「穢れ」と「言霊」の謎:その31

 

 神農、炎帝神農は、古代中国の伝承に登場する三皇五帝の一人とされ、人々に医療と農耕の術を教えたことで、神農大帝と尊称されていて、医薬と農業を司る神とされている。薬王大帝、五穀仙帝とも呼ばれる。さらに神農は初代炎帝ともされる。初代炎帝は、古代中国の王で、120歳まで生き、長沙に葬られたといわれている。120歳まで生きたなんて話はモーセだけである。神農の神話には、確実にモーセが投影されているとみていい。なにせ神農にもモーセと同様、なぜか頭に2本の角まで生えているのである。

 

モーセと神農

 

 とくもかくにも、古代中国であろうが、古代朝鮮であろうが、古代大和であろうが、古代イスラエル王国が崩壊した後のイスラエル民族は、民族の正確な歴史を残さず、全て「神話」にしてしまった。「旧約聖書」も「新約聖書」も、比喩や象徴は山のように使われてはいるものの、人の名前や民族の歴史は基本的に史実として残されている。だが、国を失って以降の足取りをたどる際、我々が直面するのは「歴史」ではなく「神話」となる。

 

 人名も国の名称も含め、本当の名前は隠され、象徴に次ぐ象徴の中から真実を見つけなければならない。そもそも、なんでこのような「神話体系」にして残したのか、実はここにこそ「言霊:コトダマ」と「大和民族」の奥義が隠されていると言っていい。よって、「言霊の国:ニッポン」の謎を解き明かすためにも、まずは、この「言霊」の根本的な「仕掛け」を解き明かさなければ、ずっと神話の海の中を漂うこととなってしまう。よって、今一度、基本に立ち返ることが必要である。

 

 

◆「コトダマ:言霊」と「コトアゲ:言挙げ」に支配される日本人

 

 日本は平和な国で、言論の自由が認められている国だと、誰もが信じている。だが、それはあくまでも表向きの話であり、本当の日本の姿はその真逆である。平和でもなく、言論の自由など存在しないのである。その理由は「コトダマ(言霊)」にある。コトダマ(言霊)とは、日本語の中でも最も古い概念の一つであり、表向きの意味は「言葉に宿っている不思議な霊威」だとされている(「広辞苑」)。「不思議な霊威」とはいったい何のことなのか。

 

 「霊威」を調べると「霊妙な威光、不思議な威力」とある。これまた何を意味しているのか分からない。言葉には「霊」が宿っているということなのだろうか。仮に「霊」が宿っているというのなら、それは誰の霊なのか?さらに、霊が宿るというのなら、実体としての肉体が必要なのではないだろうか。なにせ霊は肉体の中に入っているはずだ。もし、肉体の中に入っていないのだとすれば、それは浮遊霊ということになってしまうし、また、コトダマという霊が自分の中に入るということなら、自分の肉体には2つの霊が入っていることになる。そんなことがあり得るのだろうか?

 

 

 周囲の人間に「霊威って何?」と聞いてみると、「ほら、霊妙な感じって”やつ”ですよ」とか「説明できない不思議なパワーのことでしょ」とか「日本人なら分かるでしょ、コトダマのパワーは」と言われた。いや、皆さん何を言っているのか全く分からない(笑)。こちらとしては、説明をして欲しいのだが、それは説明できないものだと説明されてしまうのだ(笑)。簡単にいえば、「言語化できない不思議な力」と言いたいのだろうが、結局、皆さんなんとなく分かるような気がするが、どう説明したらいいのか分からないということなのだ。実は、この「なんとなく」の中にこそ「言霊」の本質が隠されている。

 

 つまり、日本人は「言霊:コトダマ」という言葉は知ってはいるものの、本当の意味は理解していないのである。なんとなく「言霊:コトダマ」という言葉を使うと高尚な感じがしてカッコいいから使う人がほとんどで、そういう人の多くが「スピリチャリスト」である。だが、一方で日本人は太古よりコトダマの影響下にあり、コトダマに支配されていると言っても過言ではない。さらに問題なのは、日本人自身がコトダマに支配されているという事を全く知らないことである。なぜなら、コトダマとは日本人の考え方や心を縛る「呪詛」であり「妖怪」だからである。

 

「言霊:コトダマ」とは霊のことなのだろうか?

 

 「コトダマ」とは何か。一言でいえば、「言葉と実体(現象)がシンクロする」「ある言葉を唱えることによって、その言葉の内容が実現する」という考え方のことだ。簡単にいえば、「雨が降る」と言葉を口にすれば、実際に「雨が降る」という考え方のことである。科学的に考えれば、実際にそんなことはありえないのだが、古代の日本人はそんな風には考えなかったのである。言葉には「霊的威力=霊力」があり、それを口にする、口から放つことによって、その霊力が発動し、その作用によって雨を降らすことができると考えたのである。

 

 仮に明日が運動会だったとしよう。誰かが「きっと明日は雨が降るな」などと言うと、「なんでそんなことを言うの」とか「本当に雨が降ったらどうするの」などと非難される。さらに、実際、言葉の通りに雨が降ったら大変である。「あんたのせいで運動会が中止になった」とか「お前が余計なことを言うから雨が降ったじゃないか」などと猛然と怒られる(笑)。なんの科学的な根拠もない話なのにである。

 肝心なことは「言葉を口に出す」ということである。言葉に秘められた言霊の力を発揮させるには、言葉を声に出して発音しなければならない。これを「言挙げ(コトアゲ)」という。「雨が降る」と口にしただけでも、言霊の力が発動し、実際に「雨が降る」というのがコトダマの世界なのである。なんとも奇妙な話だが、日本人はずっとそう信じてきたのである。世界から見れば「オカルトの国」なのであるが、日本人のほとんどがそれを自覚していない。

 

 

 「言霊」という言葉が載っている最古の文献は『万葉集』で、大歌人・柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)は、言霊をテーマに書いている。

 

 葦原(あしはら)の 瑞穂(みづほ)の国は 神(かむ)ながら 言挙(ことあ)げせぬ国 

 然(しか)れども 言挙げぞ我(あ)がする 言幸(ことさき)く ま幸(さき)くませと 

 つつみなく 幸(さき)くいまさば 荒磯波(ありそなみ) ありても見(み)むと
 百重波(ももへなみ) 千重波(ちへなみ)にしき 言挙げす我(あれ)は 言挙げす我(あれ)は

 (作者不記、巻十三の三二五三)

 

 <現代語訳1>

 葦原の瑞穂の国は、神々のみこころのままに言挙げなどしない国。

 しかし、しかし、私はあえて言挙げをする。わが言葉のとおりに、ご無事であられますように。

 さしさわることなくご無事であったなら、荒磯に寄せ続ける波ではないけれど、変わらぬ元気な姿でと

 百の波、千の波が寄せては返すように、私は繰り返し繰り返し「言挙げ」をいたします、私は言挙げをいたします。

 

 <現代語訳2>

 葦原の瑞穂の国は神の意のままに言挙げをしない国だ。だが、言挙げを私はする。ことばが祝福をもたらし無事においでなさいと、さわりもなく無事でいらっしゃれば、荒磯の波のように後にも逢えようと、百重波や千重波のように、しきりに言挙げをするよ、私は。言挙げをするよ、私は。

 

 <反歌> 

 磯城島(しきしま)の大和の国は言霊の助くる国ぞま幸(さき)くありこそ

 

 <現代語訳>

 言葉には力がある。日本人は、そう信じている。心配せずに頑張れ。あなたに幸多からんことを祈っている。

 

大歌人・柿本人麻呂

 

  「万葉集」は、7世紀後半から8世紀後半の奈良時代末期ににかけて編纂された、現存するわが国最古の歌集である。 全20巻からなり、約4500首の歌が収められている。 作者は天皇から農民まで幅広い階層に及び、詠み込まれた土地も東北から九州に至る日本各地に及んでいる。この「万葉集」の最大の歌人は柿本人麻呂である。上の歌は柿本人麻呂の作とされてはいるものの、一説には作者不詳とも言われる。

 

 「言挙げ」とは日本の神道において宗教的教義・解釈を「ことば」によって明確にすることを言う、と書かれているものがあるのだが、この説はどうも腑に落ちない。なぜなら、神道に宗教的な教義などないからだ。伝承は山ほどある。だが、神道はユダヤ教・キリスト教・イスラム教などの宗教とは異なり、ベースとなるテキストが存在しない。『聖書』や『コーラン』のような教義は表向き存在しないからだ。唯一、神道において「言葉」が明確になっているのは「祝詞」(のりと)だけである。

 『古事記』の中巻には、伊吹山の神を討ち取りに出かけたヤマトタケルが白猪に遭い、
「これは神の使者であろう。今は殺さず帰る時に殺そう」と「言挙げ」する場面がある。これが現存最古の「言挙げ」とされているる。しかし、このヤマトタケルによる言挙げは、自身の慢心によるものであったため、神の祟りによって殺されてしまったとされている。このため、「自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙げ」と言い、それが自分の慢心によるものであった場合には悪い結果がもたらされられる」とに解釈されている。但し、ヤマトタケルの話はあくまでも「神話」であり象徴である。

 

ヤマトタケルとまるで乙事主のような「白猪」

 

  しかし、もし神の意志に背いて特別に取り立てて述べること=「言挙げ」に誤りがあると、命を失うことにもなるので、タブーとして慎まれていたという。万葉集には「千万の軍なりとも言挙げせず取りて来ぬべき男とぞ思ふ」とあり、千万の敵だとしても言挙げをせずに退治するのだという。まるで「ヨハネの黙示録」に登場するイエス・キリストの口から出た剣である。言葉だけで殺すことができるのである。よって、神道家は「神道は言挙げせず」と言明する。
 

 「言挙げ」というのは、個人が自分の意志を明白にする態度であることに違いなく、それを慎むというのは、それが神の態度・意志を越えるからだと考えられている。つまり、言挙げをするのは、神のみに許された行為なのであり、神の意志を受けて行動するのが古代日本人の態度で、「言挙げ」は神の意志を越えたり、神の意志に背くことになるのである。よって日本では個人の自己主張は慎むべきであり、個人の主張は神により承認された言葉において可能であったのである。

 

 個人が意思表示してはいけないというのは非常に難しい話だ。しかし、こうした神の意志は、個人を越えて国のあり方におよぶものであるゆえに、言挙げは慎むべきものであったのである。昔は「男は無口」が好まれた。余計なことは一切言わないという態度を貫く人間こそが信頼に値するというもので、まぁ高倉健が演じる口数の少ない主人公みたいなものだが、日本では「和を乱す自己主張は控えるべき」という考えが支配してきた理由は、「言挙げ」をするなということなのだ。

 

 

 神社で祝詞を奏上する時には、必ず「恐み恐み(かしこみかしこみ)も申す」と言う。これは「神を恐れる」ということである。何を怖れているのかといえば、「言挙げ」で神の意志に背くことで滅ぼされることである。「言霊」と「祝詞」の関係について、非常に興味深いことを書かれているのが、「白山比咩神社」の村山和臣宮司である。

 

 祭典ではこの後、祝詞奏上となるのですが、この祝詞も恭しく且、丁寧に奏上しなければなりません。喉に力を入れ、いわゆる濁声(だみごえ)は適しませんし、澄んだ声で奏上し祝詞の最後には恐み恐み(かしこみかしこみ)も申すと言いますが、この「かしこみ」も以前は「恐み畏み(おそれみかしこみ)」と書かれており、又「畏み畏み(かしこみかしこみ)」や「惶み惶み(かしこみかしこみ)」とか「謹み謹み(かしこみかしこみ)」と記されておりましたが、現在では「恐み恐み(かしこみかしこみ)」が多くなりました。
いづれにしても、恭しく奏上するのであります。

 ことばと云うものは「こだま」であり「言霊(ことだま)」であります。自分が発する言葉は、自分を表現する一つの道具であり、他人の言葉は他人を理解するのと同様に自分に物事を教え、気づかせる大切な道具です。 これに目・鼻・耳・身体が伴い、五感を浄め、神様にも人にも接した時、大自然と一体となり、美しい心が生まれるのであります。誹謗中傷は天に向ってツバをはくようなもので、必ず自分に返って来ます。自分一人で生きているのではなく、周囲の人にも気を配り、より良き社会を築きましょう。

 

 神道の「祝詞」はいつ始まったのか。なぜ「かしこみかしこみ」を入れたのか。ここにこそ、神道の本質が隠されている。

 

<つづく>