「穢れ」と「言霊」の謎:その50
 

 「風水」の根本には古代中国の「道教」があり、その元は古代イスラエル王国崩壊後に中原へと移動したイスラエル人ユダヤ教徒にあった。それを日本にもたらし、「古神道」という独自のものにしたのは物部氏の祖「徐福」である。徐福はユダヤ教の祭祀を執り行うレビ族の中でもモーセの兄アロンの末裔の大祭祀だった。同族の秦の「始皇帝」もレビ族の大祭司だったが、始皇帝は大預言者モーセの末裔にして大祭司かつ預言者だった。つまり、徐福の日本への2度の渡来は、始皇帝の預言を具現化したものだった。

 

「泰山府君」と2つの「天孫降臨」

 

 古代中国では道教の神は「東岳大帝(東嶽大帝:とうがくたいてい)」と呼ばれ、五岳の一つである東岳泰山の神であり、別名を「泰山府君」(たいざんふくん)と言った。この「泰山」とは、古くから「死者の霊が集まる場所」とされたため、泰山の神は冥界の最高神であり、人間の寿命や在世での地位を司ると考えられた。泰山府君のもとには人の運勢を細かく記した「禄命簿」があったともいわれる。日本的にいえば黄泉を司る神で、さながら「閻魔大王」のことある。

 


左:泰山府君 右:閻魔大王


 漢代以降は歴代皇帝が「泰山」において「封禅の儀式」(ほうぜんのぎしき)を行うようになり、泰山の神は天帝に匹敵する権威をもつようになったとされている。それまで「泰山府君」と呼ばれていたが、この頃から「東岳大帝」という名が一般化した。天帝直結の「天尊」として城隍神や土地神を統率し、侍従を従えて巡幸、人間界の善悪を視察して不正を匡す神として中国各地で祀られたというが、この「天帝」直結の「天尊」という表現、何かに似てないだろうか。日本の「天孫降臨神話」である。

 

 高天原の最高神・天照大神の孫である天孫・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が真床追衾(まとこおふすま)で覆われて地上に降ろされた「天孫降臨」の神話とそっくりである。皇孫(ニニギ)は天盤座から天八重雲を押し分けて神聖な道を進み日向の襲(そ)の高千穗峯に天降った、となっているからだ。さらに日本にはもう一つの「天孫降臨」がある。物部氏の祖神・饒速日命(ニギハヤヒノミコト)である。ニギハヤヒは神武東征に先立ち、天照大神から十種の神宝を授かり「天磐船」(あまのいわふね)に乗って河内国の河上哮ケ峯(いかるがみね)の地に降臨し、その後大和国に移ったとされている。

 

「ニニギノミコト」と「ニギハヤヒノミコト」

 

 そうなのだ。「天尊」の話は古代中国に天下った神を伝える神話であり、日本では「天孫降臨」となっているのだ。が、これは同じ意味を伝えている。「天尊」の話は古代イスラエルから中国大陸にやって来た大和民族の話であり、中国大陸から紀元前3世紀の古代日本列島に渡来したのが「天磐船」に乗って天孫降臨したニギハヤヒの神話。さらに3世紀の日本列島に朝鮮半島から渡来した大和民族が作り上げたのがニニギノミコトの天孫降臨の神話なのである。要は物部氏の天孫降臨と秦氏の天孫降臨の2つの神話なのである。

 

 「封禅の儀式」は中国古代において「天子」が泰山で行なった祭礼で、山上に土壇をつくって天を祀ることと、山の下で地を祓い清めて山川をまつることの2つである。 そして、「封禅」は、帝王が天と地に王の即位を知らせ、天下が泰平であることを感謝する儀式である。いわば「即位」の儀式である。「始皇帝」以前には72人の帝王がこの儀式を行ったと『史記』には伝えられており、その歴史は三皇五帝によって執り行われたのを最初としているが、伝説の時代であるため詳細は不明である。なぜ不明なのかと言えば、「神話」だからであり、初めて中国を統一した始皇帝の前には、人間としての統一皇帝は存在していないからだ。

 

始皇帝による「封禅の儀式」を伝える中国の絵画


 「封禅の儀式」は、封と禅に分かれた2つの儀式の総称を指し、土を盛って檀を造り天をまつる「封」の儀式と地をはらって山川をまつる「禅」の儀式の2つから構成されていると言われている。天下太平を天に報ずる儀式だったが、これは山に絶対神が降臨してもらうための儀式であり、それを初めて行ったのはモーセである。「私は有る」と言った絶対神ヤハウェに預言者として召命され、シナイ山で「十戒」を授かったことで、イスラエル民族を統率することを託されたモーセの末裔が行う儀式なのである。「山の下で地を祓い清めて山川をまつること」とは、祭祀アロンとレビ族たちによる祭祀のことで、なぜなら絶対神ヤハウェはモーセ以外とは話さなかったからだ。

 「封禅の儀式」は、天命を受けた天子の中でも功徳がある者のみが執り行う資格を持つとされ、『史記』そのものには、斉の桓公がこれを行おうとして、管仲が諫める場面があり、管仲が
神農・炎帝から周の成王に至る古来封禅を行った帝王を列挙して説得するという記述があり、これが前述の始皇帝以前の封禅の有無を推論する際の論拠となっている。だが、本連載でも書いたように、神農も炎帝も「神話」である。つまり、始皇帝以前の72人の帝王とは、人祖アダムから始まる預言者の系譜という意味なのである。そして、それは日本の「超古代史」を伝えるいわゆる「古史古伝」にも記されている。

 

 「古史古伝」は、アカデミズムの世界では全て荒唐無稽な「偽書」の烙印を押され、古代史の資料としては価値のないものなどとされている。しかし、『上記』(ウエツフミ)によると、初代天皇である神武天皇はウガヤフキアエズ王朝の第73代であり、中国に農業や文字を伝えたのは日本であり、日本では精密な独自の太陽暦があったことなどが記されている。また、最大の偽書とされる「竹内文書」では、神武天皇にはじまる現在の皇朝を「神倭朝」(かむやまとちょう)と呼び、これ以前に「上古25代」「不合朝73代」(ふきあえずちょう)とあり、73代目が神武天皇であり、更にそれ以前に「天神7代」があったと伝える。



 

 筆者の以前の連載「古史古伝の謎」の中でも書いたが、偽書の烙印を押された古史古伝の元ネタは、神道の奥義を握る漢波羅秘密組織「八咫烏」(ヤタガラス)が継承してきた本当の人類史が記された『八咫烏秘記』である。敢えて偽書の烙印が押されるように仕掛けを施し、定期的に世に送り出してきたのである。

 

 秦の始皇帝は皇帝になった後の紀元前219年に、泰山で「封禅の儀」を行ったが、このとき既に古い時代の儀式の知識は失われており、儒学者などを集めて封禅の儀式について研究させたが、各自意見がまちまちでまとまらず、結局我流でこれを執り行ったと伝えられている。が、その儀式の内容は秘密とされており、実際に何が行われたかはよく分かっていない。なぜか。それは秘儀だからであり、それを知るのは大預言者と絶対神のみ。つまり、絶対神の預言者として召命するための儀式だったからである。

 

 日本ではこれを「大嘗祭」(だいじょうさい)と呼び、新天皇が即位するために行う「秘儀」として継承されている。その内容を知るのは天皇、そして天皇家の祭祀に関わる「忌部氏」と「忌部氏の中の忌部氏」と呼ばれる一族「賀茂氏」のみ。その賀茂氏の中でも特別な祭祀を担ってきたのが「鴨族」であり、その表の「鴨族」の裏にいて日本を呪術で支配しているのが「八咫烏」であり、その八咫烏の頂点の三羽烏である「金鵄」(きんし)が裏天皇を構成している。なぜか。『八咫烏秘記』があるからだ。本当の日本の歴史、大和民族の歴史、人類の歴史を握っているからである!

 

『八咫烏秘記』

 さらに、日本では
陰陽道の主祭神のことを「泰山府君」の名で呼んだ。安倍晴明が使ったとされる陰陽道の最高奥義「泰山府君の祭」は、『今昔物語集』に重病であった高僧の命を救った話が伝わっており、天皇の長寿等を祈る朝廷の重要な国家祭祀だった。表の陰陽道を司るのは「賀茂氏」であるが、裏の陰陽道の呪術は「迦波羅」(かばら)、つまり「カッバーラ」であり「迦波羅」の使い手を「漢波羅」(かんばら)と呼ぶ。この「漢波羅」の秘密組織が「八咫烏」である。

 

 陰陽道のシンボルは「安倍晴明」のセーマンで、陽の「5」の五芒星でソロモンの星だが、迦波羅のシンボルは陰の「6」の「六芒星」でダビデの星である。さらに「蘆屋道満」(あしや どうまん)のドーマンは陽の「9」で九字を切るが、裏の迦波羅では陰の「10」で十字を切る。これが陰陽道の奥義で、真言密教の高野山では最高機密儀式において十字を切る。この意味は、弘法大師「空海」が日本に持ち帰った「密教」の正体とは「カッバーラ」だったということである。

 日本は「預言」の国である。古来より伝承されてきた祭祀も風習も、全ては預言を成就させるための「国仕掛け」である。そして、この国の本当の姿を世界から隠すよう「徐福」に命じたのが「始皇帝」である。そして、それを裏陰陽道「迦波羅」=「カッバーラ」の呪術で実行してきのが「八咫烏」なのである。だからこそ、「秦」(シン・はた)の字の金文体、小篆体は「三本足の烏」なのである。つまり、「八咫烏」は古代よりずっと存在してきたのである。

 

始皇帝と秦帝国の紋章を表す「秦」の字の「三本足の烏」

 

 物部氏である「八咫烏」の組織を作らせたのも、秦氏の秘密の諜報組織「志能備(忍び)」を作らせたのも聖徳太子である。その意味で聖徳太子こそが初代の裏天皇だったのである。実際、聖徳太子は女帝・推古天皇の摂政だった。そして、『八咫烏秘記』の第三巻の名は「聖徳太子」である。聖徳太子こそが、日本最大の預言者であり、その預言の成就のために裏陰陽道の呪術でこの国を支配し続けているのが八咫烏なのである。人類史を秘した『八咫烏秘記』の最も重要な部分が「聖徳太子」ならば、おのずと「聖徳太子」の正体が誰なのか理解できる。そう、光の救世主イエス・キリストその人である!
 

 

◆「気」と「氣」

 

 「風水」とは心・技(生活)・体(家・空間・肉体)という生きていくために不可欠な「風と水」という2つの「氣」を高める行為で、滞りのない状態を維持することであるというが、その元は「道教」であり「陰陽道」であり、さらに裏陰陽道たる「迦波羅=カッバーラ」であった。つまり「呪術」が元にあるのだ。ここで、「気」とは何かを改めて考えてみる。そこで重要になるのが旧字体の「氣」である。

 

 「気」は「气(きがまえ)」に「メ=〆(しめる)」で、エネルギーを外に出さないようにする(閉じ込める)ため、「陰」の文字とされている。一方の「氣」は「气(きがまえ)」に「米=八方に広がる」という意味で、エネルギーを八方に広げる意味から「陽」の文字だとされている。つまり、反対の意味となる。しかし、なぜまた反対の意味に変えたのだろうか?

 

 エネルギーを体の中に閉じ込めることが「元気」となるならいいが、最近の日本人は元気が足りない。やる気もない人が多い。家の中に閉じこもってしまう「引き籠もり」も多い。と考えると、「気」は「〆(しめる)=閉じ込める」ため、多くのエネルギーを放出できないこととなる。そんな字がなんでいっぱい使われているのかといえば、日本人の高いエネルギーを閉じ込めるために変えられた「文字霊」なのである。これには深いわけがある。

 

 「〆」は「しめる」で、「閉める」「締める」「湿る「絞める」は全て「陰」を意味する字で、「〆切」(しめきり)の「〆」という字の意味と同じになり、陰の気を呼ぶ。この「しめ‐きり」には「締切」「閉切」「〆切」の字が当てられるが、その意味は「①出入口、戸、窓などを閉じたままにすること。 また、しめきられた場所。」「②周囲を閉じられたところ。」とある。つまり、「〆」という字を使うと、日本人はより閉鎖的となり、内に閉じこもる性格に変貌する。つまり「呪術」である。

 「〆る」の「〆」を記号や仮名文字だと思っている人がいるが、「〆」は立派な漢字である。但し、「〆」は日本で作られた漢字「国字」である。『大漢和辞典』では部首は「ノ」である。ちなみに、総画数は2画である。この字はもともと「うらなう」という意味を表す「卜」(音読み:ボク)という漢字が変形して生まれたものだ、と説明されている。昔、家を建てるときにはまず建てるべき場所をうらなったことから、「うらなう」ことはその場所を手に入れること、つまりその場所を独占すること、占めることだ、というわけで、「しめる」という意味で使われるようになった、とある。そして「占」という漢字には、「うらなう」と「しめる」の両方の意味を持っている。

 

 ポイントは「〆」は日本で作られた「国字」とあることだ。つまり「日本国を示す字」だと言っているのである。日本国は「大和:ヤ・ゥマト」で「ヤハウェの民」、つまり「神の民」という意味が隠された国名であり、それを示すのが「〆」で、部首は「ノ」だとしている理由は、「ちょん」である「ノ」はヘブライ文字「ヨッド」で、この1字で創造神ヤハウェを示すからである!さらにヨッドは別名をホロスコープでは「神の手」「神の指」「運命の指」と呼ばれることもある。つまり、「ノ」」は神の手・指が伸びている状態を示しているのである。

 

 

 「〆」が総画数2画なのにはわけがある。1画目は「ヨッド」で創造神の手が伸び、その指先で「文字」を書いたのである。そして、その次に日本人を「しめた」のである。絞めて、締めて、閉めたのだ。「し・める:絞める」とは《「締める」と同語源》とあり、「手やひもなどで強く押さえつけたり、巻きつけたりする。また、そのようにして殺す。」という意味を持つ。「腕で相手の首をしめる」「鶏をしめる」など表現に使われるが、つまり「大和民族の首をシメた」のである。なんで「神の民」なのに祝福されず、自分たちの神に「シメ」られねばならないのか。そこに「言霊」の中の「文字霊」の奥義が隠されている。

 

 「氣」が「気」に変えられたのは終戦後、1945年とされる。もちろん指示を出したのはGHQである。つまり、大和民族のエネルギーの根幹を成す「氣」を封じ込めるために字を簡易な「メ」に変えるととともに、逆の意味を持つ略字体を使わせたのである。という風に書いている方々がいらっしゃるが、これは半分正解なのだが、まだ足りない。なぜ、活発にエネルギーを放つ「氣」から、「気」を使わせてエネルギーを外に出さないように閉じ込めた。それは戦前の日本人の生き方に対して、絶対神が「罰」を与えたのである。なぜか。

 

 戦前の日本人は絶対神が許さない「カルト宗教」にハマっていたからだ。それを「国家神道」という。狂った陸軍の幹部たちは、終戦間際になんて言い出したのか、皆さんご存知であろう。「1億総玉砕」である。それは、統一教会や創価学会、オウム真理教をも凌ぐ、日本の歴史上かつてないほどに狂った教義のカルト宗教、それも「神道」の名で行われた呪術だったからである!

 

<つづく>