侶ではなくなったのです。時におもいがけなき朋友3人の来訪である。しかもヨブを慰めようとして、遠くはるばるときてくれたのである。人生には蜂友もいます。自分が何か得るところがある間、蜂のごとく寄ってきますが、用がなくなればもう寄りつかない。「世には友らしい見せかけの友がある。しかし兄弟よりもたのもしい友もある」(箴言18:24)
富める者や有名人は多くの友をつくりますが、貧しい者や無名な人はその友にさえ捨てられます。友にさえ捨てられる苦境の時になお真実な友、人生これに勝る慰めはありません。
「真の友とは誰か、憂患の日に無条件で私を受け入れ得る人です。どんなに離れていてもよい。絶えて音信がらなくてもよい。ただその胸の中に何年でも私を受け得る場所を用意している人、その人が私の友である」(藤井武)
たとえ、そのような友がいない時でも、私たちの救い主、イエス・キリストこそ、最良の友でいてくださる。「わが身をつねって人の痛さを知れ」と言いますが、苦難についての知的理解と共に、苦難を経験しないと本当のことはわからない。罪を明らかにして、また、人間の受けるあらゆる苦難を受けられた主イエスさまこそ、あらゆる苦難に必要な助けを与え得るお方である(ヘブル4:15〜16)。
ヨブの3人の友は、ヨブの災禍のうわさを聞いて、3人が長途の旅をして、今このヨブの悲惨な姿の前に立った。彼らはあまりにも、変わり果てたこの有様を見て、友を悲しむ情、せきをきって涙となり、慰めのことばも無くなり、七日七夜そこに座し、ひと言もヨブに話しかける者がなかった。無言の友情は、愛なき多弁に勝るのです。
お一人様が好き
雨こそ降っていませんが、蒸し暑い午前中は礼拝に行きました。
第一主日にはパンと葡萄液をいただく聖餐式があります。
6月はプライベートで色々度重なって人混みを避けるようになり、教会も精神的にダウンしてしばらく休もうと思っていたのですが、(実際二週ばかり休みました。)先週から80歳に近いご婦人を乗せてまた休まず行くことになりました。
実は生協のリーダーさんのお母様なのですが、ご家族が急に多忙になり、こちらから引き受けたのです。
このタイミング、孫の代わりにまた不思議なことですよね…。
このご婦人はそれは慎ましく優しく生真面目な方で、片道40分くらいかかるのに、送る人がいない時は夏でも真冬でも自転車と本数の少ないバスで来られるんですよ。(皆さんはっきりは言わないけど心配していたようなんですね。)
また、放っておけない私の性格を聖霊様はちゃんと知っていて、信仰が途切れないように共に送ってくださったのだと思います。アーメン。
優しい我が主にこの手を引かれて、またもや立ち上がれました。
今日は祈祷当番でしたが、何とか言葉も出て来ました。(ちなみに礼拝は一番後ろの隅にひっそり座っています。安心。)
あまりにも蒸し暑いので、気分転換にまたハーブ園に来ています。
実はあるものを探しに…。
色んな色揃えたいな。
どんな庭に似合うのかしら?
そしてお一人様ランチ。
ストレスに効くハーブです。
雨上がりのハーブガーデン内はメンタルに心地よい香りがします。
おまけ。
土曜日に準備するんですが、礼拝堂がとにかく温室みたいに暑い!これじゃ萎れてしまうので…。
さて、これから夕方6時からは市内の大きなホールに放送伝道の集会に出掛けます。「郡山市内に実はこれだけキリスト教会があって、クリスチャンがいるんだと励まされますよ?」と礼拝で牧師。
一日に二回も心地よい賛美と祈りとメッセージ。神様感謝します。
エアプランツ
富士急並みのジェットコースターみたいな激しい6月が終わり、やっと7月になりました…。
皆さんいつも家族に温かい励ましのコメントやいいね!ありがとうございます。
(やはり、いびきや身体が大きいので寝返りなど気になるんですね…。はぁー。)
しかし、本人、今朝は6時半になってもぐうぐう寝ています!これは安心。
耳栓の出番だな、こりゃ。
昨日は午後から自宅で教会の定期郵送物を発送してから、母の施設に一週間の洗濯物を引き取りに行きました。
久々に晴れてかなり蒸し暑くなりましたよ!
行く前に庭。
カランコエって種類沢山あるんですね?
集めてみたくなるわ。
施設の帰り道、ふと次女の部屋で読んだ植物の本を思い出してホームセンターへ。
一つ¥198也。
育ててみたくなり、
更にセリアで、
仕事から帰宅した主人と次女に好評でしたよ。
主人はもう22時になると眠くなるんですが、完熟の高田梅を収穫したらしく深夜グラニュー糖いれて「梅ジャム」作ってました。
台所むちゃ暑かった!
ね、ティーちゃん。
「和の紋様」なかなか素敵!
さて、はや週末。
梅雨本番。今後一週間雨の予報で、洗濯物も外に干せるのは今日の午前中までかな。
7月は高温、食べ物体調に気をつけて良い週末を過ごしましょうね!
















