「穢れ」と「言霊」の謎:その41

 

 貴船神社が奥宮の主祭神は「木花咲耶姫」(コノハナサクヤヒメ)だが、本来は「牛鬼」だったという。「牛鬼」とは乃ち悪魔でああって神ではない。よって、そこに封印をしたことになる。だが、闇の呪術師たちが魔物を呼び出す呪法を行い、それを在野の闇の陰陽師や呪術師、歩き巫女が伝えることによって、一般の人間も他人を呪い殺す呪術を覚えてしまった。その代表的なものが貴船神社の奥宮で始まった呪いの藁人形を使った「丑の刻参り」だった。

 

「磐長姫」の呪いと「ノアの箱船」

 

 貴船神社が奥宮の主祭神を「木花咲耶姫」にした理由は、姉・「磐長姫」(イワナガヒメ)にある。磐長姫は大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘で、美貌の妹の木花開耶姫とともに天孫瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に献上されたが、容姿が醜いために返されたことにより、磐長姫は「人々の寿命が木の花のようにはかなく散るように呪った」ことで、古今東西変わらぬ男の好色癖を梃にして人間の命に限りがあることを説いたものでもあり、女の執念のすさまじさも語られているとしたが、「磐長姫」という名は「岩のように永久にかわらない女性」を意味する。

 

オタフク顔の「磐長姫」

 

 「岩のように永久にかわらない女性」とは、何を示唆しているのであろうか。「岩」とは「山+石」で、意味は「いわ。いわお。大きな石。」「岩代(いわしろ)の国」とある。「山」の字は「絶対三神」を示した文字であり、ギザの三大ピラミッドの象形でもある。大和民族の祖であるヘブライ人が奴隷としてエジプトに住んでいたとき、見えた山は三大ピラミッドだけであったからだが、さらにいえば、三大ピラミッドを作ったのは義人エノクで、ノアの曽祖父である。

 

 さらに「山」を御神体として崇めるのは古神道や山岳宗教で、物部氏が奉じてきた原始ユダヤ教である。物部氏は山に降りてくる絶対神ヤハウェを崇敬し、そのための燔祭の生贄の儀式を行ってきた一族である。だが、絶対神ヤハウェが肉体をともなって現人神イエス・キリストとして人間の前に姿を現し、さらに人類の原罪を一人で引き受けて燔祭の十字架に架けられたことで、生贄の儀式は必要となくなった。

 

 よって、神武天皇とともに渡来した原始キリスト教徒「秦氏」は、物部氏の神社を次々と原始キリスト教の社へと変えさせ、「血の穢れ」を伴う燔祭の儀式をやめさせた。が、物部氏の神社全てを秦氏系に変えた訳ではない。表は秦氏が仕切るが、裏の呪術は物部氏が行う神社もある。よって、出雲大社や大神神社、石上神宮、諏訪大社など、物部系の主要な神社はそのままとされ、物部氏の呪術を継承してきた。

 

 

 「岩」の字の上の「山」は「連なった山」の象形とされているが、上の画像の真ん中の旧字体を見ると、下が「山」で、上は3つの「石の象形」になっていることが分かる。つまり、「山+石石石」で反対なのだ。さらに、「石の象形」は「神への捧げ物を入れる器」である。つまり、燔祭の動物を乗せた「石」であり、その元はアブラハムによるイサクを燔祭にかけようとした大きな石である。そして、「石」の字の意味は「いし。いわ。いしころ。いしでできているもの。」といった一般的な意味の他に、「融通のきかないもののたとえ」というのがある。

 

 この「融通がきかない者」とは秦氏から見た物部氏のたとえである。いくら絶対神ヤハウェが現人神イエス・キリストとして顕現し、十字架で燔祭になったからもはや「穢れ」となる血の儀式は不要だと言っても、絶対に言うことを聞かない物部氏がいたことを示唆している。こうした人間を「石頭」と呼んで、頑固者の物部氏のたとえにしているのである。だからこそ、物部氏の総社たる奈良県の「石上神宮」をはじめ、全国の「石上神社」(いそのかみじんじゃ)、「石上布都魂神社」「石亀神社」「石倉神社」(いわくらじんじゃ)など、「石」がつく神社は全て物部氏系の神社であり、「石」という字の「言霊」の呪術で封印していることになる!

 

 

 「岩」の字のもう一つの意味である「岩代国」とは、東北戦争終結直後に陸奥国より分立した、日本の地方区分の国の一つで、現在の福島県のことで、それは直接関係はない。直接は関係はないのだが、「岩の代わり」というのは「物部氏の形代」という意味で、いうなれば「物部氏を封印するための呪術」として「岩」という字を使っているという意味になる。すると「岩のように永久にかわらない女性」という意味の「磐長姫」とは、「物部氏」の象徴となる!

 

 なにせ磐長姫の父「大山祇神」とは、その名が示すように、「祇=国津神」であり「山祇=国津神の山の神を奉ずる」となり、そこに「大」が加わり、「一+人」で現人神イエス・キリストは同一神だと言っているのだ。が、同じヤハウェ=イエス・キリストを神として奉じていながら、妹の「木花咲耶姫」を美しい姫にたとえているのは、それがイエス・キリストを示しているからだ。「花=草冠+化」で、草冠は荊棘の冠、「化」は「亻+匕」で、「匕=七」の象形文字の「七」は「十字架から流れ落ちる血」の意味で、合わせて「荊棘の冠を被って十字架に架けられ血を流して死んだ」ことで「神が死体になった(化けた)」となる。

 

 「木」は「十字架」で「生命の樹」である。「咲」は「口+关」で、「咲」のツクリの「关」「巫女が両手を挙げて体をくねらせて舞い踊る」様子を表すとされている。これに口がつくことで、「巫女が神を楽しませ笑う」という意味に転じたというのが一般的な解釈である。が、それはまだ表の意味で、裏側は異なる。

 

 

 「关」の部首は「八部:はち・はちがしら・は」で、「八」が逆さを向いている形である。「八=や=ヤハウェ」で、絶対神ヤハウェが天から降りてきた状態を示している。「耶」も「や」でヤハウェであり、「耶蘇」(やそ)としたらイエス・キリストとなる仕掛けで、さらに、「天」の字の本来の書き方は「工+人」で、「工人」とは「大工」のこと。イエス・キリストの職業は大工であり、創造神ヤハウェは宇宙・天地を創造した神で、偉大なる建築家(The Great Architect of the Universe)とされ、それを「G」で表すのが「フリーメーソン」である。

 

 フリーメーソンとは「自由な石工」を意味するが、その石工の棟梁とは宇宙を想像した偉大なる創造主ヤハウェ=イエス・キリストのことである。そして、そのイエス・キリストは「終わりの日」に地上に「至福千年王国」を築き、その偉大なる王として君臨することとなる。だから、イエスの職業も、父ヨセフの職業も大工であり、古代日本を作った棟梁「聖徳太子」が「大工の祖」とされるのは、ここに起源があるのだ。

 

 

 フリーメーソンのシンボルは「曲尺」(直角定規)と「コンパス」で、その2つで描けるものは「正方形に丸」で「日の丸」である。日本は世界中に向けてフリーメーソン国家を宣言しているのである。フリーメーソンは石工の結社だが、単に石で建築物を作っていた訳ではない。もちろん「木」も使っていたが、こと日本に限って言えば、日本の古代の建築物は基本的に「木造」である。そこには「常若」の思想が込められているが、「木」は「榊」であり、神を架けた木「十字架」であり「生命の樹」でもある。

 

 つまり、「木」はイエス・キリストのシンボルであり、「石」はヤハウェのシンボルである。だからこそ妹の「木花咲耶姫」にはイエス・キリスト=秦氏が投影され、姉の磐長姫」にはユダヤ教徒の物部氏が投影されているのである。だが、貴船神社の奥宮の主祭神は本来は「牛鬼=悪魔」であって神ではないのに、なぜ「木花咲耶姫」としたのかが謎のままである。それを解く鍵は奥宮の「船形石」にある。綱本逸雄氏の「京都三山石仏・石碑事典」によれば、高さ約2メートル×長さ約10メートル×横幅約4メートル、石を積んで船の形を模した構造物である。綱本氏は同書で「船形石」の謂れを次のように記している。

 
「昔、玉依姫(神武天皇の母)が「黄船」(「木船」)に乗り浪速から淀川、鴨川を遡り、貴船川と鞍馬川の合流点で川瀬が浅くなったところで、梶を取り外し(梶取社の由来)、貴船川を遡っていまの貴船神社の地に上陸。玉依姫が乗ってきた黄船を地下に納めた 」

 つまり神武天皇の母「玉依姫」の「黄船」を人目に触れないようにするため、地下に納めてその上に石を積んで築いたものが「船形石」となる。船形石の周囲はそれほど大きくない石を積み上げられているが、その頂部は盛り上がり一面には苔が生している。また、周囲には注連縄が張られ神聖な結界であることを示している。いったい船形石とは何を示したものなのだろうか。

 

 

 「貴船」で「黄船」で「木船」である。貴船は「貴い船」であり、それは旧世界を終わらせる大洪水を乗り越え、新世界の祖となったノアとその一家が乗っていた「箱船」であり、「木」で作られた箱型の船にはノアと3人の息子セム・ハム・ヤフェト、それぞれの妻の計8人が乗っていたことを示すため、「八つの口」を入れて「船」という字が作られた。さらに、ノア・セム・ハム・ヤフェト、そしてノアとセムの妻は「黄人」(きびと)で、遺伝子変異が起きる前の最初の人類である「黄色人種」であった。その「黄色人種」の長たる「黄金色の人種」が大和民族だと伝えているのだ。

 

 旧世界の地球は分厚い大気の層に囲まれ、太陽からの紫外線も直接届いておらず、地球内部の重力も非常に軽かった。だからこそ、巨大な体をもつ恐竜が生きながらえ、人間の寿命も長かった。アダムから始まる歴代の王たちの寿命は1000歳近くまであったが、分厚い大気の層が破られ、重力が重くなり、紫外線に触れるようになった新世界では、人間の寿命も短くなった。「創世記」第5章には、人類の祖アダムからノアまで10代の系図が記されているが、そこに名を連ねた人々は驚くほど長寿である。アダムが930歳、セツが912歳、エノシュが905歳と、現代では考えられないほどの長寿である。

 



 ノアは、洪水の後三百五十年生きた。 ノアは九百五十歳になって、死んだ。(「創世記」第9章28-29節)

 

 しかし、アダムから10代目となるノアの時代になると、「地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾く」(「創世記」第6章5節)ようになり、そのため、絶対神はノアとその家族を除く人類を大洪水で滅ぼし、後の時代の人間の寿命については「人の齢は、百二十年にしよう」(「創世記」第6章3節)とする。ノアは950歳まで生きたが、ノアの子のセムは600歳、その息子アルパクシャデは438歳とだんだん短くなっていき、ノアから10代目に当たるアブラハムの寿命は175歳であった。


 モーセは「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年」(「詩篇」第90章10節)とあるように、この時代の平均寿命は現代の寿命とほぼ同じになっている。但し、絶対神ヤハウェに召命された大預言者モーセは、絶対神ヤハウェが新たな人の寿命の限界と定めた120歳まで生きたとなっている。つまり、なぜ絶対神はノアの大洪水と天変地異を引き起こし、ノアの一家8人とカインの9人しか残さなかったのか、それを「忘れるな」と言っているのである。

 

 それこそが、磐長姫が「人々の寿命が木の花のようにはかなく散るように呪った」という神話に隠された意味なのであり、その象徴こそが貴船神社の「船形石」の意味なのである。

 

 

 さらにもう一つ、人間だろうが動物であろうが、「血」が流された場合、「命を賠償として要求する」と絶対神ヤハウェは告げている。

 

 「また、あなたたちの命である血が流された場合、わたしは賠償を要求する。いかなる獣からも要求する。人間どうしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する。人の血を流す者は 人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。」(「創世記」第9章5-6節)

 

 殺人を犯した場合、絶対神から絶たれるのである。それは呪術で呪殺した場合も同じである。絶対神によって滅ぼされるのである。人を殺す人間は「闇」に支配されている。それが「丹生川上神社下社」と貴船神社」の奥宮で「闇龗神」を祀っている意味なのであり、「牛鬼=悪魔」を封印した絶対神ヤハウェ=イエス・キリストのことを表しているのだ。その意味で考えれば、「呪い」の元となったのは、人類最初の殺人を犯した「カイン」をも示している。

 

 アダムの子カインは、弟アベルを憎んで殺人を犯す。そして、その罪として身体に”しるし”を付けられ、絶対神によって死ねない体とされた。この”しるし”は、身体を黒くされたことだが、死ねない身体になったカインもまた箱舟を作り、ノア一家が到着したアララト山に到着している。「兄の口」から出た弟への身勝手な恨みや妬みの言葉、それこそが「呪い」の起源であり、悪魔と契約したカインの箱舟をも象徴しているのが貴船神社奥宮の「船形石」なのである。

 

アララト山にある「ノアの箱船」の船形地形

 

 貴船神社奥宮の「船形石」には、さらにもう一つの意味が込められている。それは、「終わりの日」に天照大神=イエス・キリストが再臨、全ての悪が滅ぼされた後、地上には神が直接統治する「至福千年王国」が樹立されることとなる。その時、生き残れた人類は次の段階に入る。それはスピリチャル系の人たちがこぞって使いたがる「次元上昇=アセンション」などというものではない。「魂レベルが上昇する」とかいう迷い事でもない。「不死不滅」の体となるのである。二度と死なない体となるのだ。

 

 だが、それは悪に与した人間には訪れない。悪に与した人間、666の獣の刻印を押された人間たちは、みな暗闇の中に1000年間閉じ込められることとなる。そして「復活」することはない。だからこそ、スピリチャル系の人たちが言う戯言を信じてはならない。チャネリングは絶対にダメだ。宇宙存在などという者は光の存在ではなく、人類を闇に引きずり込む存在だと心得て欲しい。「終わりの日」に新しい箱船に乗れるか、カインの箱舟に乗せられるか、それを「見極めよ」というしるしが「船形石」なのである。なぜなら、天照大神=イエス・キリストが再臨したとき、その姿を現すのは、平安京の上部となる「船岡山」だからである!

 

<つづく>