「大和と日本」の謎:その53

 

  天台宗の神仏習合の教え「山王一実神道」(さんのういちじつしんとう)を説いたのは「南光坊天海」である。「天海」という名前にもあるように、弘法大師「空海」を意識した名前である。なぜかといえば、「山王一実神道」の根幹にあるのは「三諦即一」(さんたいそくいつ)という思想で、「三諦」とは仮諦(けたい)・空諦(くうたい)・中諦(ちゅうたい)のことで、山王権現は大日如来であると同時に天照大神であると説く「カッバーラ」だからである。空海の真言宗も天海の天台宗も「密教」であり、その本質はカッバーラだからである。

 

天台宗の「三諦章」

 

 徳川家康も天海も神道呪術の根幹を担う「賀茂氏」であったが、徳川家康は賀茂神社の賀茂氏で、出自を知る賀茂神社の関係者は皆殺しにされたという。だが、賀茂氏はみな呪術師である。神道祭祀の根幹を担う一族である。要はみな陰陽師なのだ。「先読み」もできるはずだ。もし、家康が狙っているというのが分かっていれば、むざむざを殺されたりするだろうか。ここはあくまでも想像でしかないが、家康は思念を封じていたのではないだろうか。そうでなければ気づかれるはずだ。なにせこの戦いは賀茂氏 vs 賀茂氏の戦いなのである。陰陽師 vs 陰陽師の呪術戦争でもあったのである。つまり、家康もまた陰陽師だったのである。

 

 だが、歴史的にみれば、家康が天下を獲った時期は、陰陽道の宗家「賀茂氏」は一番弱っていた時期である。秀吉による陰陽師大量弾圧によって、平安朝以来の宮廷陰陽道は完全にその実態を失っていたのである。そして、家康と天海は、江戸に幕府を開いた後、呪術的に守るため、京都から陰陽師を呼んで結界を張らせ、陰陽家2家(賀茂氏・安倍氏)を活用して諸国の民間陰陽師支配をさせようとした。つまり、陰陽師を支配したのである。これは陰陽師の呪詛を受けないためであり、さらに力の弱った偽天皇家の京都から力を奪うための策謀であり、東国である「日本」による「大和」支配なのである!

 

 

 

 東日本の物部氏・外物部氏たちは、自らの復権をかけて、桓武天皇の曾孫である平将門を新皇として即位させた。だが、それは非常に短い期間で終焉を迎えてしまった。だが、坂東には将門の怨念が強く残っていた。その怨念の力を江戸と徳川の発展に利用したのが天海だった。天海は八咫烏だったが、仏教系八咫烏の組織「飛鳥」の一羽だった。だからこそ徳川幕府は神道より仏教に重きを置いたのである。つまり、江戸時代は仏教系八咫烏が神道系八咫烏を抑え込んでいた時代ということなのである。

 

 

◆裏陰陽道祭祀一族はなぜ「鴨族」というのか

 

 秦氏と並んで賀茂氏は代々、優秀な陰陽師を輩出してきた。朝廷における陰陽寮のトップである「陰陽頭」(いんようのかみ)のひとりに「賀茂忠行」(かものただゆき)がおり、その愛弟子が大陰陽師「安倍晴明」である。賀茂忠行は安倍晴明に「天文道」を授け、息子である賀茂保憲(かものやすのり)には「暦道」を授けた。賀茂氏は祭祀一族であり、神道祭祀一族の根幹には「忌部氏」(いんべし)がいるが、忌部氏はレビ人である。

 

 歴史的に見ると、大和朝廷成立して間もない頃は忌部氏が秦氏を使っていた。立場は逆だったのである。だが、秦氏=原始キリスト教による物部氏系神社の乗っ取りによって、徐々に秦氏が大和朝廷を支配。中央から物部氏を排除し、秦氏一族による朝廷支配を確立させた。中でも秦氏の大預言者であった中臣鎌足とその子・不比等から始まる「藤原氏」によって、政治的にも呪術的にも物部氏は長く封印されてしまった。

 

藤原鎌足・不比等親子

 

 賀茂氏は忌部氏の中の忌部氏で、レビ人の中でも大祭司コーヘン・ハ・ガドールの一族である。大祭司を担う賀茂氏は自らを「鴨族」と称すが、鴨族にはモーセ系大祭司である「武内宿禰」(たけのうちのすくね)と、異母兄のアロン系大祭司である「倭宿禰」(やまとのすくね)がいる。武内宿禰が秦氏であり、倭宿禰が海部氏(物部氏)である。これは創造神ヤハウェが決めたことであり、神殿の祭祀を行う大祭司、つまり「契約の聖櫃アーク」を触るのはアロンとモーセの末裔以外はやってはならないとしたからだ。

 

 鴨族はカッバーラの使い手であり、呪術師である。陰陽師であるが、裏の「迦波羅=カバラ=カッバーラ」の使い手「漢波羅」である。その秘密組織「八咫烏」とは、賀茂氏の祖である「賀茂建角身命」(かもたけつぬみこと)の別名で、東アジアの神話体系では、太陽の中に住む三本足の烏「金烏」(きんう)として知られる。記紀神話の中で、八咫烏は道に迷った神武天皇を先導し、最後には光り輝く鳶(とび)の「金鵄」(きんし)となって弓矢の先に降臨。これにより神武天皇は長髄彦の軍勢を破り大和を平定する。金鵄とは「金鴉」であり「金烏」なのだ。

 

 八咫烏は全部で70羽いる。彼らの別名は「烏天狗」。その上に12羽の「十二烏」がおり、その別名は「大烏」である。さらに十二烏のうち上位の3羽が「三羽烏」で、特別に「金鵄」の称号をもち、金鵄は3羽で1羽の「裏天皇」を構成する。令和の世にあって、表の天皇に対して、裏天皇が漢波羅の儀式を執り行っている。

 

 

 単純な疑問がある。なぜ、賀茂氏の中の賀茂氏である大祭司を担う賀茂氏は自らを「鴨族」と称すのか、ということだ。もちろん「鳥」の称号は祭祀支族の暗号である。さらなる裏側にいるのは「カラス:烏」なのに、なんで表は「カモ:鴨」なのか。その答えは「鴨」という字にある。「鴨」は「甲+鳥」で、甲は「きのえ」で十干の第一位。五行(ごぎょう)で「木」に配する。

 

 さらに調べると、「きのえ」とは「木の兄の意味」とある。木とは神を表す。つまり神の兄だと言っている。だが、神に兄はいない。つまり、モーセの兄アロンの象徴なのである。そして「甲」は「甲羅」とも書くように、「こうら、亀のこうら、殻(から)」を意味する。亀の甲羅「亀甲」を紋とするのは物部氏の祭祀支族である。なんで亀の甲羅が十干の第一位になったのかといえば、「甲羅のような堅い殻に覆われた種の状態の意味」から、十干の第一位に 割り当てられたという。つまり頑な人々のことで、原始キリスト教になかなか改宗しなかった物部氏を意味しているからだ。

 が、ここで終わりではない。なにせ裏神道祭祀の頂点にいる一族である。この意味は深い。なぜ「鴨」とした理由は、『旧約聖書』の「出エジプト記」を起源とする。モーセの兄アロンは、モーセが絶対神ヤハウェからシナイ山で「十戒」を授かっている時、40日間もシナイ山から降りてこないモーセはもはや戻ってこないと勝手に思い込んだイスラエル人たちから、別の神々の像を鋳造するように願われ、なんとそれを受けてしまった。少々長いが、下記の該当箇所をよく読んでみて欲しい。


 モーセが山からなかなか下りて来ないのを見て、民がアロンのもとに集まって来て、「さあ、我々に先立って進む神々を造ってください。エジプトの国から我々を導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです」と言うと、 アロンは彼らに言った。「あなたたちの妻、息子、娘らが着けている金の耳輪をはずし、わたしのところに持って来なさい。」 民は全員、着けていた金の耳輪をはずし、アロンのところに持って来た。 彼はそれを受け取ると、のみで型を作り、若い雄牛の鋳像を造った。すると彼らは、「イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ」と言った。 アロンはこれを見て、その前に祭壇を築き、「明日、主の祭りを行う」と宣言した。 彼らは次の朝早く起き、焼き尽くす献げ物をささげ、和解の献げ物を供えた。民は座って飲み食いし、立っては戯れた
 

 主はモーセに仰せになった。「直ちに下山せよ。あなたがエジプトの国から導き上った民は堕落し、 早くもわたしが命じた道からそれて、若い雄牛の鋳像を造り、それにひれ伏し、いけにえをささげて、『イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上った神々だ』と叫んでいる。」 主は更に、モーセに言われた。「わたしはこの民を見てきたが、実にかたくなな民である。 今は、わたしを引き止めるな。わたしの怒りは彼らに対して燃え上がっている。わたしは彼らを滅ぼし尽くし、あなたを大いなる民とする。」 (「出エジプト記」第32章1-10節)

 

 

 アロンはイスラエル民族に偶像崇拝をさせるための「像」を作ってしまったのである。それも「黄金の若い雄牛の像」を造ってしまったのである。雄牛とは角のある神で、バアル神=サタンの像なのである。それをイスラエル人たちはこれこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ」として崇め、さらにアロンは「明日、主の祭りを行う」と宣言までしてしまう。これに創造神ヤハウェは激怒する。そして、「わたしは彼らを滅ぼし尽くし、あなたを大いなる民とする」とモーセに命令したのである。

 

 つまり、創造神ヤハウェはアロンとイスラエル人たちを皆殺しにするはずだったのである!!! だが、ここでモーセはヤハウェをたしなめて、ヤハウェもそれを受け入れる。つまり、兄アロンはモーセが創造神ヤハウェをたしなめたから救われたのである。よって、生涯に渡って借りができたのである。もはや兄だろうと、モーセには一生頭が上がらなくなったのだ。もし、再びモーセに逆らおうとしたら、必ずヤハウェに滅ぼされることになるからだ。その関係が今も続いているのである!

 

 なんで物部氏系の鴨族、八咫烏が秦氏系の天皇を守護し続けるのは、この故事があるからなのである。命にかけてモーセの末裔を護らねばならないのだ。ここに奥義が示される。なぜ「甲」が十干の第一位に 割り当てられたのかといえば、それはアロンの末裔の大祭司「鴨族」=物部氏系大祭司は、二度と「十戒」の第一番目の掟「汝は私の他に、何者をも神としてはならない」を裏切るな、と言っているのだ。そして、それを誓って守れる者だけが「鴨族」になれるということなのだ!!

 

 第1戒「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」
 第2戒「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。」
 第3戒「あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。」
 第4戒「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」
 第5戒「あなたの父と母を敬え。」
 第6戒「殺してはならない。」
 第7戒「姦淫してはならない。」
 第8戒「盗んではならない。」
 第9戒「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。」
 第10戒「あなたの隣人の家を欲しがってはならない。」

 

 モーセが「十戒」を授かっている際、第1戒と第2戒を破り、「民は座って飲み食いし、立っては戯れた」とあるように第7戒も同時に破っている。イスラエル人たちを擁護するつもりはないが、なにせ彼らは、この時点では「十戒」の存在をまだ知らないのだ。まぁ仕方ないじゃないか、と言ってあげたいが、それは無理である。なにせ自分たちを奴隷から解放してくれたモーセも創造神ヤハウェのことも信用していないからだ。つまり「信じれる心を持ち続けられる者」以外は滅ぼされるという教訓を与えていることとなる。ヤハウェは「試した」のである。

 

 だが、モーセには「わたしは彼らを滅ぼし尽くし、あなたを大いなる民とする」と言っている。つまり、モーセの末裔は「王家」にするが、他の民は何かあればいつでも滅ぼすと言っていることになる。だからこそ鴨族はモーセの末裔の秦氏の天皇には頭が上がらないのであるが、さらにもう一つ。鴨族=アロンの末裔の大祭司が、モーセ直系の大祭司に頭が上がらない点がある。それは、彼らは「裏十戒」の内容を知らないのである。

 

 モーセが身を翻して山を下るとき、二枚の掟の板が彼の手にあり、板には文字が書かれていた。その両面に、表にも裏にも文字が書かれていた。 その板は神御自身が作られ、筆跡も神御自身のものであり、板に彫り刻まれていた。(「出エジプト記」第32章15-16節)

 

 

 この両面に神自身が書き記した「十戒の石版」は、モーセの怒りによって、粉々に砕かれた。よって、裏に書かれた文字「裏十戒」の内容を知っていたのはモーセのみである。この内容は一切不明である。つまり、奥義を知っているのはモーセ直系の末裔、もしくはモーセのみである。だからこそ鴨族は頭が上がらないのである。しかし、この「裏十戒」の内容を知っていたのは、モーセの末裔以外にもいたはずだ。そうでないと、仮にて秦氏の天皇が奥義を継承する前になくなったり、後継者が続かなくなった時に、その内容は永遠の秘密になってしまうからである。

 

 では、だれが継承してしたのだろうか。それは八咫烏の首領の三羽烏「金鵄」である!「金鵄」は3人で「裏天皇」なのである。表の天皇に何があろうと、彼らが呪術を継承してきたのだ。「裏」の意味には裏十戒を継承してきたことが示唆されている。だからこそ、彼らが裏天皇としてこの国を呪術で支配してこれたのである。さらに金鵄は金色の「鵄」である。「し・とび」と読むこの字は、「至+鳥」と書いてある。つまり「鳥=イエス・キリスト=ヤハウェ」が与えし奥義に至ったと言っているのである。つまり、たとえ70羽の八咫烏がいようとも、裏十戒という奥義に触れることを許されるのは3人だけということなのである。

 

 ここからは筆者の想像だが、3人の「金鵄」のうち、2人は秦氏系で、残り一人が物部系のはずである。それは、伊勢両宮を秦氏が仕切っているのに対し、伊勢本宮「伊雑宮」は、未だ封印されているからだ。それは物部氏が封印されていることと同じなのである。つまり、二人の秦氏系八咫烏の「金鵄」が奥義を継承しているということなのである。「十戒の石版」は2枚で1組である。2名の秦氏系八咫烏が、それぞれ5つの「裏十戒」の内容を継承しているということである!!!

 

 

<つづく>