「穢れ」と「言霊」の謎:その34

 

 「かしこまる(畏まる)」には日本のみで用いられる意味があり、その一つが日本人が誰でも使う「ありがとう」であった。日本人の根幹をなす言葉である言葉「有難う」には、自分たちの救世主を「十字架につけろ」と言ってしまった「言挙げ」に対しての「畏れ」とともに、自分たちの身代わりとなって罪を背負ってもらったこと、今も生かされていること、畏れ多い存在の「神」が自分たちの前に姿を現してくれたことに対する「感謝」の意味が込められていた。

 

◆畏まった姿である「正座」

 

 たった一つの「言葉」の中にこれだけ複合的な意味を隠すというのは、ヘブライだからこそである。だが、「かしこまる(畏まる)」には、まだ別の意味が残されている。それは「控え目な気持ちを表し姿勢を正して座る」「正座する」「命令・依頼などをお受けする」という意味である。これが何を表すのかといえば、ヘブライの「預言者」である。預言者は絶対神から「言葉を預かる」ときには「姿勢を正して座る=正座する」ことが求められる。敬虔なる態度で臨むことを示すのが「正座」なのであり、だからこそ日本人の畳に座る時の正式な座り方が「正座」なのである。

 

 

 もちろん、日本人は家に上がる時に履物を脱ぐ。穢れを家の中に持ち込まないためである。よって、汚い格好や汚れた足で「床の間」に座してはいけない。「床の間」は歳神が床とする神聖な場所だからである。もちろん正月の来訪神「歳神」とは磔刑で屠られて亡くなった神イエス・キリストのことである。だからイエス・キリストが「黄泉」から戻ってきて復活するまでの3日間は、家の中で静かに過ごし、「お屠蘇」を注いで奉斎しないといけないのである。全てヘブライの呪術である。

 

 しかしながら、日本人が昔から「正座」をしていたという訳ではなく、「正座」という観念は明治以降に生まれたと考えられている。「正座」とは、元々、神道での神、仏教で仏像を拝む場合や、侍の長である「征夷大将軍」にひれ伏す場合にのみとられた姿勢であったとされる。日常の座法は武士、女性、茶人などでも胡座(あぐら)、立膝で座る事が普通であり、 平安装束に見られる十二単や神職の袍は、下半身の装束が大きく作られており、実は正座には不向きで、あぐらを組むことを前提に作られている。

 


伊勢神宮の神官たち


 江戸時代初期、正座の広まった要因としては、江戸幕府が小笠原流礼法を採用した際に参勤交代の制定より、全国から集められた大名達が全員将軍に向かって正座をする事が決められ、それが各大名の領土へと広まった事が一つ。また、別の要因として、この時代、庶民に畳が普及し始めた頃であったことも要因であるという。小笠原流はもともと室町時代に将軍・足利義満に仕えた今川氏頼・伊勢憲忠・小笠原長秀の3氏によって『三議一統』として完成された武家の礼法(室町礼法)が元となっており、それぞれの家系で今川流・伊勢流・小笠原流として伝えられた礼法のうちの一つである。但し、江戸時代においては、小笠原流は将軍家の公式の「御留流」であるため、小笠原家による正式な流儀が一般に広まることはなかった。


 江戸時代以前には「正座」という言葉はなく、「かしこまる」「つくばう」などと呼ばれていた。武士には「蹲踞」(そんきょ)、「跪座」(きざ)、公卿や茶人には「亀居」(かめい)が尊者に対して敬意を表した座り方だったという。1889年に出版された辞書『言海』にも「正座」という言葉が出ていないことから、「正座」は明治以降に生まれたと考えられ、明治維新以後の修身や四民平等を実現する過程で礼法を統一する必要が生じ、国民に共通するかしこまった座り方を「正座」と規定したとみられている。


小笠原流礼法
 

 江戸時代までは「かしこまる」「つくばう」などと呼ばれていたということで、「かしこまる=正座」だと言っている。この「つくばう」とは漢字で「蹲う」と書き、その意味は「うずくまる。しゃがむ。」「平伏する。ひれふす。」である。いくら将軍にひれ伏す場合にのみとられた姿勢とは言うものの、要は絶対神にひれ伏す姿勢なのである。さらに「地面にはいつくばう(這い蹲う)」というのは、「よつんばいに伏す。這うようにしてかしこまる。平伏する。はいつくばる。」という意味を持つが、「土下座」のことである。

 

 「土下座」(どげざ)とは、土の上に直に坐り、平伏して礼(お辞儀)を行うことである。日本の礼式のひとつで、本来は極度に尊崇高貴な対象に恭儉の意を示したり、深い謝罪や請願の意を表したりする場合に行われるため、互礼ではなく、一方のみが行うのもである。つまり皇祖神に対して深い謝罪をし、民族を滅ぼさないように請願することなのである。「土下座」という字は「十字架に掛けられた者の下に座す」ということで、自分たちが十字架に掛けた神にずっと謝罪を表すための行為なのである。だからこそ伊勢内宮の神官たちは、神事のあるごとに天照大神に土下座をするのである。

 

 

大祓いで土下座をする伊勢内宮の神官たち

 

 さらに「座」という字は神や天皇が座る場所を「玉座」(ぎょくざ)というように、「座」という一字で、目の前に神がすわっていることを表している。なぜなら、「座」には「すわる」という意味とともに、「ある・いる」の尊敬語である「います」という意味が含まれているからだ。「(私は)ある=ヤハウェ=イエス・キリストがおわす」と伝える字なのである!

 

 「座」は「广+人人+土」である。「座」と同種の字には「坐」(ザ・すわる)、「挫」(ザ・くじく)、「蓙」(ザ・ござ)という漢字が含まれる。これらの漢字は同じ構成要素である「坐」をもつ。「坐」は、人が地面に坐る様子を表す会意文字で、「人+人+土」で「人が地面に坐る、坐る」意味だとされている。そして部首は『土・つち』だが、漢字の意味は『坐(すわ)る』の他に『刑罰を受ける』とある。つまり、2人の罪人とともに十字架に掛けられ、無罪の刑罰を受けた現人神イエス・キリストというのを表す文字が「坐」なのである。

 

 

 「座」は「广:まだれ」に「坐」を加えた字だが、「广」は広、府、庁など建物に関する漢字に使われる。坐が十字架で亡くなったイエス・キリストを表すならば、その遺体を安置した場所ということになり、「イエスの岩屋」のこととなり、日本神話でいう「天の岩屋」である。つまり、土下座は亡くなったイエスの岩屋に向けて行われいることとなる。さらに「挫」は「くじく。くじける。。おる。おれる。」の意味がある。この「おれる」とは「足がおられた」ことを伝えている。イエスの隣で処刑された強盗はなかなか死ななかったため、「足を折られた」とあるからだ。磔の状態で足を折るとは

 十字架に架けられると、自重で身体が下がり、すると気道が圧迫され呼吸困難になる。そこで、膝をピストン状に使って身体を持ち上げ、それを繰り返すうちに体力が消耗して身体を上げられなくなり、窒息死する。 すねを折ると、身体を上げられなくなるので、死んでしまうのである。さらにイエスが磔刑になった日は「安息日」であった。安息日には死体をさらすわけにはいかなため、とどめを刺すために
すねを折ったのである。
 

 

 「座」と「坐」「挫」が同じイエスの磔刑の場面を伝える字ならば、「蓙」(ザ・ござ)も同じ場面を伝えるもののはずである。ご丁寧に「艸:くさかんむり」を付けることで「荊の冠」を示している。つまり、亡くなった後に下に降ろされ、イエスの遺体は「蓙」の上に置かれたのである。救世主の遺骸をそのまま土の上に置くはずがない。さらに、イエスの岩屋の中でも、岩のベッドの上に直接おいたのではない。そこには敷物があったはずなのである。

 

 「ござ」は「茣蓙」とも書くが、「蓙」は草茎を織ることによって作られた敷物である。 一般にはイグサで織ったものを指し、構造は畳表と同じである。なんで正月に「歳神」がやってくる場所が「床の間」なのかは、ここに答えがあるのだ。「蓙」はイエス・キリストの遺骸を置いた敷物なのである。だから日本人は「畳」の上に座り、畳が敷かれた日本間の「床の間」には歳神が横たわる=坐すのである。「床」は「广+木」である。「木」は神を表し、さらに神を架けた木=十字架ことでもある。「床」は神の遺骸を横たえた場所ということになるのだ。

 

イエスの岩屋と床の間

 

 「床の間」には亡くなったイエス・キリストが横たわっているのである。だから日本人は「床につく」と言うのである。この「床の間」は「掛け軸」や「活けた花」などを飾る場所である。以前のブログでも書いたので詳細は割愛させていただくが、「掛け軸」はイエス・キリストが十字架に架けられている象徴であり、「生け花」は亡くなったイエスの姿の象徴である。観音開きの開き戸は「天岩戸」の象徴である。

 

 この「床の間」の前で茶道、歌道、華道、香道などを行うのは、全て「儀式」であり、イエス・キリストの葬儀をやっていることになるのである。だからこそ、畳の上で正座をし、深々と土下座をするのである。

 

<つづく>