「穢れ」と「言霊」の謎:その49
 

 日本人ほど「開運アップ」好きな民族はいない。もちろん、お隣の中国や朝鮮半島、タイなどのアジア諸国でも守護の御札や金の置物など様々なグッズはあるが、そこには土着の「宗教」が関わっている。しかし、日本はありとあらゆる宗教があり、神道、仏教、キリスト教を中心に、様々なグッズが売られている。もちろんサタニックなものもあるが、基本的にそれらはファッションアイテムでしかない。
 
 
 そして、日本ほど「占い本」や「占い師」が多い国もない。「宗教は危険」といいながら、すっかり「占い」にハマったり、「スピリチュアル」にハマる人も多い。「言葉」が違うだけで、やっていることは一緒だということに気づかない。特に「言霊」のない外来語に弱い。だから「スピリチュアル占い」などと称するものにハマる。つまり「依存」する。危険な臭いがしないため、すぐに騙される。何度でも書くが、不用意に「オカルト」の世界に近づいてはいけない。「チャネリング」など絶対にやってはダメだ。「宇宙存在」などいない。悪魔に手足を絡め取られることになるだけだ。
 
 「占い程度なら安心」などと思ってはいけない。「占い・まじない」はダメだと大和民族のために書かれた『聖書』には何度も出てくるからだ。 
 
 ヤコブのうちにまじないはなく
 イスラエルのうちに占いはない。
 神はその働きを時に応じてヤコブに告げ
 イスラエルに示される。 (「民数記」第23章23節)

 主よ、苦難に襲われると
 人々はあなたを求めます。
 あなたの懲らしめが彼らに臨むと
 彼らはまじないを唱えます。 (「イザヤ書」第26章16節)

  もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。 肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。
 (「ガラテヤ人への手紙」第5章18-21節)
 
 

◆「風水」と「氣」

 

 日本人は「風水」好きだ。「金運」をアップする「開運風水」などといった特集が様々な雑誌にも掲載される。「風水」は、古代中国の思想で、都市、住居、建物、墓などの位置の吉凶禍福を決定するために用いられてきた、「気の流れを物の位置で制御する」という思想で「堪輿」(かんよ)ともいう。「堪輿」とは、天を読み地を辿るものである。高名な「風水師」として知られる李家幽竹氏は「風水」を以下のように説明している。

 風水とは、今から約四千年前に中国で発祥した、「気」の力を利用した環境学のこと。
 そういうと難しく聞こえるかも知れませんが、風水とは、衣・食・住、行動など、自分の環境すべてを使って運を開いていく、いわば、開運のための環境学なのです。「環境が運を決める」これが、風水の基本的な考え方です。本来持って生まれた運は、本人にはどうすることも出来ません。でも、その運をどんどん増やしていける方法があるといったらどうでしょうか?

 

 その方法を示すのが風水なのです。風水とは、自分に影響を与えるあらゆる環境を使って、運を開くためのマニュアルと言えるのです。運が悪いと思う人は、まずは自分の環境を見回してみましょう。必ずそこに自分の運を落としている原因を見つけることができるはず。それを取り除き、運を呼び込むための風水を実践することで、どんな人でもかんたんに運のいい人になれるのです。

 

 

 「風水」とは「心・技(生活)」「体(家・空間・肉体)」という生きていくために不可欠な「風と水」という2つの「氣」を高める行為で、滞りのない状態を維持することとされている。李家幽竹氏も「気の力を利用した環境学のこと」というように、「気」をどう高めることができるかにかかっている。しかし、「気」は見えない。よって「見えないものは信じられない」などと言う人も多く、実際、怪しい「気功師」に騙されて性被害にあったというケースも多い。こうした方は「気功は怪しい」となる。

 

 だが、一方で「運気アップ風水」は信じるのだという。いやいや、「風水」は「気」である。「気」は見えないから信じないが、「風水は信じる」という矛盾したことを言っているのに気づかない。さらに言えば、怪しい気功師なんかにに出くわすと、「気持ち悪い」「不気味」「気色悪い」「気が進まない」「気に食わない」「キモい」「気が合わない」などと言う。全て「気」という言葉を使っているにもかからわず、「気」は信じないなどと平気な顔して話しているのだ(笑)。

 

 日本人は「気」という言葉を、「気にせず」に日常的に使っている。物凄い数の「気」という言葉を使っているくせに「気」が何かを考えようともしないおかしな民族である。

 

 天気、空気、やる気、元気、気合、気質、気分、気持ち、気炎、気圧、陽気、陰気、気品、病気、正気、気まぐれ、気まま、内気、浮気、意気地、眠気、気障、悪気、呑気、気軽、脚気、心意気、気色、気楽、景気、気配、殺気、語気、空元気、人気、勇気、覇気、平気、気質、霊気、不気味、冷気、気候、無邪気、電気、毒気、正気、生気、大気、精気、通気、磁気、臭気、秋期、生意気・・・

 

 いったいどれだけ多くの「気」を使った単語があるのだろうか。さらに、

 

 気が合う、気がある、気がいい、気が多い、気が大きい、気が置けない、気が重い、気が勝つ、気が利く、気が腐る、気が差す、気が知れない、気が進まない、気が済む、気がする、気が急く、気がそがれる、気が立つ、気が小さい、気が散る、気が尽きる、気が詰まる、気が遠くなる、気が咎める、気が無い、気が長い、気が抜ける、気が乗る、気が早い、気が張る、気が晴れる、気が引ける、気が滅入る、気が紛れる、気が回る、気が短い、気が向く、気が揉める、気が若い、気に掛かる、気に掛ける、気に食わない、気に障る、気の所為、気の病、気を入れる、気を失う、気を落とす、気兼ねする、気を利かせる、気を砕く、気を遣う、気を尽くす、気を取り直す、気を呑まれる、気を持たせる、気を付け、気を抜く、気は心、気を吐く、気を張る、気を引く、気を回す、気を揉む、気を許す・・・

 

 「気は見えないから信じない」という方に尋ねてみたい。「あなたはこれらの言葉を使ったことはないんですか?」と。もし使っていたら、その人は大うそつきだ。「気」が見えないなら、なんで「気」という言葉を使っているのか。「元気?」とか言わないのだろうか。「今日は気持ちいいお天気ですね」と挨拶しないのだろうか。

 

 

 「気」という字には2種類の書き方がある。「気」と「氣」である。辞書で「気」を調べると、その意味について以下のように書かれている。

 

 ①「生命・意識・心などの状態や動き」
  ア:「息」「呼吸」(例:気が詰まりそうな雰囲気)
  イ:「意識(起きている状態、また、自分の今ある状態や、周囲の状況等を認識できている状態)」(例:気を失う)
  ウ:「物事に反応する心の動き」(例:気を静める)
  エ:「心の持ち方(日常的な気持ちのありかた)」(例:気が強い)
  オ:「物事に接したときに心に抱く考え」(例:気が重い)
  カ:「あれこれ考える心の動き」(例:先が気になる)
 ②「物質(存在している物)が示す状態の一つ。一定の形を持たず、物質を構成している分子が自由に流れ動く事ができる状態」(例:水蒸気、空気、大気、気体)
 ③「天地間の自然現象」(例:天気)
 ④「力」、勢い」(例:活気、元気)
 ⑤「生まれつき」(例:気質)
 ⑥「におい」「香り」「においをかぐ」(例:気の抜けた料理)
 ⑦「息を吹きかける」
 ⑧「全体から感じられる様子」「感じ」(例:気運)

 

 これを読んでもさっぱり分からないが、なんとなく「心身のエネルギー」や「自然が作るエネルギーの状態」という気がする。「気」というものを検索すると、まぁ出てくる出てくる。意味不明な勝手な解釈が色々と出てくるが、「風水」が「気のエネルギーを使った環境学」ならば、それは「風と水」ということになる。 風水の源は、「風と水」という2つの「氣」を高める行為、つまり、「風=空気」と「水」の性質を理解することから始まるということだ。だが、「風」と「水」は、自分の力ではつくることも壊すこともできない。それをより良い状態に培う=滞りのない状態を維持することが重要なたば、「風」+「水」で培えるのが「氣」=エネルギーとなる。

 

 人間という個体を維持するには、酸素、栄養、水分が必要だ。体をいつも滞りのない状態にするためには、排出や循環させることが必要で、「風=酸素」「水=水分」はもちろん必要だが、さらに循環をさせるためには「血液」が必要だ。東洋医学の「漢方」では、カラダの状態や治療法を見つけ出す方法のひとつに「気血水」(きけつすい)があり、カラダの状態を見分けるタイプがるのだという。例えば、「気虚」(ききょ)のタイプは「疲れやすい」とか「体力がない」という人で、「気=エネルギー」が不足している状態と考える。「瘀血」(おけつ)のタイプは「顔色が暗い」「シミができやすい」人で、体の中の血が滞っている状態であると診断される。


 

 東洋医学では、人のカラダを構成する基本的な要素は上記のように「気・血・水」だと考えるが、上に羅列したように「元気」「やる気」「気合」「気持ち」など、カラダと心の状態を指す言葉に「気」の入った言葉が数多く存在するのも、生きるために最も必要なエネルギーもしくはエネルギーを生み出すものと考えているからだ。さらに、漢方では「気」には「先天の気」と「後天の気」があると考える。「先天の気」は、生まれながら持っている両親から受け継ぐもので、「後天の気」は、生まれたあとに補うもので、自然界のきれいな外気(清気)と毎日の食事から得られるもの(水穀の精微)があるとする。何やら「宿命」と「運命」のような関係である。

 人間が楽しく「元気」に生活していくためには、「先天の気」はもちろん大切だが、毎日食べる食事(栄養)や環境(体内)は、健康を維持するためにもっとも大切だと考える。よって「気」が不足するとエネルギー不足の状態になるため、体が疲れやすくなったりやる気が起こらなくなったりする。「気が滞る」とか、「気分が悪くなる」とか、「気が滅入る」といったことになる。

 

 体内の環境以外にも、「風水」で住環境を整えることも大切とされる。実際、照明の条件を変えると、人との距離や話し方、声の大きさが変わるという研究結果がある。照明が明るいほど言葉数が増え、声も大きく活発的にディスカッションをするが、逆に照明を暗くすると、声も小さくなり、プライベート寄りの話をするらしい。「占い師」の部屋が暗いのも、きっと個人の話をしやすくするためなのだろう(笑)。明るい占い師の部屋というのも想像し辛いし、話し方の演出もし難いだろう。

 

「占い師の部屋」と「自然光が入る明るい住環境」

 

 「気血水」の次は「血」である。「血」はカラダの中を流れる赤い液体のことで、西洋医学では「血液を含む栄養物質」を指している。「血」には精神活動を充実させ、全身に栄養を運んでカラダを潤す働きがあるため、「血」が十分にカラダに巡っていると、顔色は明るく、肌や髪の毛がうるおい、カラダの動きも良くなる。また、精神状態が安定し、どんなことでも前向きに取り組むことができるが、逆に「血」が不足すると栄養不足になったり、乾燥肌になったり、目が疲れやすくなったり、涙も出にくくなる。さらに「血」の流れが滞ると、肩こりや腰痛がおきたり、シミやあざができやすくなる。筆者などはいつも座りっぱなしだから、かなり血流が悪くなっており、全身ガチガチだ(笑)。


 最後の「水」は血液以外の唾液・汗・リンパ液などの水分のことを指す。「水」は、カラダ全体に水分を充実させるため、肌・関節・臓腑などにうるおいを与える。「水」はカラダの中の余分な熱を抑え、汗や尿として排出する働きもある。よってカラダの中の「水」が不足すると乾燥するため、喉が乾いたり、肌荒れが起きたり、便秘になったりすることもある。逆にカラダの中の「水」の流れが滞るとむくんだり、下痢を起こしたり、鼻水が出たりすることもある。「水」が不足する原因は、食生活の乱れや、食事の不足が考えられるが、働きすぎや運動のしすぎなども原因になることがあるという。そして、カラダに「水」が滞る原因は、水分のとりすぎや冷たいもののとりすぎだという。また甘いものや脂っこいものもとりすぎが原因になることもあるらしい。

 

 筆者は冬でも毎日大量に「冷たいもの」を飲む。起きた直後は常温の水、そして温かい緑茶だが、日中から夜遅くまでアイスコーヒーやアイス緑茶をがぶ飲みしているため、頻繁にトイレにいく(笑)。心のなかでは「浄化、浄化」と思っているが、実際は水分の取り過ぎである。分かっちゃいるけど止められない、という悪しき習慣を続けながら、如何に健康を維持するかをテーマに生きているのだ。どうでもいいが。

 以上のことをまとめると、上の画像のようになるらしい。要はバランス良く「滞りなく循環させる」ことが大切ということだ。つまり、「風水」で考えると、身体に見立てて、同じように住環境やら生活の道具やらを整えることが大事なのだろう。そこら辺について、李家幽竹氏は、以下のように説明している。

 

 風水の基本は、「陰陽五行説」にあります。「陰陽五行説」とは、自然界に存在する全てのものは「木・火・土・金・水」の五行に分類され、「陰」「陽」いずれかの性質を持つという考え方。「木」は木製のもの、「火」はプラスティック製品や化繊類、「土」は陶器、「金」は金属や鉱物、「水」は暗い場所に置いた、陰に属するガラス製品(明るい場所のガラスは陽に属し、「火」になる)などに当てはまり、また、物だけではなく、人も女性は「水」、男性は「火」に属すると考えます。
「陰・陽」は、明・暗、新・旧のように相対する性質を持ち、女性(陰)と男性(陽)がそうであるように、お互いを支え合っている存在。陰がなくては陽は成り立たず、陽がなくては陰は存在しないのです。このバランスがものごとの調和を保つものとするのが「陰・陽」の考え方です。

 

 「五行」(木・火・土・金・水)にはそれぞれお互いを生かし合い、運気を強めていく、「相生(そうじょう)」の関係があります。例えば、金属は土の中から生み出されるため、「金」と「土」には「生まれる」という気が生じます。お互いに生かし合う関係から、これを「相生(そうじょう)」と呼びます。
 一方、「火」と「水」の関係のように、お互いが対立し合って運気を低下させる「相剋(そうこく)」の関係も存在します。「水」は「火」を消してしまうため、生み出す力が存在せず、お互いの気を消滅させてしまいます。よって、この関係は「相剋(そうこく)」となってしまうのです。「相生(そうじょう)」の関係を上手に使い、「相剋(そうこく)」となるような関係を避けることが、風水を実践していくための基本となります。

 

 

 

 前出の李家幽竹氏は、古代中国から朝鮮半島に持ち込まれた政として重用された「李朝風水」の方だが、筆者が求める「気:氣」の正体を解き明かすには、そもそも古代中国で始まった「風水」とは何かを見つける必要がある。日本においては「風水」が完全に成立する唐代以前の一部の理論のみが「陰陽道」や「家相」として取り入れられて、中国本土とは別の形で独自の発展を遂げた。近年、日本国内で風水という名称で行なわれている占いの多くは、風水そのものではなく、家相術や九星気学などのアレンジに過ぎない。つまり、日本における「風水」とは陰陽道の呪術だということだ。

 三重大学の目崎茂和によると、風水の起源は殷・周時代(紀元前10世紀以前)の
「卜宅」(ぼくたく)にあるとされる。この「卜宅」とは「地を卜(うらな)う」という意味だが、宅地や村落の吉凶を占うもので、後の「陽宅風水」の基礎となった。一方、晋(紀元後3世紀)の時代には郭璞の撰による『葬書』が成立、「風水」の語が誕生するとともに、後の「陰宅風水」の基礎となったという。「陰宅」(いんたく)とは「お墓」の事である。本来は土葬で亡くなった方が住む(埋葬される)場所をいい、遺体(遺骨)は「気」が動く必要がないため「陰」とされ、「陰宅」と呼んだ。これに対するのが「陽宅」(ようたく)で、生きている人が住む住居をさすため生き生きと活動する「気」、つまり陽気が豊富にある住宅という意味で「陽宅」という。

 

 

 

 「陰宅風水」とは、単に亡くなった先祖が安らかに眠れるようにするお墓の風水のことではない。それは墓の持ち主の子孫を呪うための呪詛なのである!埋葬された先人の骨には固有の物質があって、それが子孫に常に影響を与えていると風水では考える。よって、埋葬された骨が土地の良い風水エネルギー(気)を受けることができれば、その良い影響を子孫が受け取ることができ、運がよくなるということで、本来の「陰宅風水」とは、死者を埋葬することで子孫の運が良くなるという、風水技術だと考えられている。が、世には必ず表があり裏もある。裏の「陰宅風水」とは、墓に祀られた人間の子孫を狙ったのは左道の呪術なのである!

 

 この「陰宅風水」を行った一族は「物部氏」である。そして「風水」とは古代中国大陸に住んでいた大和民族の祖先が考え出したものである。もちろん、風水の裏側には「道教」がある。その道教の「方士」だったのが、紀元前3世紀に秦の始皇帝が古代日本列島へと送り込んだ「物部氏」の祖である「徐福」(じょふく)である。道教の方士の技とは、神仙・医薬・保健・摂生である。「神仙」は神の山を崇めることにより、不老長寿をめざすもので、「神の山」は、始皇帝が呪術を行った「泰山」(たいざん)であったが、その後東方の海中に ある「蓬莱・方丈・瀛州」ということになった。この「瀛州」とは、古代日本列島の呼び名である。

 

 この神仙思想は、後に成立した道教の基本的な思想となって受け継がれていったとされているが、道教とは「ユダヤ教」のことである。古代ユダヤ教のレビのことを中国では道教の「方士」と呼んだのである。一般的に、道教の日本への伝達は、577 年に百済国王が日本の天皇に、道教の流れである「呪禁師」(じゆごんし)を送ったのが始まりとされているが、そうではない。道教を日本へもたらしたのは徐福なのである。現在でも日本では、民間や天皇家で数多くの道教に由来する行事が行われており、「天皇」という詞も、元来道教の神様の名前から来ている、と言う。

 

 

 人気漫画『鳳凰京の呪言師』では、呪言師は陰陽師より前から存在した魔術師のこととしているが、それは何を隠そう徐福がもたらした道教の呪術師、それも裏の呪術師のことなのである。 道教は、日本では独立した宗教として成立しなかったが、日本独自の宗教である「修験道」 は、道教が持っている神仙思想を色濃く受け継ぎ、これと仏教、日本古来の山岳信仰、古神道が習合して成立した。修験道は、山に籠もって修行し、悟りを得るという宗教であり、山を拝むのは古神道、つまりユダヤ教である。

 

 修験道の中心地の一つに、熊野地方がある。熊野地方の中心は、和歌山県新宮であるが、ここには「徐福伝説」が残っている。そしてここ熊野は裏陰陽道である漢波羅秘密結社「八咫烏」の聖地である。「八咫烏」はこの国を呪術で支配する一族である。よって、禁断の呪術を使える者がいる。呪言師たちも人間である。人間は間違うことがある。裏の世界にも手を出してはならない呪術を行ってしまうものがいる。物部氏の中には、そうした「裏風水」の呪術を行ってした者たちがいたのである。

 

<つづく>