「大和と日本」の謎:その35

 「大和と日本」を先に進む前に、一旦、前半までを振り返ってみよう。自分で書いていて、少々混乱してきた(笑)。

 

 紀元前3世紀、始皇帝はユダヤのレガリア「契約の聖櫃アーク」を古代日本に運び込んで封印するため、2つに分割。2羽1対の天使ケルビムが坐す「贖いの座」であると担ぎ棒がついたに分け、それぞれにレプリカを作って補完。こうして蓋が本物の「上アーク」と箱が本物の「下アーク」ができ上がった。

 

 上アークにはモーセの「十戒石板」を入れ、下アークには「アロンの杖」が納められた。下アークを運び込んだのは物部氏の祖・徐福である。上アークは神武天皇とともに渡来した秦氏が持ち込んだ。失われたイスラエル10支族のガド族の王・神武天皇は王権の証「マナの壷」を持ち込み、大和の地で上下本物の「真アーク」が完成、三種の神器が揃ったことで、大和朝廷が成立。ここに日本を統括する王権が拝受された。

 

 神武天皇は奈良の鳥見山において最初の即位の儀たる「大嘗祭」を実施する。そこには秦氏が持ち込んだイエスの「聖十字架」が立てられた。最後の晩餐とイエスの磔刑死を再現するため、神との共食を済ませ、聖釘によって両手両足を傷つけ、忌部氏が麻で作った麁服(あらたえ)に身を挟み、顔を絹でつくった繒服(にぎたえ)で覆って寝床に横になる。起き上がった時、天皇霊が宿りし天皇陛下として復活する。ここに東西日本を統治する権能を授かったのである。

 

◆古代日本に運び込まれたアーク 

 

 大祭司であった「秦始皇帝」は、契約の聖櫃アークを神への祭壇として天帝を祀る「封禅(ほうぜん)の儀」を「泰山」(たいざん)で執行。ここに創造神ヤハウェが顕現し、聖櫃アークの力で古代中国最初の統一国家を樹立した嬴政をを祝福、初の皇帝であり初の天皇の意味の「始皇帝」となる。やがて、始皇帝の前に大預言者モーセの兄アロンの末裔である道士・徐福が極秘計画をもって現れる。

 

 

 徐福の集団の目的はやがてイスラエル民族(=12支族とレビ族)の最終集合地となる日本列島へと向かい、契約の聖櫃アークと大和民族の至宝を世界の目から隠すことであった。この計画を遂行するにあたり、始皇帝は一つの仕掛けを施す。聖櫃アークを2つに分割、一対の天使ケルビムが坐す「贖いの座」である蓋と担ぎ棒がついた箱の部分にと分け、それぞれにレプリカを作って補完。こうして蓋が本物の「上アーク」と箱が本物の「下アーク」ができた。

 

 この「上アーク」「下アーク」という表現は飛鳥昭雄氏・三神たける氏による共著の中に書かれている表現をそのまま使わせていただいている。この表現が一番わかり易いからだ。下アークにはアロンが手にした「アロンの杖」が納められ、上アークにはモーセがシナイ山でヤハウェから授かった2枚1組の「十戒石版」が納められ、それぞれアロンの末裔の徐福とモーセの子孫の始皇帝とが奉斎することが取り決められたという。

 

 かくして下アークは徐福の集団によって、東海に浮かぶ「三神山=日本列島」に運び込まれる。最初に鎮座したのは「隠岐」である。そこから丹後に運ばれ、ミツライム系ユダヤ人の大祭司たちが儀式を執行。彼らこそが後の「籠神社」の神官一族「海部氏」であり、同族の日下部氏に「浦島太郎」のモデル「浦嶋子」がいる。浦島太郎が訪れた「龍宮城」とは隠岐のことで、浦島太郎が乙姫から授かった「玉手箱」とはアークのことである。

 

 「浦島太郎」を含め日本に伝わる「お伽話」とは全て「籠神社」が伝えているものである。下アーク=箱を旧約聖書を象徴する棒物「亀」(=海の中に潜るノアの箱船)に見立てたのだ。一方、上アークは始皇帝亡き後、その子孫とミツライム系ユダヤ人が、騎馬民族となった失われたイスラエル10支族とともに朝鮮半島に運びこんだ。彼らは「秦人」(しんじん)と呼ばれ、秦韓(辰韓)と弁韓を建設。両国から「新羅」と「伽耶」(かや)ができ、3世紀に上アークとともに九州へ上陸。始皇帝を祖と呼ぶ「秦氏」となる。

 

 

 と考えると、朝鮮半島南側に秦人が作った国「伽耶」からアークとユダヤの神宝類を日本へと持ち込んだ話しも「お伽話」となる仕掛けが見えている。なにせ「伽(耶)の話」とすれば、日本へ渡来する前に朝鮮半島南部の「伽耶」に集結した十支族と秦氏がユダヤのレガリアを持ち込んだ話しだったということである。

 

 

◆ 「真アーク」と「大嘗祭」の秘儀

 

 失われたイスラエル10支族の大王であった神武天皇は、日本へ渡来後に原始キリスト教に改宗したことで秦氏の大王として「応神天皇=八幡神」となる。神武=応神天皇は九州から畿内へと侵攻、邪馬台国を征服する。この時の王家は海部氏と物部氏で、海部氏の始祖・天火明命とは、物部氏が始祖・ニギハヤヒ命と同一神である。

 

 記紀神話では、神武天皇とニギハヤヒ命が互いに天神であることを証明するために「天羽々矢」(あめのはばや)と「歩靫」(かちゆき)を見せ合ったが、これは2体の羽の生えたケルビムが乗る「上アーク=天羽々矢」と弓矢を入れた箱「下アーク=歩靫」が合体したことを意味、それを伝える漢字が「合」である。かくして「真アーク」が統合、イスラエルの三種の神器が納められた。そこで、神武=応神天皇は、奈良の鳥見山に設けられた「霊畤」(れいじ)で最初の即位「大嘗祭」を行う。そこには秦氏が持ち込んだイエス・キリストの聖十字架も立てられた。

 

 

 この契約の聖櫃アークとイエス・キリストの聖十字架が1箇所に集められたということが非常に重要な意味を持つ。「旧約」の宝と「新約」の宝が1つになったことで、旧約の原始ユダヤ教徒に新約の原始キリスト教が「ヤハウェはイエス・キリスト」ということを示したのである。もちろんその時、ヤハウェ=イエス・キリストが鳥見山に顕現した。それが神話に登場する神武天皇の弓矢の上に止まった「金鵄」が象徴していることなのである。さらに弓矢を入れた箱「歩靫」の上に「天羽々矢=二羽鳥(鶏)」が重なり、鳳と凰というオスとメスの鳥一つになった金に輝く「鳳凰」=「不死鳥」が乗る神輿となっている。

 

 「大嘗祭」は天照大神としてイエス・キリストを祀り、契約を結ぶ儀式である。10支族の王家ガド族の後継が絶たれた後、レビ族でモーセ直系の末裔である武内宿禰(たけのうちのすくね)が継体天皇として受けたものを原型とし、「最後の晩餐」を通じて、その身に聖霊を宿す。神との食事を済ませると、聖遺物である「聖釘」(せいてい)によって両手両足に傷をつけ、十字架で死んだイエス・キリスト表現。次に「麁服」(あらたえ)に身を挟み、顔を繒服(にぎたえ)で覆って寝床に横になる。再び起き上がったとき、天皇霊が宿りし天皇陛下として復活する。

 

 日本を統治するにあたり、天皇は二つの国「大和」と「日本」を支配することを宣言する。二つの大嘗宮「悠紀殿・主基殿」は東西日本を統治する権能を授かる象徴で、悠紀殿には真アーク、主基殿には上下レプリカの「権アーク」が置かれた。よって、東西日本を守っているのは契約の聖櫃アークなのである。

 

<つづく>