ソロモンの偽証
新約聖書 口語訳 ヨハネによる福音書
14章25節~27節
14:25 これらのことは、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことである。
14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起こさせるであろう。
14:27 わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。
ヨハネの福音書 4章13節~14節
4:13 イエスは女に答えていわれた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。
4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与えるみは、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。
ルカによる福音書 12章 1節~5節
12:1 その間に、おびただしい群衆が、互いに踏み合うほどに群がってきたが、イエスはまず弟子たちに語りはじめられた、「パリサイ人のパン種、すなわち彼らの偽善に気をつけなさい。
12:2 おおいかぶされたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。
12:3 だから、あなたがたが暗やみで言ったことは、なんでも明るみで聞かれ、密室だ耳にささやいたことは、屋根の上で言いひろめられるであろう。
12:4 そこでわたしの友であるあなたがたに言うが、からだを殺しても、そのあとでそれ以上なにもできないものどもを恐れるな。
12:5 恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。殺したあとで、更に地獄へ投げ込む権威のある方を恐れなさい。
二週連続、前後編で放映された宮部みゆきの「ソロモンの偽証」私と次女に、様々な波紋を呼び起こしました。
なぜならその直後、長女と最愛の孫が理由もわからないまま横浜方面に出て行ってしまったのです。晴天の真昼の出来事でした。
前日には孫と教会のレクリエーションで郊外の自然公園で一日たっぷり遊んだあとだったので、ショックが激しくともすれば涙が止まりませんでした…。
四方つくしましたが、諦めて横浜を去る朝、神様に「一生会えなくともそれは仕方ないけれど。もし叶うならもう一度だけ孫の声を聞かせて下さい。」と祈りました。
すると、信じられないことに携帯が繋がったのです。あとは、神様の御手にお委ねすることにしました。
しばらくは私も次女も二人がいた形跡を思い出し塞ぎ込んでいましたが、今週になり驚くような反転劇が起こりました。
昨日のこと。主人がまた受洗する以前のように隠れてSNSからニューエイジに繋がろうとしていたのです。まぁ、忙しいので手広くではありませんでしたけど。
窮地の時に一番力になってくれて、共に祈っていた彼は完全に壊れていました。
それは過度の仕事によるストレスのせいか、はたまた躁鬱だから仕事とごっちゃにしていたのかわかりません。
しかし、また私が「何か起こりそうな気がする」という予感は的中していたのです。
幼い孫はとても心配ですが。
信仰がなくなるのは仕事が出来なくなるより私達には恐ろしいこと。
自責の私を受洗二年目の次女が牧師のもとへ夜「祈って貰おう!」と車を運転して連れて行ってくれました。「今度は私が助ける番だよ」って。
そして、与えられたみ言葉が最初のヨハネの聖句です。
私はこれまでも百発百中、主人が霊的危機で行動しようとしている直前に気付いてしまいます。自分でも本当に不思議なのですが…。
あれ程絶望していた長女の失踪さえ、私達の過去の繰り返しをみない場所にいたこと、神様に感謝する私がいました。
(無事でありますように。)
更に成長したことは、あの強情な主人を引っ叩かなかった!
み言葉で戻せたのですね。
亡くなった義母の刷り込みは、想像以上に手強い。主人も認めています。
でも牧師は、「惑いの霊にこれからも何度も行くことがあるかも知れないけど、必ず戻って来ます」と…。
「こんなこと言っちゃ駄目だけど、もう死にたい」と牧師に言ったところ、牧師は穏やかに「私たちはもう一度死んでいます。だからもう死ぬことはないんですよ。」
キリスト者なら当たり前に知っていることですが、罪の誘惑は本当に恐ろしい。
今日、午後から主人と一緒に教会へ行き、牧師に本人からも話して礼拝堂の十字架の前で全てを話し祈ってきます。
もう私たちは、主のものだから。私たちは主の命と引き換えに買い取られた。常に聖霊は私達を叱咤し、助け、導いて下さいます。これは何度も現実に体験したからです。
分裂は神から来たものではありません。
愛と信仰の一致、
毎回、解き明かされる真実にただひれ伏すばかりです。アーメン。
私は一人じゃない。


