「大和と日本」の謎:その22

 

 『宮下文書』には、天照大神の記述がある。ここは単純に物部氏系の歴史とも、他の古史古伝とも違う点である。

 

 天照大神は大国十八州、小国四十八国を定められ、「四季島」を八州に分けられた。これより「四季島」は「大八洲:オオヤシマ」と呼ぶ事になった。また、天照大神は国宝典礼を定められ罪人を教戒する為に出雲国に獄舎を設けこの監督を「須佐之男命」に命じられ、これを「天獄」と呼び、1000日毎に諸国の神が出雲に集まり、その改心の状況を判断して処罰を決められたとある。スサノウが刑務所の監視役ということだ。そんな話は聞いたことがない。

 

 神々の会合の為に出雲に大宮を建て、天照大神は「須佐之男命」の女の「出雲比女命」を桑田の宮に招いて国祖の「国常立命(豊受大神)」の宮を守護させられた。「出雲比女命」が亡くなると、その神霊を祀り「出雲大神」と称した。第五代目の「宇家潤不二合須命」(ウガヤフキアワスノミコト)は伯父の「海佐知比古」(ウミサチヒコ)を西征の総元帥として「阿曾武命」を海軍の総大将として外寇と戦い、これを平定して九州に神都を定め、これを「日向高千穂峰」と名付けられた。この時代をウガヤフキアワス朝と呼び、五十一代続いたとする。

 

高千穂峰

 

 「高千穂」という場所は、宮崎県に2つ存在する。「高千穂峡」は宮崎の北側に位置し、熊本と大分との県境にあり、「高千穂峰」は宮崎の南側に位置し、宮崎と鹿児島の県境にある。この2つの場所は直線距離でなんと100キロ離れているのだが、こんなに離れていてなぜ同じ「高千穂」という名前がついているのかは疑問である。もちろん『古事記』にも「高千穂」という地名が登場する。天照大神の孫「瓊瓊杵尊:ニニギノミコト」が地上世界に降り立った「天孫降臨」の場所が「高千穂」だとする神話である。さらに『日本書紀』や『日向国風土記』にも高千穂は登場する。但し、いつものごとく、表記は異なる。

 

 『古事記』では「高千穂之久士布流多気」、『日本書紀』では「日向襲之高千穂峯」、『日向国風土記』では「日向高千穂二上峯」である。だが、少々おかしな話と思えるのが、「宮下文書」には外寇と戦い、これを平定して九州に神都を定め、これを「日向高千穂峰」と名付けられた、という部分だ。「神都」が山の上にあるものだろうか。神を降ろす場所としての聖なる山というのなら「三輪山」のようなもので理解できるが、山岳民族でもないイスラエル民族が山の上に都を作るなどとは到底信じがたい話だが、これも神話である。そのまま言葉を鵜呑みにしてはならない。これには必ず仕掛けがある。
 

 

2つの「高千穂」

 

「神武天皇」が皇子の時、東国で反乱があり、それを鎮圧して大和国「橿原の宮」に於いて即位され、国名を「大日本国」と改め、年を即位紀元一年として二月十一日に即位し、この日を「紀元節」と定められたとする。この現代朝の初めの神武天皇の時から、「神皇」の呼び名を「人皇」と呼ぶ様になったという。そして、神武天皇は十八州、小国四十八国を改めて五十六国とし、これを東海、東山、北陸、山陰、山陽、南海、西海の七道及び御家内国五国の八区分を設けた。御家内国は大和、山背、川地、泉水、摂津の五国でありこれを天皇直轄地と定められ、七道と御家内国には国造を置き、小国には県令を置き、郷には郷師を、村には村長が置かれた。また、全国を三十一県として各県に県令を置かれたという。

 ここで急に神話というより具体的な話に切り替わるが、神武天皇からは第六王朝で、記紀でいう
大和朝廷の時代である。より神話と史実がごちゃまぜな感じとなるため、非常に勘違いを起こしやすい。「宮下文書」では、第15代・応神天皇の後継者争いで破れた大山守皇子が全国の「山部」と「海部」を支配し、後に不二阿祖山太神宮の神官となっている。だが、初代・神武天皇は15代・応神天皇でもある。その御子がなぜ外物部氏の社であり、富士(不二)王朝の都でありその神殿であった不二阿祖山太神宮の神官となってしまうのか。なにせ「応神」の名は新しい神の教えに応じた、つまりユダヤ教徒から原始キリスト教へ改宗したことでその名があるからだ。

 

 なぜ、外物部氏は「宮下文書」を徐福書き残したとしたのだろうか。さらに「宮下文書」には秦氏系の記述も登場するのだ。だが。この後、徐々に富士王朝の記録は消されていくことになるのだが、それは大和朝廷にとって、その存在がこれ以上放置できない、危険となったからである。

 

◆富士山とシナイ山

 

 何度も書くが、古史古伝は暗号である。実は「富士王朝」の王族とされや「神農」の姓は「羌」(きょう)である。この連載でも書いたが、中国の少数民族「羌族」は「失われたイスラエル10支族」の末裔である。「羌族」の「羌」の字には「羊」

があるように遊牧民であり、古代中国における「羌族」であることを示している。イスラエルの政府機関であり、「失われたイスラエル10支族」の末裔の行方を世界中で探す「アミシャーブ」の調査でも、中国の羌族は「失われたイスラエル10支族」であると判明している。つまり、「神農」を暗号として含んでいる神々は古代イスラエル人なのである。

 

羌族(左)とその末裔とされている「チャン族」(右)

 

 アミシャーブは「失われたイスラエル10支族」を捜し求め、現在も世界中の国々を調査している。最高責任者はラビ・エリエフ・アビハイルであった。インドにはヨセフの末裔のマナセ族の子孫ではないかとされる人々がおり、アミシャーブ傘下の「ベネイ・マナセ」という団体が帰還運動を推進するなど、世界各地で同様の活動を行っている。そして、アミシャーブは古代日本と日ユ同祖論に注目、ラビ・アビハイルは何度も日本の各地へ赴き、調査を続けていた。その理由は「終末」に起こるとされる「世界最終戦争」のためである。世界最終戦争が起きる時、イスラエル共和国は世界が敵になると信じているからである。

 

アミシャーブが探した各地の「失われたイスラエル10支族」の末裔

 

 神農の別名であった「炎帝」には、火山が象徴されている。燃え上がる火山の神をヘブライ語では「エル・シャダイ」といい、全知全能の神を意味する。要は創造神ヤハウェのことである。創造神ヤハウェは火山である「シナイ山」で大預言者モーセに「十戒の石板」を授けた。

 

  シナイ山は全山煙に包まれた。主が火の中を山の上に降られたからである。煙は炉の煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた。 角笛の音がますます鋭く鳴り響いたとき、モーセが語りかけると、神は雷鳴をもって答えられた。(「出エジプト記」第19章18−19節)

 

 主はモーセに言われた。「前と同じ石の板を二枚切りなさい。わたしは、あなたが砕いた、前の板に書かれていた言葉を、その板に記そう。 明日の朝までにそれを用意し、朝、シナイ山に登り、山の頂でわたしの前に立ちなさい。 だれもあなたと一緒に登ってはならない。山のどこにも人の姿があってはならず、山のふもとで羊や牛の放牧もしてはならない。」
 モーセは前と同じ石の板を二枚切り、朝早く起きて、主が命じられたとおりシナイ山に登った。手には二枚の石の板を携えていた。 主は雲のうちにあって降り、モーセと共にそこに立ち、主の御名を宣言された。 (「出エジプト記」第34章1-5節)

 

 富士第一王朝で暗示される聖なる火山とはシナイ山のことであり、これを原型にして始皇帝が徐福に言った「蓬莱山」が語られているのである。「東海に浮かぶ蓬莱山」とは富士山のことで、極東イスラエル=日本において、富士山は第2のシナイ山なのである。

 

 

富士山とシナイ山

 

 実は、この「暗号」を理解していた人たちがいる。それは、現行の千円札をデザインした人たちである。野口英世の千円札に描かれている富士山は湖に姿を映しているが、妙なことに、その形は富士山ではなく、シナイ山なのである。現在の千円札(2004年以降発行)に描かれているのは、一般的には本栖湖から見た富士山を描いているとされるが、この富士山の構図は、旧五千円札(1984 年発行)にも描かれていて、いずれも 写真家「岡田紅陽」 が撮影した写真「湖畔の春」を基にデザインされているとされている。岡田紅陽は、 その生涯で約40万枚にも及ぶ様々な表情の富士山を撮り続けたと言われ、まさに富士山に魅了された写真家であった。

 

 この千円札のシナイ山の話は「都市伝説」にもなっている。いわく1000円札の裏側には逆さ富士が描かれていると思っていましたが、よく見れば湖に写っているのは富士山ではなくアララト山である。いわくこれはモーセが十戒を受けたシナイ山で、フリーメイソンと関係がある。いわくシナイ山に似ていると書かれているが、真相は「元の写真の逆さ富士自体が、本物の富士山と形が違うように映っていた」という事である。など、いろんな話が飛び交ってはいるものの、千円札に描かれた少し崩れた形はシナイ半島にある「ホレブ山」とも酷似している。これを仕掛けたのはフリーメーソンである。但し、それは陰謀論好きが言うイギリスを発祥とする近代フリーメーソンではない。

 

 

 第2のシナイ山である富士山が蓬莱山と呼ばれるのは三神山だからである。実際、富士山は小御岳、古富士、新富士の3つの火山から形成された山である。そこには「絶対三神」の山であることを示唆されており、さらに富士山の頂上の「十合目」で十字架に掛けられて天に戻った神が降りて来るのが頂上だということも暗示しているのである。

 

 富士山には巨大な「ピラミッドアイ」が存在する。全てを見通す絶対神の目である「プロミデンスの目」がその正体である。以前の連載でも書いたが、「契約の箱アーク」の蓋に乗る左右のケルビムの隙間の三角から覗くのはヤハウェの片目であり、日本ではそれを山の高さ「合目」と表すが、「合」は「△+□」の「目」で、モーセがシナイ山でヤハウェと遭遇した様子の表記となっているのだ。だからこそ「不死の山」たる富士山には「八合目」があり、そこから上が頂上となる。もちろん「八」は「ヤ」でヤハウェのことを示し、モーセの前でヤハウェの目が光っていたということなのである!

 

 

 ちなみに富士山の登山ルートにもよるが、「新7合目」の次に「元祖7合目」があったり、「8合目」があったと思ったら「本8合目」があったり、九合目、十合目、新十合目などもある。だが、大切なのは「八合目」で、モーセがヤハウェに遭遇したのは頂上ではなく、それより下の場所だということを示している。そして、3つの山が火山の爆発と地殻変動によって1つの山を形成した。つまり「三神」の象徴でもあり、それを示した創造神ヤハウェの山なのである。

 

 同様に蓬莱山と瀛洲山と方丈山でも三神山を構成する。三神とあるように、これは絶対三神の聖地である。東海の3つの島々=日本列島とは「生命の樹」を形成しているのだ。秦の始皇帝が徐福に命じて手に入れようとした「不老不死の仙薬」とは「生命の樹の実」なのであり、それが生えていたのはエデンの園である。アダムとエバが暮らした地は、中国から東に浮かぶ日本列島だった。ここにこそ「生命の樹」の手がかりがあり、カッバーラの奥義を極めた預言者がいると徐福は確認したのである。

 

<つづく>