「大和と日本」の謎:その49

 

  天香香背男の「カカ」とは「輝く」の語源であり、「星」のことである。記紀神話において「星」の名前をもつ神は唯一、天津甕星だけである。最高神・天照大神が「太陽」で、弟の月読命が「月」。スサノオ命は夜の神もしくは海の神だが、本来ならば「星」のはずである。なぜなら、古代の海洋民族にとって、航海の安全な運行に最も重要なもののは「夜空の星」だからである。だからスサノウは海神であり星神でもあるのだ。古今東西、太陽と月とくれば星であり、中でも「金星」である。

 

 金星神と目されるスサノオ命は悪神として描かれる。高天原で乱暴狼藉を働いて、天照大神の天岩屋戸隠れの原因を作り、豊葦原中国に追放されるが、天津甕星も同様で、天津神だったのに悪神とされ、地上に降り、討たれてしまう。だが、なんで天照大神の荒御魂である同じ神のスサノウは悪神とされてしまったのだろうか。たとえ荒ぶる神であっても、神が荒ぶるには理由があるはずで、悪神とされる理由はない。だが、日本神話は「カッバーラ」である。答えは一つではない。

 

悪神とされるスサノウ

 

 さらに、前回、天香香背男を調べていたら、。織姫と牽牛の真ん中に天香香背男が立っている画像を見つけた。もし、天香香背男=スサノウならば、牽牛のはずのスサノウが2柱ということとなる。すると、天香香背男とは天帝を表すことになるのだろうか。ここにはもっと大きな謎が隠されている。カッバーラの仕掛けによって。

 

◆「明けの明星:堕天使ルシファー」と「天津甕星」

 

 天津甕星、スサノオが悪神とされ、地上に落とされるストーリーの背景にあるのは『聖書』である。もっといえば「カッバーラ」である。天地創造の前、天界では光と闇の戦いがあったと記されている。絶対神に対して天使が反乱を起こしたのである。但し、この時の絶対神は「天の御父」である。反乱軍の首謀者は天使の最高位、熾天使ルシファーだった。

 

 ルシファーは光の天使であり、並ぶものがいないと謳われたが、その心は奢り高ぶり、絶対神にとって代わろうと戦いを挑んだ。この時、天使の1/3がルシファー軍についた。いくら熾天使といえども絶対神には敵わない。もう一人の熾天使ヤハウェの軍団を率いた大天使ミカエルによって捕えられ、配下の天使ともども地上へ落とされる。堕天使である。

 

 この天界の出来事において、太陽を絶対神とするなら、ルシファーはそれに挑む「明けの明星」である。夜明け前にひときわ輝く金星は、他の星々が姿を消した後も最後まで光っている。が、太陽が昇ってくると、ついに光に飲み込まれ姿を消していく。反逆した天使たちは堕天使と呼ばれ、地獄の底で悪魔となり、堕天使ルシファーは大魔王サタンとなった。

 

天界の戦争と堕天使の王ルシファー

 

 悪魔たちは今も人類を闇の世界へ引きずり込もうと日夜、地上に現れては人々を誘惑する。彼らは骨肉の体を持っていないため、天界の戦争の褒美として肉体を与えられた人間たちをひたすら誘惑するのである。『旧約聖書』では、明けの明星を堕天使ルシファーの象徴として描くが、「輝ける曙の子:ヘレル・ベン・サハル」のラテン語訳が「ルシファー」で、意味は「光を運ぶ者」である。かつて光の熾天使だったことを含んだ意訳が「ルシファー」なのである。

 

 高天原の神々に最後までたてついた最強の神。それは、かつて同じ天津神にして、輝く明けの明星。その名は天津甕星=天香香背男と呼ばれた。だが、最高神・天照大神が送り込んだ倭文神(しとり)によって討たれた。この神話が言わんとしているのは、天津甕星は堕天使ルシファー、天照大神は創造神ヤハウェ、倭文神は大天使ミカエルの象徴なのである。全く同じ構造の神話で、明らかにカッバーラを知った者がこのストーリーを作ったのである。だからこそスサノウは天照大神の弟神であるはずなのに、地上に落とされた話しになっており、そこには堕天使ルシファーの姿も投影されているのである。それはスサノウが生まれた時の神話にも反映されている。

 

「あなにやし」Webより

 

 そもそも三貴神の生まれた神話からしておかしい。天照大神はイザナギの左目から、月読尊は右目から生まれているが、スサノウは鼻から生まれている。母に会いたいと暴れまわれるスサノオにしびれを切らしたイザナギはスサノオを追放する。幼少期にこの神話を聞かされた時、ずいぶんと変な話しだと思った。スサノウはずいぶんと臭い神様なのだなと。なにせ筆者の父親、母親、祖母もみなタバコを吸って鼻から煙を出していたからだ(笑)。「スサノウは煙と一緒に出てきた神様なのか?」と思ってしまったのだ。

 

 さらにもう一つ。スサノウは左右どちらの鼻から生まれてきたのか?という疑問も湧いた。だが、それは書かれてはいない。ここにこそカッバーラの仕掛けがあったのである。スサノウは両方の鼻から生まれたのである。高天原から落とされた話しには、地球を作った創造神ヤハウェと天界から落とされた堕天使ルシファーが投影されている。つまり、2つの鼻の穴から生まれたことで、2人の熾天使のことを表していたのである!

 

 さらに明けの明星にも、2つの意味がある。「宵の明星」と「明けの明星」である。聖書に登場する蛇にも「青銅の蛇」と「赤い毒蛇」があり、前者はモーセの十字架に架かったヤハウェ=イエス・キリスト、後者はサタン=ルシファーなのである。『先代旧事本紀』には「天津赤星」という名前も出てくるが、「ヨハネの黙示録」ではイエス・キリストは自らを指して「明けの明星」だと述べている。ここで勘違いをしてしまうのだ。朝日が昇るまでは「夜の世界」であり、その夜に輝く明星はサタン=ルシファーでもあるということなのである。神と悪魔も「合わせ鏡」に映さねば本当の姿は分からないと言っているのである。

 

 

 天界の「型」は人間界にも及ぶ。そして、善人と悪人が戦いを繰り広げる。だが、この世にあって、人間は神ではない。人間が考える善悪など、見方や立場によって変わるもの。絶対悪も絶対善もない。悪神とされた天津甕星も、外物部氏にとってみれば最後まで抵抗した偉大なる英雄なのである。とすれば、天津甕星とは本来は星神ではなく、太陽神だったのかもしれない。

 

 物部氏は奉じたのは創造神ヤハウェであり、受肉する前のイエス・キリストであり、太陽神である。ならば、天津甕星とは本来は物部氏の祖神ニギハヤヒ命と同一神だった可能性もある。なぜならニギハヤヒ命の名は「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」といい、物部氏の太陽神、もうひとりの天照大神だったからだ。

 

 外物部氏が支配した東日本は狗奴国から日高見国として存続した。日高見国とは「太陽を仰ぎ見る国」を意味し、日が昇る東方に位置することから「日の本」とも呼ばれた。いまでこそ北海道から沖縄までを含んだ国号として位置づけられるが、かつては違った。「倭国」である。だが、これがあるとき「日本」となったのである。「日本」という国号の由来は、まぎれもなく日高見国だったのである。

 

 

 

◆物部氏の封印と東国の新皇「平将門」

 

 大和朝廷にとって、物部氏は封印しねければならない一族であった。邪馬台国が成立した際に東国に逃げた物部氏はもちろん、畿内に残った物部氏の本流も同様で、全て「封印」すべき対象だった。神武=崇神=応神天皇が朝鮮半島から渡来、畿内に攻め上がったとき、最後まで抵抗したのは卑弥呼を輩出した海部氏及び軍事集団であった物部氏であったが、彼らは大和朝廷の軍門に下った。それは籠神社をはじめとする海部氏系の神社や、畿内の物部氏系神社が拝殿と本殿のある形式になっていることで分かる。『旧約聖書』のユダヤ人ユダヤ教徒たちは、『新約聖書』のユダヤ人原始キリスト教徒に制圧され、その支配下に置かれたのである。

 

 しかし、西日本から移住した物部氏も多かったはずだ。おそらく大和朝廷が成立した際、同胞を頼って東日本の日高見国へと逃れた物部氏もいたはずである。平安時代、桓武天皇が征夷大将軍を派遣して以来、東日本は「まつろわぬ民」、すなわち蝦夷の住む世界とされたが、東日本には秦氏も移動した。鹿島神宮をはじめ、神社の祭祀も表が秦氏で裏が物部氏という二重構造になっているところも多いが、これは秦氏が物部氏の神社を制圧したということで、こうした抑圧は、ときに物部氏の魂に火をつけることになる。

 

 平安時代、物部氏が立ち上がる。彼らが担ぎ上げたのは「平将門」(たいらのまさかど)である。桓武平氏の末裔で、本来ならば大和朝廷側の人間であるはずの平将門が、お家騒動に巻き込まれる形で反乱を起こし、坂東の民を味方につけ、日高見国を意識して「日本将軍平新王」と名乗り、ついには「新皇」(しんのう)と称した。新皇とは新しい天皇のこと。大和朝廷から続く平安京の天皇家とは別に、新しい皇統を打ち立て、東日本の皇帝として君臨することを宣言したのである。

 

 

 平将門は富士王朝の復活を目指し、大和朝廷に支配される東日本を独立させようとしたのである。よって、平将門の一族は星神を信仰した。これは「天津甕星」を想起させる。高天原に最後まで反抗した反逆の天津神、それは大和朝廷に反逆し自ら新しい天皇となろうとした平将門の姿と重なる。天津甕星のストーリーを描いたのは秦氏である。太陽神に逆らった明けの明星は消えていく。新皇を名乗った将門を堕天使ルシファーになぞらえて呪詛したことによって、将門は逆賊とされ、最後には討ち取られる運命となる。

 

 平将門を討ち取ったのは「藤原秀郷」、通称「俵俵太」(たわらひょうた)である。討ち取られた将門の首は京都へと送られ、七条河原でさらし首にされたが、目を開き、歯ぎしりをして、ときには笑い声を上げたと『太平記』にはある。伝承によれば、体を探し求める平将門の首は空を飛び、坂東へと向かったが、途中、力尽きて落下。それを見た人々が首を手厚く葬った。これが大手町にある「首塚:将門塚」である。

 

 だが、"緑の狸"こと在日コリアンの小池百合子は、天皇家と皇居を霊的に守る呪詛であった「将門の首塚」をを破壊する策に出た。2020年11月22日、東京駅前再開発事業の一環である「大手町ワン/Otemachi One」の建築で、江戸時代には江戸城を守り、明治以降は皇居を守る呪詛であった「将門の首塚」を修復の名目で更地にすることを緑の狸が許可してコロナ禍でも工事が遂行された。2021年4月26日、「将門の首塚」の改修竣工式典が一部関係者で行われたが、世間が気付いた時は既に後の祭りで、「平将門 蓮阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 徳治二年」の石碑以外は単なる公園になり果ててしまった。元々「将門の首塚」は江戸城を守る「護符」として天界僧正が建立したもので、江戸(東京)を守る「結界」の一つだったが、それが剥がされたのだ。それは〝護符〟としての「将門の首塚」を〝呪殺符〟とする呪詛で、皇居の主である今上天皇陛下を呪殺する仕掛けが成されたことを意味する。

 

朝鮮式の三段半=みくだり半に変えられた首塚

 

 将門の首塚には怨霊伝説があり、ないがしろにすると祟があるとされてきた。1923年、関東大震災後、ここに大蔵省の仮庁舎を建てようとしたところ、関係者が次々と死亡。しまいには大蔵大臣までもが不審死を遂げた。また、第2時世界大戦後、GHQが区画整理のため、首塚周辺を造成しようとしたところ、工事中のブルドーザーが横転。乗っていた運転手が死亡した。平将門の祟りだということで、計画は中止され、以後、首塚は保存されることになる。

 

 祟と死亡の関係は分からない。一種の都市伝説なのだろうが、神田明神及び浅草の日輪寺は平将門を英雄として祀っており、今でも参拝する人は絶えないことを考えれば、将門を崇敬する人々がいることだ。祀ることで怨霊は神となるからである。その意味では、”緑の狸”には呪詛が仕掛けられることになる。将門を崇敬する物部系の呪術師によって、一歩一歩追い詰められていくこととなる。それもまた将門の呪いといえるのかもしれない。

 

<つづく>