「穢れ」と「言霊」の謎:その30

 

 応神天皇の御代に「和仁」がもたらした『千字文』(せんじもん)とは、漢字の練習をしながらも、実は旧約と新約2つの『聖書』に記された最も重要な部分を身体に刻み込み、無意識下の中で日本人を支配する呪術である。なぜなら、聖書文字としての漢字を「書く」「見る」ことで、身体に刻まれるからで、さらに四文字一句の「歌」として詠んだ場合、さらに「音」を通じて脳内に染み込ませることができる。「ヨハネの黙示録」において、再臨するイエス・キリストの口から出た「剣」は、「神の言葉」によって穢れた人類を滅ぼすことの象徴であった。それと同じ言葉を使っているのが大和民族であり、だからこそ平安時代には「軍隊」を持たなかったのである。つまり、軍隊より強力な武器は「言葉=言霊」なのであり、天皇が「詔」を出して編纂させた国家プロジェクト「古今和歌集」の裏の意味がそこにある。

 

 『千字文』の最後「焉、哉、乎、也」の四文字が伝える意味は、「終焉のトリ=大トリ=イエス・キリスト」は「創造神ヤハウェ」であり同一神だと告げている。この4文字を最後に持ってきた理由は、「ヨハネの黙示録」の内容以上に、旧約神ヤハウェを祀る物部氏と新約神イエス・キリストを祀る秦氏が同じ民族であり、それが一つにならねば、「終わりの日」を超えて千年王国は樹立できないという物部氏に対するメッセージでもある。だが、一つだけ気になるのは、なんで「哉、乎、也」と3回も「や」を並べたのかという点だ。しかし、その前にまだ『千字文』の謎解きが残っている。それは250句の中で非常に気になる一節「龍師火帝 鳥官人皇」である。

 

◆「黄帝」と「伏羲」と「少昊」

 

 「龍師火帝(リュウシカテイ) 鳥官人皇(チョウカンジンコウ)」とは何を意味したものなのだろうか。これを文選読みすると「レウシのたつのつかさ クワテイのひのみかど。テウクワンのとりのつかさ シンクワウのひとのすめらきなり。」となるとされている。さらにこの句の口語訳を調べると、以下のような訳文が紹介されている。

 ①資格龍の伏羲と火の神農、鳥の小皞の三皇が世を治めた。

 ②伏羲や神農、少昊の鳥官が皇帝となる。

 ③龍師や火帝、鳥官や人皇がいた。

 ④(太古には)官に竜の名を付けた太皞や炎帝、官に鳥の名を付けた少皞や人皇(などの聖王)がいた。

 これに関して、古代中国の神話時代には、官に「龍」の名前を付けた
「大皞」(たいこう)や「炎帝」(えんてい)、官に「鳥」の名前を付けた「小皞」(しょうこう)や「黄帝」(こうてい)がいたことを表しているとされる。ユダヤ的な解釈でいえば、「龍=ヤハウェ」の名前を付けた皇帝「大皞」や「炎帝」、「鳥=イエス・キリスト」の名前を付けた皇帝「小皞」や「黄帝」がいたとという話となる。

 

 さらに、別の口語訳では、「龍師」は「大皞」(たいこう)の官名で、「伏羲氏」のことで、「火帝」は「炎帝」(えんてい)で、すなわち「神農氏」のこと。また、「鳥官」は「小皞」(しょうこう)の官名で、黄帝の子「金天」「人皇」(じんこう)は古代伝説上の帝王、「三皇(天皇・地皇・人皇)」(=司馬貞が宋代に書き加えた『史記』三皇本紀)の一人のことで、すなわち「黄帝」「軒轅氏」のことなのだという。

 

「龍師火帝 鳥官人皇」の絵図
 

 整理してみると、まずは最後の部分は、「伝説の皇帝:三皇(天皇・地皇・人皇)=黄帝(軒轅氏)」となる。中国のWEBサイトでは、「龍師火帝 鳥官人皇」で画像検索をすると、上のような画像が登場する。「黄帝結盟」と書かれているから、多分、「黄帝」が同盟を結んだことを伝える絵なのだろう。中国の瑞獣であり「龍」と「鳳凰」、上部には天女、兎、烏がいる。「黄帝」(こうてい)は、古代中国の伝説上の君主である。 三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝とされ、また、「三皇」のうちに数えられることもある。 本来は「皇帝」と表記されたが、戦国時代末期に五行思想の影響で「黄帝」と表記されるようになった。簡単にいえば、神話の登場人物である。
 

 漢代の歴史書『史記』五帝本紀や『国語』晋語によると、少典の子、姫水のほとりに生まれたことに因んで姓は姫姓、氏は軒轅氏(けんえん)、または帝鴻氏とも呼ばれ、『山海経』に登場する怪神帝鴻と同一のものとする説もある。蚩尤を討って諸侯の人望を集め、神農氏に代わって帝となった人物という。『史記』はその治世を、従わない者を次々に討ち、道を開いて、後世の春秋戦国時代に中国とされる領域をすみずみまで統治した開国の帝王の時代として描く。

 中国の多くの姓氏が始祖を三代の帝王や諸侯としたので、現在も多くの漢民族は黄帝を先祖に仰いでいる(炎黄子孫)。本来は
雷神であり、「軒轅」が龍蛇形の星座を指す場合があり、『山海経』に登場する(黄帝の子孫が住む)軒轅国の住民が人面蛇身であり、伝説において龍との関係が深いことから黄帝は龍蛇形の神だったと考えられている。

 

伝説上の皇帝「黄帝」

 

 ユダヤ=大和民族的な解釈で考えると、「本来は雷神で龍蛇形の神」というなら、絶対神ヤハウェ、もしくはヤハウェの預言者だったということになる。「鳥=イエス・キリスト」の名前を付けた皇帝が「黄帝」なら、「龍神=雷神=スサノウ=ヤハウェ」で、「蛇神=天照大神=イエス・キリスト」で、「ヤハウェ=イエス・キリスト」だから、「龍蛇形の神」というのは同一神だと伝えていることになる。さらに、「伝説の皇帝:三皇(天皇・地皇・人皇)=黄帝」というのは、「天孫降臨」であり、天皇=天照大神・地皇=スサノウ・人皇=天孫ニニギノミコトである。

 

 「従わない者を次々に討ち、道を開いて、後世の中国とされる領域をすみずみまで統治した開国の帝王」という表現は、まるでモーセだ。「出エジプト」の際に、従わないイスラエル人を滅ぼしつつ、約束の地カナン=古代イスラエルに導いたからだが、実際に古代イスラエルを作ったのはモーセの跡を継いだヨシュアである。さらに古代イスラエル王国の領地を拡大した王はダビデだ。もちろん全てアブラハムの子孫である。つまり、「ヤマト民族=黄人」だったことを考えると、「黄帝」の伝承は古代中国に渡来したイスラエル民族が「伝説」として伝えた歴史だということになる。ちなみに、「ユンケル黄帝液」は、東洋医学発祥の元とされる「黄帝」から名付けられている(笑)。

 

 黄帝の子孫が住む軒轅国の住民が人面蛇身であったというのは、「伏羲」の伝説と同じということになる。「伏羲」(ふくぎ、ふっき、ふぎ )は古代中国神話に登場する神または伝説上の帝王で、宓羲・庖犧・包犧・伏戯などとも書かれる。伏義、伏儀という表記も使われる。三皇の一人に挙げられる事が多く、姓は風。伏羲の兄妹または夫婦と目される「女媧」(じょか)と共に、蛇身人首の姿で描かれるのである。

 

蛇身人首の姿で足掻かれる「伏羲」と「女媧」

 

 伊勢内宮では天照大神は「蛇神」と伝えている。この話はイエス・キリストを陰の女神・天照大神として祀っていることと同じで、外宮に祀られている陽の男神・豊受大神がヤハウェだが、両者は同一神というのと同じである。カッバーラにおいて、蛇は神でもあり悪魔の象徴でもある。その意味では、陰は「死の樹」に巻き付いた蛇で、陽は「生命の樹」に巻き付いた蛇となる。さらに「炎帝」は「夏をつかさどる神、また、その神としての太陽」のことであるから、太陽神ヤハウェ=イエス・キリスト。「炎」だけでいえば、ヤハウェは「燃える柴」である。

 

 黄帝の子「金天」とは「少昊」(しょうこう)のことである。少昊は、中国古代の五帝の一人とされ、姓は己、氏は金天氏、または鳳鳥氏、青陽氏、窮桑氏、雲陽氏とも称される。『路史』では少昊は黄帝の孫とされ、母は嫘祖。西海のほとりにあったと伝わる「窮桑」(きゅうそう)で生まれたことになっている。現在の山東省曲阜市のあたりである。但し、これまた神話である。なにせ生まれた場所の「窮桑」とは、高さ1万丈にもおよぶ桑の大木で、赤い葉をもち、1万年に一度長寿の効果のある果実をつけるとされるからだ。「桑」の字は「三叉の木」で、「絶対三神の木=生命の樹」の象徴である。

 

「少昊」

 

 古代中国の神話時代に登場する王たちの話とは、全てカッバーラを元に作られた神話であり、それを作ったのは「秦人」(しんじん)である。この「秦人」とは、簡単にいえば、「始皇帝」の「秦」(しん)にいたイスラエル人のことで、その中からまず「徐福」とともに「海部氏」が渡来、2回目の渡来の時に「物部氏」とともに日本にやってきた。「秦」に残されたのは騎馬民族となっていた「失われた10支族」と「秦人」で、彼らは「秦」の崩壊ととともに古代朝鮮半島へと移動する。

 

 そこに加わったのは失われた2支族「秦氏」である。日本神話で「国津神」とされたのは徐福の物部氏及び海部氏で、「天津神」は秦人と騎馬民族、秦氏である。ミツライム系ユダヤ人(物部氏及び海部)と失われたイスラエル10支族(神武天皇=応神天皇)とエルサレム教団のユダヤ人原始キリスト教徒(秦氏)である。天津神の「天孫降臨」の神話は中国側にも残されており、『三国史記』金庾信列伝によれば、新羅の武将「金庾信」は「金官加羅国」の王家の子孫であり、その始祖・首露王は少昊の子孫にあたるとある。首露王は、韓半島の一番南の「金海」を本貫とする「金氏」の始祖である。

 

首露王と伽耶

 

 古代朝鮮半島の南端の国「伽耶」(かや)を建国した金首露は、天から「金櫃」に入って天から「亀旨峰」(くじほん)に降臨したとある。この神話では、亀旨峰に6個の金の卵が降臨、42年3月3日に首露王が生まれたとされ、また、このとき1人ではなく5人の王子とともに6つ子として卵から孵って、九干たちに育てられたとされている。この首露王が天から降臨した金の卵から生まれたという伝説により「金姓」を名乗ることになったのだ。

 

 「亀旨峰」のクジとは記紀神話でいう「久士布流多気」(くじふるたけ)に相当する。天孫ニニギ命は三種の神器を抱いて高千穂の久士布流多気に降臨している。つまり、こういうことである。秦から古代朝鮮半島に移動した秦人・騎馬民族・秦氏は、国を建国。それが「辰韓・弁韓」で、これが後に「新羅」となる。ここから更に南下し、「伽耶」を建国したが、ここは日本に到来するための前哨基地だったということなのである。そして、3世紀〜4世紀初頭に日本へと渡来。それが「天孫降臨」の神話の正体なのである。

 

 

「神農」と「テキ屋」

 

 『千字文』の「龍師火帝 鳥官人皇」の口語訳の中で、「火帝」は「炎帝」で、すなわち「神農」のこととある。実は、筆者が気になっていたのは、この「神農」とは誰のことなのか、という点である。「神農」(しんのう)もしくは「炎帝神農」(えんていしんのう)は、古代中国の伝承に登場する三皇五帝の一人であり、人々に医療と農耕の術を教えたという。「神農大帝」と尊称されていて、医薬と農業を司る神とされている。

 

 ご存知の方もいると思うが、日本で神農は「神農皇帝」の名称で、香具師・テキ屋業界では守護神・まもり本尊として崇敬されている。これは神農の時代に物々交換などの交易をする市場がはじめられたこと、また神農の子孫であるとされる「融通王」が日本ではじめての露天商であるという伝説などが理由であるとされてきたからで、儀式では祭壇中央に掛け軸が祀られるほか、博徒の「任侠道」に相当するモラルを「神農道」と称している。またまたヤクザの世界の話に舞い戻ってしまった(笑)。

 

 ヤクザの世界では「天照大神・八幡大菩薩・春日大明神」の三神の前で「襲名披露」を行うと書いたが、テキ屋(的屋)系の組織では式場に的屋の守護神である「神農像」を置き、その前で交盃するところから、通常、「神農盃」と称している。ヤクザの組織とテキ屋では崇める神が異なるということだ。実は、ここには深い謎が隠されている。

 

哀川翔主演「最後の神農」と神農像

 

 日本でいちばん有名なテキ屋は「フーテンの寅さん」である。日本人なら知らない人はいないテキ屋である。「的屋」(てきや)とは、縁日や盛り場などの人通りの多いところで露店や興行を営む業者のことである。日本人で縁日に行った人なら、焼きそば、綿菓子、お好み焼き、金魚すくい、射的など、的屋の世話にならなかった人はまずいない。但し、警察では「的屋」を暴力団の起源の一つと定義しており、戦後の混乱期には、博徒・愚連隊と同様に闇市を縄張として、覚せい剤(ヒロポン)の密売などの違法行為を行っていたと「警察白書」には記されている。まぁVシネの哀川翔みたいなテキ屋がいたのであろう。

 「的屋」は「香具師」(やし)、「三寸」(さんずん)とも呼ばれる。「香具師」とは露天商のことである。また、
職業神として元々は中華文明より伝わり、神道の神となった「神農の神」「神農炎帝」を祀ることから、「神農」(しんのう)とも呼ばれる。つまり、もともとは古代中国からもたらされた「神農」という唯一神を崇めているわけで、「天照大神・八幡大菩薩・春日大明神」の三柱の神の前で襲名披露を行う「任侠(ヤクザ)」とは奉ずる神が違うということなのである。ちなみに任侠の場合、三神を拝みながらも職業神は「天照大神」である。

 

 「的屋」には街商や、大道芸で客寄せをして商品を売ったり、芸そのものを生業にする大道商人(だいどうしょうにん)なども含まれる。「当たれば儲かる」ことから的矢に準えて言われるようになった言葉である。「的屋」は商売人といっても、祭礼時などは町鳶、町大工などの冠婚葬祭の互助活動と同じで、いわゆる「寺社普請」と呼ばれる相互扶助の一環でもあり、支払われるお金は祝儀不祝儀であるともいう。同時に寺社などとの取り交わしによって、縁起物を売る時は神仏の託宣を請けた者ともいえる。

 的屋は「露天商や行商人」の一種であり、日本の伝統文化を地域と共有している存在である。それゆえ、的屋は価格に見合った品質の商品を提供するというよりも、
祭りの非日常(ハレ)を演出し、それを附加価値として商売にしている性格が強い。日本は古くから様々な生業において「組」という徒弟制度や雇用関係があり、的屋も噛み砕いて表現すれば、親分子分(親方子方・兄弟分・兄弟弟子)の関係を基盤とする、企業や互助団体を構成する人々でもある。

 

 的屋は零細資本の小売商や、雇用されている下働きの人々の団体というイメージもあるが、これに該当しない地域に密着した形や、個人経営や兼業の的屋も多くある。地勢的・歴史的・人的・資本的要素が複雑に絡み合って、発生し成り立ってきた背景から、単に的屋として一括りに定義することは難しいと言われて、猿楽、香具師、的屋、蓮の葉商い、鳶職ないし植木職の5つが源流とされる。

 

東京タワー建造時の鳶職(1958年)

 

 猿楽、香具師、的屋、蓮の葉商い、鳶職ないし植木職の5つが源流とされるが、猿楽=申楽(さるがく)の祖は秦氏の族長「太秦」(うずまさ)だった秦河勝である。「鳶職」(とびしょく)とは、建築現場で高所作業を専門に行う職人のことだが、 なぜ「鳶」(とび・とんび)なのかの由来については、「江戸時代の職人が『鳶口』(とびぐち)という道具を使用していた」という説や、「高所で作業する姿が空を羽ばたく鳶に似ている」など諸説ある。原始キリスト教徒の象徴は全て「鳥」であることを考えれば、後者の説に源流があると考えられる。

 

 しかし、問題は香具師や的屋は「神農」という唯一神を崇めているわけで、それは天照大神=イエス・キリストではない。唯一の神を拝むのは、絶対神ヤハウェを奉ずる原始ユダヤ教徒・物部氏のはずだ。これはどういうことなのだろうか。テキ屋の神事となるのは任侠(ヤクザ)の世界同様に「盃事」である。盃事が無事に終わると、博徒系のヤクザでは、先代となる親分から、末広、魂(刀)、承認書、縄張りの譲渡、組旗の授与を行う。

 

 一方の的屋系組織では、以上のほかに「神農像」と「十三香具虎の巻」を授与するのだという。これはテキ屋の虎の巻といわれるもので、江戸時代の享保20年、幕府から露店が公認されたときに販売することを認められた香具類13種と露店を公認されたいきさつを書いたもので、テキ屋では、代々受け継いで行くべき大変大切なものとされている。跡目の選定は、先代親分の専権事項とされているが、跡目相続は、先代親分が持っていた諸特権や縄張り、集団内の支配権など総てを受け継ぐものである。

 


「十三香具虎の巻」と「神農」

 

 「虎の巻」とは「トーラーの巻物」を指す。トーラーとはユダヤ教の聖書における最初の「モーセ五書」のことである。 また、それに関する注釈を加えてユダヤ教の教え全体を指す場合もあるが、 トーラーはヘブライ語で書かれており、「教え」という意味を持つ。テキ屋組織が大切にする「虎の巻」とは、モーセ五書=トーラーの象徴なのである。つまり、テキ屋には秦氏系もいるだろうが、本来は物部氏なのである。そうでなければ、ヤクザ同様に差別の対象にはなりはしない。

 

 だが、テキ屋系の組織は物部氏の中でも大和朝廷に与せずに、反抗してきた「外物部氏」なのである。だからこそ、彼らは「天照大神」も「絶対三神」も奉じないのである。ならば、彼らはどこに住んで大和朝廷と戦っていたのか。実な、この謎解きをするためには、立ち塞がるものがある。それは、もう一つの「天孫降臨」と古史古伝『宮下文書』である。『宮下文書』とは、富士山の北麓、山梨県富士吉田市大明見にある北東本宮小室浅間神社(旧称・阿曽谷宮守神社)の宮司家だった宮下家に伝来した古記録・古文書の総称であり、「富士宮下文書」「富士古文書」「富士古文献」とも呼ばれる。
 

 『宮下文書』は神武天皇が現れるはるか以前の超古代、富士山麓に勃興したとされる「富士高天原王朝」に関する伝承を含み、その中核部分は中国・秦から渡来した「徐福」が筆録したと伝えられている。だが、その信憑性については疑いがもたれており、アカデミズムでは、いわゆる古史古伝の代表例に挙げられる。だが、神農については書かれているのはこの文献なのである。そこには、日高見王朝の第五代目の天之常立比古神の諱は「神農比古」といい、とある。いったい、これは何を表しているのだろうか。

 

<つづく>