「大和と日本」の謎:その11

 

 『旧約聖書』は改竄されていた。ヨシヤ王の宗教改革の際に内容が変えられ、モーセの子孫の存在は隠された。モーセの兄アロンの子孫とされている幕屋や神殿の大祭司は全てモーセの子孫であり、中でも創造神ヤハウェの祭壇である「契約の聖櫃アーク」を扱える大祭司はモーセの末裔のみだった。エルサレムが陥落する直前、預言者エリミヤは密かに聖櫃アークを運び出し、大祭司とともにネボ山の洞窟に隠したが、そこには死して復活の変身体となってアークを守る大預言者モーセがいた。

 

 

 

 契約の聖櫃アークは神殿なきエルサレムには戻されず、シルクロードの彼方、中国へと移された。そして、バビロン捕囚から帰還しなかった南朝ユダのイスラエル人たちは、ミツライム系ユダヤ人として、東の「秦」へと移住。後に、そこには始皇帝が現れ、史上初の統一国家を樹立した。若き嬴政(えいせい)による巨大な統一国家樹立を可能にしたのは恐るべき力を持つアークの存在があったからだった。

 

 

◆古代日本に運び込まれた2つのアーク 

 

 イスラエル人大祭司であり、モーセの末裔だった秦始皇帝は、アークを祭壇に天帝を祀る「封禅の儀」(ほうぜんのぎ)を「泰山」(たいざん)で執行する。この「封禅」(ほうぜん)とは、帝王が天と地に王の即位を知らせ、天下が泰平であることを感謝する儀式である。 始皇帝以前には72人の帝王がこの儀式を行ったと『史記』には伝えられている。 その歴史は三皇五帝によって執り行われたのを最初としているが、伝説の時代であるため詳細は不明である。が、しかし。始皇帝が「封禅の儀」を執り行った際、泰山に絶対神ヤハウェが顕現、始皇帝を絶対神の預言者として祝福する。

 

「封禅の儀」

 

 「封禅の儀」を終えた始皇帝の前にアロンの末裔である道教の方士・徐福が極秘計画をもって現れる。それはイスラエル人の最終集合地である「三神山」たる日本列島に向かい、契約の聖櫃アークを隠すことであった。計画を遂行するにあたり、始皇帝は一つの仕掛けを施す。アークを2つに分割、一対の天使ケルビムが坐す「贖いの座」である「蓋」と担ぎ棒がついた「箱」の部分に分け、それぞれにレプリカを作って補完したという。こうして蓋が本物の「上アーク」と箱が本物の「下アーク」ができたのだとしているのが、飛鳥昭雄氏と三神たける氏の共著「失われたオカルト呪術『迦波羅』の謎」である。

 

 この「上アーク」」というのは、秦氏神道の象徴である「鳥」であり、ある時は「鶴」で表現され、またある時は「鶏:二羽鳥」で、それが神輿に乗ると「鳳」と「凰」の二羽の鳥が一体となった「鳳凰」で、その正体は「上アーク」に乗る二体一対の「ケルビム」のことである。ある。一方の「下アーク」は物部氏の古神道の象徴である「亀」であり「箱」のことで、それは大洪水の水中に潜った「ノアの箱船」であり、さらに「ヤマタノオロチ」の象徴でもある。

 

 

 「上アーク」にはモーセが絶対神ヤハウェから授かった2枚1組の「十戒石版」が収められ、「下アーク」にはアロンが手にした「アロンの杖」が納められ、それぞれモーセの子孫の始皇帝とアロンの末裔の徐福が奉斎することが取り決められた。かくして「下アーク」は徐福によって、東海に浮かぶ三神山=日本列島に運び込まれ、最終的に「丹後」に祀られることとなった。そこが日本最古の社、「籠神社」の奥宮「真名井神社」である。

 

 ミツライム系ユダヤ人の大祭司たちは儀式を執行した。彼らこそが後の籠神社の神官一族・海部氏(=天部氏)であり、同族の日下部氏に「浦島太郎」のモデル「浦嶋子」がいる。籠神社には亀に乗った「倭宿禰」の像が祀られているが、その手には金の「玉」を持つ。浦島太郎が訪れた「龍宮城」とは「隠岐」のことで、授かった「玉手箱」とは聖櫃アークのことである。下アーク=箱=玉手箱の象徴を浦島太郎が乗った「亀」に見立てたのであり、それを伝える像として「倭宿禰」があるのだ。

 

左:倭宿禰の像 右:浦嶋子の像

 

 一方、「上アーク」は始皇帝亡き後、その子孫とミツライム系ユダヤ人及び失われたイスラエル10支族によって朝鮮半島に運ばれる。彼らは「秦人」(しんじん)と呼ばれ、朝鮮半島の東側に「秦韓」(辰韓)と「弁韓」を建設。両国から後に「新羅」と「伽耶」ができ、3世紀に10支族の大王・神武天皇=応神天皇が秦氏を連れて上アークとともに九州へ上陸する。この時、神武天皇=応神天皇は10支族の王族としての至宝「マナの壷」を持ち込み、モーセの末裔の秦氏は「十戒の石板」とともに渡来。遂に、極東イスラエル王国において、「上アーク」と「下アーク」、三種の神器が全て集まることとなったのである。

 

 10支族の大王で秦氏の大王でもあった応神天皇は、九州から畿内へと侵攻し、海部氏と物部氏が支配した「邪馬台国=大倭」を征服する。この時の王家は海部氏と物部氏で、海部氏の始祖・天火明命とは、物部氏の始祖・ニギハヤヒ命と同一神である。記紀神話では、神武天皇とニギハヤヒ命が互いに天神の末裔であることを証明するために「天羽々矢」(あめのはばや)と「歩靫」(かちゆき)を見せ合ったが、これは上アークと下アークが合体したことを意味、それを伝える漢字が「合」で、「箱合わせ」をした意味となる。

 

 「天羽々矢」(あめのはばや)とは、その字の如く「羽」が2つあることで、2体のケルビム(智天使)が翼を伸ばして坐す蓋の「上アーク」であり、「歩靫」(かちゆき)とは弓矢を入れておく「箱」のことで、「下アーク」の象徴である。神武天皇とニギハヤヒ命の軍を率いた長髄彦が、この同じ形をした蓋と箱を見せ合ったのが、神武東征における最大のポイントとなる。長髄彦の正式な名は「登美能那賀須泥毘古」(とみのながすねびこ)で、ニギハヤヒ命は妹の夫であり、神武天皇の東征に反抗した大和国鳥見(とみ)の土豪だったが、金色の鵄(とび)が神武天皇の弓にとまり、その光で目がくらみ、饒速日命に討たれたという。

 

上:箱合わせ 下:神武天皇の弓に止まった金鵄

 

 神武天皇の弓にとまったのは「金鵄」(きんし)で、それは3人1組の裏天皇「金鵄」を象徴しているが、さらに3神の存在を明らかにした光の絶対神にして、天神であるヤハウェ=イエス・キリストである。物部氏の軍は驚愕して、神武軍に平伏することとなる。自分たちが奉じていた唯一神ヤハウェが、復活体の現人神イエス・キリストとして降臨、神武天皇の側に立ったからである。さらにこの時、もう一人の復活体が側に付き添っていた。モーセである。モーセは常に「契約の聖櫃アーク」の側にいた。絶対神ヤハウェに聖櫃アークを作ることを命じられたのはモーセであり、その箱にヤハウェを降ろせたのもまたモーセだったからである。

 

 古代日本にヤハウェ=イエス・キリストとモーセが降臨したのである。極東イスラエル王国を建設させるために。かくして「上アーク」と「下アーク」が合体、「真アーク」として統合された。アークにイスラエルの三種の神器が納められた。そこで、神武=崇神=応神天皇は、奈良の「鳥見山」に設けられた「霊畤」(れいじ)において、最初の即位の儀式を行う。そこには秦氏がエルサレムから運んできた原始キリスト教の至宝たるイエス・キリストの「聖十字架」も立てられた。

 

鳥見山にはアークが置かれ、聖十字架が立てられた

 

 「大嘗祭」は天照大神としてイエス・キリストを祀り、契約を結ぶ儀式である。イスラエル10支族の王家ガド族の後継が絶たれた後、レビ族でモーセ直系の末裔である「武内宿禰」(たけのうちのすくね)が「継体天皇」として受けた儀式を原型とし、「最後の晩餐」の再現を通じて、その身に聖霊を宿す。神との食事を済ませると、聖遺物である「聖釘」(せいてい)によって両手両足に傷をつけ、十字架で死んだイエス・キリスト表現。次に「麁服」(あらたえ)に身を挟み、顔を繒服(にぎたえ)で覆って寝床に横になる。

 

 再び起き上がったとき、天皇霊が宿りし天照大神の預言者「天皇陛下」として復活する。日本を統治するにあたり、天皇は二つの国を支配することを宣言する。二つの大嘗宮「悠紀殿・主基殿」は東西日本を統治する権能を授かる象徴で、悠紀殿には「真アーク」が、主基殿には上下レプリカの「権アーク」が置かれた。この国を守っているのは契約の聖櫃アークなのである。

 

<つづく>