「大和と日本」の謎:その4

 

 物部氏の祖神は「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)という。『古事記』に於ける表記は「邇藝速日命」(にぎはやひのみこと)で、『日本書紀』に於ける表記は「櫛玉饒速日命」(くしたまにぎはやひのみこと)、「饒速日」(にぎはやひ)、「饒速日命」(にぎはやひのみこと)である。物部氏の歴史書と呼ばれる『先代旧事本紀』に於ける表記は「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」「天照国照彦火明櫛玉饒速日尊」「櫛玉饒速日尊」「饒速日尊」で、これら全て男神である。

 

 饒速日命は天照大御神の孫にあたる神とされ、天照大御神から「十種の神宝」を授かり「天磐船」に乗って 河内国河上の哮峰(いかるがのみね)に天降り、その後大和国(奈良県)に移ったとされている。つまり「天孫降臨」である。だが、一方で天孫が降臨した神話には天孫「瓊瓊杵尊」(ににぎのみこと)もいる。まぁ孫がいっぱいいたと考えれば不思議な話ではないが、天孫降臨神話は半分が史実で半分は神話である。なぜなら、天孫「饒速日命・邇藝速日命」と天孫「瓊瓊杵命 ・邇邇芸命」は同一人物で、実在の人物としては物部氏の祖「徐福」だからである。

 

天孫「饒速日命・邇藝速日命」と天孫「瓊瓊杵命 ・邇邇芸命

 

 「饒速日命・邇藝速日命」は「ニギハヤヒノミコト」だが、これを「ニキ・ハヤヒ」とすると「二木」となり、「二本の木」が隠されていることとなる。一方の「瓊瓊杵命 ・邇邇芸命」は「ニニギノミコト」だが、こちらも「ニニキ」とすると「二二木」となる。となると、「2つの二本の木」ということになるが、これはいったい何を意味するのだろうか。

 

  

◆「二本列島」としての東西二本

 

 日本という国号を言霊で「にほん」、つまり「二本」と解釈するならば、おのずとそこは「生命の樹」と「死の樹」の双樹が存在する国と規定される。それは、まさに楽園エデンであり、アダムとエバが住んでいた「エデンの園」として日本が存在することになるのである。「言霊」を知り尽くし、この日本に恐るべき呪術を仕掛けた呪術師たちは、日本というエデンの園を「寧楽」(なら)と呼び、その国を「飛鳥」(あすか)と名付けた。

 

 神道とこの国を裏側から呪術で支配する呪術師たちは「漢波羅」(かんぱら)と呼ばれ、彼らは秘密組織「八咫烏」の一族である。裏天皇家でもある「八咫烏」が保持するのが、人類発祥以前からの歴史が綴られた書である『八咫烏秘記』である。『八咫烏秘記』の内容を見せられ、その一部を公開した人は飛鳥昭雄氏と「竹内文書」を記した竹内巨麿だけである。飛鳥氏はその著『失われた超大陸パンゲア文明「アスカ」の謎』の中で、500歳を超えるとされる超高齢の八咫烏の巫女から伝えられた『八咫烏秘記』の一部を公開しており、そこには「寧楽」と「飛鳥」と記されている。

 

 

 大地は単で中央にあった人の祖の地があったが、日球へと昇華した後、この世界は生き物が食らい合う死すべき有様となった。

 

 人は始祖を除き、兄妹や姉弟が睦んで子をなし五色の人種が誕生したが、始祖の末は、中央の黄金色の黄人で、歴代の王となり世界を治めた。二人の始祖は単一大地の東端に住み、そこを「安宿」(あすか)と定め、以後は世界をアスカと称した。

 

 アスカは始祖の初めが住んだ地として「寧楽」(なら)とも称した。アスカは安らかな地、ならも同意で「也」「成」でもありアスカナリで一対となる。そこは大災難の後の葦原中国の天越根国とならん。

 

 名は「呪」(しゅ)であると安倍晴明は言った。呪いを解くためには「謎」を解く必要がある。「謎」とは「ナゾ」であり、言霊では「名素」(なそ)、すなわち名前の素を解き明かせばいい。「二本の木」を掲げる国「日本」とは「二本」なのである。日本列島は大きく2つ、「東日本」と「西日本」に分かれていた。本州はフォッサマグナの西側、糸魚川静岡構造線を境にして、異なる文化圏だった。文化のみならず、植生や動物、昆虫の種類も異なる。

 

 

 そもそも、東日本と西日本は別々の独立した島だったのであり、本州は糸魚川静岡構造線の部分で、物理的にも東西に分離していたのである。それを示すのが正月の「餅」である。お正月に食べる雑煮は、西日本側では「丸餅」で、東日本側は「四角餅」で、2つを合わせると日本の国旗となる。そこにも「陰と陽」が隠されている。

 

 

 

 『八咫烏秘記』には大地は単で中央にあった人の祖の地があったが、日球へと昇華した後、この世界は生き物が食らい合う死すべき有様となった」とあるが、この大地は単で」とは「ノアの大洪水」が発生する以前の超古代の地球には、唯一の超大陸パンゲアのみが存在していたということだが、この世界大陸の本名は「アスカ」であると記されている。

 

 ノアの大洪水の後、地球は縮みはじめる。そして超大陸パンゲアは大陸放散を始め、さらに本格的な大陸移動が始まると、ユーラシア大陸の極東部分は細長く分離を開始。東日本列島は沿海州から反時計回りに回転しながら分かれ、同時に九州や四国と一体となった西日本列島は時計回りに回転しながら移動を開始。北海道は樺太とともに大陸から分かれて、3つの陸塊となった。

 

 現在の定説では、東日本列島と西日本列島が徐々につながり、いったん、逆のくの字になったが、そこへフィリピン海プレートに乗った伊豆諸島が本州に激突。伊豆半島が形成され、富士山が噴火。現在のような姿になったと考えられている。だが、実際はもっと激しかった。ユーラシア大陸から分離した東日本列島は、大きく時計回りに回転し、青森を南にして南下。分離した西日本列島は大きく時計回りに回転して、九州を北にした状態になった。二つの日本列島は徐々に接近し、ついには激突。西日本列島の九州と四国が分離し、東日本列島に伊豆諸島が衝突。今度は合体した日本列島が反時計回りに回転し、現在のような姿になったのである。

 

 以下、その流れを画像にしてみた。

 

 「エデンの園」は超大陸パンゲアにあった。「創世記」第2章8節には「東の方のエデンに園を設け」とある。どこから見て東方なのかは不明だが、大陸の内部にあったことは確かである。楽園を追放されたアダムとエバは、「エデンの園の東」へと続く道を歩いていったが、どこまで追放されたのか。この謎を解く鍵はアダムの子孫ノアである。『八咫烏秘記』には、以下のように記されている。

 

 最後の天王は選別された動植物を乗せる海磐船をアスカで造り、王と一族が乗って大いなる水難から逃れた。そこは東の果ての地で海からも離れ泥砂の一撃を避けられる地だった。世界は浄化の大洪水に沈みすべてが死に絶えたが、水中に潜った海磐船は浮き上がりやがて烏を放った。烏は戻らぬことで濡れた地とそこに取り残された餌(魚)を知らせ、鳥は口にくわえた芽で地の乾きを知った。

 

 ノアは箱舟を作った。それは超大陸パンゲアの東方、海岸がある場所である。それはユーラシア大陸の東、すなわち極東である。超大陸パンゲアの極東は、現在の日本列島であり、日本列島はユーラシア大陸から分離して、現在のような形になった。つまり、かつて日本列島があった極東にアダムとエバは追放されたのである。言葉を換えれば、ノアの大洪水以前、アダムとエバ、さらには直系の預言者たちは、超古代のやがて日本列島になる場所に住んでいたのである。だからこそこの国は後に「神の人々」という意味をもつ「ヤ・ゥマト:ヤマト」という名が与えられることになったのである。

 

<つづく>