存在する溝 | いつでも一緒

存在する溝


   存在する溝

旧約聖書 創世記5章

 主なる神は土のちりでひとを造り、命の息をその鼻に吹きいられた。
そこで人は生きた者となった。
(創世記2:7)

 他の古代宗教にも聖書の系図に似たものがあります。しかし聖書の系図と他のそれとの間には決定的な違いがあります。
古代オリエントの系図をさかのぼると、最初の指導者は必ずと言っていいほど一人の神(小文字のgod)から生み出されています。
この場合、神(god)と人との溝は橋でつながっているので神性と人性の明確な区別がありません。
このような神々は単なる超人的存在ですから、人が影響されるのと同じ悪徳に悩まされ虜になってしまいます。

しかしヘブル人の神観念はそれとは異なります。
聖書は人類の初めに神ではない一人の人間が存在していたことを記録しています。
人類の歴史は神の被造物である土の塵(ちり)から造られた一人の人間から始まっています。

人間が神性を持つと信じる人の方が、人間が神性を持たないと信じる人よりも命を一層大切にしているのだと考える人々がいます。
しかしこれは誤りです。
神性を持たない人、神とは全くかけ離れた存在である人が自らの弱さに気づくとき、神ご自身が遜って(へりくだって)全くかけ離れた次元の人間と交わってくださるという、驚くべき愛を悟ることが出来るのです。
私たちが人の理性をはるかに超えた崇高の神の愛を悟るようになると、神が私たちを愛して下さったように、私たちもまた他者を愛するようになります。

本来越えられない溝があるにもかかわらず、私たちを愛するということを通して神は善良さを示して下さったのです。
その神をしっかり認識できますように。

そればかりか、神に愛されている他の人々と恵みを十分に分かち合うことができますように。


1月16日『エマオの道で 365日の霊想』
デニス・F・キンロー 著




今年は順調に毎日ディボーションをしています。この本は私たち夫婦を同時受洗した前任牧師にいただいたものです。
当時はやや硬質で難しかったのでさらりと読み通していましたが、今になり私たちに必要なことが要所に散りばめられている大事な一冊になりました。
他にもヘブル人の考え方が所々に書いてあるんですが、とても理路整然としていて現代よりも革新的なことに驚いています。

今夜は新年最初の祈祷会の司会です。
昨年末から箴言を学んでいますよ。(^^)