J-POP呪術大戦:その4

 

「歌は世につれ世は歌につれ」。大和の言葉で奏でる歌は呪術である。よって、J-POPも呪術となる。そこには歌の呪術師、言葉と音の魔術師たちが存在する。

※本連載に登場する人物名は本物ですが、書かれている内容は筆者の妄想です(笑)。ファンの方は真剣に取り合わないでください。

 

 宇多田ヒカル「First Love

 

 

 前回の第3回では、平将門の末裔、椎名林檎を取り上げた。椎名林檎を取り上げて、この人を取り上げないわけにはいかない。もはや誰も手が届かない前人未到の大ヒットを記録したアルバム『First Love』の売上枚数は、日本国内のみで約765万枚、日本国外も含めると、約990万枚といわれている。それもパッケージでである。ちなみに2007年にリリースされた「Flavor Of Life」は、当時のデジタルシングルのセールスにおいて、世界1位を記録している。以外と知られていないが、世界1位である。

 

 ロッキング・オン・グループの社長で音楽評論家の渋谷陽一は、宇多田ヒカルの登場によって、「日本人の持つポップミュージックのDNAが変わった」とコメントしている。確かにその通りだと思う。また、宇多田の「革命性と大衆性の両立」を指摘してその衝撃を語っている。ミュージシャンで音楽評論家の近田春夫は、宇多田のデビュー後のJ-POPを「宇多田ヒカルというB-29による空爆後の焼野原」と表現した。これも言いえて妙というやつで、アメリカ育ちの宇多田ヒカルをB-29 にたとえたのは面白かった。さらに、宇多田ヒカルの登場によって日本の音楽シーンが一変したとも言っているが、それは当時の日本最大のヒットを誇ったプロデューサー小室哲哉も、デビュー曲「Automatic」の衝撃や宇多田の「自由さ」を指摘しており、「自らの引退を考えさせたアーティスト」と評している。もはや絨毯爆撃だったということだ。

 

 「First Love」は、アルバム『First Love』からのシングルカットで、宇多田ヒカルの3枚目のシングルだ。1999年4月28日に発売された。もはや細かい紹介は不要だが、なによりも凄いのは、この曲を14歳で書いてしまったことだ。いったいどうやって14歳の中学生がこの歌詞を思いつき、このメロディを創造できたのだろうか。もちろん、そこには神の祝福があったということだ。だが、なぜなのか。そこにこそ宇多田ヒカルの血が関係している。



 宇多田ヒカルの父は音楽プロデューサー・宇多田照實、母は歌手・藤圭子である。ヒカルはアメリカ合衆国・ニューヨーク出身だ。これは非常に重要だ。まず、宇多田家の祖先は山口県にあり、父・照實が子どもの頃に家系図を見せられた際、由緒ある家の跡継ぎである事を説明されたという。郷土資料によると、山口県山口市徳地島地(旧・佐波郡徳地町島地)に、宇多田という大庄屋があり、広大な土地を所有していたとの記述が残っており、先祖には、
第18代内閣総理大臣・寺内正毅が居り、ヒカルは、寺内の曾姪孫にあたるのである。

 

 問題はこの寺内家の血筋である。実は寺内家は、桓武平氏忠正流戸沢氏庶流と伝わる武家・士族・華族だった家柄である。つまり「秦氏」なのである!父方は秦氏なのだ。これは筆者の読み通りだった。どうも最近は、シンガーの声やら作る楽曲で血筋が分かってしまうという妙な現象が起きている。だが、まぁ椎名林檎は見事に外れたから当てにならないが(笑)。だが、庶流とはいえ、桓武平氏である。ということは椎名林檎と宇多田ヒカルは遠い親類ということである。同じ年に、同じレコード会社からソロ・デビューしたのも因果である。素晴らしい。

 

 母は歌手・藤圭子だ。言わずと知れた「恨み節」を歌わせたら日本一の歌手だった人だ。藤圭子のことなんて調べたことはなかったが、改めて驚いた。藤圭子は1951年〈昭和26年〉7月5日浪曲師の父・松平国二郎こと阿部壮、同じく浪曲師であり曲師でもある母・阿部澄子こと竹山澄子との間に3人兄弟の末子・阿部純子として父の出身地でもある岩手県一関市の県立磐井病院にて巡業中に生誕したとある。ということは物部氏、それも外物部氏ということなのか。

 


 宇多田ヒカルの作る旋律、そして彼女の声には「哀愁」がある。これは秦氏には出せない。それは藤圭子の血がそうさせるのだ。なにせ藤圭子は夜の世界に生きる女の情感を描いた暗く哀切な『怨歌』を、ドスの効いたハスキーボイスと凄みのある歌いまわしで歌唱し、その可憐な風貌とのギャップも相俟って一世を風靡した歌手だ。筆者も子供心に「暗い」と思ったくらいだ。宇多田ヒカルの声には藤圭子の怨念が乗り移っているから素晴らしいのである。これはもうDNAのなずわざだ。

 

 藤圭子は「阿部氏」である。そして阿部氏とは「阿倍氏」である。阿倍氏 は古代の豪族で「安倍」とも記す。安倍晋三とは関係ない。発祥地は大和国十市郡安倍(現,奈良県桜井市)と推測されている。もちろん物部氏である。『日本書紀』では第8代・孝元天皇の皇子「大彦命」を祖とし,『古事記』では「大彦命」の子「建沼河別命」(たけぬなかわけ)を祖とするとしているが、そもそも孝元天皇は存在していない。

 斉明天皇の御代には「越」(こし)の国守「阿倍比羅夫」が東北の日本海方面の蝦夷を征し,また粛慎(みしはせ)を討つなど北陸・東北方面に注目すべき活動を示している。元来阿倍氏が早くより北陸や東国方面に勢力を張っていたことは,同氏を伴造(とものみやつこ)とする丈部(はせつかべ)がこの方面に多く分布することからも察せられるが,伝承の上でも大彦命と建沼河別命は崇神天皇のとき、四道将軍としてそれぞれ北陸と東海方面へ派遣されており、また崇峻天皇のときには「阿倍臣」(欠名)は北陸道に遣わされたという。阿倍氏にはまた
「大嘗祭」において「吉志舞」(きしまい)を奏するという特殊な職務があるのだという。

 

 大嘗祭に関わる一族は「忌部氏」である。この「吉志舞」とは大嘗祭などで、安倍氏の当主等が監督して、「闕腋袍」(けってきのほう)等、主に武官の服装で踊られた舞楽のことをいい、 吉師舞、吉士舞等とも表記される。そして、舞い方自体は伝承されていない。のだという。そして、 伝説では、「神功皇后」が新羅征伐の後、凱旋した際、安倍氏の祖先によって、大嘗祭で踊られたものであるという。神功皇后とは応神天皇のことであり、応神天皇は神武天皇である。つまり、宇多田ヒカルの家系は、神武天皇が大和朝廷を成立させた時に行った、最初の大嘗祭に関わっていた忌部氏だったのである!

 

令和の大嘗祭

 

 宇多田ヒカルの歌は呪術である。それも神道祭祀を裏から仕切る忌部氏の呪術なのであり、そこには秦氏の血が作らせる綿密に計算された楽曲の上に忌部氏の呪術的な歌が乗るのである。つまり、秦氏と忌部氏の双方の呪術的な力を持った存在だったからこそ、日本史上で二度と破られることのない前人未到の領域に達したのである。