「大和と日本」の謎:その50

 「平将門」は太宰府(だざいふ)で無念の死を遂げた「菅原道真」(すがわらみちざね)や、讃岐(さぬき)に流されて亡くなった「崇徳天皇」(すとくてんのう)と共に「日本三大怨霊」に挙げられている。平将門は、平安時代中期の関東の豪族で、平氏の姓を授けられた高望王の三男平良将の子である。現在の千葉県北部と茨城県南西部および埼玉県東部にまたがる「下総国」(しもうさのくに)と、現在の茨城県の南西部を除いた地域にあたる「常陸国」に広がった平氏一族の抗争の際に国府を襲撃して印鑰を奪い、京都の「朱雀天皇」に対抗して「新皇」(しんのう)を自称、東国の独立を標榜したことにより朝敵とされた人物である。

 

 

「新皇」としての将門による関東支配はわずか数ヶ月にすぎなかったが、勇猛果敢な人物の反面、多くの人々から信望を集めた人格者でもあり、中央派遣の受領を放逐したその行動や平安京の堕落した国政に自ら「新皇」を名乗って反抗したため、東国の民衆の共感をよび、将門を英雄として仰ぐ気風が強まる。関東一円を手中に収めた将門に、八幡神と菅原道真の霊の神託が降ったことにより「新皇」を自称するようになり、独自に除目を行い岩井(現在の茨城県坂東市)に政庁を置く。

 

 しかし「新皇」を称したことで「朝敵」にされ、瀬戸内海で藤原純友が起こした乱と共に「承平天慶の乱」(じょうへいてんぎょうのらん)で、藤原秀郷(俵藤太)や平貞盛らによって討伐されてしまう。即位後わずか2か月たらずのことであった。まぁ、ここまでは一般的な話である。伝説では将門が騎馬の先頭に立って敵をなぎ倒す際、いつも背後から「神風が吹いた」とされたが、討伐された日だけは風が逆風の突風となり、その隙に乗じて放たれた矢が将門の頭部を貫通して絶命したという。討ち取られた将門の首は平安京まで運ばれ、東ノ市の「都大路」で晒されたが、そこは鴨川の三条~六条河原で、今では「京都神田明神」の祠が鎮座している。

 

  

「京都神田明神」

 

 ほとんど知られていないが、将門の躰(体)から名付けられた神社が東京の「神田明神」(かんだみょうじん)である。神田の字を当てるのは、実は「伊勢神宮」の領地である「神宮の田地」を意味する「神田」からで、さらに「カラダ」はユダヤ密教「カッバーラ」のことで、言語学においては母音を取るため「カラダ」は「カバラ」に変異し、そのカバラもアダムが背を向けた姿の人形(ひとがた)の「アダム・カドモン」の体を表すため、将門はそれだけの血筋の人間だったことになる。「神田明神」とは「カラダ明神」なのである。

 

 平将門は「平安遷都」を行った桓武天皇のひ孫にあたり、平清盛らと同じ「桓武平氏」であった。桓武天皇の血統で、なおかつ「伊勢神宮」の領地を預る立場でもあったため、カッバーラに精通した陰陽師が常に付き従っていたことは間違いないのである。当時、天皇家は秦氏であったため、必ず物部氏から后(きさき)を迎える風習があり、その後の将門の血に物部氏の血が濃く入っていたことになる。そのことを表すのが将門の本拠地である茨城県の牛久市に横たわる「牛久沼」である。

 

カッパだらけの牛久沼

 

  「牛久沼」は、「河童が牛を喰う沼」の意味とされ、河童(カッパ)は裏陰陽師の「漢波羅」(カンパラ)、つまり「カッバーラ」から由来している。牛久沼の畔で神官が牛を「燔祭」(はんさい)に捧げたことは間違いなく、牛久沼の近くに『旧約聖書』でアブラハムが「生贄」(いけにえ)に使った「モリヤ」と同名の守谷市(もりやし)が鎮座する。

 

◆「平将門」の怨霊封じと「北斗七星魔方陣」

 

 1985年(昭和60年)から発表された荒俣宏の小説デビュー作が『帝都物語』である。1987年(昭和62年)の第8回日本SF大賞を受賞し、1988年(昭和63年)には映画化された『帝都物語』は、平将門の怨霊により帝都破壊を目論む魔人・加藤保憲とその野望を阻止すべく立ち向う人々との攻防を描いたものであった。内容は明治末期から昭和73年まで約100年に亘る壮大な物語で、史実や実在の人物が物語に絡んでいるのが面白かった。荒俣宏が蓄積した博物学や神秘学の知識を総動員しており、風水を本格的に扱ったおそらくは日本最初の小説と言われるものだ。陰陽道、風水、奇門遁甲などの用語を定着させた作品でもあるという意味では、現代の呪術アニメにも大きな影響を与えていると思う。

 

 主人公の魔神・加藤保憲は帝都に眠れる平将門の怨霊を目覚めさせ、東京の壊滅を目論む。平将門は江戸の鎮護であると同時に、恐るべき力を秘めた御霊(おんりょう)である。この小説では、関東大震災はむやみに都市開発を進めることに怒った平将門の怨念が引き起こしたという設定である。 怨霊を祀ることで「結界を張る」ことは、神道ではよくある呪術だ。

 

 

 魔神・加藤保憲は明治40年から帝都崩壊をもくろんできた怪人の陸軍少尉という設定で、帝都に怨霊を換び、古来最も恐れられた呪殺の秘法「蠱術」(こじゅつ)を使う。「蠱術」とは「蠱毒」(こどく)、「蠱道」(こどう)、「巫蠱」(ふこ)などと呼ばれる古代中国において用いられた呪術とされる。動物を使う呪術で、中国・華南(かなん)の少数民族の間で受け継がれている。問題は「カナン」である。ここには古代中国に移動してきたカナン人の末裔がおり、その中に悪魔を呼び出す呪術師がいるのだ。その意味でも主人公の加藤が「蠱毒」の呪術を使うといいのは非常に興味深い設定である。

 

 荒俣宏氏の博識なので、いろんな呪術的な要素が登場する。加藤は「蠱毒」の呪術以外に、陰陽道、奇門遁甲にも通じ、目に見えぬ鬼神「式神」をあやつるという設定になっているのだ。「「蠱毒」」は犬を使用した呪術「犬神」猫を使用した呪術「猫鬼」などと並ぶ、動物を使った呪術である。代表的な術式としては「ヘビ、ムカデ、ゲジ、カエルなどの百虫を同じ容器で飼育し、互いに喰らわせ、勝ち残ったものが神霊となるためこれを祀る。この毒を採取して飲食物に混ぜ、人に害を加えたり、思い通りに福を得たり、富貴を図ったりする。人がこの毒に当たると、症状はさまざまであるが、一定期間のうちにその人は大抵死ぬ」と記載されている。

 

中国のカナンの地で今も行われている「蠱毒」

 

 これぞカナン人の祖・カインが始めた弱肉強食であり、共食い=人食いの名残りで、だからこそ現在も悪魔崇拝者たちは子供を生贄にし、その血を飲んだりその肉を喰らったりするのである。中国には現在も人肉食が残るのもカナン人の末裔がいるからなのである。話しがそれたが、こうした様々な呪術には必ず光と闇がある。闇の呪術師は古来より日本では秦氏の呪術師たちによって必ず滅ぼされてきた。そこにも「大和 vs 日本」の戦いがあるのだ。

 

 作家の加門七海氏は著書『平将門魔方陣』において、首塚を含めて平将門に関係する神社を結ぶと、北斗七星の形になるとした。具体的には、首が超えた①鳥越神社、将門の兜を埋めた②兜神社、首を埋めた③首塚、将門を祀る④神田明神、首を祀った⑤筑土八幡神社、調伏を行った⑥水稲荷神社、鎧を埋めた⑦鎧神社である。

 

 

 北斗七星は北極星と合わせて「妙見」と呼ばれ、妙見信仰の対象である。将門は妙見菩薩の加護によって戦いに臨んで勝利を収めた。一族の末裔である千葉氏が祀る千葉神社は、今でも妙見菩薩を「北辰妙見尊星王」(ほくしんみょうけんそんじょうおう)として祀っており、千葉大学のキャンパスには将門の7人の影武者、もしくは7人兄弟を葬ったとされる「七天王塚」があり、ここも北斗七星の配置になっているのだ。

 

 神社や墓を北斗七星の形に置くことは、それ自体が呪術である。祀ることで怨霊を封印し、かつ地鎮となす。東京でいえば呪術的な結界を張ることを意味する。将門ゆかりの史跡や神社は江戸に入る街道筋に建てられている。いわば魔物や災いが入ってくることを防いでいる。加門七海氏は、この北斗七星の配置を「平将門魔方陣」と呼んでおり、この魔方陣を仕掛けたのは「南光坊天海」であるという。呪術師であった天海は関東最大の怨霊である平将門を使って、江戸を鎮護した。北斗七星の結界を張ることによって、江戸幕府を呪術的に盤石なものにしたという。

 

江戸を護る「平将門魔方陣」

 

 天海は徳川家康のお抱えの呪術師であり、最側近として、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策・都市政策に深く関与したとされる僧侶であり、日光東照宮を作ったのも天海である。日光東照宮の本殿は南面しており、参道に立って見上げると、ちょうど真上に北極星が位置するように建てられている。これは妙見信仰であり、徳川家康を北極星に見立てて祀っているのである。この東照宮がある下野は、平将門を討った俵俵太の出身地である。ここにも深い謎が隠されている。

 

 「日光山縁起」には俵俵太の「百足」(むかで)退治のもとになった伝承が記されている。俵俵太が瀬田唐橋に現れた大蛇に頼まれ、三上山に住む大百足を成敗したという伝説なのだが、三上山からは琵琶湖の向こうに全国3,800余りの「山王さん」の総本宮「日吉大社」(ひよしたいしゃ)が見える。日吉大社は比叡山系にあり、比叡山は天海が所属する天台宗の総本山である。

 

 天台宗には神仏習合として「山王一実神道」(さんのういちじつしんとう)があるが、これを説いたのがまさに天海だったのである。根幹にあるのは「三諦即一」(さんたいそくいつ)という思想で、「三諦」とは仮諦(けたい)・空諦(くうたい)・中諦(ちゅうたい)のことで、別々に見えるが本質は同じ。山王権現は大日如来であると同時に天照大神であると説く。要は「カッバーラ」なのでである。

 

 

<つづく>