「穢れ」と「言霊」の謎:その35

 

 十字架に架けられて亡くなった神に「かしこまる(畏まる)」姿勢を見せるのが「正座」だが、茶道、歌道、華道、香道をはじめとする日本の伝統芸能や芸道において、「正座」を行う場面は非常に多い。時代を超えて伝承される「型」を持つ分野においては、型そのものに加え、その中に含まれる座法もまた、日本の古来の文化や習慣を知る上で非常に重要な財産となっており、「正座」の歴史をうかがい知ることができる。

 

 

◆正座を「つくばい」と読む理由

 

 

能楽と落語の正座

 

 座法は、その流派独自のものも見られるが、大抵は創始された年代によって大まかに一致しており、江戸時代初期以前に創始された流派では「立て膝」「跪座」「(腰を落とした)片膝立ち」など、江戸時代中期以降の流派は「正座」が主流となっている。「能」では、地謡や囃子方、後見は「正座」で行う。シテ方においては、「立て膝」や「胡座」がほとんどである。古典音楽の邦楽では、雅楽は「楽座」と呼ばれる「胡座」のような座法である。琴や尺八などの室町時代から戦国時代以後の器楽、また浄瑠璃の義太夫節などでは「正座」で行う。他にも「正座」は、講談や落語、囲碁や将棋の対局など様々な場面で使われている。

 

 これらが何を伝えているのかといえば、古武道であろうが古典芸能であろうが、全て磔刑で亡くなった皇祖神・天照大神=イエス・キリストへの奉斎であり、姿の見えない絶対神ヤハウェと相俟ったモーセのことなのである。

 

燃える柴=ヤハウェにつくばうモーセ

 

 「正座」はむかしは「つくばい:蹲」と呼ばれていた。「蹲踞」(そんきょ)とは、うずくまる姿勢を指す言葉だが、剣道や相撲では膝を開いて背筋を伸ばした姿勢を意味する。 また、「蹲踞」を「つくばい」と読むときは、日本庭園に置く手洗い鉢を指すことが一般的だとされている。なんで「うずくまる姿勢」と庭園の「手洗い鉢」に同じ字を使うのか。そこには茶道が関係する。

 

 茶道では、江戸時代以後は「正座」だが、始祖とされる千利休は「胡座」(あぐら)で行なっていたとされる。「つくばい(蹲踞、蹲)」とは、日本庭園の添景物の一つで「露地」(茶庭)に設置されるものだ。茶室に入る前に、手を清めるために置かれた背の低い手水鉢に役石をおいて趣を加えたものである。「つくばい」とは手水で手を洗うとき「つくばう(しゃがむ)」ことからその名がある。なぜ「しゃがむ」のかと言えば、モーセがそうしたように「神の姿」を見てはならないからだ。

 


丸に四角のつくばいと六角形のつくばい

 「つくばい」は、元々は茶道の習わしで、客人が這いつくばるように身を低くして、手を清めたのが始まりである。さらに、茶事を行うための「茶室」という特別な空間に向かうための
「結界」としても作用する。つまり、「茶室」は「神域」ということなのであり、構造としては神社の拝殿の手前に「手水舎」があるのと同じ意味を持つ。が、ここには2つの意味が隠されている。その一つはモーセである。

 

  神は言われた、「ここに近づいてはいけない。足からくつを脱ぎなさい。あなたが立っているその場所は聖なる地だからである」。 また言われた、「わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」。モーセは神を見ることを恐れたので顔を隠した。(「出エジプト記」第3章5−6節)

 絶対神が坐す場所という神域としての「茶室」ということだ。ゆえに茶道は徹底的に「清め」を求める。外で清めて、中でも清めて、茶碗も清める。これはもう一つの神域である「イエスの岩屋」の象徴だからである。そこには一切の「穢れ」を持ち込んではならないのである。一般に、使用するのにつくばう必要のある高さのものを「つくばい」と言うが、茶室に添えられる本格的なつくばいは、「手水鉢(水鉢)」(ちょうずばち/みずばち)を中心に、「前石」「手燭石」「湯桶石」「水門(海)」で構成されているが、「前石」「手燭石」「湯桶石」の3つの石を「役石」という。絶対三神の象徴である。

 

「つくばい」の作り

 茶事の際、客人は席入りする前に「手水鉢(水鉢)」から柄杓一杯の水をとり、手を洗う事によって身を清める。建物の縁側で手水を使うために置かれた手水鉢は「縁先手水鉢」(えんさきちょうずばち)といい、「つくばい」と違い縁側で立ったまま使用する。そのため「手水鉢」は背の高いもの、あるいは背の低いものは台石に乗せたものを選ぶのだが、この「縁先手水鉢」の役石には以下のものがある。

 
1.蟄石(かがみいし):蟄石は濡れ縁の下に置かれる水返しの石であり鉢からこぼれた水が縁の板に飛び散るのを防ぐ役割がある。青石など他の役石とは石質が異なるものを使用する。

 2.水汲み:石水汲み石は貴人の手水の時に、従者が水を汲んで差し出すときに乗る石であり、天端が平らかなものを使用する。  

 3.清浄石(せいじょういし):清浄石は覗き石ともいわれ水汲み石との調和のために配される。

 4.水揚げ石:水揚げ石は手水鉢の水の取替えや清掃のときに使用される石であり、鉢の後方に置かれ飛び石と連続することが多い。

 「蟄石」(かがみいし)というのは「鏡の石」で、三種の神器の「八咫の鏡」を表し、乃ちモーセの「十戒の石板」のことである。「水汲み」は「従者が貴人に水を汲んで差し出すときに乗る石」とあるが、この貴人とは大祭司であり預言者であるモーセのことで、「幕屋」の中に入る前には「青銅の洗盤」で「清め」を行うことが必要とされた。さらに「青銅の洗盤」の下には「青銅の台」が置かれていたが、これが「水汲み」の正体である。

 

 つまり、従者が乗る「水汲み」とは、もう一人の大祭司アロンが乗る石となり、「清浄石」が「水汲み石との調和のために配される」理由は二人の大祭司モーセと兄アロンを意味していることになる。つまり、「茶室」とは「イエスの岩屋」を象徴しながらも、モーセの「幕屋」をも象徴したものだったのである。逆に言えば、「モーセの幕屋」が「イエスの岩屋」の雛形だったのだ。これには今まで気づかなった。

 


モーセの「幕屋」と「青銅の洗盤」

 幕屋に置かれた「青銅の洗盤」と「青銅の台」は女たちの「鏡」で作ったと記されている。これは「鏡」と訳されているが、正確には「青銅による鏡」で作られたということである。昔の鏡は、今日のような鏡ではなく、青銅を磨いたものであり、そこには自分の姿がはっきりとではなく、ぼんやりと映るものであった。この「鏡」と訳されたヘブライ語は「マルアー」で、動詞の「見る」(「ラーアー」)を語源としている。女性たちは自分が大切にしていた「鏡」を絶対神のために捧げたということであると同時に、良く磨かれた金属の「鏡」の役割は「写し出されたものを見る」ことにある。「見る」とは、祭司たちが青銅の洗盤で「清められる=聖別される」ことと関係がある。

 

 「青銅の洗盤と台を作ったが、それは臨在の幕屋の入り口で務めをする婦人たちの青銅の鏡で作った。」(「出エジプト記」第38章8節)


 「洗盤」とその中に入れる「水」は、いずれも「神のことば」を象徴している。祭司は、常に洗盤の水、すなわち「神のことば」によって日々聖別される必要があった。なぜなら、祭司たちは、他民族の思想や概念、価値観によって汚されてはならないからだ。つまり「約束の地カナン」へと向かうイスラエル人たちの働きや歩みだけでなく、思いが汚されないためには、神に仕える者たちが日々「神のことば」によって清められ続ける必要があったのである。

 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。(「ヘブライ人への手紙」4章12~13節:新改訳改訂第3版)

 


「青銅の洗盤」と「青銅の台」

 

 「青銅の洗盤」にはそれを置く「青銅の台」がある。幕屋における青銅や銀の台座などすべての「土台=台座」はイエス・キリストを指し示めしている。「台」とは「ム+口」で、「ム」はその字で「私有」を意味する。「私は有る」と言ったヤハウェでありイエス・キリスト、「口」は神に捧げ物をするための器のこと。つまり、絶対神に捧げるための燔祭であるが、イエスを燔祭にかけることでもある。なぜなら「台」の字には、以下のような意味があるからだ。

 ①「喜ぶ」
 ②「私。我。」
 ③「星の名前。神を囲んで守る星の事。」
 ④「三公の位」(三公:最高の地位にあって天子(国を治める最も地位の高い人)を補佐する三人)

 

 「私」はヤハウェでイエス・キリストのことだが、さらに「最高の地位にあって天子を補佐する三人」とはイエス・キリストの三人弟子ペトロ、ヨハネ、ヤコブのことで、この3人を象徴とした八咫烏の三羽烏「金鵄」(きんし)のことだ。こう考えると、「洗盤と台座」とはイエス・キリストと3人弟子の関係を伝える雛形になっていることとなり、従って「洗盤」の水とは、イエス・キリストを土台とした「神のことば」を象徴していることとなる。

 

イエスがモーセとエリアと話した「変貌の山」でのペトロ、ヨハネ、ヤコブ


 なんでモーセの移動式神殿を「幕屋」と言ったのか。それは「イエスの岩屋」の雛形だとしたが、「イエスの岩屋」はイエスの遺骸を安置した場所である。つまり、日本的に言えば、棺桶に入ったイエスが奥に横たわっていることとなる。つまり、「イエス・キリストの葬式」なのである。そして、日本で葬儀や祝祭の際に黒白、紅白、青白の「幕」を使うのは、モーセの幕屋が雛形なのである。

 

 日本で葬儀で使われる幕とは、葬儀の際、祭壇の前や部屋の壁など様々な場所に張られる幕のことだが、「盛り塩」や「しめ縄」と同じように、その空間を清めて「結界」を作り、「浄」の場と「不浄」の場を分けていると考えられている。なぜなら、葬儀を取り仕切るのはイエスの遺骸を葬った「忌部氏」だからである。幕には種類があり、種類ごとに役割が分かれている。目にすることの多い、「白黒」2色の縦縞模様でできている幕は「鯨幕」(くじらまく)である。これは式場内や建物周辺、受付などに下げられる。


「鯨幕」

 

 この「鯨幕」の他に、葬儀会場の入り口や祭壇の手前、室内の四方などに天井から垂らした、幅が短い幕のこと「水引幕」(みずひきまく)と呼ぶ。家紋が入った「水引幕」は祭壇の前部中央といった最も目立つ場所に飾られ、中央に房を垂らし、形を整えて張られるが、かつては、葬儀が行われるときに「仮門」を建て、その4本の柱に屋根を乗せ、そこに水引幕をまわしていたともいわれている。そして水引幕は、葬儀会場の場を清める役割や、神や仏が宿る場所とその他の場所とを分ける役割も果たしている。つまり葬儀の祭壇は契約の聖櫃アークが置かれた祭壇と同じ。「モーセの幕屋」と同じ構造なのである。

 

「水引幕」

 

 なぜ「水引」なのかと言えば、人が息を引き取り「水が引いた=死んだ」からである。日本では「死に水をとる」と言うが、人が臨終になったとき、またはこと切れたときに、茶碗に入れた水を、新しい筆やガーゼに浸して唇を拭ってやることで、末期の水とも言う。この「死に水をとる」行為もイエスが息を引き取るときの話である。

 

 この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。(「ヨハネによる福音書」第19章28-29節)

 

 茶道の「縁先手水鉢」の役石の最後の一つがなぜ水揚げ石」と呼ばれているのか。それはここに起源があるのだ。「手水鉢の水の取替えや清掃のときに使用される石」とあるが、「手水鉢」とは「酸いぶどう酒を満たした器」の象徴なのである。どういうことかといえば。それは「茶室」の構造にある。「手水鉢」が置かれているのは庭であり、茶室の中ではない。つまり、茶室の外側が「イエスの死」までを表し、茶室の中は「亡くなったイエス」のための葬儀の場を表しているのである!

 

 

 イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。(「ヨハネによる福音書」第19章30節)

  イエスは「死に水」を取られたのである。「酸いぶどう酒」とあるが、これは「酢」のことである。つまり、「手水鉢」の中の水で手を洗って清める行為とは、イエスの「死に水」を取ることに他ならないのである。そして、茶室の中で「お茶とお茶請け」をいただく、もしくは「懐石料理」をいただくことは、「最後の晩餐」を再現するのである。亡くなった自分たちの神を慰めるためにである。

 

 葬儀の場で使われるもう1種類の幕に「浅黄幕」(あさぎまく)がある。「浅黄幕」とは、濃い青色と白の2色で構成される、縦縞模様の幕である。歴史は鯨幕よりも長いとされ、この幕が張られている場所は部外者が立ち入ることのできない神聖な場所とされている。浅黄幕は地域によっては慶事に使用することもあり、現代の皇室行事においても、新年祝賀の儀や園遊会などで浅黄幕が用いられている。また、仏式を含む葬儀全般に使用したり、若くしてこの世を去った人が出たときに使用したり、神式の葬儀で鯨幕の代わりに使ったりと、地域によって用途は異なる。

 

園遊会での浅黄幕

 

  若くしてこの世を去った人」とは、33歳で亡くなった現人神イエス・キリストのことである。神式の葬儀とは、ずばりイエス・キリストの葬儀なのである。皇居での「園遊会」は和やかに行われる。だが、その本質は「イエス・キリストの葬儀」なのだ。なにせ主催者はイエス・キリストの預言者・天皇陛下なのである。儀式を行っているのである。しかし、なぜ「園遊会」なのか。それは、そこが「園」だからだ。

 

  彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。 イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。 その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。(「ヨハネによる福音書」第19章40-42節)

 

 お分かりだろう。「園遊会」に参加する人たちは、誰もが知らないうちに「イエスの葬儀」に参加していることになるのである。天皇家が行う全ての行事には「イエス・キリストの死と再生」が関わっているのである。

 

<つづく>