「大和と日本」の謎:その23

 

 『宮下文書』は徐福が書いたとなっているが、実際は違う。だが、それを著したのは徐福の民・物部氏たちである。彼らは自分たちこそが最初にこの国に来たのだという自負があった。後に渡来した秦氏は原始キリスト教徒でイエス・キリストを皇祖神「天照大神」として祀った。だが、秦氏に与せず東国へと移動した物部氏である「外物部氏」は、彼らの唯一神たる創造神ヤハウェを「天照大神」として祀った。彼らも預言の民である。預言者・始皇帝の命に従って渡来したのだ。

 

 始皇帝が徐福に探すことを命じた「三神山」とは、蓬莱山と瀛洲山と方丈山による三神山であり、これは絶対三神の聖地であった。東海に浮かぶ3つの島々「日本列島」とは「生命の樹」を形成していたのだ。そして、始皇帝が徐福に命じて手に入れようとした「不老不死の仙薬」とは「生命の樹の実」のことであり、それが生えていたのは「エデンの園」があった超古代の日本の地だったのである。アダムとエバが暮らした地も、ノアが箱船を作った地も、世界の東に浮かぶ日本列島だったのである。だからこそ始皇帝は同族の徐福に「生命の樹」の手がかりを探させたのである。

 

 

◆古代イスラエル王国の南北朝とヤマトへの帰還 

 

 富士王朝のルーツ「日高見王朝」とは、古代イスラエル王国のことである。第一王朝は預言者モーセに始まる族長時代が反映されており、第二王朝はダビデやソロモンがいた古代イスラエル王国の時代である。『宮下文書』に記された内容と正確に王が対応しているわけではないが、注目すべきは一人の王「農作比古」と二人の王子「農立比古」と「農佐比古」で、二人の後継者は「日高見派」と「神農派」に分裂、やがて日本列島へとやってくる話となっているが、これと同じことが古代イスラエル王国で起こっている。

 

 栄華を極めた古代イスラエ王国のソロモン王が死去すると、息子レハベアムが王位を継承する。だが、これに民が猛反発するのである。そして、紀元前923年、古代イスラエル王国は2つに分裂、北朝イスラエル王国と南朝ユダ王国が誕生するのである。歴史的に見れば、ソロモン王による重税と強制徴用、及びユダ民族偏重に対する不満が、非主流派のイスラエル10支族の独立の形をとった形である。

 

左:ソロモン 右:レハベアム

 

 すべてのイスラエル人が王を立てるためにシケムに集まって来るというので、レハブアムもシケムに行った。 ネバトの子ヤロブアムは、ソロモン王を避けて逃亡した先のエジプトにいて、このことを聞いたが、なおエジプトにとどまっていた。 ヤロブアムを呼びに使いが送られて来たので、彼もイスラエルの全会衆と共に来て、レハブアムにこう言った。 「あなたの父上はわたしたちに苛酷な軛を負わせました。今、あなたの父上がわたしたちに課した苛酷な労働、重い軛を軽くしてください。そうすれば、わたしたちはあなたにお仕えいたします。」(「列王記上」第12章1-4節)

 しかし、愚王であったレハブアムはこのヤロブアムの要請を断ったため、イスラエル王国から「イスラエル10支族」が離脱することになったのである。つまり、古代イスラエル王国が日高見王国のことであり、ソロモン王が農作比古なのである。その息子・農佐比古がレハベアムで、南朝ユダ王国は聖地エルサレムを都とした保守派=日高見派なのである。北朝イスラエルの王となったのはヤロブアムで、これが兄の農立比古の改革派=神農派である。『宮下文書』では兄弟として描いているが、分裂して誕生した2つの王国を兄弟に見立てたのである。

 

 

 

 イスラエルのすべての人々は、王が耳を貸さないのを見て、王に言葉を返した。「ダビデの家に我々の受け継ぐ分が少しでもあろうか。エッサイの子と共にする嗣業はない。イスラエルよ、自分の天幕に帰れ。ダビデよ、今後自分の家のことは自分で見るがよい。」こうして、イスラエルの人々は自分の天幕に帰って行った。 レハブアムは、ただユダの町々に住むイスラエル人に対してのみ王であり続けた。 レハブアム王は労役の監督アドラムを遣わしたが、イスラエルのすべての人々は彼を石で打ち殺したため、レハブアム王は急いで戦車に乗り込み、エルサレムに逃げ帰った。 このようにイスラエルはダビデの家に背き、今日に至っている。
(「列王記上」第12章16-19節)


 ここだけを読むと、レハブアム王が悪王だったという風にしか感じられないが、そうではない。実は、この後に「北朝イスラエル王国」の王となるヤロブアムもまた、絶対神の怒りを買うことになる。それを示すように、この「列王記上」第12章には重要なことが書かれている。それは、古代イスラエル王国が南北に分裂するのは絶対神の意思なのだという風に読み取れる一文が記されているのだ。

 

  王は民の願いを聞き入れなかった。こうなったのは主の計らいによる。主は、かつてシロのアヒヤを通してネバトの子ヤロブアムに告げられた御言葉をこうして実現された。(「列王記上」第12章15節)


 絶対神の預言が成就したということだ。しかし、なぜレハブアムだけでなく、ヤロブアムもまた、絶対神の怒りを買うことになったのか。それは「偶像崇拝」である。ヤロブアムは王となった後、偶像崇拝に陥るのである。そのことを預言者アヒアを通じて絶対神ヤハウェは預言したのである。

 

北朝イスラエル王国と偶像崇拝のために鋳造されたアシュラ像

 

 わたしはあなたにつらいことを告げるように命じられている。 行ってヤロブアムに言いなさい。『イスラエルの神、主はこう言われる。わたしはあなたを民の中から選び出して高め、わが民イスラエルの指導者とし、 ダビデの家から王国を裂いて取り上げ、あなたに与えた。しかし、わが僕ダビデがわたしの戒めを守り、心を尽くしてわたしに従って歩み、わたしの目にかなう正しいことだけを行ったのとは異なり、 あなたはこれまでのだれよりも悪を行い、行って自分のために他の神々や、鋳物の像を造り、わたしを怒らせ、わたしを後ろに捨て去った。 それゆえ、わたしはヤロブアムの家に災いをもたらす。ヤロブアムに属する者は、イスラエルにおいて縛られている者も、解き放たれている者も、男子であれば、すべて滅ぼし、人が汚物を徹底的にぬぐい去るように、わたしはヤロブアムの家に残る者をぬぐい去る。 ヤロブアムに属する者は、町で死ねば犬に食われ、野で死ねば空の鳥の餌食になる。まことに主はこう告げられた。』 (「列王記上」第14章6-11節)

 これは預言者アヒアが、ヤロブアムの妻に語った絶対神ヤハウェの預言である。ヤロブアムは自分の子が病気となり、その病状がどうなるかを預言者アヒアに教えてもらうため妻に聞かせに行くのだが、返されたのは絶対神ヤハウェの怒りの言葉だったのだ。それも「完了形」である。この時点では、まだ北朝イスラエル王国が成立していないにもかかわらずである。


 あなたは立って家に帰るがよい。あなたが足を町に踏み入れるとき、あなたの子は死ぬ。 イスラエルのすべての人々はこの子を弔い、葬るだろう。まことにヤロブアムに属する者で墓に入るのは、この子一人であろう。ヤロブアムの家の中でイスラエルの神、主にいくらか良いとされるのはこの子だけだからである。 主は御自分のためにヤロブアムの家を断つ王をイスラエルの上に立てられる。今日にも、いや、今にもそうされる。 主はイスラエルを打って水辺に揺れる葦のようにし、その先祖にお与えになった地からイスラエルを引き抜き、ユーフラテスのかなたに散らされる。彼らがアシェラ像を造って、主の怒りを招いたからである。 主は、ヤロブアムが自ら犯し、またイスラエルに犯させた罪のゆえに、イスラエルを引き渡される。(「列王記上」第14章12-16節)
 

アッシリアとバビロニアの位置

 

 紀元前723年、北朝イスラエル王国はアッシリア帝国によって滅亡、住民はメソポタミアに連行される。この「アッシリア捕囚」こそ、「イスラエル10支族」の長い旅の始まりである。『宮下文書』で記されたのは、蓬莱山を目指した先遣隊の農立比古は、様々な苦難を強いられ一時期「行方不明」となったことだ。アッシリア捕囚となった北朝イスラエル王国の民も行方不明となり、いつしか「失われたイスラエル10支族」と呼ばれるようになる。 

 

 北朝イスラエル王国の10支族は、アッシリアが滅亡し、捕囚から開放された後、祖国へは戻らなかったのである。その後の行方も分からず、聖書研究家たちにとっての最大の謎「失われたイスラエル10支族」として、現在もイスラエル共和国が政府機関「アミシャーブ」を通じてその末裔たちを探している。歴史家のフラビウス・ヨセフスは「失われた10支族はユーフラテス川の向こうにおり、膨大な数になっている」と伝えているが、それは「列王記」にもあるように、先祖にお与えになった地からイスラエルを引き抜き、ユーフラテスのかなたに散らされる」とした絶対神ヤハウェの預言の通りになったのである。

 

 ペルシャ、インドへと続く道はアジアに入るとシルクロード=「絹の道」と呼ばれる。シルクロードの終点は日本である。

 

「失われたイスラエル10支族」

 

 「失われたイスラエル10支族」の一部は中国で羌族となるが、やがて「秦」にもやってきて始皇帝の命に従う。そして、その大半は騎馬民族となって朝鮮半島への侵入する。後に「秦人」(しんじん)と呼ばれた彼らは、3世紀に神武天皇に率いられて日本にやってくる。初代・神武=崇神=応神天皇には農立比古が投影され、農立比古=国常立尊としているのだ。

 

 失われた10支族が渡来した時、畿内には既に「邪馬台国:ヤマト」があった。邪馬台国を治めていたのは、徐福集団の子孫である物部氏と海部氏である。彼らはミツライム系ユダヤ人で、もとは南朝ユダ王国の民である。そう、彼らが農佐比古が率いた民として描かれた日高見派のイスラエル人である。

 

 紀元前587年、ソロモンの子レハブアムが建てた南朝ユダ王国は、新バビロニア王国によって滅亡、住民は「バビロン捕囚」となった。新バビロニア王国が滅亡すると、多くのユダヤ人はカナンの地へ帰還したが、バビロンに留まった人々がいた。彼らがミツライム系ユダヤ人である。南朝ユダ王国が新バビロニア王国によって滅ぼされた理由もまた同じだった。

 

  ユダの人々は、主の目に悪とされることを行い、その犯した罪により、先祖が行ったすべてのことにまさって主を怒らせた。 彼らもまたあらゆる高い丘の上と、茂った木の下に、聖なる高台を築き、石柱、アシェラ像を立てた。 その地には神殿男娼さえいた。彼らは、主がイスラエルの前から追い払われた諸国の民のすべての忌むべき慣習に従った。(「列王記上」第14章22-24節)

 

 

 

 北朝イスラエル10支族も南朝ユダ2支族も「偶像崇拝」に陥った。さらにユダでは神殿に男娼までいたとある。絶対神ヤハウェは同性愛を許さないし、売春行為も許さない。ましてや神殿を穢す行為は絶対に許さない。両国が滅ぼされたのすべての理由は、絶対神の怒りを買ったからなのである。大預言者モーセが与えられた「十戒」を破っているからだ。

 

 「主が唯一の神であること」⇒別の神バアルを崇拝
 「偶像を作ってはならないこと」⇒悪魔バアルの像を鋳造
 「殺人をしてはいけないこと」⇒南北朝での度重なる争い
 「姦淫をしてはいけないこと」⇒売春に同性愛

 

 「ヤマト」は世界の雛形である。そして「ヤマト民族」は世界の民の雛形である。その雛形の民族が偶像崇拝に陥り、悪魔バアルを崇拝してしまい、同性愛や買春行為にふけっていたのである。それは絶対神の怒りを買うはずだが、その行為は現在も続いている。「狂牛病プリオンタンパク質溶液」のワクチンを1億人が接種したことは、牛の姿のバアルを崇めたこととなり、売春・買春・同性愛が蔓延している。さらに穢れた異民族との交配も進んでいる。全ては滅びの象徴である。

 

 

 

 日本は世界でも類を見ないほどのアイドル好きである。アイドルというのは偶像である。頭のおかしなホストやキャバ嬢に狂う輩も偶像崇拝者として滅ぼされる。それを助長する者たちもまた滅びの対象である。LGBTが大手を振っているのはアメリカの策略だが、それを受け入れてしまったのもまた愚かなヤマト民族である。創造神ヤハウェは、自分が作った人類の中でも、自分の名をもつヤマト民族には最も厳しい処置を施す。「ソドムとゴモラ」のように滅ぼされることとなる。逃れることはできない。

 

 本来、失われた10支族は、もう二度と「偶像崇拝」に陥らないように、祖国には戻らず、新しい国造りを行うためにユーラシア大陸を東へと向かった。それもまた絶対神の導きであった。二度と「偶像崇拝」にも「同性愛」にも「姦淫の罪」にも陥らないことを誓うため、新たな国の名を「ヤマト」とした。ミツライム系ユダヤ人もまたメソポタミアから東へ移住、中国の天山山脈の北麓に「ヤマト:邪馬図」という国を前哨基地として作り、その後にイスラエル10支族がいた中原の「秦」へ移動。そこに始皇帝が誕生したのである。

 

天山山脈の麓にある「雅馬図(图)」の立て札

 

 徐福は2回の航海で古代日本に「ヤマト」を建国した。この航海が農佐比古の海路による移動のことを伝えているのである。徐福は『宮下文書』を編纂したことになっているが、実際は、農佐比古として描かれているだけで、徐福の名前を前面に出したのは、日高見王国=南朝ユダ王国の正統性を強調し、王権を継承していることを意味しているのである。徐福の子孫は東西日本列島を全て統治するはずが、できなかった。富士王朝の中心地、富士山麓に徐福の子孫が今もいると語れるのは、邪馬台国から移住した外物部氏の拠点だったからである。

 

<つづく>