「怨霊と呪術」その21

 

 安倍晴明のライバル「蘆屋道満」の本名は「秦道満」(はたのどうまん)であった。 蘆屋道満の娘は人魚の肉を食べて不老不死となった「八百比丘尼」(やおびくに)だと伝えられる。民間の陰陽師はしばしば「上原」(かんぱら)とも呼ばれるが、これはすなわち「カンバラ」=「漢波羅」のことである。正式な陰陽師ではないという意味で、彼らは裏の陰陽師「漢波羅」の名前で呼ばれていたのである。

 

 しかし、こうした民間の陰陽師とは別に、本物の漢波羅も存在する。彼らは絶対にその姿を表に現さない。日本における秘密組織の中の秘密組織と言っても過言ではない。そもそも彼らは生まれてこのかた正式な名前がない。戸籍もない。よって、たとえ死んだとしても、生まれてきていないのだから誰も気づかない。裏の陰陽道である「迦波羅」=「カッバーラ」の使い手、本物の漢波羅は「鴨族」と呼ばれる。そして、その秘密組織の名を「八咫烏」という。

 

◆裏陰陽道「迦波羅」と裏陰陽師「漢波羅」

 

 神道も修験道も、その根底にある呪術的な神秘思想は、すべて「陰陽道」をベースにしている。陰陽道は中国の「道教」から派生し、日本独自に発展した宗教だが、陰陽という言葉からもわかるように、そこには森羅万象、すべてを陰と陽の二元論で解き明かす「陰陽思想」を基本としている。この陰陽道もまた、表と裏がある。裏の陰陽道を「迦波羅」(かばら)といい、裏の陰陽師のことを「漢波羅」(かんぱら)という。いずれも語源はユダヤ教神秘主義「カッバーラ(カバラ)」にある。

 

 世間では「カバラ=カッバーラ」というと、魔術のイメージをもつ。西洋魔術で展開されるような魔法円や数秘術、タロットなどの占術がカッバーラだと思っている人が多い。確かにこうした西洋の神秘思想の根底には、全てカッバーラがあるのは事実である。しかし、カッバーラの奥は深い。底なしといってもいい。それゆえに非常に危険な思想でもある。よって、自我が肥大し、狂気に走ることすらあり、逆に自我が崩壊して自滅することもある。

 

 極端なことをいえば、カッバーラの奥義を完全に理解すれば、神に等しい存在にさえなれるのであるが、だからこそ、道を外れたときの衝撃は尋常ではないのである。キリスト教でいう魔王サタンが、かつては最も神に近い熾天使であったにも関わらず、最後に地に落とされたのは、そのためなのである。奢った瞬間、闇に落ちるのである。

 

 

 陰陽道は数々の霊符を使用するが、その中に晴明と道満に由来する魔除けの呪詛と図柄を「セーマン」「ドーマン」という。セーマンは五芒星で「晴明桔梗門」ともいう。京都の晴明神社をはじめ、各地の晴明神社にも掲げられている、いわゆる星型をひと筆書きで描く図柄である。ドーマンは九字(くじ)といって、横5本と縦4本の合わせて9本の直線で格子模様を描く。セーマンとドーマンに関しては、はっきりとした謂われは伝わっていないが、有名なのが三重県志摩地方(現・鳥羽市と志摩市)の「海女」(あま)が身につける魔除けのマークである。

 

 恐れる魔の代表的なものとしてはトモカヅキ、山椒ビラシ(身体をチクチクとさす生物とされる)、尻コボシ(肛門から生き肝を引き抜く魔性といわれる)、ボーシン(船幽霊)、引モーレン(海の亡者霊)、龍宮からのおむかえ、などがある。なんで龍宮からの迎えが魔になるのだろうか。磯手拭や襦袢などに、星形の「セーマン」と格子状の「ドーマン」を貝紫色で描くまたは黒糸で記し、海での安全を祈願する。磯ノミ、磯ジャツ(上着)、磯メガネなど、海女たちが身につける用具全般に記され、また、漁夫の褌にも記されることもある。

 

 

 三重県志摩地方の海女が恐れるトモカズキとは、海女と同じ格好をした亡霊のようなもので、潜っているとそばで同じように作業をし、それに気をとられていると命を落とすといわれている。しかし、その亡霊の磯着にはドーマン・セーマンの印はないので、見分けることができるとする。しかし、なぜ「星形」と「格子」の柄が魔除けになるのだろうか? 

 

 星形は「一筆書き」で元の位置に戻り「始めも終わりもない」ことから魔物の入り込む余地がない魔除けとされる。地元の海女達の口伝に寄れば「無事に戻ってこれるように」との祈りを込めたともいわれている。一方の格子は「多くの目で魔物を見張る」といわれる。出入り口がわからないから魔が入りにくく、その間にトモカズキといわれる悪霊から逃げられると信じられている。

 

 もちろんこの呼称は、セーマンは安倍晴明、ドーマンは蘆屋道満からとったものであり、伊勢志摩の神島地方の海女は、この両方をあわせて「セーメー」と呼称している。「ドーマン」は縦に4本、横に5本の「九字を切る」護身法であり、魔除け、厄除けとして強い効果があるとされる。映画などで「臨兵闘者皆陳烈在前」(リン、ピョウ、トウ、シャ、カイ、ジン、レツ、ザイ、ゼン)と印を唱える時に描かれる「九字紋」に由来するとされる。

 

 

 セーマンとドーマン、そこに現れるの数は「5と9」である。いずれも奇数である。陰陽道では数にも陰と陽がある。奇数は陽で、偶数は陰。したがって、いずれも奇数であるセーマンとドーマンは、ともに「陽の図形」だということになる。だが、この「セーマン:五芒星」「ドーマン:九字」はあくまでも表の呪符であり、これに対する裏の陰の図形、すなわち「裏セーマン」と「裏ドーマン」とは何か。それは、いずれの数にも「1」をたせばいい。1を足して偶数にすればいいのだ。

 

 セーマンの五芒星に1を足すと「六芒星」となる。六芒星とは日本でいう「カゴメ紋」で、イスラエルでは「ダビデの星」として知られるユダヤ人のシンボルである。これが裏セーマンである。同様に、ドーマンの九字に1を足すと、横5本と縦5本の格子模様になると思われるかもすれないが、そうではない。一般的に、横5本と縦4本の真ん中に「丶」を打ち込むことで「十字」とするとされるが、それもまた表である。字をよく見て欲しい。十字とは、文字通り「十字」で、横1本と縦1本の十文字のこと。これは何を隠そう「十字架」である。世界の常識として、十字架はいうまでもなくキリスト教のシンボルにほかならない。まさにこれが「裏ドーマン」なのである。

 

籠神社の奥宮・真名井神社の六芒星と十字

 

 と、ここまでは、本連載でも、それ以外の連載でも何度も書いてきた。丹後一宮にして元伊勢・本伊勢「籠神社」の奥宮「真名井神社」の石碑には、かつて「六芒星」が刻まれたいたが、現在は無難な「三つ巴」となっている。「三つ巴」に変えさせたのは伊勢神宮であるが、ポイントはなぜ真名井神社に「六芒星」が刻まれていたのかという意味だ。奥宮が六芒星ということは、籠神社の裏社紋という意味で、籠神社の真の姿だということだ。つまり、裏陰陽道・迦波羅を操る宮ということである、それを行う鴨族であるということを示している。

 

 鴨族とは賀茂氏の中の賀茂氏であり、一般の神道儀式を執り行う祭司は「忌部氏」(いんべし)だが、賀茂氏は天皇祭祀を仕切る一族であり、神道の世界において、賀茂氏は別格なのである。そして、神道の祭祀を専門に行う賀茂氏のことを彼らは「鴨族」と呼ぶ。一般の人間と普通の会話をしている時い名乗ることはないが、自らの正統性を示す必要がある場合、彼らは必ず鴨族である証をする。そして、鴨族には他の神職にはない特別な使命をもつ。それはほかでもない、天皇陛下の守護である。いかなる状況においても、鴨族は天皇陛下のそばにおり、玉体をお守りするのである。

 

 かつて賀茂氏は「鴨祭り」を行っていたが、後に秦氏に婿入した賀茂氏は秦氏に「鴨祭り」を譲った。今日、鴨祭りを賀茂氏の禰宜(ねぎ)が行っているのはそのためである。ここで重要なのは秦氏と賀茂氏の関係である。祭りを一緒に行うだけならまだしも、婚姻関係を結ぶことでほとんど同族になっている。賀茂氏になった秦氏もいれば、秦氏になった賀茂氏もいる。賀茂氏の根幹は、今や秦氏なのである。しかも、秦氏の中の秦氏、最も呪術的な秘教集団なのである。

 

鴨都波神社夏祭り

 

  上賀茂神社の鴨族は京都御所の外陣を固め、下鴨神社の鴨族は御所の内陣を守る。単に警備をするだけでなく、下鴨神社の鴨族は、儀式はもちろん、食事や掃除、湯浴みに至るまで、天皇陛下の日常的なことを一手に引き受ける。まさに、天皇陛下に最も近い存在こそが鴨族なのである。だからこそ下上賀茂神社は神道界において最上格の神社なのである。さらに、天皇陛下の身に危険が及ぶような事態となれば、鴨族は秘密の抜け道を使って玉体を吉野へと逃がす。

 

 かつて「壬申の乱」の際、後に天武天皇となる「大海人皇子」が吉野に逃れたのも、鴨族の手引きがあったからである。同様に、南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に南朝の拠点を築いたのも、そこが鴨族の裏の本拠地だったからなのである。しかし、京都から吉野へ続く道はそこで終わりではない。鴨族が備えた道は、吉野からさらに熊野へと延びている。四国の「八十八箇所」に対して、紀伊半島には「九十九王子」がある。京都の伏見稲荷大社から熊野本宮大社まで続く道には「王子神社」が99か所ある。これを作ったのも鴨族である。

 

 

様々な「王子神社」

 

 いわゆる「熊野古道」と呼ばれる山道は「修験の道」として知られるが、古来より山伏や行者のことを「天狗」と呼んだ。天狗の風貌は赤ら顔に長い鼻、白いヒゲが特徴的だが、その配下には、鳥のクチバシと背中に翼をもった「烏天狗」がいるとされる。その姿は仏教でいう「伽留羅天」(かるらてん)のようだが、実は烏天狗こそ鴨族なのである。

 

 賀茂氏の祖である賀茂建角身命は別名を「八咫烏」といい、熊野で迷った神武天皇を先導して助けた。この八咫烏の思想が山の民であり修験者となった鴨族に受け継がれているのである。それゆえに「熊野本宮大社」と「熊野那智大社」と「熊野速玉大社」、すなわち「熊野三山」は、みな八咫烏をシンボルとして掲げているのである。ある意味、「修験道」を作ったのも鴨族だといっていい。実際、修験道の祖とされる「役小角」(えんのおずぬ)は、葛城を本拠とする「高賀茂氏」である。この「高」という字には「タカ=鷹」という祭司の暗号が込められているのである。

 

 

 裏セーマンは「六芒星」でユダヤ人のシンボル。裏ドーマンは十字架でキリスト教のシンボルである。ということは、両者を合わせると、ユダヤ人原始キリスト教徒を意味していることになるのだ。これは偶然ではない。ユダヤ人原始キリスト教徒である秦氏が巧みに仕掛けた迦波羅の暗号なのであり、これが陰陽道の奥義である。真言密教の高野山では最高機密儀式において必ず十字を切る。この意味は、弘法大師・空海が日本に持ち帰った「密教」の正体とはユダヤ教神秘主義カッバーラだったということである。そして「蘆屋道満」こと「秦道満」は、その名が示すように秦氏であった。

 

 では、安倍晴明の正体とは何か。熊野本宮大社まで続く「九十九王子」の出発点である京都の伏見稲荷大社を創建したのは「秦伊侶具」(はたのいろぐ)である。しかも、秦伊侶具はもと「賀茂伊侶具」といい、賀茂氏であった。安倍晴明を祀る大阪の「阿倍王子神社」は、その名から分かるように九十九王子のひとつである。もちろん「鴨族の神社」なのである。下鴨神社の関係者の話では、後世に伝わる安倍晴明の系図は偽作であり、本当の血統は天皇家につながる鴨族であるという!

 

 実はこの意味は非常に深い。安倍晴明の正体にはまだまだ多くの謎が秘されている。まさに「安倍晴明」という名前も、その存在も迦波羅の呪術で覆われていると考えねばならない。

 

 

<つづく>