「大和と日本」の謎:その15


 古代日本の英雄とされている「ヤマトタケル」の神話は多層構造である。聖書文字・漢字には、通常の字の意味以外に、旧約聖書・新約聖書の逸話、預言の意味も込められており、それは大和言葉も同様である。つまり、それらの字や言葉を使って作られた古代の神話に登場する人物名、土地の名前、ストーリーなども全て多層構造で、捉え方次第で幾通りもの意味が登場する。これぞカッバーラの呪術なのである。

 

 前回、紐解いていったヤマトタケルの神話の謎解きには、まだ続きがある。なにせ、ヤマトタケルの神話を読み直すと、旧約の話にも新約の話にも思えてくる部分がいろいろ出てくるし、別の神話やら史実が織り込まれていたりするからだ。なにせ答えはどこにもない。必死に探すしかないのである。そこを経ないと、もう一つの国「日本」の謎解きには進めない。

 

◆「ヤマトタケル神話」に隠された別の意味

 

 日本武尊が宮簀媛に草薙神剣を自らの「形影」とするように言い残したことは、日本武尊=ヤマトタケルの存在には、天照大神=イエス・キリストを象徴的に隠しているとした。古代日本列島に降臨したイエス・キリストは、自らを現人神ヤハウェだと自らの民「ヤ・ゥマト」に教えるため、次々と海部氏・物部氏の前に降臨した。それが倭姫命による伊勢までの「巡幸」で、その行く先々には創造神ヤハウェの磐座たる「契約の聖櫃アーク」が運ばれた。そして、そこには「契約の聖櫃アーク」を守ることを命じられた復活体のモーセもいた。

 

 旧約の民であるユダヤ教徒の物部氏たちは、自分たちの眼前に神が降臨し、イスラエル民族の大預言者モーセが出現したことに驚愕し、次々と恭順したはずである。だが、熊襲や隼人はそうでなかった可能性が高い。徐福の集団や秦人とは異なり、彼らは1000年近くも「契約の聖櫃アーク」や「三種の神器」から遠ざかっていたからだ。徐福の集団の海部氏や物部氏以上に混乱したに違いない。よって、反抗をやめない熊襲や隼人に対しては、強硬手段に出たことが想像できる。平伏させるのではなく、滅ぼしてしまうという手段である。が、それは軍隊を使った合戦ではなく、呪術だったはずである。そして、それを伝えるのは「名」である。

 

 

 『古事記』『日本書紀』『先代旧事本紀』ともに、ヤマトタケルの本の名は「ヲウス(オウス)」、亦の名は「ヤマトヲグナ(ヤマトオグナ)」で、後に「ヤマトタケル」を称したとしている。それぞれ表記は以下の通りである。

 ◆『日本書紀』・『先代旧事本紀』
  本の名:小碓尊(おうすのみこと)、小碓王(おうすのみこ)
  亦の名:日本童男(やまとおぐな)
  後の名:日本武尊(やまとたけるのみこと)、日本武皇子(やまとたけるのみこ)
 ◆『古事記』
  本の名:小碓命(おうすのみこと)
  亦の名:倭男具那命(やまとおぐなのみこと)、倭男具那王(やまとおぐなのみこ)
  後の名:倭建命(やまとたけるのみこと)、倭建御子(やまとたけるのみこ)

 まず、
「ヲウス(小碓)」という名称についてだが、『日本書紀』では、双子(大碓命・小碓尊)として生まれた際に、天皇が怪しんで臼(うす)に向かって叫んだことによるとする。なんで怪しんで「臼」に向かって叫ぶのか?それも、いったい何を叫ぶというのだろう。ここだけを読むと意味不明だが、そうしたところにこそ暗号が隠されている。

 

 亦の名にある「ヲグナ(童男/男具那)」とは、未婚の男子の意味である。そして「ヤマトタケル」の名称は、「熊曾建」(クマソタケル) /「川上梟帥」(カワカミノタケル)の征討時に捧げられたものである。日本武尊の「尊」(みこと)の用字は、一般的には皇位継承者と目される人物に使用されるものだが、『古事記』の倭建命の「命」(みこと)も同様に、上代に「神や人の呼び名の下につけた敬称」である。古事記の表記では「命」に統一されているが、日本書紀では、至って尊い存在には「尊」、それ以外には「命」と使い分けている。


大国主

 

 国津神の代表的な神で、国津神の主宰神とされるのは出雲の「大国主神」(おおくにぬしのかみ)だが、「大国主命」でもある。『古事記』『日本書紀』の異伝や『新撰姓氏録』によれば、「大国主命」は「須佐之男命」の六世の孫とされ、『日本書紀』の別の一書には七世の孫などとされている。また『日本書紀』正伝によると素戔嗚尊の息子とある。日本国を創った神とされる「大国主神=大国主命」には、別名が山ほどある。大穴牟遅神、於保奈牟知、大穴道、大汝、オオアナムチ、国作大己貴命、八千矛神、葦原醜男、大物主神、宇都志国玉神、大国魂神、伊和大神、所造天下大神、地津主大己貴神、国作大己貴神、幽世大神、幽冥主宰大神、杵築大神などなど、時空を超えて様々な「神」として祀られている。

 

 神話の世界では「ヤマトタケルノミコト」という名称も、「ヤマトタケルの神」になってもおかしくはない。すると、「倭建命=日本武尊=大和建命=大和建神」となり、「大和の国を作った神」と考えてもおかしくはない。なにせ「ミコト:命・尊」の意味とは、「言 (こと) を敬っていう語。神・天皇・貴人などの言葉。おおせ。御命令。」とあり、《御言 (みこと) を発するお方の意から。また、「御事」の意とも》とされているのだ!すると、「御言 (みこと) を発するお方」とは「言葉の神」、つまり「言霊=聖霊」となる。古代ヤマトの国を言霊の呪術で覆った神、それを「ヤマトタケルノミコト」という暗号名で呼んだのではないか。


 ヤマトタケルノミコトは、「白鳥」に化身して飛び立ったとある。これを神としてとらえれば、「天」に戻ったイエス・キリストとなると前回書いたが、このヤマトタケルが死んだ時の描写には「衣服と冠が脱け殻のように残されていた」と描かれている。この話をイエスの死と復活として盛り込んだものと考えた場合、「冠」は「荊の冠」となり、「衣服」は「亜麻布」となるのではないか。

 

 朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。 そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」 そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。 二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。 身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。 続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。 イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。 (「ヨハネによる福音書」第20章1-7節)

 

復活したイエスは「白鳥」のように天に戻った

 

 ヤマトタケルノミコトの死をもし「人間」として捉えたら、「どこか遠く=海の向こう」に旅立った話とも考えられる。 「衣服と冠が脱け殻のように残されていた」と描かれたヤマトタケルの死は、中国でいう「尸解」(シカイ)である。「尸解」とは、中国の神仙思想や道教で、人がいったん死んだのちに生返り、他の離れた土地で仙人になることをいう。だが、道教は古代ユダヤ教であり、それを日本にもたらしたのは徐福である。徐福の子孫である海部氏が、神道の奥義を握る「鴨族」であることを考えれば、ヤマトタケルノミコトの神話の中に、ユダヤ教的かつイエスの死と復活のストーリーを混ぜ込んでもおかしはない話だ。

 

 ヤマトタケルノミコトの子供の時の名称「ヲウス(小碓)」について、『日本書紀』では、双子(大碓命・小碓尊)として生まれた際に、天皇が怪しんで臼(うす)に向かって叫んだことによるとあるが、これは一見すると意味不明な神話に聞こえてしまうが、もしヤマトタケルノミコトの神話を、「邪馬台国:大倭国」による日本制圧として捉えた場合、違う見方ができる。それは「臼」である。「ヲウス」を「オウス=御臼」とすると、徐福がもたらした稲作文化(弥生文化)が、熊襲や隼人の狩猟文化を制圧、さらに東日本の狩猟文化=縄文文化を制圧していったという意味になるのではないか。

 

 つまり、ヤマトタケルノミコトの神話というのは、徐福の渡来から神武=応神天皇による畿内への東征、さらに秦氏による物部系神社の乗っ取りに至る、古代ヤマトの制圧の歴史と呪術による祭祀権の剥奪の歴史を、「ヤマトタケルノミコト」という名に込めた創造神ヤハウェ=イエス・キリストによる「ヤ・ゥマト=神の民の国を建国する命(令)」ということになる!

 

女装して熊襲建を襲うヤマトタケル

 

  ヤマトタケルノミコトは九州の「クマソタケル:熊襲建」兄弟の討伐を命じられる。なぜか兄も弟も同じ「建:タケル」という名前である。ここにも仕掛けがある。この時、いまだ少年の髪形を結う16歳で、わずかな従者も与えられなかった小碓命は、まず叔母の倭比売命が斎王となっていた伊勢へと赴き「女性の衣装」を授けられたとある。つまり、女の姿に化けたのであり、それは「男神・スサノウを女神・天照大神に変えた」という示唆なのである。なぜか。それは記紀ではヤマトタケルノミコトが冷酷無比な人間として描かれているからだ。

 

 クマソタケル兄弟の兄・熊襲建/川上梟帥を討伐後、弟・健を瓜を切るように真っ二つに斬り殺したとしている。さらに弟彦らを遣わして、その仲間を全て斬らせたため生き残った者はいなかったというのだ。出雲建も殺してしまうし、吉備の穴済の神や難波の柏済の神を殺し、相模国の国造らを全て斬り殺して死体に火をつけ焼いてしまっている。そこには慈悲はない。なぜ、かくも冷酷無比な人間として描いたのか。それは人間ではなく「荒ぶる神スサノウ=ヤハウェ」だからである。

 

 スサノウは『古事記』では速須佐之男(たけはやすさのおのみこと)、速須佐之男命、須佐能男命、須佐之男命、『日本書紀』では素戔嗚尊、素戔嗚尊、速素戔嗚尊、素戔嗚、『出雲国風土記』では神須佐能袁命(かむすさのおのみこと)、須佐能乎命、『支那震旦国皇代暦記』では祖佐男命などと表記される。「男のミコト」であり、神仏習合では「牛頭天王」と同一視される。つまり、神に無礼を働いた「古丹」の一族を皆殺しにした荒ぶる神である『古事記』と『日本書紀』を合わせると、速須佐之男命=素戔嗚尊=素戔嗚、つまり「倭建命=神=日本尊」となる。

 

速須佐之男命=素戔嗚尊=素戔嗚

 

 冷酷なヤマトタケルノミコトとは、天照大神の荒御魂である荒ぶる神スサノウノミコトを描いているのである。「ヤ・ゥマト=神の民の国を建国する命(令)」に背く人々を次々征伐した。つまり皇祖神に逆らう者は許さず、それをもって「倭国」と「日本国」という2つを制圧したと考えればいいのである。クマソタケル=熊襲建」の誅伐された弟・建は死に臨んで、「西の国に我ら二人より強い者はおりません。しかし大倭国には我ら二人より強い男がいました」と武勇を嘆賞し、小碓命に名を譲って「倭建」(ヤマトタケル)の号を献じたとしているのである。

 

 つまり、ここには「=「創造神ヤハウェ=スサノウ」を奉ずる物部氏の「倭国:邪馬台国」が、海部氏と合体したことで「大倭国」となり、熊襲を制圧したことを伝えているのである。さらに、ヤマトタケルノミコトは「弟」である。旧約聖書の民・ユダヤ教徒にとって、彼らを導いた大預言者モーセはアロンの弟であり、さらに創造神ヤハウェに「イスラエル」という新しい名を与えられた(命を授けられた)のは、アブラハムの孫のヤコブであり、ヤコブもまた弟であった。その12人の子らがイスラエル12支族であり、古代イスラエル王国を樹立したのだ。「倭建」(ヤマトタケル)の号を献じたというのは、それをも示唆しているのである!

 

 古代の日本=ヤマトは、「倭⇒大倭⇒大和」と変わり、古神道(ユダヤ教)から神道(原始キリスト教)の国になりましたよ、とヤマトタケルノミコトの神話は伝えているのである。だからこそ古代日本の最大の英雄伝でありながら、最期に「白鳥=イエス・キリスト」は天に昇ってしまうのである。

 

<つづく>