本日の言霊 2024.06.07

 

 

 学校教育に関する教育基本法の第3条 (教育の機会均等)には、「 すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。」とあるが、実際は全く違う。なにせ文部省のトップは日本人じゃないからだ(笑)。

 

 「平等な社会」というものは幻想である。全てにおいて平等なんていう社会があったら逆に恐ろしい。だが、日本はある時から異常な「平等志向社会」へと突入させられた。学校教育の世界では、順位を付ける徒競走やリレーなどが運動会から排除され、フォークダンスも組体操もなくなった学校があるらしい。

 

 男女の平等を飛び越えて、ゲイやレズビアン、オカマやオナベにも配慮しないといけないらしい。もはや紅白歌合戦すら何組なのか分からないし、日本人も減っている。いったい、日本は何を基準にしたいのか、誰も分からなくなってきている。だからこそ、「平等なんかクソ喰らえ!」という基準が必要になっている。