J-POP呪術大戦:その9

 

「歌は世につれ世は歌につれ」。大和の言葉で奏でる歌は呪術である。よって、J-POPも呪術となる。そこには歌の呪術師、言葉と音の魔術師たちが存在する。

※本連載に登場する人物名は本物ですが、書かれている内容は筆者の妄想です(笑)。ファンの方は真剣に取り合わないでください。

 

 山下達郎「SPARKLE」

 

 

 

 「シティ・ポップ」という言葉がこの5年くらい世界を席巻し、世界の音楽ファンが40年以上前に作られた日本の音楽のレベルの高さに驚愕した。山下達郎が1982年に発売したアルバム『FOR YOU』、1981年3月21日にリリースされた大滝詠一の『A LONG VACATION』、1980年12月1日にリリースされた松任谷由実の『SURF&SNOW』という3枚のアルバムが「シティポップ」を完成させた3枚のアルバムである。最近はやたらと雑誌で「シティ・ポップ名盤100」なんていう特集がされるが、当時はまだ子供でリアルに体感していない世代の評論家が、想像やリイシューを聞いて選んでいたりするため、かなりトンチンカンなラインナップになっているので騙されないようにご注意願いたい。

 

 1970年代後半に「シティ・ポップス」「シティ・ミュージック」なる和製英語が作られ、この言葉を宣伝文句に使われた人達がいわゆるシティポップのアーティストたちだ。よって、そもそも「シティ・ポップ」という和製英語の言葉自体がもともとインチキなのである(笑)。それまでの自作自演のフォーク、ロック、ポップのうち、演奏やアレンジに凝った楽曲が「ニューミュージック」とカテゴライズされ、従来の楽曲との差別化が図られたが、その枠組みも新たな宣伝文句の登場とともに曖昧となった。そこで、「東京」に憧れをもつ地方出身者にオーディオ機材やラジカセ、清涼飲料水などを買わせるための広告的な立ち位置で作られたのが「シティ・ポップ」というカテゴリーである。

 

 「シティ・ポップ」の源流は、誰がなんと言おうと1975年のシュガー・ベイブのアルバム『SONGS』だ。全然売れなかったし、すぐにエレックレコードも倒産してしまったが(笑)。それまでのロック・バンド、ポップ系バンドとは、全く楽曲のベースが違っていた。自称音楽評論家たちはお仕事が減ってしまうために決して言わないが、この頃に活躍したポップ系バンドの多くは、ビートルズに影響を受けているのが分かりすぎたところがダサかった。さりげない隠し味ならいいのだが、世界で最もメジャーなバンドの影響がもろに出ていると、調理法が分かりやすすぎてカッコ悪く感じてしまったのである。

 

 山下達郎は日本の音楽業界一の「頑固者」である(笑)。「山下」という苗字からも分かるように、山の下に住んで、山に降りてくる神を拝んだ物部氏の末裔だからだ。シュガー・ベイブの『SONGS』を聴けば分かる。分かる人だけ分かればいいんだという意志が明確に表れている(笑)。さらに、『SONGS』より前、1972年、山下達郎が19才の時に友人たちと作った限定100枚の自主制作アルバム『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』を聴けば、結局、この人が何がやりたかった人なのかがはっきりと分かる。

 

 

 ショボい音のアルバムだが、Side Aは、ビーチ・ボーイズのカヴァー、Side Bはドゥー・ワップやロックンロールのカヴァーなどが収録されている。もう、「ビートルズは聴いていたけどビートルズはやらないよ」と最初からひねくれていたことがよく分かる(笑)。もう頑固一筋50年である。今年、2024年最新リマスター&ヴァイナル・カッティングに加え、山下達郎本人によるライナーが収録されたリイシューが発売され、なんとオリコン9位になった!さすがに笑った。だが、近所のレコードショップでこの件を話したら、「いやいや、オリジナル盤はメルカリで160万円ですよ!」と言われて驚愕した。

 

 山下達郎のファンは頭がおかしいのである。これは物部氏の呪術である(笑)。なんで1972年の自主制作盤がオリコンチャートに3週連続でチャートインしてしまうのか。それは、頑固者の山下達郎は「音楽配信」をやらないからだ。死ぬまでやらないと公言しているのはこの人だけだ。もはやアンモナイトの化石みたいな状態になっている(笑)。だが、山下達郎を教祖と仰ぐファンの人達にとって、これこそが「信頼と安心の山下達郎じるし」なのである!筆者も含め、決して時流に流されないこの頑固一徹な姿勢を信じ、それを愛しているのである。

 

 シュガー・ベイブの『SONGS』を起点とし、その後に活躍した大瀧詠一、山下達郎、荒井由実(松任谷由実)、吉田美奈子、竹内まりや、大貫妙子、南佳孝あたりが「シティ・ポップ」の基盤を作り上げていった人達で、それ以外はほぼフォロワーでしかない。シュガー・ベイブに限らず、シティ・ポップの主要アーティストはほとんどが東京出身者もしくは東京を拠点に活動したアーティストたちだった。「シティ」とは「東京」という幻想であり、広告都市的な消費の街というフィクションなのである。お洒落(そう)なライフスタイルや都会(的)の風景、都市生活者ならではの孤独感や哀愁を、美しいメロディと洒落たコードに乗せて、極上のフィクションとして見事にカタチにしたのがシティ・ポップだったのである。

 

 

 「SPARKLE」は、1982年1月21日に発売されたアルバム『FOR YOU』の収録曲である。このレコードに初めて針を落としたときの衝撃は今も忘れない。もう、異次元の音で、当時発売された日本のミュージシャンのアルバムで、このアルバムに敵うものはなかった。この時のインパクトを超える作品は、未だに出会ったことがない。

 

 1981年の12月末に中野サンプラザで行われたライブで、この曲が1曲目に演奏された。まだアルバムが発売されていなかったため、ファンは皆さん口をポカンと開けて、「これ、なんの曲?」という感じだった(笑)。その話しを先日、元スマイルカンパニーの人に話したら知らなかった。おいおいという感じだが仕方ない。マネジメントといえど、アーティストのファンとは限らないからだ。

 

 この話しも書いたかもしれないが、今から15年くらい前のツアーだったと思うが、1曲目の「SPARKLE」で、初めて山下達郎が音を外した。会場にいたファンは別に気にしていなかったのだが、なんとアンコールでまた「SPARKLE」を演ったのだ(笑)。会場にいたファンは「えっ、えっ、え〜〜〜〜っ!」と呆気にとられた感じだった。ツアー終了後にキーボードをやっていた難波弘之さんと話す機会があり、「なんでタツローさんはもう1回やってんです?」と尋ねたところ、「音を外したのが気に入らなかったみたい」と言っていた。バックミュージシャンたちも、もう1回演ると言い出した山下達郎を止めようとしたらしいが、ダメだったという。難波さんいわく、「頑固者だからね」だった(笑)。

 

 この頑固な姿勢、自分を許さないプロとしての態度こそが「信頼と安心の山下達郎じるしの証」なのである!これぞ物部氏の末裔が作るポップなカタチをした呪術なのである。もちろん、山下達郎は圧巻のコーラスワークという比類なき呪術を使えるため、それがタツローじるしになってはいるが、そのオリジナリティーも含めて「黄金のワンパターン」の安心ブランドなのである。

 

 

 

 山下達郎はマクセルのカセットテープのCM「RIDE ON TIME」のヒットで一躍世に知られる存在となった。非常に分かりやすいのは、このCMの最後のキャッチコピーは珠玉である。

 

 「いい音しか残れない」

 

 いい音だけをカタチにしてきた人だけが50年の月日に耐えられるということを証明している。今年のツアーはチケットが当たらない。もう全然ダメだ(笑)。それにしても71歳のジジイが、現役で全国ツアーをやっている時点で素晴らしいが、相変わらず楽曲制作、レコーディング、ラジオ、ライブで、全く休まない。これぞ日本人ミュージシャンの鏡である。日本人はひたすら働かないとダメなのである。すぐに休むやつはダメだ。休みグセがついている。もっと働け。「スランプで曲が書けない」などと言っているミュージシャンは2流である。 働いて働いて、働きまくった先に「真理」はある。それを見つけられないで消えるミュージシャンがほとんどだ。頑固に徹底してこそ手に入るものがあるのである。

 

 いやはや暑い。溶けそうだ。暑中御見舞い申し上げます。