J-POP呪術大戦:その1

 

「歌は世につれ世は歌につれ」。大和の言葉で奏でる歌は呪術である。よって、J-POPも呪術となる。そこには歌の呪術師、言葉と音の魔術師たちが存在する。

※本連載に登場する人物名は本物ですが、書かれている内容は筆者の妄想です(笑)。ファンの方は真剣に取り合わないでください。

 

 Ado「唱」

 

 

 これは令和最強の呪術ソングである。Adoには物部氏の巫女の血が流れているはずだ。Adoの声の扱い方こそが呪術である。そうでなければ、この声の魅力に世界中が反応するわけはない。筆者の知り合いの自称・他称「日本一歌が上手い男」も、この歌唱には心底驚いていた。新年会で彼と語り合っていた際、2人共なぜか昨年の「紅白歌合戦」を見ており、その中で感心してしまったのが、AdoとYOASOBIだった。

 

 Adoは名を隠し、姿も隠している。そして「歌い手」である。アーティストではない。ここが大切だ。まるで日本を呪術で支配する漢波羅秘密結社「八咫烏」のようである。たぶん、八咫烏の巫女なのだ。なにせAdoの歌は「恐ろしい」と感じさせる。まさに呪術である。「恐ろしい」と感じる歌を歌える人はAdoを含めて3人しかいない。みな女性だ。筆者の知り合いの音楽プロデューサーで、そちらの筋の方も「呪術師だね、この子」と言ったので、筆者も「然り」と答えておいた。

 

AdoのXより拝借

 

 「Ado」という名前は、小学生の時、国語の授業で聞いた狂言の「シテ」と「アド」が由来だという。やはり。これが「シテ」という名前だったら秦氏だ。響きのかっこよさに惹かれて名乗ったが、主役のシテを支えるのが脇役のアドと知り、自分の曲を聴いてくれる人に代わって戦う存在、誰かの人生の脇役になりたいという意味も後付けで込めている。こういう考え方自体が物部氏だ。

 

 また、英語の「ado」には「骨折り」「騒ぎ」「面倒」という意味があり、「自分に合っている気がする」と語っている(笑)。たしかに女呪術師を扱うのは並大抵ではできない。色々と騒ぎが起きるが、世間の声など気にする必要はない。なにせこの国は物部氏には冷たい。ずっと差別をしてその存在を封印してきたからだ。しかし、令和には物部氏が必要である。物部氏の呪術の力がなければ、この国は守れない。

 AdoはボカロPや歌い手の顔出しをしないという文化を尊重しており、メディア出演や取材対応の際の顔出しはデビュー当初から一貫して行っておらず、イメージディレクターを務めるORIHARAによるイラストが使われている。「顔出し無し」はライブ出演時やテレビ出演時にも徹底されており、ステージ上に
金網で囲まれたケージのようなセットを組んでその中に入り、ステージ背後のスクリーンの明かりをもとに歌唱中のシルエットのみを観客や視聴者に見せるという方法が採られている。

 


AdoのXより拝借

 これまた象徴的である。
「鳥かご」である。Adoは「籠の中の鳥」なのである。「かごめかごめ」は呪術であり、それは丹後一之宮「籠神社」の隠し歌である。籠神社の神官一族は海部氏。物部氏の宗家である。Adoには海部氏の姫巫女の血が流れているのかもしれない。

 

 それにしてもAdoの「陰」のパワーは物凄い。Adoのイラストも暗い。明るいイラストになったら人気はなくなる。楽しそうなイラストが使われていても、よく見ると決して明るくない。ORIHARAによるイラストがとても呪術的だ。ようは江戸時代でいえば浮世絵師である。歌と絵が一緒にならないとパワーを発揮しないのだ。

 

 

 Adoの曲名には「新時代」「私は最強」「逆光」(アルバム『ウタの歌 ONE PIECE FILM RED』収録)など、物部氏の呪術師としか思えないタイトルの曲を与えられている。ファーストアルバムのタイトルは「狂言」である。ファーストライブのタイトルは「喜劇」である。“前世”を題材としたパラレルワールド小説「アドロイド 11010231224214427」も発売している。

 

 筆者はAdoのファンではない。全然ファンでもないのに、令和最強と言わしめるところが本物だ、ということだ。これからも大活躍するだろう。それは令和だからだ。その意味は深い。