黄金の簒奪者たち:その126
韓国の自殺率のことを書いていたら、Newsweek日本版が、12月1日に最新状況を伝えるニュースを流した。タイトルは”若者から中高年まで ── 韓国を襲う「自殺の連鎖」が止まらない”で、今度は中高年の死因のトップも自殺になったと報じたのである。韓国統計庁の発表によると2024年の韓国における死亡者は35万8569人で、そのうち1万4872人が自殺だった。人口10万人あたりの自殺者は29.1人で前年を1.8人上回り、2011年の31.7人以来、13年ぶりの高い水準を記録したという。
そしてもう一つ気になるのは、1983年の統計開始以来はじめて40代の死因の1位が自殺となったことだとする。10代から30代の主な死因だった自殺が40代まで広がったことになる。自殺率の推移を年代で見てみると19歳以下は2010年の3.0から17年には2.6に下がったが、23年には4.6まで上昇。若者層(20~39歳)も2010年の27.2から17年は20.6に減少したが、23年は24.4に増加した。中高年層(40~64歳)も2010年の37.9から17年には29.4に下がったものの23年は32.0へと悪化した。
韓国保健福祉部(日本の厚生労働省に相当)が今年7月に発表した報告書「OECD保健統計」では韓国人の平均寿命は83.5歳となった。経済協力開発機構OECD加盟国平均の81.1歳を2.4年上回る長寿なのだが、一方で自殺率は加盟国平均10.7人の2倍以上。韓国の自殺率は2003年以降、OECD加盟国で不動の1位を維持しているという。朱子学の行き着く先は「絶望」ということだ。それでも昔の朝鮮人は今よりももっと悲惨な環境でも生き抜いたが、現在の韓国人は精神的に弱くなったということだ。
しかし、日本も対岸の火事では済まされない。OECD加盟国の中で自殺率が高い5位は日本なのだ。日本も薩長が導入した水戸学を規範としたインチキ儒教「朱子学」のおかげで国家神道というカルト宗教に陥り、明治以来ずっと若者は戦場に駆り出されて殺されてきた。そう、「殺されたきた」のである。そのカルトから戦後は脱却したはずなのに、今も多くの若者が殺されているということだ。それでなくとも少子化が進んでいるのに、これ以上若者たちの自殺率が増えたら、この国は奈落の底へとまっしぐらとなる。
韓国では若者には「規律正しくある」ことを求め、有名人には「完璧であること」を求め、それがプレッシャーとなって自殺に追い込まれるケースが多い。この「規律正しくある」ことを求めるものこそ朱子学で、一般人には求めるものの、国民をモノとして支配する側の両班や王族には規律など存在しない。日本でも「100点以外はダメだ」などとする頭が朱子学漬けのバカな親のせいで、精神を病んだり自殺してしまう子供もいる。
いくら現代化したとはいえ、科挙制度の名残りである韓国の激しい競争社会に心をすり減らす若者たちがいて、またその現代社会と頭の狂った朱子学の伝統との板挟みで苦しんでいる人が多い。そして、韓国は多くの有名人が、自殺する。これが、さらなる自殺の増加の原因になっていると言われている。K-POPアイドルを見ても分かるように、韓国は歌もダンスも完璧を求める。ふにゃふにゃでもアイドルとしてデビューできる日本とは真逆だ。この「完璧さ」を求める深層にはインチキ儒教があり、芸能人は人間としての完璧さも求められてしまう。完璧な人間が芸能人になんかあるはずないのに、である。
韓国芸能人が、ネットで激しく責め立てられ自殺に至ったことは、何度も報道されてきた。「国民の期待を裏切りやがって⋯」という感情はネットで炸裂、攻撃する相手が自殺するまでその手を緩めない。問題は、この「国民の」とすぐ付けたがる習性こそが儒教なのである。韓国には「国民の妹」が多い(笑)。だが、国民の父、国民の母、国民の弟、国民の彼氏、国民の初恋など、「国民の期待」を勝手に背負わされる人々がいる。だからこそ、その期待を裏切ると「国民の袋叩き」に遭うのだ。
「国民の父」は ファン・ジョンミン ソン・ドンイル、「国民の母」はキム・ヘスクとキム・ジャオク(死去)、キム・ヘジャ、 コ・ドゥシムと4人もいる。「国民の弟」はイ・スンギとユ・スンホ、「国民の妹」にはキム・ヨナ、イム・イェジン、キム・ヘス、 チャン・ナラ、ムン・グニョン、IUと6人もいる。「国民的年下男子」はパク・ヘジンで、「国民の彼氏」は地味な顔のエリック・ナムだ。「国民の初恋」はMiss A スジ、「国民的MC」にパク・スホン、 カン・ホドン、 ユ・ジェソク、キム・ジェドン。「国民的歯磨き粉」に「国民的シャンプー」「国民的スキンケアブランド」もある。ちなみに「国民的映画」は『国際市場で逢いましょう』だという。
韓国では、特定の有名人に対して親しみを込めて「国民の(クンミン)」という呼称を付ける文化があるとするが、それは違う。これぞ儒教(朱子学)の悪しき習慣なのだが、メディアも不勉強だからそこに気付かない。そして、日本よりも加速度的に普及したネット文化も、自殺を助長する原因の一つである。不正を犯した政治家ならまだしも、芸能人や失敗をした一般人に対しても、韓国の社会は非常に辛く当たる。「国民のさらし者」にしたり、「屈辱的な謝罪」を求めるケースも多い。日本も韓国の影響で、この15年でネット上での「袋叩き」が加速した。そして、両国民とも「袋叩き」を「正義」と勘違いするのも儒教の影響なのだ。
アイドルもノーベル文学賞作家も袋叩き
イザベラ・バードは「猜疑心・狡猾さ・不誠実さがあり、男同士の信頼はないと述べている。朝鮮半島にいる朝鮮人に蔓延している狭量、マンネリズム、慢心、尊大、 手仕事を蔑視する誤ったプライド、 寛容な公共心や社会的信頼を破壊する自己中心の個人主義、2000年前からの慣習と伝統に隷属した思考と行動、知識に関する視野の狭さ、浅薄な倫理観、女性蔑視と言ったものは朝鮮の教育制度の産物」と結論づけているが、韓国と日本のネット社会の問題は「狭量、慢心、尊大、不寛容さ、浅薄な倫理観、猜疑心」である。
特に日本人の多くを猜疑心の塊にしたサービスこそ「LINE」である。LINEの国内ユーザー数は、約9,900万人(2025年6月末時点)いるが、これは日本の人口の約56%以上にあたり、10代から60代まで幅広い年齢層に利用されている。9900万人というのは一人で複数のアカウントを持っているからだが、いまや国民の6割近くが猜疑心に溢れている。「LINE見せて」と言って彼女や彼氏の行動をチェックするやつだ。相手との信頼を最も破壊するサービスがLINEである。そして、そのLINEを作ったのも韓国のネイバーで、LINE上でのやり取りの内容は青瓦台、北京政府、CIAにもダダ漏れなのは有名である。
2021年、日本のLINE利用者の画像や動画などのデータが、韓国国内のデータセンター(サーバー)に保管されていたことが発覚。さらに中国の業務委託先から日本の利用者の個人情報が閲覧できる状態になっていたことも発覚した。これらについて、LINE社(当時)が日本政府に対し「データは日本に閉じている(国内で完結している)」という趣旨のウソの説明をしていたことも明らかになった。現在はその筆頭株主だが、2023年11月、LINEヤフー(現LY株式会社)は、約44万件の個人情報が漏洩した可能性があると発表しており、これは、親会社である韓国のNAVER Cloudがサイバー攻撃を受けた際、システムの一部を共有していたLINEヤフーにも不正アクセスが及んだことが原因とされる。
なんで青瓦台も北京政府もCIAも日本人のLINEのデータを欲するのかといえば、日本人が怖いからだ。韓国も中国も下級国民は一切信頼しないため、常にネット上の言論を統制しようとする中国のやり方を見れば、共産党という支配階級が、モノでしかない国民を反政府にならないよう常に監視下に置いておきたいのがよく分かる。中国の監視カメラの数は2019年時点で約2億台、2021年には5億6700万台に達したと推定されており、このカメラはAIと連携した「天網」という監視システムは、犯罪抑止や国民監視に利用されているというのが表向きの理由だが、全くもってその逆である。
インチキ儒教の朱子学は、イザベラ・バードが言うように「猜疑心・狡猾さ・不誠実さ」を生み出し続ける。そんな朱子学カルチャーがこの15年で、日本にも蔓延している。要は悪い部分だけ韓国化が進んでいるということだ。韓流ドラマや映画、K-POPのファン程度ならまだしも、「K-POPアイドルになりたい」として韓国に渡航する若者も多い。在日のアイドル志望ならまだしも、生粋の日本人も「K-POPすげー」と言った状態で、筆者の周囲にもそうしたアーティストはいる。まさに在日朝鮮民族が支配する大手メディアの洗脳が隅々にまで行き届いている結果と言える。
日本人のバカ化が進む一方で、韓国や中国では、海外に留学したことで、初めて自国のヤバさを認識して、反日をやめた人も増えている。実際、筆者の知り合いの中国人も、日本に来て初めて「天安門事件があったことを知った」と言っていた。中国では「天安門事件」の映像は一切見れないし、単なる反政府テロとして片付けられているのだ。日本人も貧乏になって海外へ留学しなくなったせいで、イザベラ・バードが言う「狭量、マンネリズム、慢心、尊大」が拡大している。寛容さを失うと、紛争に発展し、やがて戦争へと突き進むのは歴史の常だ。
日本の若者の無知蒙昧状態もかなりやばい状態にある。なにせ「原爆投下」のことも「アメリカと戦争した」という歴史すらも知らない若者が増えているのだ。実際、そういう子と話したことは何度もああるが、これには唖然とさせられた。さらに、日本人としての歴史が共有されていないため、いちいち説明をしないといけなくなるのが、かなり鬱陶しいのも事実だ。おいおい、そんなことくらい知っておいてよ⋯と言いたくなるが、これも薩長の末裔どもが意図的に「近代史」を教えないようにしているからだ。歴史に学ばない民族の国家は必ず滅ぶ。
イザベラ・バードは、「浅薄な倫理観、女性蔑視と言ったものは朝鮮の教育制度の産物」 とした上で、「7歳で男女別々になり、女子は厳しく奥にこもらされて結婚前は父親と兄弟以外、また結婚後は実家と嫁ぎ先の親族以外、男性とは全く会えなくなる。婚期を逃した朝鮮の未婚女性は、尼寺に追いやられてしまう。 7歳の時から父親の家の内庭で外界とは一切の接触なしに育った朝鮮女性は、17歳頃義父の家に移され、完全に家から出ない。出生時から息子の方が家での格が上であり、先祖の祭祀を中心とする男子単系血族集団である宗教の称号であった「姓」にも入れてもらえず、息子が結婚して嫁の手助けを得るまでは一人で朝から夜遅くまで働き、身なりに気をまわすことなどできなかった」と記している。
まぁ、ここまでなら日本も似たりよったりだが、なにせ「姓」に入れてもらえないというのは、日本とは異なる女性差別で、それは今も同じだ。さらに明治以降の日本とは異なる部分を記している。
「女性の中では、出産した女性のみが許される胸を出した格好(乳出しチョゴリ)こそ一人前扱いされた。実家の両親から出生してすぐに授かった名前は結婚後には使われなくなり、花嫁は「○○の奥さん」や「○○のお母さん」としか呼ばれなくなる。 夫は妻をヨボと呼ぶが、これは朝鮮語で「こちらを見よ」という意味であり、夫に対する妻の明確な男尊女卑の上下関係を示唆している。沈黙は妻の務めの第一と考えられていて、 結婚式の日は特に花嫁は終日彫像のごとく無言でいなければならないと決まっていた。義実家で反抗した非貴族階層の女の場合、厳しく打ちすえられて命令に従わされた」
「乳出しチョゴリ」ばかりの朝鮮女性たち
この「乳出しチョゴリ」こそ羞恥心のなさの表れだということは、日本人なら分かるはずだ。日本人は外で赤ん坊にお母さんがおっぱいをやる時は、乳を見えないように隠すが、韓国では出しっぱなしだったのである。「○○の奥さん」や「○○のお母さん」としか呼ばれなくなるというのは、日本でいえば平安時代だ。平安時代の女性は、多くの場合、現代のように個人を特定する本名(諱)で呼ばれることは少なく、父や夫の官職名、邸宅名、あるいは続柄などに基づいた通称で呼ばれていた。
「藤原道綱母(ふじわら の みちつな の はは)」は歌人・作家として知られる女性で、『蜻蛉日記』の作者であり、夫は藤原兼家で、息子の藤原道綱の母であることからこの名で呼ばれているが、彼女の本名は伝わっていない。ご存知「紫式部(むらさき しきぶ)」も『源氏物語』の作者としての通称である。父の藤原為時の官名「式部丞」に由来する「式部」と、邸宅の庭にあった紫色の花(藤)から連想された「紫」を組み合わせた女房名だ。「藤原為信女(ふじわら の ためのぶ の むすめ)」は紫式部の母親として伝わる女性の呼び名だが、本名や正確な生没年は明らかになっていない。
GoogleのおバカなAIは「これは、当時の貴族社会では、女性が公的な場で個人名で呼ばれることが稀で、男性家族(父や夫)の社会的地位に依存して身分が認知されていたためです」などと勝手に答えるが、根本にあったのは「呪詛」を避けるためである。現代社会も個人やその人の居場所を特定されるとネット攻撃にさらされるように、当時の日本人は女性を呪詛から守るため、本名を明かさなかったのである。その意味では平安時代の日本人の方が利口だったといえる。
イザベラ・バードは、朝鮮の非貴族女性について、「粗野で礼儀を知らず、日本の同じ階層の女性のしとやかさや清国の農婦の節度や親切心からはおよそ程遠い 」「着ている白い服は茶色く汚れていて、夜遅くまで休みなく洗濯するのは自分たちでも、綺麗な服を着るのは男の専売特許と考えているみたいだ」としている。さらに「名誉殺人があり、故意と偶然に関わらず、よその男と手が触れ合っただけでも、娘は父親、妻は夫に殺され、更には自害する女性すらいた」と記している。
こうしたバードの指摘から考えても、大ヒット韓流ドラマと史実は全く異なるのが李氏朝鮮の姿だ。NHKでずっと垂れ流していた「チャングムの誓い」では、派手な宮中衣装を着た女性が活躍するが、あの派手な色使いの衣装も捏造ということだ。実際の朝鮮には染料がなかったため、派手な色の服はなかったし、チマチョゴリが現在の様な派手な色使いになったのは、日本が韓国を併合してからの話。朝鮮の洋服には色がなく、柄物の服も着なかった。NHKの大河ドラマも薩長に関してはウソだらけだが、韓国の歴史ドラマは、歴史とは余りにもかけ離れた創作内容になっているのだ。
「チャングムの誓い」では、親友である李連生との友情を育み、ライバルの崔今英との料理対決、閔政浩との恋愛を通し、数々の策謀に翻弄されつつも強く生き抜こうとするチャングムの姿を描きながら、華麗な朝鮮文化や宮廷料理の数々、当時の朝鮮の医術も紹介されている⋯ことになっているらしい(笑)。だが、史実としては『朝鮮王朝実録』の『中宗実録(チュンジョンシルロク)』に大長今と呼ばれて重用され、王の主治医となった医女がいたことが書かれているものの、大長今に関する記述は中宗実録に10箇所あるが、王の主治医を務めたとされる記述は、中宗39年(1544年)10月の『予證女醫知之』(予の証は女医これを知る)という一行のみである。

史実は「たった一行」だけだが、54回も放送している(笑)。フィクションなのだが、それをあたかも史実だったかのように放送してしまうのが朱子学国家・韓国なのである。放送大学教授対談で、高橋和夫の『宮廷女官チャングムの誓い』は「歴史にどの程度まで忠実なのでしょうか」という質問に対して、朝鮮史学者の吉田光男は、「結論から言いますとほぼ100%フィクションで史実には基づいておりません」と回答している(笑)。さすがに「史実です」とは言ったら見識が疑われるだけでは済まない。
筑波大学名誉教授で政治学者・歴史学者の古田博司は、史実との違いを以下のように指摘している。
・李氏朝鮮では、女子が宮中に出仕すると王様と疑似婚姻関係に入るので一生外に出ることができず、チャングム女史のように出たり入ったりはできない。
・李氏朝鮮は中国の清や日本の江戸時代とは異なり、イノベーションに反対的であり,低レベルの実物経済で500年間も統治していた。1805年に儒学者・鄭東愈(朝: 정동유)が著した『晝永編』には、「(我が国の拙きところ)針なし、羊なし、車なし」とある。実際、針は衣類に穴が開くくらいの粗雑なものでしかなく、中国から買っていた。車もそれ自体は西洋文化が流入するまでは当然普及していない。何故なら木を曲げる技術がなく、李氏朝鮮には樽もなく、液体を遠方に運ぶことすらできないほど停滞した時代であった。『宮廷女官チャングムの誓い』は色彩にあふれているが、ほんとうは顔料がないので民間に色はなく、上流階級だけは中国で交易する御用商人から色のある布を買っていた。中国の清でも日本の江戸時代でも陶磁器に赤絵があるが、朝鮮には白磁しかなく、民衆の衣服が白なのも顔料が自給できないからである。柳宗悦がいう「朝鮮の白は悲哀の色」というのも、今では真っ赤なウソである。
本物の歪曲なら、実は朝鮮時代の宮廷料理師は男がメインだったし、女性は主に補助役だけをしたということだ。 これは男性シェフが圧倒的な現代も同様に、料理は多くの体力と力を要求する。NHKの放送では中殿を「皇后」と訳していたが、歴史学者の宮脇淳子は、「「皇后」とは「皇帝」の妃の称号であり、中国皇帝の臣下である朝鮮国王の妃が「皇后」を名乗ることは歴史学的にあり得ない」と指摘している。まぁ嘘八百なのは仕方ないとしても、それを見た韓国人は「歴史」としてしまうところに問題がある。
理想と現実のギャップ(©日中韓夢物語)
都合よく歴史を書き換えるのは「こうでありたい →こうであるべき →こうだった」という「恨(ハン)」がさせる。だから「誇り高き朝鮮人はこうだったニダ〜」と想像を歴史にしてしまうのであり、歴史的な検証などはどうでもいいご都合主義というのもまさにイザベラ・バードが見た150年前の朝鮮と何も変わっていないということだ。だからこそ今もって「慰安婦問題」「徴用工問題」を持ち出して、日本から金品を奪い取ろうとするのだが、それこそイザベラ・バードの言う「猜疑心・狡猾さ・不誠実さ」なのである。
朴槿恵元韓国大統領は2013年の就任当初、日韓関係の歴史問題に関して「(日本と韓国の)加害者と被害者という歴史的立場は、1000年の歴史が流れても変わることはないニダ〜」としたが、朝鮮民族の嘘つきの習性は「2000年の歴史が流れても変わることはないニダ〜」ということなのであり、「日本からカネを奪っても構わない」「日本からカネを奪うべき」とすり替わり、韓国政府も統一教会も必死に略奪を繰り返すのである。
2025年11月28日、韓国政府関係者はサッカーの2035年アジア・カップを、韓国が日本との共催で招致を検討していることを明らかにした。またまた日本のカネで「韓日ワールドカップ」をやろうと企んでいるのである。本当にどうしようもない民族である。2035年は日韓国交正常化70周年に当たるからだとし、2002年のワールドカップ(W杯)も共同で開催したからだとする。韓国文化体育観光省は、近く日本側と協議する見通しだという。要は韓国側で「またまた日本にカネを払わせるニダ〜」と勝手になっているということだ。
2011年8月31日、李明博大統領のは韓国の「SBSテレビ」
「北朝鮮の復興は心配ない、日本にやらせる。
このTV映像は在日が支配する自民党の命令で全TV局から流れなかったが、
イザベラ・バードは「朝鮮にいたとき、わたしは朝鮮人というのはくずのような民族でその状態は望みなしと考えていたと思わせていた朝鮮の不治の病は、何千人もの五体満足な人間が自分たちより暮らし向きのいい親戚や友人にのうのうとたかっている」として、「人の親切につけこむ体質にあり、たかることをなんら恥とせずに、非難する世論もないことだ」としたが、バードが訪れた時代からこの民族は今も何も変わっていないのである。
<つづく>







