「怨霊と呪術」その34


 「葛葉物語」には、安倍晴明の母「葛の葉」は「金の箱」に入った「竜宮の護符」と水晶のような透き通った「白い玉」を晴明の父・保名に渡し、信田の森に戻って行ったとなっている。この「金の箱」とは「契約の聖櫃アーク」であり、その中に入っている「竜宮の護符」とは「三種の神器」の意味である。だが、もう一つの水晶のような透き通った「白い玉」とはいったい何を示しているのだろうか。「葛の葉」は「『竜宮の不思議な護符』を持っていれば、天地はもとより人間界のあらゆる出来事を目で見るように知ることがでる」とし、さらにこの『白い玉』を耳に当てれば、鳥獣をはじめ草木や石ころの言葉でさえも、手に取るように分かるようになる」と言い残している。

 

 しかし、冷静に考えれば、「契約の聖櫃アーク」は伊勢内宮に鎮座しており、簡単に手に入れられるようなものではない。ましてや一人の女性が担げるようなものでもない。とすれば、「金の箱」も「竜宮の護符」も暗号となる。「白きつね」といえば「伏見稲荷大社」だ。そして「おきつね」としたら、「隠岐常」となり、籠神社の海の奥宮あり竜宮である「隠岐」が現れる。そして、何でもわかるようになる「白い玉」となれば、隠岐にも訪れていた空海が持っていた「潮満珠・潮干珠」のことで、ユダヤの預言者に継承された「預言者の眼鏡」たる「ウリムとトンミム」のこととなる!!

 

 

「ウリムとトンミム」

 

 筆者が昨年連載した”「いろは歌」と「即身成仏」の謎”において、弘法大師・空海の超人的な存在としての伝説に「空海は今も生き続けている」というものが高野山で伝わっているとした。人間・空海は間違いなく亡くなってはずだが、空海の肉体は今も朽ちていない。なぜなら、空海は入定する際、陰陽一対の「如意宝珠」を持ち込んだからだ。この陰陽一対の「如意宝珠」とは、”光る石”であるゾハルで作られた「ウリム/潮満珠(しおみつたま)」と「トンミム/潮干珠(しおひきたま)」と呼ばれる預言者の「徴」(しるし)で、今も空海は即身仏として高野山の奥の院の「御廟」の地下で、ゾハルの光に包まれ生きたままの姿で眠っているとした。

 

空海は今も朽ち果てていないのか

 

 「ゾハル」はプラズマの光を放つ。よって食べ物を食べなくても生きることができ、肉体も朽ち果てない。「即身成仏」とは「生きたまま仏になる」ことで、「人+ム」で「現人神」となることであり、それはイエス、エノク、エリア、モーセのように「不死不滅の復活体」となることである。カッバーラでは「ウリム=はじめ」で「トンミム=終わり」を示す。さらに「ゾハル」を薄く切ってレンズにすると、異国の人の言葉を理解し、文字も読め、過去も未来も見えるという。空海がたった3ヶ月で梵語の全てを習得、2ヶ月で密教の奥義を全て授かれた理由は「ウリムとトンミム」を持っていたからだ。

 

 もし、隠岐に関わる人物から「ウリムとトンミム」を与えられたのならば、安倍晴明も空海と同様の能力を持ったということになる。空海は父方・佐伯氏は「秦氏」、母方・阿刀氏は「物部氏」で、ともに姓(かばね)は「宿禰」(すくね)で、父方が「武内宿禰」の末裔でモーセ直系、母方が「倭宿禰」でアロン直系。双方が「契約の聖櫃アーク」に触れることのできる預言者の一族であり、表と裏の天皇家の血筋を引いた存在だったのである。さらに空海は桓武天皇の御落胤でもある。だからこそ天文学的資金が必要な「遣唐使」の準備が1ヶ月で整えられ、20年の滞在期間とされたのにたった2年で帰国しても罰せられなかったのである。

 

 潮満珠と潮干珠で自在に水を操れたからこそ、全国で雨を降らせたり水を湧かせたり、巨大な灌漑工事もすぐに終えることができたのだ。そして、どんな言語も話せるように助ける目的で神が備えられた道具が「ウリムとトンミム」であり、天空の星が読め、神の言葉も受け取ることができる「魔法の珠(=宝)」なのである。ウリムとトンミムは、モーセの兄アロンの子のエルアザルが継承し、代々アロン直系の末裔が引き継いだという。

 

象徴としての「潮満珠」と「潮干珠」

 

 アロン直系の末裔は古神道を奉ずる神官の一族となった。その筆頭が「籠神社」の神官・海部氏で、この国を呪術で仕切る裏天皇家であり裏陰陽道の漢波羅秘密結社「八咫烏」たちもアロン直系の末裔である。京都に移る前の「八咫烏」たちの本拠地は「籠神社」である。そして、「ゾハル=如意宝珠=潮満珠・潮干珠」は、籠神社の奥宮「眞名井神社」によって継承されてきた。だからこそ海部氏の娘「厳子=真名井御前」は、海部の神宝である「如意宝珠:潮満玉・潮干玉=ウリムとトンミム」を御子であり大預言者の血を引いた空海に授けたのである。

 

 だが、もし晴明に「ウリムとトンミム」が渡されたのであれば、それは空海が授けられたものを継承したということになる。もともと「ウリムとトンミム」を持っていたのは「モルモン(末日聖徒イエス・キリスト)教会」の開祖となった少年時代のジョセフ(ヨセフ)・スミスである。スミスは天使の訪問を受け、古代アメリカの預言者モロナイが隠した聖文「金版」を掘り起こしたことから宗教弾圧を受け、当時は未開の地だった西部へ逃れた。

 

 ジョセフ(ヨセフ)・スミスの先祖はイギリスのマン島付近にいたヤフェトメイソンの一族で、古代エジプトに売られたセム系の「ヤ・ゥマト」のヨセフは、ハム系が中心の古代エジプトで、白人の祭司だったポティファルと懇意になる。ヨセフは宰相となった後、ポティファルの娘アセナト(アセナテ)と結婚、誕生したのが、セム系モンゴロイドとヤフェト系コーカソイドのハーフとなるマナセとエフライムだった。

 

天使の訪問を受けたジョセフ(ヨセフ)・スミス

 

 ヨセフ・スミスは、セムとハーフのエフライムの直系で、セム系モンゴロイドだったモーセは、白人の血が混じったマナセとエフライムを養子として迎え、ヨセフと神職のレビ属を除き、新たにマナセトエフライムを加えた「(新)イスラエル12支族」を形成、ヨセフの遺骸と共に「出エジプト」を実行し、古代イスラエル王国が誕生する。その末裔のヨセフ・スミスが、預言者の眼鏡「ウリムとトンミム」を使い、古代アメリカの聖典「金版」を翻訳すると、古代イスラエルの地から逃れたヤ・ゥマトが古代アメリカに上陸し、そこで文明を築き栄えたが、戦争で衰退した記録だった判明する。

 

 しかし、スミスが翻訳を許されたのは冒頭から3分の1だけで、残り3分の2は封印されたとされる。そのヨセフ・スミスも暴徒たちの手によって暗殺されるが、既に天使によって金版と聖遺物が回収された為、翻訳された以上のことは後継者達にも分からなかったという。「金版」はマヤ人が残した「預言書」であり、イギリスのマン島出身の祖を持つジョセフ・スミスだったからこそ掘り出すことができ、さらにそこに刻まれていた「変形(速記)エジプト文字」で書かれた文字を翻訳する資格たる「YAP遺伝子」があった。

 

スミスと「預言者の眼鏡(ウリムとトンミム)」と「金版」

 

 スミスは、「預言者の眼鏡:ウリムとトンミム」で金版の預言を解読する事が出来たが、後に「変形エジプト文字(速記体)」の仕組みが分かると、ウリムとトンミムが無くても翻訳できたとされる。この「金版」と一緒に掘り出されたのが、プエブロ系ネイティヴにとっての「三種の神器」となる「レーバンの剣」「球体のリアホナ」「ウリムとトンミム」であったが、箱型の「金版」と共に、翻訳完成後、天使に取り上げられている。

 

 このマヤ系プエブロ族の「三種の神器」と、大和民族の「三種の神器」は象徴的に一致する。「レーバンの剣=草薙剣=アロンの杖」、「球体のリアホナ=八尺瓊勾玉=マナの壺」、「ウリム&トンミム=鏡合わせの八咫鏡=十戒石板」、「契約の聖櫃アーク」と金の箱型の「金版」も象徴的に符合する。すると、晴明の母・葛の葉が晴明に授けた「金の箱」とは「金版」で、「白い玉」とは「ウリム&トンミム」となる。残るは「竜宮の護符」の意味である。

 

 葛の葉は「『竜宮の不思議な護符』を持っていれば、天地はもとより人間界のあらゆる出来事を目で見るように知ることがでる」としている。ならば、「預言者の眼鏡:ウリムとトンミム」である。つまり、「竜宮の護符」とは水晶のような透き通った「白い玉」でできている「預言者の眼鏡:ウリムとトンミム」なのである!! だからこそ「安倍晴明は烏語を話した」とあったのは、葛の葉が言い残したこの『白い玉』を耳に当てれば、鳥獣をはじめ草木や石ころの言葉でさえも、手に取るように分かるようになる」という言葉の通りなのである。

 

胸当てに付いた「ウリム&トンミム」

 

 ユダヤ教の大祭司の「胸当て」にはポケット状のものがついていて、そこに「ウリムとトンミム」を入れたとされる。祭司は「ウリム」を持って主の前に立ち、支配者に代って神の裁きを求めたとあるからだ。

  

 「あなたはさばきの胸当にウリムとトンミムを入れて、アロンが主の前にいたる時、その胸の上にあるようにしなければならない。こうしてアロンは主の前に常にイスラエルの子たちのさばきを、その胸に置かなければならない」(「出エジプト記」第28章30節)

 

 大預言者モーセの兄で大祭司アロンは、聖所での奉仕に際して、「ウリムとトンミム」をその胸の上に抱いていた。大切なことを決定するにあたって、神の意思が示されるように求めたという。つまり「預言」である。そのアロンの末裔である海部氏は空海に「ウリムとトンミム」を与えた。今も「金剛峯寺」の「奥の院」で朽ちない体の弘法大師の傍らに置かれているはずである。だが、もし一時的であっても、安倍晴明に「ウリムとトンミム」が与えられていたのならば、晴明が「金烏玉兎集」を編纂できた理由も、「蘇民将来」の預言を記したことも、全ては「ウリムとトンミム」があったからだと言えるのではないだろうか。

 

大祭司の胸当て

 

 なぜ、そう考えたのかといえば、それはフォロワーの方からいただいた『五方山 熊野神社』に関する情報にあった。「安倍晴明と熊野の神様って関連が深そうですね。東京にある『五方山 熊野神社』は、安倍晴明が勧請したとされる神社ですが、敷地が五角形だったり、興味深い『神紋』なんですよ。見てみてください。」とあり、Webを見てみたら、なんと安倍晴明が東京都葛飾区にある最も古い神社である『五方山 熊野神社』を勧請したとあったのだ。

 

 最初は「安倍晴明が熊野大神を勧請した?はてさて…」と思ったのだが、ここの由緒には、以下のように書かれていた。

 

 「安倍晴明公ゆかりの神社として関東唯一、さらに葛飾区内で最も古い神社です。・・・華山上皇が那智山中で修行を行っている際、天狗が現れて様々な妨害を繰り返しました。そこで晴明公は、岩屋に大勢の天狗を封じ込める祈祷をしたところ、天狗たちの妨害は見事に収まり、上皇の修行は無事に終えられました。上皇の信頼を得た晴明公は、陰陽師として名声を極めました。そして晴明公は華山上皇に伴い、那智熊野の地に於いて、三年間の滝行と山籠りの行を上皇と共に行いました」

 

 安倍晴明は八咫烏の聖地「熊野」で三年間も修行したとある。高野山・金剛峯寺は、かなり遠いが熊野と同じ和歌山県にある。そして、熊野から続く「九十九王子」(くじゅうくおうじ・つくもおうじ)とは、熊野古道沿いに在する神社のうち、皇族・貴人の熊野詣に際して先達をつとめた熊野修験の手で組織された一群の神社のことをいい、参詣者の守護が祈願された。九十九王子は、実際に99ちょうどあるわけではなく、多数あるということの比喩であるが、九十九王子を整備したのは「鴨族」である。

 

熊野へと続く「九十九王子」

 

 一般的にその分布は紀伊路・中辺路の沿道に限られるとされるが、出発点は京都にある。それは京都市伏見区にある神社「城南宮」(じょうなんぐう)であるとされるが、本当は同じ伏見にある「伏見稲荷大社」である。「白狐」が祀られる「お稲荷さん」の総社である。さらに京都市東山区今熊野にある京都三熊野の一つで、後白河法皇によって創建された神社「新熊野神社」では、本殿裏の鬱蒼とした自然の中に「熊野九十九王子」と呼ばれる神々が祀られており、これを「京の熊野古道」としている。その中の五王子は曼荼羅に描かれている。
 

 つまり、九十九王子は平安京から熊野へと続く道で、鴨族が天皇に万が一の事態が発生した時に、吉野へと逃がすルートにもなっているのである。さらに「99」は「100ー1」で、「百」という字から「一」を引くと「白」となる。そう「白王子」、つまり「皇子」であり、それが安倍晴明の正体だと言っているのである!!  となると、安倍晴明は天皇の御子となり、「平安京→熊野→高野山」というルートが見え、なぜ安倍晴明が熊野で3年修行したという意味は、鴨族が晴明に「ウリムとトンミム」を授けたという意味なのだ!!

 

 裏鴨族は八咫烏である。その首領は「金烏=金鵄」で、晴明の母・葛の葉は「白狐」である。「金烏玉兎集」という名称にも暗号が仕掛けられていたのである。晴明は選ばれた表の陰陽師のエースだったのである。それは「皇子=御子」だったからだ。空海という何は「空=鳥=秦氏」「海=亀=物部氏」を一つにする呪術師だったという意味が込められている。と考えた時、実は「晴明」というのは「生命」という暗号だったのではないかと思えた。「生命の樹」=「カッバーラ」の呪術師という名が与えられたのである。ならば、葛の葉は物部氏だったのだろうか。そして、安名は秦氏だったのか。実は、そこにはまだまだ仕掛けが施されていたのである!

 

<つづく>