「穢れ」と「言霊」の謎:その63

 

 われわれ個人を特定するものは「名前」である。西洋人は日本人のように考え抜いて字を組み合わせて子供の名前を考えることはない。筆者がアメリカに住んでいた時、周囲の友人はポールにジョンやジョニー、ポール、トニー、ケニー、サイモン、リンダにマリア、キャロル、ケイトといった名前で、メキシコ人の友人のトニーはアントニオで、アメリカ人になるとアンソニーだ。特にこちらも「なんでその名前なの?」なんてきいたことはない。

 

 だが、日本人は「姓名判断」が好きだ。姓名判断による赤ちゃんの名付け・命名サービスには「良運命名」というものがあったり、子供の名前決め・名付け支援サイト「赤ちゃん命名ガイド」なんてものもある。「赤ちゃんの名前は、パパとママから贈る人生最初のプレゼントです」なんて書いてあるが、それなのに、なんで男も女もみんなアイドルグループのメンバーみたいな名前になってしまうのか意味不明だし、付け方を間違えるとホストやキャバ嬢みたいな本名になっている子も多い。

 



 こうしたサイトには登録された数十万件以上の子供の名前データベースの中から「ひびき」「願い・イメージ」「使いたい漢字」「字画数」などを元にこれだと思う名前を選び、その名前で「姓名判断」をする事が出来るとある。要は占いと同じで、統計学であるが、問題は「名前」には統計学では解明できない作用がある。「言霊」である。なにせ「名前」はその人が一生投げかけられることになる「言葉」だ。変な音のある言葉を使ったり、日本人にも読めない当て字がOKなんて、きっと日本だけで、必死に漢字を学んだ外国人もお手上げとなる。

 

 実際、2023年の赤ちゃんに付けられた名前のランキングでは、女の子の赤ちゃんの名前ランキング1位は「陽葵」(主な読み「ひまり」)が8年連続1位を獲得している。普通に読めば音では「ようき」、訓では「ひあおい」「ひなたあおい」、もしくは

いつわあおい」となる。なにせ「陽」という字の訓には「いつわ(る)」という読みがあるからだ。「陽「も「葵」もそれぞれの字は悪い字ではないが、「ひまり」と読ませることには無理がある。要は「ヒマワリ」を意識して「ひまり」なんだろうし、「向日葵(ひまわり)」の中に「日葵」が入っているから「陽葵」でいいだろうということなのだと思う。

 

 また、読みランキング(男女共通)2位に「ひなた」という読み方が含まれることも8年連続1位の理由のひとつと考えられるという。「太陽のように明るく、向日葵のように常に明るい方を向いて育ってほしい」といった願いが込められているとする。これを英語で考えると「Sunflower」ということになる。どうも商船三井の船の名前みたいだ。ちなみに女の子の赤ちゃんの名前ランキング2位は「凛」(りん)で、3位は「翠」(すい)だという。いちゃもんを付ける気はないが、本気なのかと考えてしまう。

 

 

 「翠」という字の訓読みは「かわせみ」で、意味も「かわせみ。カワセミ科の鳥。また、特にカワセミの雌。」である。親としては宝石の「翡翠」(ひすい)のような女の子にと願ったのかもしれないが、「翠」をヒスイとする場合は、「青い宝石」と呼ばれる事もある。この宝石は「珍しくて、美しい外観を有する」から女の子に付けるのだろうが、実は「雄」を翡(ヒ)、「雌」を翠(スイ)と言う。

 

 さらにこの字は「羽+卒」で、「鳥の両翼」の象形=「羽」の意味と「衣服のえりもとの象形に一を付した」文字で、「神職に携わる人の死や天寿を全うした人の死の時に用いる衣服」の意味である。なぜなら、「卒」は2人の罪人とともに十字架の磔刑となったイエス・キリストのことで、イエスは2人の天子とともに天に昇ったことを意味する字だからである。だからこそ、「粹(スイ)」に通じ、「混じり気がない」の意味から、色に混じり気のない羽の鳥「かわせみ」を意味する「翠」という漢字が成り立っている。

 

 これは平成の30年で徹底的に虐げられてきた大和民族が、どうにか子供には羽ばたいて欲しいと願ってこの字を使っているのかもしれない。なぜなら男の子の赤ちゃんの名前ランキング2位は「碧」(あお)で、3位は「陽翔」(はると)だからだ。「碧」は「美しく光り輝く青緑色の玉のような色」を表し、「翠」と同じであり、「翔」にも「羽」が入っている。失われた30年の間に生まれた子供たちに共通する深層心理が、こうした「字」を選ばせているのかもしれない。しかし、日本人には変なところも多い。

 

 上の画像はニューヨークでユダヤ系アメリカ人の家系に生まれたデザイナー、「マーク・ジェイコブス」の商品である。なにが変なのかといえば、マーク・ジェイコブスが2001年から展開したセカンドライン「マーク・バイ・マーク・ジェイコブス」のロゴの入ったバッグを猫も杓子も使っていたことだ。筆者はなんで「ヤコブなんて名前のバッグをみんなで持っているのか?」と驚いたものだ。きっと古代イスラエル人の末裔、つまり「イスラエル」と名乗ったヤコブの末裔だからに違いないなどと考えてしまったくらいだ(笑)。 

 

 「マーク・ジェイコブス」は人の名前だ。他人の名を全面に出した商品を持つというのは、呪術的にはその人間に支配されたに等しい行為である。これだけ姓名判断にこだわるくせに、自分の持ち物は外国人の名前が前面に出た商品を好むというのが理解に苦しまう。「シャネル」もそうだが、ブランドロゴが全面に出ているものを使う日本人は多い。だが、これが日本人のスーパースター「イチロー」の本名だったらどうだろう。「ICHIRO」なら使うだろうが、「鈴木一郎」と漢字が書かれた商品を使うだろうか?実は、ここには「名前」という呪術に縛られる日本人の特性がある。 

 

 

◆「名前」と「命名」

 

 「名前」とは、いったい何か。それを考えるにあたって、手がかりとなる言葉がある。それは「命名」(めいめい)である。名前をつけるという意味である。生まれたばかりの赤ん坊に名前をつけるとき、「命名する」と表現する。名前をつけるとは、命を与えることなのである。生きとし生ける者にとって、最も大切なものが命である。では、「命」とは、いったい何か。

 

 日本人はとかく「命は地球より重い」などと表現するが、これは比喩である。命に質量はない。「命だけは」「命に次に大事な」「命に代えてでも」といった表現があるが、かくも大事な命とは、いったい何かという問いに対して、まともに答えられる人はほとんどいない。

 

 

 命がなくなったらどうなるのか。こう聞かれたら、10人が10人、「死ぬ」と答えるだろう。その通りである。死ぬことを「命を落とす」もしくは「命を失う」という表現を使う。では、命という字を含む熟語「亡命」(ぼうめい)はどうか。「命を亡くす」と書くが、意味は外国へ籍を移すことで、当人は死んではいない。同様に「命日」(めいにち)はどうか。命の日である。命を得たという意味では、本来は生まれた日のはずであるが、実際は「死んだ日」である。死んだのに「命の日」とは、いったいどういうことなのか。

 

 逆に生まれた日のことを何というか。そう「誕生日」である。だが、不思議なのは、生まれた日なら「生日」でいいはずである。生まれた日を表す言葉には「生年月日」というのもある。「誕生日」の頭についた「誕」は不要なはずである。生まれた日には、なんでわざわざ「誕生日」という言葉を使うのか。漢和辞典で調べると、「誕」の字の意味は3つある。

 

 ①うまれる。うむ。

 ②いつわる。あざむく。でたらめ。

 ③ほしいまま。きまま。

 

 なんと「嘘」「偽り」という意味がある。つまり「誕生日」とは「偽りの生日」なのだ。よって、誕生日に本人は生まれていないことになる。これは、いったいどういうことなのだろうか。これを逆から考えてみると、つまり反対の言葉を考えてみるとどうなるか。「命」の反対は「死」である。

 

 「死」を含んだ熟語を考えてみる。「死体」という言葉の反対語は何か。「死」の反対は「命」だから、そのまま当てると「命体」となるが、そんな言葉はない。「生命体」という言葉はあるが、ここには「生」なる字が含まれている。正しくは「生体」である。「生体肝移植」など専門用語として使われる。ということは、結論として「命」の反対語は「死」ではないということになる。なぜなら、そもそも「命」には反対語が存在しないのである!

 

 英語の「ライフ」に対応するのは「生」である。だが、「命」という字には英語の「ライフ」とは別の意味がある。それは、いったい何か。この謎を解く鍵となるのは「名前」である。命名とは、名づけること、だ。亡命とはそれまで所属していた国から戸籍がなくなること。戸籍に記されているのは名前である。命日は死んだ日で、この時「戒名」(かいみょう)が付けられる。

 


 

 「戒」という字の意味は3つある。

 

 ①いましめる。さとす。つつしむ。「戒告」「訓戒」「自戒」

 ②用心する。警備する。「戒厳」「戒心」「警戒」

 ③いましめ。特に、宗教上のおきて。「戒壇」「戒律」「破戒」

 

 「戒名」とは、死んだ人間として新しい名前がつけられることである。つまり、「命」には「名前をつけるはたらき」の意味があるのだ。神道では神々の名前に「命」(みこと)がつくことがある。月読命、須佐之男命、大国主命など、最後に「命」がつく。同じ「みこと」と呼んで、神格の高い神には国常立尊、高皇産霊尊、伊奘諾尊といった「尊」という字が当たられることもある。いずれも名前をつけるはたらきをもった存在であることを示している。

 

 この世に生まれた最初の人間であるアダムは、創造神ヤハウェによって生ける存在になったとき、最初に行ったのが「命名」である。

 

 「人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。 人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けた」(「創世記」第2章19−20節)

 

 人祖アダムは神道におけるイザナギ命であり、妻エバはイザナミ命である。地球上の生物に名前をつけたのはアダム、すなわちイザナギ命である。お分かりだろうか。「名前をつけた」ということが、この世における「命」の始まりであり、呪術の始原なのである! イザナギ命、イザナミ命の「イザナ」とは「誘う」という意味であり、人を誘うために必要なもの。それは名前である。イザナギの「ナ」とは「名」なのである!エバはアダムが命名した最初の人であるがゆえ、「人類の生を宿す」ことになったのだ。

 

<つづく>