「大和と日本」の謎:その44

 

 もし、忌部氏の麻織物をする巫女の姿の女性たち「織姫」を「機織女」と見立てたのなら、これはイエス・キリストの磔刑死を再現していることとなる。「機織女=イエス・キリスト」であり、「杼(ひ)=機物」で「ホト(女陰)」を突いて死んでしまったからで、「機物=十字架」であり「杼=ロンギヌスの槍」だからだ。それを機織女という「女」の姿にしたのは「陰」だからで、「陰=死」として象徴させたのである。

 

 実際、伊勢内宮に祀られている天照大御神が「女神」とされているのも、亡くなった神を象徴させているからである。新天皇が即位するための秘儀「大嘗祭」とは、イエスの「最後の晩餐」から「復活」までを再現する儀式だが、その中の「磔刑死」の部分、特に「絶命」する部分の再現を担っているのは、忌部氏だったのである。もちろん、それを仕掛けたのは「八咫烏」である。しかし、それだけでは終わらない。なんで伝承の中の表現を「織姫」としたか、である。

 

大嘗祭用の麻の糸を紡ぐ忌部氏の機織女たち

 

 「織姫」は七夕の伝説に登場する星の象徴だが、織姫とは単純に機織女のことを言ってるだけではないのか。だが、この仕掛けが神道の奥義に関わるものなら、「織姫」には別の意味が込められているのではないのか。さらに「織姫」のことを調べると、解説にはこうあった。

 

 星座では、「琴座αいっぽ星」、つまり「ベガ」であり「おりひめ星(織女星)」のことである。
 

 ここで筆者の脳がスパークした。脳内の結線が切れた感じである。いったい何の話しなのか、まるで分からなくなった。お手上げである。なんで「こと座」が「おりひめ星」なのか。これは何を伝えようとしているのだろう。全く予想もしない展開となってしまった。しかし、ここで止まったら何も解決しない。一旦、基本に立ち返ろう。

◆七夕伝説と織女

 

 まず、「七夕」(たなばた)伝説である。これは、古代の中国で生まれたとされる。だが、その古代なるものが怪しい。なぜなら「中国からもたらされた」とされる伝承や伝説には、かならず物部氏か秦氏が関係していることが多いからだ。普段なら「七夕」と言われてもスルーしてしまうが、なにせ忌部氏の伝承である。そこには古代天皇家に関わる謎が隠されているはずだ。

 

 

 中国の伝承とされる話しでは、天空で一番偉い神である「天帝」(てんてい)には、「織女」(しょくじょ)という娘がいたとある。織女は神々の着物の布を織る仕事をしており、「天の川」のほとりで毎日熱心に機(はた)を織っていた。遊びもせず、恋人もいない織女を哀れに思った天帝は、天の川の対岸で牛を飼っているまじめな青年「牽牛」(けんぎゅう)を織女に引き合わせ、やがて二人は結婚する。

 結婚してからというもの、二人は毎日遊んで暮らしていた。織女が機を織らなくなったため、神々の着物はすりきれてぼろぼろになり、牽牛が牛の世話をしなくなったため、牛はやせ細り、遂に病気になってしまった。これに怒った天帝は、二人を天の川の両岸に引き離してしまう。しかし、二人は悲しみのあまり毎日泣き暮らし、仕事にならず、可哀想に思った天帝は、二人が毎日まじめに働くなら、年に1度、7月7日の夜に会わせてやると約束する。これが、現在われわれがよく知っている七夕の伝説である。

 日本では織女のことを
「織り姫」(おりひめ)、牽牛のことを「彦星」(ひこぼし)と呼んでいる。織り姫はこと座の1等星「ベガ」で、彦星はわし座の1等星「アルタイル」である。夜空の暗い場所では、2つの星の間に天の川が横たわっている様子を観察することができる。七夕伝説によると、年に1度、7月7日の夜に会うことができる織り姫と彦星だが、星が実際に移動することはない。2つの星の間は、14.4光年ほど離れていて、これは、光のスピードでも約14年半かかってしまう距離である。つまり、二人が光のスピードで移動したとしても、1年に1回会うことは、とても無理なのである。いったい何の話しなのか。何を伝えようとしているのだろうか。

 

 この「織女=織り姫」「牽牛=彦星」を、秦氏と物部氏の関係だと考えると、「秦氏=織女=織り姫=天照大御神=女神」となる、「物部氏=牽牛=彦星=スサノウ=男神」という構造となる。さらにスサノウは牛頭天王でもある。よって牽牛という「牛」の中に意味が込められていることが分かる。そして、「天の川」が出てくるのならば、これは『古事記』の「天安河」(あめのやすかわ)の「誓約」(うけい)のことである。

 

「天安河の誓約」

 

 天照大神と須佐之男命は、天安河をはさんで、身の潔白を証明するための誓約(うけい)をする。まず天照大神が、須佐之男命の「十握剣」(とつかのつるぎ)を三つに折り、天の真名井で清め、噛んで吹いた霧から三柱の神「宗像三女神」が生まれる。次に須佐之男命が、「八尺瓊之五百筒御統珠」(やさかにのいほつのみすまるのたま)を天の真名井で清め、噛んで吹いた霧から五柱の男神が生まれる。天照大神は、「(須佐之男命の生んだ)五柱の男の神は私の玉から生まれたから私の子、三柱の女の神はお前の剣から生まれたからお前の子」とされた。

 須佐之男命は「私の心は清く謀反の心がないので、生まれたのが優しい女の神だった。私の勝ちである」といい、図に乗って、天照大神の田の畔を壊して埋め、大嘗を召し上がる御殿に糞をしちらした。天照は「私のかわいい弟がしたことだ」と須佐之男命を咎めなかった。だが、須佐之男命の乱行は止まらず、あるとき神様の着物を織る
忌の機屋(いみのはたや)の天井に穴をあけ、皮をはいだ斑馬(まだらめ)を投げ込む。機を織っていた織女(おりめ)は驚き、梭(さ/ひ)で女陰を突いて死んでしまう。天照大神はこれを恐れ、天の岩屋戸に籠ってしまう。

 

  忌部氏が伝えるのは、この話しなのである。天安河の誓約には、忌の機屋の織女も登場するのだ。まさにこれぞ忌部氏が伝えようとしていたことなのではないか!とは思ったが、冷静に考えると「それで?」という感じが否めない。「聖書」はその時に起きた事象が後の雛形となり、さらに未来(現代)の預言となっている。そう考えると、もしかすると忌部氏が伝えようとしているのは、これから起きることの「預言」なのではないだろうか。すると全く謎解きとなる。なにせ、忌部氏のこの伝承は織姫=天照大御神=イエス・キリストの死は伝えてはいるが、一方の牽牛=彦星=スサノウのことが全く出てこないからだ。

 

忌の機屋の織女

 

 実は天安河の誓約は桃の節句、雛祭りの雛形となっている。お内裏様とお雛様は、スサノウ命と天照大御神、三人官女が宗像三女神、五人囃子が5人の男神に対応している。織姫と彦星はともに「星」である。織姫星は琴座のα星である。一方の彦星は鷲座のα星で、夏の大三角形を構成するアルタイルである。そして、天の安河は「天の河=ミルキーウェイ」だ。この天の河を挟んで2つの大きな星座がある。「オリオン座」と「牡牛座」である。オリオン座は巨人に見立てられ、牡牛座も巨大な牛である。

 

 天安河の誓約は、中国神話における七夕伝説がもとになっているが、そのルーツは「ギリシャ神話」にたどることができるのである。天の河をはさんで対峙する天照大御神とスサノウ命は、記紀神話にすると、それぞれ巨人オリオン=天照大御神であり、牡牛=スサノウ命に対応する。巨人オリオンは棍棒を振り上げ、牡牛に対峙している。両者は戦っているのであり、互いに身の潔白を証明しようと誓約で争った天照大御神とスサノウ命の姿を象徴しているのだ。

 

 だが、なんといっても注目はオリオン座と牡牛座にある星である。巨人オリオンの腰には三つ星がある。これは宗像三女神である。オリオン座にはもう一つ、三つ星があり、これはオリオンが身につけている剣に見立てられている。まさに宗像三女神を生み出したスサノウの十拳剣にほかならない。一方、牡牛座にはひと際明るい星々、いわゆるプレアデス星団があるが、日本では古来より「昴」(すばる)といいならわしてきた。昴は主に5つの明るい星からなるが、これはスサノウが生んだ5人の男神に対応しているのであり、5人の男神を生み出した珠(玉)「八尺瓊之五百筒御統珠」(やさかにのいほつのみすまるのたま)である。

 

「昴」(すばる)=プレアデス星団

 

 「八尺瓊之五百筒御統」なる名前には、「五」と「統」という字が入っているが、五は5つの星であり、5人の男神、そして「統」は「統(す)べる」と訓されるが、これが「すべる=すばる=昴」なのである。なにせ「昴」の語源は「統べる」にあるからだ。だが、問題はこれらのことが、いったい何を伝えようとしているのかが分からない。もしこれが近未来の預言だったとすると大変なこととなる。なぜなら「古事記」の神話は、旧約聖書と新約聖書の話しを大和民族の隠された歴史と記しているだけでなく、近未来の天界で起きる大異変の預言になっていることになるからだ。いったい何が起きるというのだろうか。

 

  牡牛座にはひと際明るい星々、プレアデス星団があるが、日本では古来より「昴」(すばる)といいならわしてきた。昴は主に5つの明るい星からなり、それはスサノウが生んだ5人の男神に対応しているとしたが、本来「昴」は六連星である。さらに、ギリシャ神話においてプレアデスは「七姉妹」を意味している。「7つの星」の意味は天地創造の7日間、すなわち創造の6日と安息日の1日を示している。また、六連星はユダヤの象徴「ダビデの星」、すなわち六芒星で、中心に神を意味する「G」を描くとフリーメーソンの象徴コンパスと直角定規(曲尺)となる。

 

SUBARUのロゴと七曜紋・ダビデの星・フリーメーソンのシンボル

 

 古代文明における天文学の知識と洞察はわれわれが想像する以上に高かったのである。『旧約聖書』に記されたオリオン座の三つ星は、「御父・御子・聖霊」の絶対三神に対応し、大預言者モーセは「十戒石板」と「アロンの杖」と「マナの壷」の三種の神器としてそれを象徴したのである。しかし、一般のユダヤ人・ユダヤ教とたちは三神の存在は認めない。あくまでも彼らは絶対神ヤハウェの一神教徒なのである。

 

 絶対三神はキリスト教徒がいう「三位一体」ではなく、互いに独立した「三位三体」の神である。しかし、彼らはそれを受け入れないし、それを教えることも邪教とされる。が、日本では古来より神社で参拝を通じて三神を拝んできたのであり、正史である『古事記』『日本書紀』においても、それぞれ独神(ひとりがみ)の「造化三神」(ぞうかさんしん)、「原初三神」として描かれている。「造化三神」は天地開闢(てんちかいびゃく)のときに高天原に出現し、万物生成化育の根源となった三神であり、「天御中主神」(あまのみなかぬしのかみ)・「高皇産霊神」(たかみむすひのかみ)・「神皇産霊神」(かみむすひのかみ)をいう。

 

  秦氏の浸透では表向きは女神「天照大神」を最高神とする一神教だが、裏側は三神教なのである。そして、物部氏が奉ずる古神道は表向きは「八百万の神々」を祀る多神教だが、裏側は男神「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」を祀る一神教なのである。これが「大和」と「日本」の構造なのである。

 

<つづく>