「怨霊と呪術」その3
「オカルティズム」と呼びうるものは古代より連綿と継承されてきたものだ。近代西欧社会において、キリスト教会が目の敵にしていた「科学的思考」の伝播と「工業化」が普及することへのカウンターカルチャー的な存在として、「心霊主義」や「幻想文学」と呼ばれるジャンルの考え方や文学表現が登場した。
そして、19世紀に入ると、半分オカルティズムだが半分は科学の範疇といえる「催眠術」や「動物磁気」の研究が医学者や物理学者によって実践され始めた。そして、20世紀にはこの延長線上に「心霊」「降霊術」「超能力」「精神世界」が台頭し、70年以降のアメリカを中心にした「ニューエイジ」「UFO」「宇宙人」「UMA」などの分野が加わり、これらを総称して日本では「オカルト」と呼ばれることになる。
◆「スピリチャリズム」と日本の「スピリチャル」
「心霊主義」は、スピリチュアリズム、スピリティズムの和訳のひとつで、人は肉体と霊魂からなり、肉体が消滅しても霊魂は存在し、現世の人間が死者の霊(霊魂)と交信できるとする思想、信仰、人生哲学、実践であり、日本では心霊術、交霊術、心霊論、降神説などとも訳される。
イギリスで行われていた降霊術の写真
この霊魂の死後存続や死者との交流という信仰は世界中に見られるが、心霊主義(スピリチュアリズム)という言葉は、19世紀半ばにアメリカで始まったものを指すことが多い。死後の世界との交信や超能力のパフォーマンスを焦点とする「宗教運動」とも理解されている。霊魂との交信は「交霊会(降霊会)」と呼ばれ、霊媒が仲立ちとなることが多い。近代の心霊主義は19世紀後半に全盛期を迎えた。
最近の「月刊ムー」には載らなくなったが、昔のオカルト雑誌や心霊写真集的な本には、必ずと言っていいほど「交霊会(降霊会)」とされる写真が載っていた。イギリスやアメリカで行われていたであろうとされる写真には、少々インチキ臭い「幽霊」の写真が載っていたものだ。さらに「エクトプラズム」と題した写真には、人間の鼻や口から霊体が飛び出す写真が多かった。
「心霊主義」は、現在では主に、ヨーロッパ大陸とラテンアメリカで見られ、特にブラジルで盛んである。19世紀半ばにフランス人アラン・カルデックが体系化し、「輪廻転生」と「霊魂の進化」を教義に取り入れた心霊主義の一派「カルデシズム」はブラジルに伝えられ、モーセ、キリストに次ぐ第三の啓示として受け入れられ、20世紀初頭には、ブラジルはフランスを遥かにしのいで世界に冠たる心霊主義の国になっている。
ブラジルの宗教は、カトリック、カルデシズムの他に、アフリカのヨルバ族の信仰とカトリックが結びついたカンドンブレがある。ラテンアメリカやカリブでは、心霊主義はエスピリティズモとよばれるが、近代心霊主義にアメリカ大陸の先住民やアフリカ人の祖先崇拝・トランスといった伝統が結びついて体系化されたもので、カルデシズムはこれに含まれる。20世紀前半にブラジルで生まれた、カンドンブレにカルデシズム、カトリック等を取り入れたアフリカ色の濃い心霊主義的習合宗教は、ウンバンダと呼ばれ、これも広く信仰されている。
ウンバンダの祭壇
ブラジルは日本から見るとカトリック教徒が多い国に見える。そして南米には「聖母マリア」への信仰が強い国が多いのもカトリックの影響だ。一方、日本からの移民が多いブラジルは、天理教、世界救世教といった日本の新宗教の布教が世界で一番成功している国でもある。実はカルデシズムとこれら日本の新宗教は教義における共通点が多く、ブラジルの人々に親しみやすかったが、これは偶然ではなく、共に近代心霊主義の影響を受けているためである。
心霊主義の流れは世界中をめぐって1920年代(大正9年頃)に日本にも到達、新宗教へ大きな影響を与えた。当時伝来した交霊術のひとつ「テーブル・ターニング(Table-turning)」がアレンジされ、「コックリさん」(狐狗狸さん)として広まり、子供を中心に様々な形態の交霊術が生み出された。コックリさんで発生する机に乗せた人の手がひとりでに動く現象は「心霊現象」だと古くから信じられていた。科学的には意識に関係なく体が動くオートマティスムの一種と見られている。
日本では通常、「狐の霊」を呼び出す行為(降霊術)と信じられており、そのため「狐狗狸さん」の字が当てられる。机の上に「はい、いいえ、鳥居、男、女、0〜9(できれば漢字で書いた方が良い)までの数字、五十音表」を記入した紙を置き、その紙の上に硬貨(主に五円硬貨もしくは十円硬貨)を置いて参加者全員の人差し指を添えていく。全員が力を抜いて「コックリさん、コックリさん、おいでください。」と呼びかけると硬貨が動く。コックリさんと呼ばず“エンジェルさん”などと呼びかえるバリエーションも存在する[6]。エンジェルさんの場合鳥居ではなくキューピッドを書く事で同じ効果があると言われている。
筆者の友人たちも小学生の時に放課後にやっていたが、「コックリさん」がなかなか帰ってくれず、挙げ句に「あげよこせ」と指が動いて指示を出されたが、面倒くさくなった友人が「もうやめた」と言って紙を破いた瞬間に燃えるという怪事件が起きた。もちろん翌日には皆が知る事件となった。そいつの前髪が燃えてしまったからだ。よって、その日から学校では「コックリさん禁止令」なるものが出された。これが狐の霊の仕業だったのかどうかは分からないが、みな「触らぬ神に祟りなし」となったことだけは覚えている。
日本で「コックリさん」と呼ばれるようになったものは、19世紀末から流行したものだが、これは「ウィジャボード」という名前の製品が発売されたりした海外での流行と同時期で、外国船員を通して伝わったという話がある。だが、果たしてそうなのだろうか。なにせその名は「狐狗狸」である。「狐」といえば伏見稲荷で、最も多い神社は「お稲荷さん」だ。「狗」は天狗で、鞍馬天狗といえば「八咫烏」である。さらに「狸」も「狐」も”化ける”存在である。そこには確実に陰陽道が関わっている。
「テーブル・ターニング」
「コックリさん」の起源は明確ではないが、かのレオナルド・ダ・ヴィンチが自著において「テーブル・ターニング」と同種の現象に言及している。よって、15世紀のヨーロッパでは既に行われていたとも推測される。「テーブル・ターニング」は、数人がテーブルを囲み、手を乗せると、やがてテーブルがひとりでに傾いたり、移動したりする。出席者の中の霊能力がある人を霊媒として、あの世の霊の意志が表明されると考えられた。また、霊の働きでアルファベットなどを記した板の文字を指差すことにより、霊との会話を行うという試みがなされたのが「テーブル・ターニング」だ。
日本においては、1884年に伊豆半島下田沖に漂着したアメリカの船員が自国で大流行していたテーブル・ターニングを住民に見せたことをきっかけに、各地の港経由で日本でも流行するようになったという。本当なのかと疑いたくなる部分もあるが、なにせ伊豆は陰陽道の宗家である賀茂氏の土地である。偶然とは言いづらい。もし、海外から入ってきたものを賀茂氏がアレンジしたのなら筋が通る。「おキツネさん」の総本山「伏見稲荷大社」を創建したのは秦伊侶具(はたのいろぐ)だが、秦伊侶具の本名は「賀茂」だからだ。
伏見稲荷大社のキツネ
この類の板を指す現代の語「ウィジャボード」は元々は1880年代頃に発売された製品の商標に由来し、その発売時期とほぼ同じ頃である。当時の日本にはテーブルが普及していなかったので、代わりに「お櫃」(ひつ)を3本の竹で支える形のものを作って行なったとされている。お櫃を用いた机が「こっくり、こっくりと傾く」様子から“こっくり”や“こっくりさん”と呼ぶようになり、やがて“こっくり”に「狐:きつね」、「狗:いぬ」、「狸:たぬき」の文字を当て「狐狗狸」と書くようになったという。非常に怪しい。
「櫃:ひつ」を3本の竹で支える形のものを使ったという点が非常に象徴的である。3本の竹で作った脚というのは天界の三神の象徴であり、かの大預言者ミシェル・ノストラダムスも預言をする際には3本脚のテーブルで行っていたからだ。さらに「竹」は原始キリスト教の象徴であり、「櫃」とは”ひつぎ”のことで、棺桶。イエス・キリストの遺骸を入れた「柩」でもあり、「契約の聖櫃アーク」の象徴でもある。いったい「コックリさん」というのは何の呪術だったのだろうか。なにせ日本では子供の遊び道具でもあったからだ。
今では当たり前のように使われている日本語の「守護霊」「地縛霊」といった言葉・概念も新しいもので、ヨーロッパの心霊主義に由来するといわれる。日本では、浅野和三郎が心霊科学研究会を1923年に設立し、日本神霊主義(日本スピリチュアリズム)を生み、欧米の心霊研究が日本へ本格的に紹介され始めた。この流れは脈々と現代にまで受け継がれていった。そして、イギリスで心霊主義を学んだ江原啓之が、心霊主義に現代のセラピー文化を取り入れて現代風にアレンジ、「スピリチュアル」という言葉を用いた。ここから日本中に「スピリチャル」という言葉が一気に広まることとなる。
2000年代中盤、江原が一躍メディアの寵児となり「スピリチュアル・ブーム」が起こったため、現代日本では、スピリチュアルという言葉は心霊主義を含むものとしても普及している。なお、「心霊主義:スピリチュアリズム」は、霊性や宗教性、精神性、精神世界と訳される「スピリチュアリティ」とは異なる概念である。しかし、日本では心霊主義同様、スピリチュアリティもスピリチュアルと呼ばれることが多く、その中には全国の神社をパワースポットとして巡ることまで含まれている。
<つづく>