「穢れ」と「言霊」の謎:その53
 

 2013年、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は、日本に対して「加害者と被害者という立場は、千年過ぎても変わらない」と演説したが、これは大和民族からすると「1000年後も韓国人は穢れたままです」と宣言したに等しい言葉である。日本では過去の「恨み・辛み・嫉み」は全て「穢れ」である。だからこそ他人をずっと憎むこと、他人の罪を赦さないのは「穢れ」とされ嫌われる。

 

朴槿恵(パク・クネ)元大統領

 

 まぁ朴槿恵が日本人を許せないのには別の理由がある。それは1974年8月15日、韓国の「光復節」(解放記念日)の式典で、母親が在日の韓国人青年・文世光によって暗殺されたからである。大阪の交番から奪った二丁の拳銃をトランジスターラジオに隠して韓国に入国。式典に紛れ込み、演壇に立った朴正煕大統領を狙撃したものの、銃弾がそれて壇上にいた陸英修大統領夫人に命中、死亡させてしまうという事件が起こった。

 

 この文世光という青年は北朝鮮のオルグを受けており、定期的に「万景峰号」(まんぎょんぼ)の中で司令を受けていた人物で、協力者である日本人女性の夫名義のパスポートを使って韓国に入国している。背景には、当時の韓国の民主化運動家の中には、軍事クーデターで大統領となり、民主化運動を弾圧していた朴正煕を暗殺することによって民主化を成し遂げようという考え方があり、同じく朴正煕を亡き者として南朝鮮革命を一挙に成し遂げようとする北朝鮮の思惑とも一致していたのである。

 

 朴槿恵は父親を尊敬していなかったが、母親に強い影響を受けていた。陸英修大統領夫人という女性は才女で、英語から政治学、歴史など、あらゆる分野の教授を呼んで個人授業を受け、ファーストレディに見合う教養を身に付けていた人物で、朴正煕も陸夫人にだけは頭が上がらなかったと言われている。そのお母さんに子供の頃から薫陶を受けていたのが朴槿恵であった。

 

文世光事件

 

 「いやいや、同じ韓国人同士の話じゃないか」と考えてしまうのは日本人で、朴槿恵は日本の警察がだらしなかったから文世光がピストルを奪い、最愛の母親の命を奪ったのだと考えていたのだ。つまり「母親の命を奪ったのは日本だ」という思いがあったということで、朴槿恵の頑な反日意識はここにある。だが、実際はどうだったのかといえば、事情は少々異なる。2002年に朴槿恵大統領が訪朝し、金正日と会談した際、金正日はあっさり「私の部下がやったこと」と認め謝罪してしまったのである。その際、朝鮮総連には動揺が走ったとされている。なにせ文世光を焚き付けたのは、日本の朝鮮総連だったからだ。

 

 さらに実際は文世光の弾丸は外れていて、警護室長の「車智澈」(チャ・ジチョル)が後ろから大統領夫人を撃ったという説もある。これは大統領は指示してないが、意を体してやったということだ。なにせ当時の朴正煕は、陸夫人とは不仲だった。毎夜のように側近を集めてパーティーを開いており、当然、そこには毎回違う女性が充てがわれていた。朴正煕の女遊びが手に負えなくなり、夫人は東海岸にある寺(洛山寺)に籠もってしまう。彼女は敬虔なる仏教徒で、大統領がまともになるよう祈っていたという。この話は元・公安調査庁の故・菅沼光弘氏が洛山寺の住職から直接聞いた話として自著の中で披露している。

 

韓国のWebにアップされている事件の顛末を示す写真

 

 警護室長の「車智澈」が犯人だったら、完全に逆恨みである。さらに金正日はあっさりと自分の部下の不始末だったと謝罪までしているのである。朴正煕という女性はとても頭のいい女性である。麻生太郎や河野太郎の脳みそと交換した方がいいくらい優秀であることは間違いない。なにせ英語もフランス語も話せて、流暢な中国語まで話せる人物である。清華大学では中国語でスピーチをして学生から教授までを唸らせたほどである。

 

 が、「私怨」は絶対に忘れないし、子供の時から「日本人が悪い」という強烈な恨みはすぐには消せないのである。それは「恨(ハン)」の国だからである。そこが日本とは根底から異なる点である。演歌の世界で「恨み節」が多いのは、歌手も作家も在日コリアンが多いからだし、韓国から来る演歌歌手が多いのも同じで、韓国では逆に「恨」こそがパワーになるのである。ここは大和民族には永遠に理解できない。なぜなら、大和民族は恨みも辛みも嫉みも過去の怨念も全て「穢れ」であり、それらはすべて「水に流す」ことが大切だからである。

 

 

◆「水」で「穢れ」を落とす神道とヒンドゥー

 

 「穢れ」は消毒液や石鹸では落とせない。だが、落とす方法がある。「禊ぎ」と「祓い」である。「禊ぎ」とは「身に罪や穢 (けが) れのある者、また神事に従事しようとする者が、川や海の水でからだを洗い清めること」とある。つまり、消毒液や石鹸では落とせないが、「水」では落とせるのである。つまり、禊ぎ・祓いとは「水に流す」ことなのである。そして、日本では「水に流す」ことを美徳とする。但し、こうした考え方は、日本人だけのものである。

 

 ひどい仕打ちを受けた相手に「あなたへの恨みは忘れました。すべて水に流しましょう」と言えば、日本では立派な人物として尊敬される。その前提として、なぜ「恨みを忘れること」を「水に流す」というのか。これは「恨み」というものは「穢れ」の一つだからだ。つまり恨みという穢れを水に流して「禊ぎ」をすることが、最大の美徳となるのである。逆に恨みを抱き続けることは穢れたままでいることになるのだ。

 

 

「水に流す」とは、全ての「穢れ」や「邪悪」を川などで清め流してしまうことが語源で、これは日本独特の文化である。本連載でインドでは聖なるガンジスで「沐浴」をするとしたが、ガンジス川で沐浴することは、ヒンドゥー教徒にとって非常に重要な宗教的意義をもつ。ヒンドゥー教では、ガンジス川は「女神ガンガー」の化身とされ、ガンガーが地上に現れ、人々を浄化し、罪や悪を洗い流すために流れているという。諸説あるが、ヒンドゥー教の3柱の最高神「ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ」にもそれぞれガンジス川と関係のある伝承が残され、ガンジス川の重要さを物語っている。。

 ガンジス川は「ブラフマー」によって、人々を浄化し、救うことを目的として天界から地上へと降り注いだと伝えられている。そして、ガンジス川が天界から地上に降り注ぐ途中に、「ヴィシュヌ」の足に当たるところを通り、足を清めた。その時、ヴィシュヌは、ガンジス川を非常に清らかな川として賞賛、その水を飲むことで、悪から身を清めることができると伝え広めたとされる。もう一柱のシヴァは、地上に降り注ぐガンジス川の流れを彼の頭を傾け、髪を広げて受け止め、川の強大な流れによる地上の破壊を防ぎ、ガンジス川がシヴァの髪の中を通って地上に降り注ぐことで、地上に豊かな水源をもたらしたと伝えられている。この伝承から、シヴァ神が描かれる際、頭頂部からガンジス川が流れ出ているように描かれることも多い。

 


 

 日本では「穢れ」を「祓い清める」ために「禊」(みぞぎ)をを行うが、ヒンドゥー教では、ガンジス川で沐浴することには3つの意味があるとする。1つ目は「罪を浄化する」ことである。ガンジスの水は聖なる力があると信じられ、ガンジス川で沐浴することで、自分の罪を洗い清め、霊的な浄化を受けると考えられている。2つ目は「病気を癒す」ことである。ガンジスの水は浄化作用がある以外にも、ミネラルや微量元素が豊富であるとされており、健康に良いと考えられている。まぁ、これはかなり前の話だろう。なにせ今は工場排水やら毒液が平気で垂れ流されていて、いくら「聖なる川」と言われようとも筆者には入る勇気はない(笑)。


 3つ目は「冥福を祈る・先祖を祀る」ことである。ガンジスの水は、冥界にいる祖先の霊魂に幸福を与えることができると考えられている。ヒンドゥー教では、冥界は苦しみや不快感に満ちた場所とされており、魂が浄化されるまでには長い時間がかかるとされているため、死者の魂を浄化し、死者の魂が輪廻転生の過程をスムーズに進むことを助けると考えられている。ここは神道とは違う。むしろ仏教的な世界観である。そして、ヒンドゥー教は多神教である。そして、他の宗教とは異なり教祖や開祖と呼ぶべき宗教的指導者が存在していない宗教である。その意味では古神道に近い。

 

 大きな意味で「神道」は、山や岩などの磐座、風、雷、水となんでもござれの八百万百の神々を祀る「多神教」に見えているが、実際はことなる。物部氏が奉ずる古神道は、自然崇拝のアニミズムに見えるが、本当は唯一神ヤハウェを絶対神として祀る唯一神教である。一方の秦氏が奉ずる神道は、表向きは天照大神を最高神として祀る唯一神教に見えるが、裏側は「御父・御子・聖霊」の絶対三神を祀る三神教である。その意味では、ヒンドゥー教は古神道と神道の中間に位置する宗教ともいえる。

 

シヴァ神

 

 ヒンドゥー教は三柱の最高神は、それぞれ役割が異なる。世界と宇宙の創造神が「ブラフマー」、世界の守護者である維持神が「ヴィシュヌ」、そして破壊神が「シヴァ」である。破壊神を最高神として祀るというのは、どこか不思議な印象を受けるかもしれないが、ヒンドゥー教は古くから継承してきたインド神話に登場する神々への信仰や、インド独自の哲学や宇宙観を組み合わせていくことで発生した信仰体系なのである。ポイントは「哲学」である。

 

 セム系民族には「哲学」はない。哲学とは、とらわれない目で事物を広く深く見るとともに、それを自己自身の問題として究極まで求めようとするものである。 古代ギリシアでは学問一般を意味していたが、のち諸科学と対置されるようになった。古代ギリシャ文明も古代インド文明を支えたのはセムの兄弟ヤフェトである。釈迦族を除いて、インドの民は肌は浅黒いが、基本的に白人種の祖ヤフェトの末裔なのである。だからこそ、三柱の最高神が存在するのである。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教にとっては敵である。

 ヒンドゥー教の「起源」を明確に決めることは困難とされているが、およそ紀元前5世紀にバラモン教から成立したと考えられている。しかし、ヒンドゥー教は、古くはインダス文明の神話まで継承しているとも考えられるため、その側面では3500年以上の歴史があるとも言えるのだが、それはヤフェトの末裔が作った神話だからであり、膨大な神話の数々の中から、ヒンドゥー教が成立する際に、シヴァは多くの神話や神々が集まるようにして誕生した存在になる。

 

 

 ヒンドゥー教が成立する以前には、シヴァという存在はマイナーである。だが、シヴァの直接の原形とされる「ルドラ」という神がおり、ルドラは雲と暴風と嵐を象徴する、破壊的かつ狂暴な神であり、人々から恐れられる破壊的な神という意味では、古代のインド神話では珍しい存在ではある。つまりルドラこそが、破壊神シヴァの原形にあり、様々な土着の神や既存の神の役割などがシヴァに集められていった。雷の軍神であるインドラや、炎の神であったアグニなど、そうした神々の役割も併せ持つようになり、シヴァは多彩な能力を持った神になったのだ。そしてマイナーな神であったはずのルドラ=シヴァは、やがて最高神というポジションを与えられることになる。

 シヴァ神は頭頂部からガンジス川が流れ出ているように描かれたり、青い姿で描かれ、さらに三叉の矛を持って描かれるが、これはギリシャ神話でいえば海神ポセイドンであり、よって水神でもあり雷神だからでもある。さらに暴風を起こす凶暴な神である。日本神話でいえば、それは海を支配下スサノウである。雷神であり水神であり龍神であり、高天原で大暴れをした凶暴な神でもある。しかして、その正体は荒ぶる御霊の絶対神ヤハウェである。つまり、ヒンドゥー教の三神は創造神ヤハウェ=イエス・キリストの御霊分けなのである。つまり唯一神教でもあり三神教でもあるのだ。

 

 シヴァ神から流れ出るガンジスの水で心身を清める理由はヤハウェ=イエス・キリストの水だからで、その意味では日本と同じなのである。古来、日本人は、生活で汚れたものは川で洗い、災いや祭り、祈りの時、それに関係する品々は思いを込めて川に流してきた。そして人と人のいさかいやわだかまりといった感情もまた「水に流す」ということで収める考え方をしてきのである。水の豊富な国の人、水の流れに美をみる国の人ならではの心であったことも大きい。

 


鹿島神宮での真冬の「大寒禊」

 

 穢れたままの状態にしておくことを日本では「悪徳」と言う。ここは、日本人と朝鮮民族の根本的に異なる点である。韓国人の神道に対する考え方だが、日本に遊びに来た韓国人が日本の神社を見ると「少々気味が悪い」と感じるという。これは日本が朝鮮半島を併合、国家神道による神社崇拝をさせたからということではないという。キリスト教のような絶対神がはっきりせず、「なんとなく霊のようなものがいる場所」と感じるのだという。お墓のようなものが都会の真ん中にもあり、意味不明な鳥居や注連縄が飾られているのを見ると、ゾッとするのだそうで、神社に行くと「穢れがとれる」とか「清々しい」と感じる日本人とは真逆である。


 ところが最近の日本では、都合の悪いことは何でも「水に流して」忘れ去ってしまうという、悪い意味で「水に流す」が使われることが多い。そもそもこの言葉は、過去の諍いを「水に流す」ということで、前向きに生きるための意味で使われてきた部分もある。だが、最近の子どもたちの様子を見ていると、どうやら「水に流す」ことができないようなのだ。前にあったトラブルや、イジメられないために集団の中での「力関係」をずっとひきずっている子が多く、「あの子はああいう子で、自分はこういう子」と決めつけてしまっている子も多い。故になかなか友人と分かり合おう、分かち合おうとせず、本人の抱える問題とも正面から向き合おうとしない。結果、「引き籠もり」となってしまう。

引き籠もりニートの部屋

 

 つまり、過去を前向きに乗り越えられていない=水に流せていないのと同時に、新しい自分も発見できていないということなのである。「引き籠もる」には様々な理由があり、解消するには時間を要することも承知している。だが、はっきり申し上げておくが、「引き籠もり」はダメだ。なぜか。「穢れ」が溜まるからだ。外に出なくなると自堕落な生活を送るようになり、最近は特にネットに接する時間が莫大に増える。それこそが余計に引き籠もりを助長するのである。

 

 しかし、日本に多くの引き籠もりが現れたのは「しるし」である。「穢れ」を取り除くことができない大和民族が水面下でかなり増殖しているということなのである。実は、ここにも神道破壊の影響が出ているのである。

 

 

◆日本とインドにおける「穢れ」の差別

 日本ではインドといえば「カースト」、「カースト」といえばインドと思われている。そして、
「カースト」といえば「差別」であり、差別の源泉であるカーストをなくせないのはインドの後進性のせいとも思っている日本人が多い。ならば、「被差別部落」が存在する日本も後進国となる。しかし、当の日本人はそんな風には考えない。なにせ15億もの人間がいるからだが、もともと「カースト」とは、ヒンドゥー教における身分制度・ヒエラルキー(ヴァルナとジャーティ、ヴァルナ・ジャーティ制)を指すポルトガル語・英語だが、インドでは、現在も「カースト」でなく「ヴァルナとジャーティ」と呼ばれている。本来はヒンドゥーの教えに基づく区分なのであるが、インドではヒンドゥー以外の宗教でも、カーストの意識を持つ者が多い。

 

 こうした「カースト制」への偏見に対して、「インドではカーストはもうない」とか「カーストに上下はない」などと主張する海外在住のインド人も増えている。なにせ、アメリカの主要IT企業の社長はインド人だし、イギリスの首相リシ・スナクもインド系である。実は「カースト」という言葉はインドの言語にはない。これはポルトガル語の「家柄・血統」を意味する「カスタ」という言葉から派生した語で、もともとはアフリカやペルシア湾岸を訪れたポルトガル人、が現地の様々な慣習や血族集団を指して、ほかのタームとともに用いたもので、インド固有の社会制度や慣習に対して用いられていた語ではない。


 

 インドの憲法では、カーストを理由にした「差別行為」は禁止されている。しかしながら、カーストそのものは禁止対象ではないのである。このため、現在でもカーストは制度として、人々の間で受け継がれており、定期的に身分の低い人間たちが平然と殺された、集団から強姦されたりするため、実際はかなり醜いものである。15世紀にポルトガル人がインドの身分制度であった「ヴァルナ」と「ジャーティ」を同一視して「カースト」と呼んだため、「カースト」は歴史的に脈々と存在したというよりも、植民地時代後期、特に20世紀において「構築」または「捏造されたもの」ともいわれる。もちろんその後ろにいたのは大英帝国である。

 

 植民地の支配層のイギリス人は、インド土着の制度が「悪しき野蛮な慣習である」とあげつらうことで、文明化による植民地支配を正当化しようとした。つまり、「カースト制度」はむしろイギリス人の植民地支配の欲望によって創造されてきたものなのである。カーストに対応するインド在来の概念は、「ヴァルナ」と「ジャーティ」だったが、外来の概念であるカーストがインド社会の枠組みのなかに取り込まれたとき、家系、血統、親族組織、職能集団、商家の同族集団、同業者の集団、隣保組織、友愛的なサークル、宗教集団、宗派組織、派閥など、さまざまな意味内容の範疇が取り込まれ、概念が膨張していった。

 

「カースト」における職業区分

 

 「カースト」は、1510年のポルトガルによるゴアの占領以降、17世紀にはインド固有の、通婚と共食によって規制される一種の職業集団を意味する言葉として使われるようになり、19世紀初頭までには英語において、cast、casteとして受容されるようになったのだが、もともとは紀元前13世紀頃に、インド亜大陸の先住民を征服したアーリア人諸部族に根付く原始信仰による神権政治の元、バラモン(祭司)・クシャトリヤ(王族・武士)・ヴァイシャ(商人・平民)・シュードラ(農民・サービス民・隷属民)の4つの身分の括りが取り決められ、「ヴァルナ」として定着する。時代が下るにつれ、さらに世襲の職業に基づく現実の内婚集団であるジャーティへと細分化、親の身分が子へと引き継がれていった。

 

 この紀元前13世紀頃の「アーリア人諸部族に根付く原始信仰による神権政治」というのを行ったのはヤフェトの末裔たちのことである。そこには後の大英帝国の民となる白人種もいるが、インド人となった白人種もいる。ここが非常にわかりにくくしている点だが、カーストの問題は、今生の者は、「前世の業の報い」によりその身分のもとに生まれ、生涯役目を全うすることによって来世の福が保証されるという、徹底した宿命観を篤く信仰していることだ。これなんかは日本の見世物小屋の定番口上である「親の因果が子に祟り〜」である。

 

 変な喩えだが、インド人でホテルのドアマンだった男が、ドアが自動に変わった時に困ったという。ドアの開閉をする専門職だったのに、ドアの開閉をする仕事を奪われたのである。結局、どうなったのかといえば、自動ドアの開閉のために一歩前に出ることを仕事にしたというのだ。つまり自動の世になってもドアの開閉の仕事は死守したのだという。この逸話なんぞ日本では考えられないだろうが、インドでは違うのだ。宿命として受け入れ、来世に向けて張り切るのである。

カースト反対デモ

 

 インド在来の概念は「ヴァルナ」と「ジャーティ」であるが、ヴァルナとはもともとは「色」を意味する。ヴァルナの四種姓の一番上はバラモンの司祭階級だが、司祭階級バラモンは、「聖典(ヴェーダ聖典)」相伝の系譜を示すものとして、神話上の「リシ」を祖とする氏族名「ゴートラ」を持つ。この「リシ」とは、ヴェーダ聖典を感得したという神話・伝説上の聖者あるいは賢者達のことをいう。漢訳では「仙」「聖仙」などとも訳され、インド学では「聖賢」などと訳される。インド神話においては、ヨーガの修行を積んだ苦行者であり、その結果として神々さえも服さざるをえない超能力(「苦行力」と呼ばれる)を体得した超人として描かれることが多い。また、神秘的霊感を以て宗教詩を感得し詠むという。俗界を離れた山林などに住み、樹木の皮などでできた粗末な衣をまとい、長髪であるという。


 この「リシ」の末裔が、現在の英国首相であるリシ・スナクである。つまりスナクは「聖仙」の家系であり、カーストの頂点にいる男なのである。その男を敢えて英国首相に選んだところには深い意味がある。「聖仙」は普段、まるで浮浪者のような格好をしているため、全く聖なる存在には見えないとされる。変な表現だが、麻原彰晃がインドを歩いていると「聖仙」に間違えられる可能性があるということだ。この辺は徹底した精進潔斎した神官がお祓いをして祝詞をあげる神道とは真逆な感じだ。


 ヴァルナの四種姓と呼ばれるのは上からバラモン(司祭階級)、クシャトリア(王族・武士階級)、ヴァイシャ(商人階級)、シュードラ(農民・サービス階級)であるが、かつての不可触民であるダリット(ダリト)や山岳地域の部族民(アーディヴァーシー)はこの枠組みの外に置かれる。江戸時代の身分制度でいえば、士農工商の下に置かれた「穢多・非人」であったり、山の民「サンカ」のような存在である。要は身分制度の外におかれた人たちがいるのは同じなのである。


汚物処理を素手で行う最下層のカースト民


 ヴァルナは紀元前2世紀にまで遡るといわれる「ダルマシャーストラ」などのインド古法典で盛んに論じられているが、こうしたサンスクリット語の法典はバラモン階級のみがアクセスできるものだった。この辺は中世ヨーロッパで文字の読み書きができたのが貴族階級と教会に属する人間たちだけであったのと同じようなものだ。インド人の生活において最も実感をもって「生きられている」のは、むしろジャーティという集団概念で、ジャーティは世襲的な職業(生業)に結びつけられ、その内部でのみ婚姻関係が結ばれる(内婚制)。生業と内婚規則によって維持される、大工、石工、洗濯屋、金貸し、床屋、羊飼いなど様々なジャーティ集団があり、こうしたジャーティ集団の分業によってインド社会は維持されてきた。

 インド人やインド研究者が「カースト」という場合、多くはこのジャーティを意味しており、ジャーティとしてのカーストの数は2000とも3000ともいわれるが、実際にはいくつもの副次的なサブ・カーストに分かれており、さらに実際に通婚する内婚集団としてみると、サブ・カーストよりもさらに下位のサブ・サブ・カーストであったりすることがある。よって、カーストは複雑な入れ子構造になっており、外からみれば1つのようであっても、実際は何十もの異なるグループが内側にあるのだ。もはや、15億の人たちがどのように構成されているかなど誰も分からないのである。

 例えば、南インドにおいて石工や鍛冶屋などで作られるヴィシュヴァカルマというカーストは、創造神ブラフマーの直接の子孫であるとして、ヴァルナ位階において最高位のバラモンよりもさらに高い地位を主張してきたという。この辺は「天孫族」とする主張する物部氏と同様である。だが、他のカーストからみれば、彼らは隷属民のシュードラである。また農業にはカーストの規制がないが、植民地時代には「農民カースト」なるものが作られたりもしているのだ。いったいカーストの上下関係は何によって規定されているのだろうか。興味深いのはヴァルナでもジャーティでもカースト制度のトップに立つのは司祭階級のバラモンで、実際に政治的・経済的権力を握っていたはずの王や武士たちは2次的な地位に置かれているのである。

 


若きマハラジャ

 まるで平安時代の「陰陽師」の頂点「陰陽頭」である。「陰陽寮」は役人の頂点にいたし、天皇や貴族のために占いを行っていたからだが、それでも日本の階級社会はどんな時代であっても「天皇」が頂点である。バラモンは知的労働のみ行い、肉体労働を避けるため、王や有力者からの支援なしでは生きていけない。だが彼らの儀礼的な地位は王よりも上である。となると、神道祭祀における「賀茂氏」と同様である。賀茂氏は陰陽道の宗家であり、天皇家の祭祀を担っている。さらに賀茂氏の中には特別な「鴨族」がおり、その裏側に「八咫烏」がいて、その頂点の三羽烏は「裏天皇」を構成している。まるで日本における「リシ」である。

 

 リシ・スナクはあくまで表の存在だが、バラモンの頂点にいるのは「リシ」であり、本当のリシは姿を隠した存在なのである。日本に置き換えれば、リシ・スナクは賀茂氏の出身者である徳川家康のような存在だが、本当のリシは八咫烏のように姿を見せず、名前を持たないのである。そう「リシ=聖仙」とは、いわばインド版の八咫烏であり、ヤフェトの末裔による秘密組織なのである。だからこそ「リシ」は神話上の存在の末裔なのである。よって、彼らもまた「カッバーラ」の呪術を心得た存在なのである。

 

 さらにカーストという階級差別の根幹をなしているのは「浄と不浄の対立」というたった1つの原理である。だが、浄と不浄の対立といっても、「浄」であるとは、極力「不浄」を排除した状態にすぎないという。こうした「浄」の状態は、「不浄」に対して脃弱であり、浄性の低いカーストとの身体的接触は絶対に避けねばならないとする。一方、「不浄」とは、死や殺生に伴うケガレ、生理や出産などの身体的なケガレによって生じるものである。つまり、日本の「穢れ」の思想と同じなのである。

 

死体を焼く「不可触民:ダリット」

 死骸の処理、屠畜業、皮革業、清掃業、助産師などの職を伝統的に担ってきたダリットは、最も不浄な存在とされてきた。
「死と血の穢れ」があるからで、これらの職業に対する差別もまた日本と同じである。彼らとの身体的接触はもちろん、結婚は論外である。これも日本と同じである。さらにインドでは、体の中に取り込まれる食べ物のやりとり、同じ場所で食事をすること(共食)などが避けられるだけでなく、村落の中でダリっとが住む場所も厳重に規制されてきたという。

 不可触民ダリットに対する差別の厳しさは日本人の想像を絶するものであるが、「浄・不浄」という観念は日本の文化にもしっかり根付いている。そして、それは「部落差別」という「言霊の国・日本」の根幹に関わる謎である。なぜ、長い年月、物部氏たちは差別をされてきたのか。なぜ「部の民」なのか。そこを通り抜けねば「言霊の国・日本」の謎は解けないのである。

 

<つづく>