「怨霊と呪術」その23

 

◆晴明と鬼退治

 

 晴明には「鬼退治伝説」があるのをご存知だろうか。平安時代の京の都を騒がせた盗賊の首領「酒呑童子」(しゅてんどうじ)は、「日本三大妖怪」にも挙げられる伝説的な鬼として知られる。そして、刀工「安綱」(やすつな)が作刀した「童子切安綱」(どうじぎりやすつな/どうじきり)という太刀が、酒呑童子を斬ったという日本刀の逸話としても語られている。酒呑童子は本拠地「大江山」の洞窟にある屋敷に住み、そこで多くの鬼を従えていたと言う。この酒呑童子を退治したのが「源頼光」(みなもとのよりみつ/らいこう)と、源頼光の配下である「四天王」、そして安倍晴明だとされているのである。

 

「源頼光」と「酒呑童子」

 

 「一条天皇」の御代の頃、若い貴族の姫達がさらわれる事件が起きる。犯人が何者なのかを安倍晴明が占うと、丹波国の大江山を拠点にする鬼・酒呑童子だということが分かる。討伐のための白羽の矢が立ったのが、藤原道長に仕えていた源頼光と四天王の「渡辺綱」(わたなべのつな)、「坂田金時」(さかたのきんとき)、「碓井貞光」(うすいさだみつ)、「卜部季武」(うらべすえたけ)そして「藤原保昌」(ふじわらのやすまさ)だった。源頼光一行は神仏の加護を得るため「住吉明神」「石清水八幡宮」「熊野権現」へお参りに向かう。
 

 そして大江山に向かう道すがら3人の翁に出会い、人には薬となり鬼であれば毒になる「神変鬼毒酒」(じんぺんきどくしゅ)を授けられたという。この翁らは、実はお参りした3社の化身であったとされる。源頼光の一行は、鬼を油断させるため山伏の姿に扮して大江山へと入山。そして見事に鬼退治に成功したとされている。

 

 「山伏」とは「天狗」のことであり「鴨族」のことである。だからこそ平安京の伏見稲荷から熊野に続く「九十九王子」を作ったのは山伏の姿の鴨族で、天皇を護って吉野へと逃がすルートを作り、実際に大海人皇子や後醍醐天皇を護ったのである。彼らはある意味で「山の民」であるともいえ、山を知り尽くしていたからこそ山から山へと渡り、天皇を守護することができたのである。つまり、鬼の「酒呑童子退治」の話というのは、朝廷に歯向かった物部氏を鴨族たちが退治した話なのである。

 

 

 物部氏たちは「牛の燔祭」を行っていた。いくらやめろと言っても燔祭をやめない物部氏たちが多く残っていた。そうした物部氏を封じ込むため、彼らを呪術で封印したのが「鴨族=山伏=天狗=烏天狗」なのである。妖怪の鬼の話ではなく、牛の角を「鬼」に見立てた話なのである。物部氏は「牛の燔祭」をやめなかったからこそ、「物」という漢字は、「牛」と、「勿」(ブツ)とから成る字であり、毛が雑色の牛の意から、転じて、さまざまのものの意を表す。そう、「牛」だと言っているのである!

 

 鬼の「温羅」(うら)を退治した話が「桃太郎」が鬼ヶ島で鬼退治した話であり、「うらの島太郎=浦島太郎」でもあるのだ。そして、「うら島」とは「裏島」でもある。陰陽道の発祥地であり、日本の「裏」を全て知りつくした本伊勢・籠神社の裏の奥宮「隠岐」のことでもある。なにせ「鬼」の旧字は「隠」だからだ。古代の日本人が恐怖の対象としていたのは明確な姿を持つものではなく、物陰にいる見えない「何か」で、それを「穏に(おんに)」と呼んでいた。 その「おんに」がいつしか「おに」に変化し、翻訳不可能だった「鬼」の読みとして当てられたのである。

 

 前回紹介した「竜宮伝説」の中で、竜王は金の箱を取り出し、「これは竜王の秘符である。天地日月人間世界のすべての事がわかるようになる。名を揚げ、人々を助けよ」と告げて安倍の童子に渡したとあった。そして晴明は人の顔かたちを見ると、その人の過去・未来が心に浮かんでくる。さらに鳥や獣の鳴き声を聞くと、その意味が手に取るようにわかったとあり、さらに竜宮の秘符の修得に励み、ついには悟りを開き、世の中のあらゆる事象で知らぬことはなくなったという。

 

 竜宮の「金の箱」とは金箔に覆われた箱、「契約の聖櫃アーク」のことである!!

 

 

 「安倍晴明とアークがなんの関係があるんだ?」と言われる方も多いに違いない。実際、筆者もこの連載を書くまでは想像もしていなかった。だが、下鴨神社が伝える晴明は「鴨族」であり、鴨族とはレビ族のことであり、契約の聖櫃アークに触ることができる。よって、晴明はアークに触ることができる。 だが、「竜宮伝説」に記されたような「竜王の秘符」は聖櫃アークの中いは入っていない。「竜王の秘符」とは何を表しているのだろうか。

 

 「符」とは「わりふ」「しるし」「神仏の守りふだ」のことである。「竹+人+寸」で、「寸」とは指事文字で「右手の手首に親指をあて、脈をはかる事を示す文字」から、脈を「はかる」を意味する「寸」という漢字が成り立ったとある。「⺮(竹冠)」とは原始キリスト教に改宗したユダヤ教徒を伝える部首である。そして、「符」にはさらに別の意味がある。それは「未来の事を予言して書いた物」のことである。

 

 「竜王」とは龍神であり荒ぶる神ヤハウェのことであり、荒ぶる箱アークのことでもある。つまり「竜王の秘符」とは、創造神ヤハウェ=神スサノウ=牛頭天王が腐った大和民族を滅ぼすことを伝える預言なのである。なぜ、そう考えるのか。それは陰陽道のバイブル『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』(さんごくそうでんいんようかんかつほきないでんきんうぎょくとしゅう)の中に、「牛頭天王」が疫病神として古丹を滅ぼす「蘇民将来」の預言が記されているからである!

 

蘇民将来の札と八坂神社

 

 ここにこそ陰陽道の開祖とされる吉備真備が、なぜ陰陽道の聖典『金烏玉兎集』を唐から持ち帰り、常陸国筑波山麓で阿倍仲麻呂の子孫に伝えようとしたのかという話の真意が込められている。金烏は日(太陽)、玉兎は月のことで「陰陽」を表す。安倍晴明は仲麻呂の一族の子孫ではないが、『金烏玉兎集』は晴明が用いた陰陽道の秘伝書であり、そこにこそ「陰・陽」に関わる「預言」が記されているのである。

 

 

◆「蘇民将来」と「陰:月」「陽:太陽」の預言

 

 「祇園神」は、仏教では「牛頭天王」、神道では「素戔嗚尊」、陰陽道では「天刑星」(てんぎょうしょう)と呼ばれる。牛頭天王は、修験道の神とも言われるが、修験道とは山伏で、その実態は物部氏系の「鴨族」のことである。この牛頭天王=素戔嗚尊=祇園神について、以下のように説明されている。

 「インドにおいて成立した仏教と、シナにおいて発生した道教と、わが国固有宗教たる神道の習合によって生み出された新たしいわが国の神祇なのである。しかも朝鮮において発生した民族宗教をも合揉し来っているように思われる。そうして、よほど我々日本人の宗教的感情にマッチしたとみえ、あるいは天王社、あるいは祇園社、あるいは素戔嗚神社などと称して、わが国土の津々浦々いたらぬ隈なく、これをいつきまつっていないところろてないのである。」(西田長男「『祇園牛頭天皇縁起』の成立」)

 「素盞嗚尊の他に、ヒンズー教に淵源があるとも思われる牛頭天王、仏教の薬師・観音・大日、道教の商貴王・(鍾馗)・天刑星、陰陽道の方位神である天道神・歳徳神・八将神、朝鮮の民俗信仰の『ソシモリ』など、アジア世界の諸神格が、牛頭天王の信仰に包摂されている」(宮家準「牛頭天王信仰と修験道」)


 千年以上も続く「祇園祭」は蘇民将来のことを伝える「祇園信仰」の祭りである。これを広めたとされるのが陰陽道の秘伝書『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』で、そこには牛頭天王像のことを「天刑星」と呼んでいる。「この天刑星が地に下って人間界に転生、仏縁と深い縁で結ばれた王舎城の大王となったのは、その神仏を敬い信じる志が抜きん出ていたためである。地に下った天刑星は、名を牛頭天王と改めた。鋭く尖った二本の角を頭から突き出し黄牛の面貌をした牛頭天王の姿は、まるで人を傷つけたり食らうことをなりわいとする夜叉さながらであり」とされている。

 

「牛頭天王」

 

 『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』には、以下のような説話として、預言が記されている。

 

 「虚空界」(こくうかい)から一羽の青い鳥が飛する。「瑠璃鳥」(るりちょう)という名のその鳥は、翡翠のような形で、声はに似ていた。その瑠璃鳥が、牛頭天王の目の前まで飛んできて、自分と牛頭天王の因縁、そして独り身の牛頭天王は后を迎えるべきで、その女性がどこに住んでいるのかと告げる。

 

 「わたしは帝釈天の使者で、かつてはあなたの同胞として天界でともに働いていたものです。そのころのあなたは、天刑星と名のり、わたしは毘首羅天子(びしゅらてんし)と名のって、あの頭が二つ、体は一つの人面禽身(じんめんきんしん)の共命鳥(ぐみょうちょう)のように親密な間がらでした。二つの頭のゆえに、語ることに違いはあっても、おおもとの思いは同じ。さながら鳥の両翼、車の両輪のように、天帝にお仕えしていたのです。あなたの信敬の志がひときわ深かったがゆえに、その後、あなた一人が人間界に生まれ変わり、今は地上世界の王たる転輪聖王(てんりんじょうおう)の位に就いておられます。ところがあなたには、后や側室がない。そこで天帝は、后になるべき女性のありかをあなたに教えるべく、かつての仲間であるわたしを使者に遣わしたのです」
こう過去の因縁を語ってから、瑠璃鳥は牛頭天王の未来の后の住むところを告げ教えた。

 

 まず、牛頭天王と天帝の遣いの瑠璃鳥は、それぞれ「天刑星」と「毘首羅天子」と名のり、頭が二つ、体は一つの人面禽身の共命鳥のように間がらだった、とある。つまり一心同体ということだ。この話が伝える「天帝」とは、天の御父エル・エルヨーンのことである。牛頭天王がヤハウェ=御子イエス・キリストならば、声が「鳩」に似ていたという瑠璃鳥とは「聖霊ルーハ」のことを示している。だが、その姿は「翡翠のような形」だという。これは何を言っているのだろうか。

 

御父と御子と聖霊

 

 「翡翠のような形」というものはない。翡翠はあくまでも石で、その形というものが明確にあるわけではない。つまり、形はない。だからこそ「聖霊」なのである。だが、敢えて「翡翠」に例えたのには意味が込められているはずだ。「翡翠」はもともと水辺に住む小鳥のカワセミを表す言葉で、宝石の翡翠はカワセミの羽の緑色と胸や腹の橙色に由来している。翡翠といえば鮮やかな「緑」をイメージするが、実は赤、オレンジ、白、グレーをはじめとした多くのカラーがあり、純粋な翡翠輝石は無色であり、翡翠のシンボルカラーである緑色は結晶構造中に鉄などが含まれることで発せられるカラーである。

 

 これはカッバーラである。牛頭天王=ヤハウェ=御子イエス・キリストならば、それは「太陽」を表している。ならば、て「翡翠」に例えた瑠璃鳥とは「月」のことである。つまり、陽と陰で「陰陽」なのである。月はもともと氷天体だったが、紀元前2330年前に起きた天界の大異変、木星から生まれた太陽系第12番惑星ヤハウェの大接近によって破壊された星である。月の中の厖大な超熱水と土砂は、宇宙空間にスプラッシュし、それが冷やされて地球に降り注いだ。「ノアの大洪水」である。その「月」が世の終末にどうなるのか。それを記しているのが『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』であり、金烏は太陽、玉兎は月のことだと言っているのである。そう、終末に起きる太陽と月の大異変に関する預言なのである!

 

 

 『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』の預言は「蘇民将来」である。滅ぼされるのは古丹であり、一度は滅ぶ大和民族は、再び蘇ると伝える千年前から祇園祭として伝えてきた預言である。筆者も「蘇民将来」の預言は、疫病=新型コロナウィルスの偽パンデミックに騙された1億人の大和民族が、牛頭天王=荒ぶるスサノウに滅ぼされると何度も書いてきたが、それだけではないのである。これは終末に起きる天界の大異変を伝えたものなのである。それを編纂したとされるのが安倍晴明ならば、晴明は預言者だったということになる。

 

 いったい、終末の日に起きる太陽と月の大異変「陰陽の預言」とは、何を示しているのだろうか。

 

<つづく>