「大和と日本」の謎:その46

 

 能の演目「天鼓」(てんこ)のあらすじの中で、皇帝は鼓を召しだすようにとの勅令を下すが、天鼓はこれに応じずに鼓を持って隠れてしまう。しかし、あえなく捕らえられ、呂水に沈められた」とあったが、この「皇帝」を世界皇帝と考えれば、それは「三種の神器」と「契約の聖櫃アーク」を伊勢神宮から奪おうとする世界皇帝ロックフェラーと米軍の意味となるとした。そして、水の中に沈むとは、強奪された宝物である「契約の聖櫃アーク」と「三種の神器」が伊勢湾に沈むことになる預言なのだと。これはノストラダムスの預言である。

 

 包囲され、略奪され、貴重なる獲得物は、取り返される。

 それは聖なる出来事が起きる日と変わり通過し、奪い返され、捕縛される。

 三つの重なりの地からさらに、水底からしるしが現れ、権威の存在が引き上げられる。

 (ノストラダムス『諸世紀』第7章73番)

 

ミシェル・ド・ノストラダムス

     

 「三つの重なりの地」とは伊勢神宮が鎮座する三重のことである。そこにある宝が一度は奪われるが取り返されるとある。「契約の聖櫃」はレビ人以外は担げないし触ることはできない。2024年7月7日現在、在東京のイスラエル大使館にはレビ人のスタッフがいるし、在日アメリカ大使ののラーム・イスラエル・エマニュエルもスファラディー系ユダヤのレビ族である。条件は揃っている。

 

 レビ人以外の人間や異民族が触ると雷が落ちたり、燃えて粉になってしまったりすると旧約聖書には描かれている。だからこそ、一度は奪われるが、伊勢の神官たちの呪詛によってアークが聖なる火を放ち、略奪者たちはアークを手放し、海の中に投げ捨てざるをえない事態となるらしい。こればかりは起きてみないと分からないが、現在の白人系ユダヤ人は、たとえユダヤ人とは言っても民族的には本当のユダヤ人ではない。よって、ヤハウェに討たれる可能性がある。

 

 さらにアークは海底から天に向かって光を放ち、そこに神官が取り返しに行くことになる。それが「水底からしるしが現れ、権威の存在が引き上げられる」という部分である。その時に日本人が、そして世界中の人間が日本にユダヤ人の至宝「契約の聖櫃アーク」と「三種の神器」があったことを知るのである。「三種の神器」と「契約の聖櫃アーク」を伊勢神宮から強奪する命令を下すのは、イギリスのロスチャイルドとアメリカのロックフェラー、そしてその実行部隊が在日米軍である。

 

伊勢湾にこはアークが放つ光の柱が立つのか

 

 ここまではいいのだが、その次の部分が分からない。なにせ鼓は、宮殿に運ばれてさまざまの楽師が試みに打ちますが、主の天鼓を失ったためか、全く音を発しません。誰が打っても鳴らないため、皇帝は、天鼓の父・王伯に鼓を打たせよと、勅使を送って召しだします」、というストーリーの意味するところが分からない。これはいったい何を伝えているのだろうか。この「鼓が運ばれる宮殿」というのが「エルサレムの第三神殿」ということならば、宝物は奪われるということだが、偽ユダヤ人たちに聖櫃と三種の神器の扱い方が分かるもの誰もがいないという風にもとれる。

 

 契約の聖櫃は地上最強の兵器でもある。だが、それは創造神ヤハウェが顕現するからだ。創造神ヤハウェと戦って勝てる人類などいるはずはない。問題は、その後の「皇帝が天鼓の父・王伯に鼓を打たせよと勅使を送るという部分である。天鼓がイエス・キリストの話しなら父ヨセフの話しだが、それだとなん話だか分からない。だが、天鼓がもし「天皇陛下」としたらどうだろう。天皇陛下はレビの中のレビである。アークと三種の神器に触れる資格を持つレビ族の王なのだ。

 

 アークと三種の神器が奪われるという危機が発生した場合、天皇陛下は八咫烏によってどこか安全な場所に隠されることとなる。アークの上に創造神ヤハウェを降ろさねば、ただの箱である。「全く音を発せず、誰が打っても鳴らない」というのは、イスラエル大使館のレビ人もアメリカ大使も何もすることができないということである。よって、彼らはもう一人のレビ族の王を連れてくる。それは上皇陛下である。譲位はしたものの、上皇陛下もモーセの末裔のレビ族の王である。つまり、創造神ヤハウェを顕現させることができるのである。だが、本当にこのことを言っているのだとうか。自分で書いていて腑に落ちない。

 

天皇陛下と上皇陛下

 

 あらすじの続きをもう一度読んでみよう。

 

 王伯は、鼓が鳴らなければ自分も殺されるのを覚悟で宮殿に上がり、わが子への思いを胸に鼓を打ちます。すると、この世のものとは思われない音色が鳴り響きました。感動した皇帝は、王伯に褒美を与えて帰し、天鼓の冥福を祈るため、呂水のほとりで管弦講をおこなうことにしました。講の当日、皇帝が呂水に御幸すると、天鼓の霊が現れ、懐かしい鼓を打ち、管弦に合わせて、ひとしきり喜びの舞を舞います。楽しげに舞う天鼓は、ほのぼのと夜が明け、空も白む頃に現か夢ともつかないようにして、消えていくのでした。

 

 この続きの部分を読むと、全く違う。つまり、皇帝というのはロスチャイルドではない。ということは、だ。やはりこの話しは天界で起きる出来事なのだろうか。すると、演目の解説をもう一度見直す必要がある。それは「もう一つの天鼓」「天鼓とは七夕の牽牛の別称でもあり、天鼓は、天上人の化身なのかも知れない」という部分であり、「帝は天鼓のために呂水の堤で追善の音楽法要を行う天鼓の幽霊が現れて鼓を打ち鳴らし、やがて夜明けと共に消え失せて行く」と書かれていた。

 

 天鼓の幽霊とは「神霊ヤハウェ」で、イエス・キリストの幽霊ということで、「天鼓は天上人の化身」というのも、天上界のヤハウェは地上ではイエス・キリストに化身する。「天鼓が牽牛の別称」というのなら、それはスサノウであり、ヤハウェである。ならば、「もう一つの天鼓」とはヤハウェ=スサノウとなる。だが、「もう一つ」と言っている。これが「鼓」なら、もう一つの「契約の聖櫃アーク」のこととなる。だが、もし皇帝=天帝=北極星と考えれば、「天鼓はこれに応じずに鼓を持って隠れてしまう。しかし、あえなく捕らえられ、呂水に沈められた」とは天の河にオリオン座の星が隠れたと解釈できる。そんなことがあるのだろうか。

 

 2023年12月12日、オリオン座の1等星ベテルギウス(平家星)の光が、前を通過する小惑星に遮られて弱くなる「恒星食」(ベテルギウス食)が発生。12月中旬に欧州を中心に観測されたことがわかった。恒星食を観測する国際団体によると、ベテルギウスの食は過去に観測記録がなく「極めてまれな天体現象だ」としている。恒星食は、「 掩蔽えんぺい 現象」とも呼ばれる。日本や中国、台湾の研究者らでつくる「国際掩蔽観測者協会東アジア」によると、食は12日に発生。ベテルギウスと、その前を通過する小惑星レオーナが直線上に重なって見える地点にあるスペインやイタリアなどで確認された。

 

 

 この時、光のリングのように見える「金環食」が起きた可能性もあるという。「金環食」とは日食現象の一つで、太陽本体(光球)の中央部の光を月が遮り、太陽の縁のみが金の環のように輝いて見える現象をいう。象徴として考えると「太陽神の死」である。そして、その時、冬の大三角形をなすベテルギウス=赤く輝く平家星が隠れたのである。そして、「鼓星」は時を告げる星である。これらを全て象徴としてとらえると、「時が来た」となる。三角形の一角の「平家星」が隠れ=亡くなるとは、天界の三神の「高御産巣日」(タカミムスヒ)がお隠れしたという意味になる。

 

 本来、左側なら「神産巣日」(カムムスヒ)となるが、本当の姿は鏡合わせで鏡像は反転する。すると「高御産巣日=高木神=天照大神=イエス・キリスト」が隠れたという意味となる。すると、太陽が隠れ、世界は暗闇の時代を迎え、魑魅魍魎が跋扈することとなる。「時が来た」とは、「終わりの始まり」を告げているのである。だからこそ、「天鼓」とは、本来は七夕の織姫となるなるはずなのに、「牽牛の別称」とした理由はここにあるのだ。荒ぶる神スサノウが地上に降臨、人類に怒りの鉄槌を下す。その時代を経ないと「夜明け」は来ないと告げていたのである。

 

 しかし、分からないことがある。それは、なぜこのタイミングで、「大和と日本」の謎解きをしている時に出てきたのか、ということである。もしかしたら。これは「大和と日本」の関係を伝えているのだろうか。現時点では不明だが、もしかしたらその答えは見つかるかもしれないが、まずは先に進むこととしよう。

 

 

<つづく>