「穢れ」と「言霊」の謎:その37

 

 鎌倉時代、生活の糧を求めて旅に出る巫女が現れ「歩き巫女」と呼ばれるようになった。特定の神社に所属せず、全国各地を遍歴し「祈祷・託宣・勧進」などを行うことによって生計を立てていた巫女たちは、旅芸人や遊女を兼ねていた存在もいたが、この「歩き巫女」には「鳴弦」によって託宣を行う「梓巫女」や熊野信仰を各地に広めた「熊野比丘尼」の他にも、戦国時代には甲斐武田氏のために情報収集をした「くの一」と呼称される存在もいた。女スパイである。

 

 一方で、「諏訪神社」の巫女だった「信濃巫」は、死人の口をきく「口寄せ」を行う巫女として全国各地をさすらうこととなったという。こちらは完全に物部氏系の巫女だが、禁断の「呪法」「妖術」を使う巫女で、「五寸ほどのククノチ神(弓を持った案山子)像、捒物のキボコ(男女が合体している木像)、一寸五分の仏と猫頭の干物、白犬の頭蓋骨、雛人形、藁人形」を入れた「外法箱」を持ち歩いたという。

 

藁人形と白犬の頭蓋骨

 

 案山子の像とはイエス・キリストの象徴だが、これを藁人形と一緒に持ち歩いたとすれば、その意味は十字架となる。それも神を架けた木と同じ意味の左道の呪術道具の意味となる。雛人形はそこに穢れを付けて流したり燃やしたりすれば「穢れ祓い」となるものの、「口寄せ」は死人を呼び出すのである。黒魔術だ。さらになぜ、猫の頭を干したものや、白犬の頭蓋骨を持ち歩いたのか。それらをどう呪いの道具としてに使ったのだろうか。

 

◆「歩き巫女」の闇の呪術

 

 古代中国の道教や伝統中国医学における「霊」を意味する概念に「魂魄」(こんぱく)というものがある。「魂魄」は、人間の精神的肉体的活動をつかさどる「神霊」「たましい」をいう。 古代中国では、人間を形成する陰陽二気の陽気の霊を「魂」といい、陰気の霊を「魄」と呼んだ。 魂は精神、魄は肉体をつかさどる神霊であるとされ、一般に精神をつかさどる魂によって人間の神霊を表す。分かりやすくいえば「魂」は「精神を支える気」で、「魄」は「肉体を支える気」である。魂と魄は易の思想と結びつき、魂は陽に属して天に帰し(魂銷)、魄は陰に属して地に帰すと考えられていた。ちなみに「殭屍」(キョンシー)は、魂が天に帰り魄のみの存在とされる。

 

 日本では「霊魂」というが、古くは人間の頭には「魂魄」が宿るとされてきた。だが「魂」と「魄」は別物である。「魂」は死後天に昇る魂で、「魄」は重く濁り、死後は頭部に留まり、やがて散って行く魂とされている。昔の処刑は、生きながらにして首を切り落とした。生きながら殺す事で「魂」も「魄」共に頭部に残した。平将門のように頭部を人の行き交う街道に晒したり、人が行き交う街道に埋める事で「魂」が昇るのを防ぎ、「怨念が増幅する」ことを待ったという。


江戸時代の「さらし首」

 

 街道に埋めて晒した首の場合、怨念が増幅し続ける事を待ち、その頭部を掘り起こし、頭部の中の土と自分の血を混ぜ合わせ土像を作ったとされる。それを箱に納めて封をし、出来上がったのが「外法箱」なのだという。さらに「逆さ埋葬」という呪術がある。この呪術は地獄など悪趣に堕ちた者は現世とは逆の姿をしていると、つまり、屍体を物理的に地獄と同じにする事で祟りを封じるものであるが、それだけでは済まさず、「黄泉還り」を防ぐため、街道に地中深く穴を掘り「逆さ埋葬」した上で何重にも石で封をし、埋葬したという。そうする事で「黄泉還り」を防ぎ、多くの人が往来する事で霊が浮かび上がるのも防ぐようにしたという。

 恐ろしい呪術だが、実はこれと同じような呪術が京都で行われた。それは
「信長の首」である。信長の首は敵方の北朝天皇家の護りにするため、京都の船岡山に埋められた。その際、信長の首はうつ伏せにされたという。これは信長の「黄泉還り」を防ぐためであり、これも物部氏系の呪術である。なぜ、そして誰が「信長の首」を平安京守護のために船岡山に埋めたのか、詳細は後述するが、邪道の呪法を行う物部氏系の巫女たちも、民間レベルとはいうものの同じことをやっていたのだ。だからこそ、猫の干し首や白犬の頭蓋骨を持ち歩いたのであろう。

 

 「口寄せ」の巫女たちが持ち歩いた「藁人形」には、足の部分が別れている「大」の形と、足がまとめられている「T」の形がある。どちらもイエス・キリストの磔刑を示唆した道具だが、江戸時代の処刑も同様に、「大」もしくは「T」の形で磔刑に処されている。

 

江戸時代の磔刑

 

 「口寄せ」の巫女たちは、死靈を呼び出したとされるが、これは青森の恐山にいる「イタコ」も同じである。というか、「イタコ」はもともと「口寄せ」の巫女たちなのである。先に旅立ってしまった家族が、残された家族へ伝えたかった想い、逆に残された者が後悔の念を旅立った者へと伝えたいという想いを叶えるというもので、こうしたものならまだ分かるが、やはり問題は「外法箱」の道具を使った黒魔術である。ちょっと霊能力があるからといって、決してこのような真似してはならない。必ず「魔物」が忍び寄るからだ。

 

 「外法箱」のところで引っ掛かる点が1つある。それは「小さな箱を舟形に縫った紺色の風呂敷で包んで」というところだ。なぜ「舟形」なのか。実は、ここにこそ「左道の呪術」の謎が隠されている。それは「呪いの藁人形」の発祥ともいわれる京都の「貴船神社」である。

 

◆闇の呪術の起源

 

 呪術では、しばしば人形を使う。人形を呪う相手に見立てて、そこに様々な呪術を施していく。古今東西、様々な国で「人形」を使った呪術や「人形」に関する怖い話が伝えられてきた。古くから「人型」には魂が宿ると云われてきた。日本の怖い話の定番である「おお松人形」、髪の毛が伸び続ける「お菊人形」、また西洋の人形も同様である。また、長年家にあるぬいぐるみなど、特に愛着が湧いたものには魂が宿りやすいと云われる。

 

 中米ハイチで行われる呪術として有名なのが「ブードゥー」である。ブードゥー教は、アフリカ大陸のベナン共和国やメキシコ湾にあるハイチ共和国、アメリカ南部のニューオーリンズなどで信仰されている民間信仰で、 ハイチでの主な担い手は農民や都市の下層民である。もともとカトリック教会が奉ずる普遍的な理念・信仰・礼拝・実践であるカトリシズムと、西アフリカ・中央アフリカ諸部族の宗教とが合わさって成立したものとされている。このブードゥー教は至高神の他に多様な神々や祖霊を崇拝する多神教である。

 

「ブードゥー」の呪術で使われる人形

 

 ブードゥー教では相手の髪の毛や爪などを人形に仕込み、針や棘で刺したり叩いたりする。すると、同じ効果が相手に起こり、痛み苦しむ。簡単に言うと自然の力を利用し相手を呪うのだが、一方で死人を生き返らせるための秘術、病気を治すための術も伝えられている。その成り立ちは黒人奴隷時代の時だが、ブードゥー教ではブードゥー魔術を使えるものは司祭であり、人形も本場のものでなければいけないと言われている。

 

 ブードゥーの人形や日本の「呪いの藁人形」も基本的に同じなのだが、ブードゥーは、わざと人形に魂を入れる。人形の魂は、米や種などの栄養のあるものとされ、それをブードゥーでは人形の中に入れる。さらに人形を誰かに見立てる場合は、見立てる本人の爪や髪の毛・陰毛・体液などと 氏名・満年齢・顔写真を中に入れる。こうして人形はその人の「見立て」となり「身代わり」になるのである。

 

 

 日本でも古来より人形は呪術に使われてきた。ダルマ、凧揚げ、流し雛、雛人形、五月人形、みな「ヒトガタ」である。人形を使った呪術は本来、身代わりである。神道では紙で作った「形代:かたしろ」「人形:ひとがた」で体をさすり、穢れを祓う。災いをヒトガタに移し、これを川や海に流したり、正月明けに燃やしたりすることで体を清める。

 

 一番有名な「流し雛」は3月3日に雛人形を川に流し送る行事である。 雛祭の人形は、それで身をなでて「穢れ」を祓った後に流し去る「人形:ひとがた」「形代:かたしろ」という呪具の系統をひくものとされるが、祓い人形と同様に身の穢れも水に流して清める意味の民俗行事として、現在も各地で行われている。

 


「流し雛」

 

 記紀には伊邪那岐命(イザナギ)と伊邪那美命(イザナミ)が「国生み」を行った際、一度失敗して生まれた「蛭子」(ヒルコ)を「葦の船」に乗せて海に流したという記述があり、これがしきたりの起源とされている。また『源氏物語』の須磨の巻には光源氏がお祓いをした紙人形(形代)を船に乗せ、須磨の海に流したという著述がある。「口寄せ」の巫女たちが、外法箱」の中に男女が合体している木像である捒物のキボコ」や雛人形を入れていたのは、使い方は真逆だが根本は同じ呪術なのである。雛人形では「お内裏様」と「お雛様」は一対だからだ。

 

 さらに「水に流す」ことで穢れを取るというのは穢れ祓いの基本である「禊」でもあるが、お腹の中の胎児を堕ろすことを「水にする」という表現は、「蛭子」からきている。同様に流産や中絶、死産などを理由として、生まれる前に命が消えてしまった子どものことを「水子」という。ヒルコは「水蛭子」「蛭子神」「蛭子命」「蛭児」とも表記されるが、ヒルコが棄てられた理由について『古事記』ではイザナキ・イザナミの言葉として「わが生める子良くあらず」とあるのみで、どういった子であったかは不明である。後世の解釈では、水蛭子とあることから水蛭のように手足が異形であったのではないかという説も生まれたが、これは「神話」であって「史実」ではない。

 


下鴨神社の「流し雛」

 

 「形代:かたしろ」「人形:ひとがた」を使って穢れを祓うとするのは、陰陽道の呪術であり、いわば白魔術である。古代中国の道教では、これを「右道」と呼んだ。これに対して陰陽道の黒魔術は「左道」である。左道には「蠱毒術」(こどくじゅつ)と「厭魅術」(えんみじゅつ)がある。前者は動物を使い、後者は人形を使う。簡単にいえば、人を呪って殺す呪術である。

 

 前者の「蠱毒」(こどく)は、古代中国において用いられた呪術である。動物を使うもので、現在も中国「華南」(かなん)の少数民族の間で受け継がれているという。「蠱道」(こどう)、「蠱術」(こじゅつ)、「巫蠱」(ふこ)などとも呼ばれる。を使用した呪術である犬神を使用した呪術である猫鬼などと並ぶ、動物を使った呪術の一種である。思い出していただきたい。「口寄せ」の巫女たちがなぜ、干した猫の頭や白犬の頭蓋骨を常に持ち歩いているのか。それはここに起源があるのだ。さらにそれは「名前」にも表れている。この呪術は「巫蠱」(ふこ)と呼ばれ、その呪術は「かなん」の少数民族に受け継がれていると。

 

 「蠱」の読みは「こ」「まじ」である。「まじない」にことだ。語素は「呪術の意」を表わすことで、「まじないをして、わざわいをこうむらせる。 呪力に引き入れられる。また、そのためにわざわいにあう。呪詛を受ける。」といった意味を持つ。呪詛をすることも受けることも同じなのである。なんでこの字に「虫」が3つ重ねてあるのかといえば、虫を使ったからである。『医学綱目』の記載では「ヘビ、ムカデ、ゲジ、カエルなどの百虫を同じ容器で飼育し、互いに共食いさせ、勝ち残ったものが神霊となるためこれを祀る。この毒を採取して飲食物に混ぜ、人に害を加えたり、思い通りに福を得たり、富貴を図ったりする。人がこの毒に当たると、症状はさまざまであるが「一定期間のうちにその人は大抵死ぬ」と記載されている。

 

巫蠱の呪術に使われる毒について説明する中国の番組

 

 「共食いさせ、勝ち残ったものが神霊となる」とあるが、これは違う。古代ヘブライにおいても、日本の古神道・神道においても「共食い」は絶対に許さない。よって、残ったものが「神霊」になるなどあり得ない話だ。これは神霊ではなく、悪霊である。黒魔術なのである。共食いをした生き物を食べることも絶対神は許さない。だから牛骨粉を混ぜた飼料を牛に食わせて発生した「狂牛病」の肉などもってのほかであり、その狂牛病にかかった牛を使って作られた「狂牛病プリオンタンパク質」が入れられた「mRNAワクチン」を接種すると絶対神に絶たれることになる。

 

 なぜ、こんな呪いの呪術が始まったのかといえば、それは「カナン人」にある。カナンはノアの息子ハムの子供だが、「カナン人」となるともう一人の息子であるクシュの末裔も含まれる。人類初の殺人を起こしたカインは悪魔サタンと契約した最初の預言者であり、クシュを悪魔サタンの預言者としたのもカインである。そして、ここを起源とする悪魔崇拝では、必ず生きた子供を生贄にし、人肉を喰らう。

 

 現在も中国では人肉を喰らう人間がおり、また韓国でも人肉パウダーを精力剤などと称して服用する人間たちが後を絶たないのは、カナン人の末裔がいるからである。そして、カナン人は常に大和民族につきまとい、偶像崇拝に陥れる。これは現在も変わらない。つまり、黒魔術を行う「口寄せ」の巫女には「穢れたカナン人の血」が流れているのである!

 

 巫蠱の呪術について書かれた中国の書籍と人形を使った「厭魅術」

 

 中国には「華南」(カナン)もあれば「河南」(カナン)もある。紀元前の大和民族は中国大陸に移った際に、「河南」にも住んでいた。大阪の南河内にも「河南町」がある。これらは「約束の地カナン」を意味する。絶対神ヤハウェがモーセとイスラエル人に与えると約束したカナン人たちが住んでいた土地の名前である。そして、河内に住んでいたのは原始ユダヤ教徒「物部氏」である。つまり、このカナンには約束の地をカナン人たちから奪い返した歴史を反映させているのであって、カナン人の末裔が住んでいたことを示しているのではない。

 

 日本では、「蠱毒」はもう一つの左道の呪術「厭魅」(えんみ)と並んで「蠱毒厭魅」として恐れられ、養老律令の中の「賊盗律」にも記載があるように、厳しく禁止されていた。実際に処罰された例としては、769年に県犬養姉女らが不破内親王の命で「蠱毒」を行った罪によって流罪となったこと、772年に井上内親王が「蠱毒」の罪によって廃されたことなどが『続日本紀』に記されている。平安時代以降も、たびたび詔を出して禁止されている。これは古代の中国も同じである。

 

「厭魅」は「魘魅」とも書くが、ともに字の仲「犬」が入っている。意味は「まじないで人をのろい、殺すこと。呪法により死者の体を起こして、これに人を殺させること。」とある。呪い殺すのはまだ分かるが、ゾンビを使って生きた人間を殺すこともできる呪術なのである。中国の漢の時代に行われていた「巫蠱」の呪術は、木製の人形を土の中に埋めて儀式を行うことによって、対象となる人間を呪い殺すという呪術である。だが、日本はこれを神社の御神木に打ち付けたのである。そう、「呪いの藁人形」である。

 

<つづく>