「穢れ」と「言霊」の謎:その39

 

 陰陽道の黒魔術である「左道」の呪術には「蠱毒術」(こどくじゅつ)と「厭魅術」(えんみじゅつ)がある。猫や犬の頭を使ったり、ヘビ、ムカデ、ゲジ、カエルなどの虫を共食いさせ、勝ち残ったものの毒で他人を殺す「蠱毒術」は、ネコ、王冠を被った人間、ヒキガエルの頭をもった蜘蛛の姿で描かれる「ハエの王」悪魔=ベルゼブブが象徴していた。一方の黒魔術である「厭魅術」人形を使って人を呪って殺す呪術であり、その雛形はバアル神の象徴「モレク」の象にあった。ブードゥー教をはじめ、「ヒトガタ」を使った呪術の源流はここにある。

 

 日本でも古来より人形は呪術に使われてきた。呪いもあれば、祈りもあり、願いもある。御守り、御札、ダルマ、凧、形代、雛人形、五月人形、みな「ヒトガタ」である。人形を使った呪術は本来、「身代わり」である。神道では紙で作った「人形:ヒトガタ」で体をさすり、穢れを祓うものとしてきた。禍い・災いをヒトガタに移して川や海に流したり、正月明けに燃やしたりすることで体を清める。これは陰陽道の呪術でも白魔術である。古代中国の道教では「右道」と呼んだ。

 

形代

紙や木簡を使った呪術

 

 

「呪いの藁人形」とイエス・キリスト

 

 「厭魅術」は人形を使って人を呪い殺す呪術である。使用される人形は雛人形のようなものから、木偶、紙製や板製のヒトガタが多く使われた。なかでも強力な効果を発揮するのが「呪いの藁人形」である。「歩き巫女」に中でも「ノノウ」と呼ばれる諏訪神社の巫女が、「外法箱」と呼ばれる箱に五寸ほどのククノチ神(弓を持った案山子)、雛人形藁人形を入れ歩いたとされる話は、必ずしもそれらの人形が「呪い」のためだけに使われた訳ではない。なぜなら「呪い」だけで生活に必要なお金を稼げたとは考えにくいからである。

 

 「藁人形」は、藁を束ねたり、編んだりして人間の形を模した人形で、古代中国では芻霊(すうれい)、ないし芻人(すうじん)と呼ばれていた。日本での「藁人形」は死者の埋葬の際に副葬品として用いられたり、「丑の刻参り」において用いられる呪いの道具の一種としても知られるが、厄除けの道具として用いられることもあり、平安時代、疫病が横行した際、病魔を駆逐する為に藁人形が道端に立てられることもあったほか、田畑を食い荒らす害虫を駆逐する為に藁人形を掲げて田畑を歩き、その後川に流すという習俗もあった。


 

 「丑の刻参り」において用いられる「呪いの藁人形」の場合、藁をもってヒトガタを作り、大の字で作られるのが一般的だが、本来は「十字形」である。中には呪う相手と同調する持ち物や髪の毛、爪など体の一部を入れ、そこに名前を書いた紙を貼るか、そのまま藁人形に書く。住所などの個人情報がわかれば、なおいい。個人を特定する仕掛けだ。

 

 藁人形は神社や寺院の境内にある樹木、できれば御神木に打ち付けるのが望ましい。金槌で五寸釘を3本打ち付ける。胸の部分に集中的に打ちつけるケースが多いが、本来は両手と足の部分である。呪いの藁人形は「お百度参り」の左道でもある。お百度参りは昼でも夜でもいいが、呪いの藁人形は夜、丑三つ時に行う。ゆえに「丑の刻参り」とも呼ばれる。丑の刻から寅の刻まで、方位でいえば「丑寅の鬼門」である。

 

 

 呪術を行う者は儀式のための礼服「白装束=死に装束」を着る。お百度参りは裸足で行うが、丑の刻参りは一本歯下駄を履く。これは天狗が履く下駄で、バランスや体力も含め相当の覚悟が必要である。頭には五徳を裏返しに被り、脚の先に火をつけたロウソクを3本立てる。胸には鏡を下げるが、これは呪い除けで、返ってくる呪いを防ぐためとされている。但し、他人に呪っている姿を見られると効果がなくなる。毎晩、21日間続けられれば、満貫の日、相手は苦しみだし非業の死を遂げる。

 

 街灯もなくて夜になれば外は真っ暗の平安時代ならともなく、現代でこれを遂行するのはかなり困難である。多くの寺社は私有地であるため丑の刻参りは建造物侵入罪(不法侵入)に問われたり、樹木に打ち付ける行為が器物損壊罪に問われる可能性がある。また、藁人形を使った呪術行為が、相手方に不安を与えるものだったため脅迫罪に問われた事例があるほか、公然と行われたため侮辱罪や名誉毀損罪が問題になった事例もある。だから、決してやってはいけないが、密かに別の人間が代行して行われている場合もある。この「呪いの藁人形」の発祥地は、京都の奥に坐す貴船神社である。

 

 

 貴船神社は、全国に約500社を数える貴船神社の総本宮で、正式名称は「貴布禰総本宮 貴船神社」である。貴布禰は「きふね」である。ここは天武天皇の御代・白鳳6年(677)にはすでに御社殿が造られていたという、京都でも屈指の歴史を誇る神社である。横に流れる貴船川は鴨川の源流にあたり、また御所の真北に鎮座することから、“京都の水源を守る神”として歴代朝廷からも大切にされてきた社である。祭神は「高龗神」(タカオカミノカミ)と「闇龗神」(クラオカミノカミ)となっているが、本宮・奥宮は「高龗神」(タカオカミノカミ)で「水を司る龍神」である。

 

 真ん中の中宮と結社(ゆいのやしろ)には「磐長姫命」(イワナガヒメノミコト)が祀らている。磐長姫命とは「木花開耶姫命」(コノハナサクヤヒメノミコト)の姉で、一般的には長寿をつかさどる女神とされる。「大山祇神」(オオヤマツミノカミ)の娘で、妹の木花開耶姫に一目惚れした天孫瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に、「人間の命が岩のように盤石であるように」と願ってイワナガヒメも添えて進呈したのだが、ニニギは容姿の醜さを嫌って送り返してしまう。これにより磐長姫命は「人々の寿命が木の花のようにはかなく散るように呪った」と伝えられている。この話は古今東西変わらぬ男の好色癖を梃にして人間の命に限りがあることを説いたものとされるが、女の執念のすさまじさも語られている。

 

 実は、「呪いの藁人形」の呪詛を伝えている絵には必ず女性が描かれているのは、もちろん女性が恨みを抱いて呪詛を行ってきたからだが、根源はこの磐長姫命の「呪い」なのである。もちろん現代においても「お前はブスだからいらない」などと捨てられたら、きっと女性はその男を恨むに違いない。が、真夜中の丑三つ刻に女性が一人で呪詛を行うというのは、相当な恨みがなければ実際にやる人は少ないはずだ。

 

 

 尼崎市にある尼崎総氏神を祀るのも同名の「貴布禰神社」(きふねじんじゃ)である。こちらでは毎年夏祭りとして「だんじり祭」が開催されており、祀られているのは京都の貴船神社と同じ「高龗神」(タカオカミノカミ)で、京都にある貴船神社と同神である。が、ここには「加茂別雷神」(カモノワケイカヅチノカミ)と「加茂御祖神」(カモノミオヤノカミ)が配祀されている。上賀茂神社と下鴨神社の主祭神である。これは何故かといえば、「貴船神社」は賀茂神社が管理しているからである。


 「貴船神社」の奥宮には、一説には「高龗神」とともに「闇龗神」(クラオカミノカミ)と「玉依姫命」(タマヨリヒメノミコト)も合祀されるといわれ、これらの祭神が「貴船大神」「貴船明神」と総称されているのだという。「玉依姫命」は神武天皇の母である。「黄船」に乗り、大阪湾から淀川・鴨川を遡り、源流である貴船川の上流に至り、この地に祠を建て水神を奉った、という創建伝説が伝えられている。今度は黄色い船で「黄船」が登場した。貴船に貴布禰に黄船。まさに「コトダマ」の謎掛けである。が、この「黄船:きふね」こそ、貴船神社の謎を解く鍵がある。

 

 「貴船神社」の境内には「本宮」「奥宮」「結社」の3つの社殿がある。 「本宮〜奥宮〜結社」の順番で参拝するのが、正式なルートとされ、 この三社を参拝することを「三社詣」(さんしゃまいり)と呼び、順序通りに全ての社殿を参拝すると願いが叶うとされている。さらに、貴船神社を「下上賀茂神社」が仕切っているのであれば、それは神道の奥義が隠されていると見ていい。なにせ道の向こうは鞍馬で、そこには裏陰陽道秘密結社「八咫烏」たちが「烏天狗」として活動し、その棟梁である「鞍馬天狗」の正体は三羽烏の「金鵄」である。三社を詣でさせる仕組みは絶対三神を祀る山という意味となる。

 

左:鞍馬天狗 右:金鵄

 

 三社詣の二番目は奥宮だが、実はここが元々の本宮だったという。現在の本宮から北へ500m昇ると奥宮があるのだが、ここにこそ鎮座地となった伝説が残っている。それは5世紀初めに、玉依姫が黄色い船で淀川から貴船川をさかのぼり、たどり着いた場所に社殿を建てたとするもので、それが貴船神社の起源だと伝えられているのだ。また、「貴船」の名前の由来は、姫が乗ってきた「黄船」にあるという言い伝えもある。もし、そうならば、重要となるのがここに置かれている「船形石」(ふながたいわ)である。

  この奥宮に伝わっているのが、
「玉依姫が乗ってきた黄船を地下に納めた」という伝承で、 玉依姫の黄船を人目に触れないようにするために地下に納め、さらにその上に石を積んで築いたものが「船形石」だという。小石は、旅行や航海安全のご利益として持ち帰る人もいるそうだが、船形石の周囲はそれほど大きくない石を積み上げられており、その頂部は盛り上がり一面に苔生していることから、中心部は土を盛っているようにも見受けられる。また周囲には注連縄が張られ神聖な領域であることを示している。だが、この地下に納めた「黄船」とはいったい何を示すものなのか。

 

奥宮の「船形石」

 

 「貴い船」だというならば、そこには2つの意味がある。1つは新世界の人類の祖ノアとその家族が乗った「ノアの箱船」である。「ノアの箱船」がたどり着いたのはアララト山である。貴船山を「貴い船が着いた山=アララト山」に見立て、そこに祀らている「船」があるとするならば、それはノアの箱船の象徴となる。だが、実際に貴船山にノアの箱船が埋められるはずはないし、だいたい貴船山まで船で上がるというのも無理な話だ。つまり、全て象徴と考えないとダメだ。

 

 平安京において天皇が住まう内裏を守護しているのは、賀茂氏であり、上賀茂神社の賀茂氏が御所の外陣を護り、下鴨神社の賀茂氏が内陣を護っている。「平安京」を呪術的に守護している神社は「下上賀茂神社」であり、その賀茂神社の所領地が鞍馬と貴船だとすれば、ある意味で下上賀茂神社の奥宮でもあり御神体でもあるのが鞍馬山と貴船山だとも考えられる。さらに別の見方をすれば、「下上賀茂神社」の賀茂氏が封印した場所、つまり一般人を近づけさせないようにした場所とも言える。なぜか。そこには「八咫烏」がいるからだ。幼名を「牛若丸」と言った源義経が育てられたのは鞍馬で、養育したのは「鞍馬天狗」、つまり金鵄である。

 

 さらにいえば、「竹内文書」を記した竹内巨麿もまた、ここ鞍馬で修行をしたことになっているが、実際は「竹内文書」の元となった八咫烏たちのみが知る奥義『八咫烏秘記』の内容を教えてもらいに行った場所だからである。が、それは鞍馬であって貴船ではない。問題は「黄船」なのであり、この黄船を隠すため小石を積み上げたとされているのが、本殿の西側にある「船形石」だからだ。奥宮でさらに目をひくのが、末社の横に生える連理の杉という御神木である。2本の枝が連なった杉と楓の木は、夫婦や男女の仲がよいことにも例えられる。だが、この御神木こそ、「呪いの藁人形」を打ちつける木なのである。

 

「貴船神社」の奥宮と釘の跡のある御神木

 

 貴船神社の御祭神に関して、貴船神社では以下のように伝えている。


 貴船神社の御祭神である高龗神は闇龗神とも伝わります。社記には「呼び名は違っても同じ神なり」と記されています。降雨・止雨を司る龍神であり、雲を呼び、雨を降らせ、陽を招き、降った雨を地中に蓄えさせて、それを少しずつ適量に湧き出させる働きを司る神です。一説には、高龗は「山上の龍神」闇龗は「谷底暗闇の龍神」と言われています。 水は万物の命の源。生きとし生けるものが命をつなぐために片時もおろそかにすることができない大切な水の供給を司る「水源の神」です。

 

 高龗は「山上の龍神」というなら、絶対神ヤハウェである。だが、闇龗は「谷底暗闇の龍神」だが、同一神だとある。龍神だけなら理解できるが、「谷底暗闇」というのは聞いたことがない。龍神は水神で日本神話ならスサノウである。スサノウは『日本書紀』ではイザナギとイザナミ の間に産まれ、天照大神・月読命・蛭児(ヒルコ)の次に当たる。統治領域は文献によって異なり、三貴子のうち天照大御神は天(高天原)であるが、月読命は天、滄海原(あおのうなばら)または夜の食国(よるのおすくに)を、スサノウには夜の食国または海原または天下を治めるように言われたとあり、スサノウの記述やエピソードは月読命や蛭児と被る部分がある。

 しかし、『古事記』によれば、スサノオはそれを断り、母神イザナミのいる
「根の国」に行きたいと願い、イザナギの怒りを買って追放されてしまう。そこで母の故地、出雲と伯耆の堺近辺の根の国へ向う前に姉の天照大御神に別れの挨拶をしようと高天原へ上るが、天照大御神は弟が攻め入って来たのではと思い武装して応対。スサノオは疑いを解くために「誓約」(うけひ)を行う。スサノウは自らの潔白が誓約によって証明されたとしたが、勝ったに任せてと次々と粗暴を行い、天照大御神は怒って「天の岩屋」にお隠れになってしまった。そのため、スサノウは高天原を追放された。

 

スサノオは疑いを解くために「誓約」を行った
 

 「根の国」とは出雲で、「黄泉の国」である。つまり「死者の霊が集まる場所」である。イザナギが亡き妻に逢いたいと願って黄泉を訪れた際、見てはならぬと言われたイザナギが、我慢できずに振り返った時、そこにいたイザナミは醜い化け物であった。それを見たイザナギは、「見たな〜」とイザナミに言われ、魑魅魍魎に追いかけられたが、黄泉平坂で桃の実を投げて封印している。醜い姿というのは、磐長姫命の話に通ずる。が、こちらは死霊のいる世界の神話である。

 

 「谷底暗闇」という表現を考えると、そこは黄泉ではない。暗闇の地獄である。『聖書』で考えれば、堕天使ルシファーが落とされた世界である。と考えた時、闇龗神には堕天使ルシファーが投影されているのではないか。すると、貴船神社での「丑の刻参り」が左道の黒魔術なのも納得がいく。だが、貴船神社では祭神の「高龗神は闇龗神とは呼び名は違っても同じ神なり」と言っているのである。ならば、高龗神=天照大神=イエス・キリスト、闇龗神=スサノウ=ヤハウェということだ。荒ぶる霊神としてヤハウェが祀られているということになるのはないか。

 

 「三社詣」は「本宮〜奥宮〜結社」の順番で参拝するが、これを伊勢神宮で考えた場合、本宮=伊勢外宮、奥宮=内宮、結社=伊雑宮となる。だが、奥宮はもともと本宮だったことを考えれば、奥宮は封印されている伊勢本宮の伊雑宮となり、女神の磐長姫命が祀られていることで、結社が伊勢内宮となる。内宮には女神としての天照大神が祀られているからだ。すると本宮は伊勢外宮となるが、外宮に祀られているのは、男神・豊受大神で、その正体は絶対神ヤハウェである。高龗神は「山上の龍神」でヤハウェで同一神となる。そう考えると、伊勢三社、賀茂三社、貴船三社は同じ構造なのである。今まで全く気づかなかった。

 

左:貴船三社 右:伊勢参宮

 

 さて、伊勢参宮と貴船三社が対応していると考えれば、「黄船」はいったいどういう意味になるのか。あるのは貴船神社の奥宮である。かたやそこに対応するのは伊雑宮だ。伊雑宮の地下殿に秘密裏に祀られているのは、イエス・キリストの「罪状板」である。しかし、罪状板と船に関連があるとは思えない。では、いったい「黄船:貴船:貴布禰」は何を意味しているのであろうか。

 

<つづく>